人との上手なつきあい方

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黙っていては話にならない ・・・「あうんの呼吸」は必ずしも良くない
 仲の良い夫婦。
 お互いに何も口に出さなくても、相手が何を期待しているのかがわかる。理想的ですね。
 しかし、夫婦にしても、恋人関係にしても、それまで全く別の人生を歩んできた、全く別の人格が一緒にやって行くわけですから、何から何まで理想的に行くわけではありません。

 Bさん。結婚して10年の女性です。
 彼女は、夫が自分のことを単なる家政婦としてしか見ていないのではないかと思うと、自信もなくなり、外で成功をおさめる夫が妬ましくもなります。
 本当は自分も外での仕事を見つけて生き生きとした暮らしがしたいのです。でも、夫はそれを好まないだろうと思っています。
 夫が帰ってくると、Bさんは、
「ああ、肩が凝った」
などとため息をつきながら夫の世話をします。
 Bさんは、不満げな顔をしたりため息をついたりすれば、自分の言いたいことが夫にわかってもらえると思っているのです。

 一方、Bさんの夫はどうでしょう。
 夫は、
「妻は妻なりに日々の楽しみを見つけてやっているのだろう」
と解釈していました。
 しかし、妻はこのところ顔色もさえず、ため息ばかりついているようなので何か身体の病気なのではないかと思うようになりました。
 妻がため息ばかりついて家庭から笑顔が消えたような状況では、夫まで気分が滅入ってきます。
 夫は何度もBさんに病院を受診するよう勧めるのですが、Bさんは病院に行こうとはしません。そして、そんなBさんのことを、夫は、自分の身体に対する責任感がないと考え、次第にイライラしてくるのです。

 なぜこの二人はこんなにずれてしまったのでしょうか。

 Bさんは、一度も夫に「外で働きたい」と言ったことがありません。Bさんなりのメッセージとして、ため息をついたり不満げな顔をしたりするのですが、それではBさんが何を言いたいのか、夫にはさっぱりわかりません。

 さて、この二人が会話を始めたとしたら、どうなるか、想像してみましょう。

 Bさんが
「私は専業主婦には飽き飽きしているの。外で活躍しているあなたを見ていると妬ましくてため息が出るわ」
と言ったとします。
 すると、夫はどう言うでしょうか。
「なんだ、君は外で働きたいのか。どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ。家に帰ってもいつもため息をつかれているくらいなら、外で働いてくれた方がどんなにか気が楽だよ」
 あるいは、
「外で働くのも大きなストレスだよ。それでも頑張れるのは、家で君が待っていると思うからだよ」
などと言うでしょうか。

 働きに出ることになるか否かは別としても、Bさんの気持ちは会話によってずっと楽になるはずです。

 「口に出さなくてもわかる」
というのは、理想的なようでいて案外大きな落とし穴なのです。
 会話には、それぞれの考え方を刺激して新たな発展を生む作用もあります。毎日大喧嘩をするかどうかはそれぞれの夫婦の趣味の問題でしょうが、
「物言わざるは腹ふくるる」
です。
 腹が膨れてきたなと思ったら、まず話し合うようにしましょう。


期待のずれを治そう   ・・・期待の一方通行はうつのもと
   人間の関係は、お互いに相手に何かの期待をしながら成り立っています。

 例えば、親子であれば、子供は親に「親らしい」役割を期待していますし、親は子供に「子供らしい」役割を期待しています。
 それと同時に、人間は、お互いに、
「相手は自分にこんなことを期待しているだろう」
と考えながら行動しています。
 親は子供が自分に「親らしい」役割をやってほしいと思っていると考え、自分の楽しみは少し我慢して子供のために時間を割いたりします。
 子供は子供で親が自分に「子供らしい」役割をやってほしいと思っていると考え、時々は親の手伝いをしたり、親の肩をもんであげたりします。

 これらの場合は、お互いへの期待と、自分が期待されているものとのズレがあまり目立ちません。しかし、このズレが大きくなるとどうなるのでしょうか。

 例えば、Bさん。高校生の娘さんのお母さんです。
 Bさんは、自分の青春時代には、あらゆることを母親に打ち明けていました。ですから、自分の娘も当然それと同じことをするべきだと思っています。
 ところが、娘さんの方は、大人になるためには、自分の心の中だけに留めておかなければならないことがあるのだと考えています。
 そこで、母親は秘密を話してくれない娘に対して欲求不満を感じ、娘さんは、母親が自分のことを全てコントロールしたがっているようで鬱陶しく感じてしまいます。

 また、サラリーマンのCさんには、やはりサラリーマンの妻がいます。
 Cさんは、男女平等論者であり、妻も経済的な負担を分担するべきだと思っています。
 一方、妻の方は、現在は経済的な必要性によってやむなく仕事を辞めずにいるが、いずれは夫に養ってもらって専業主婦になりたいと思っています。
 つまり夫は現状に満足しているけれども、妻は不満を胸に抱えて暮らしているわけです。

 こんな気持ちのずれがうつにつながっていきます。
 それぞれの期待のズレを言葉に出して話し合うと、関係がだめになってしまうのではないかという幻想を私たちは持っています。しかし、本当にそうなのでしょうか。

 もちろん、一方的に自分のわがままばかりを主張するのでは関係は上手くいきません。
 しかし、主張も工夫することによって、いくらでも生産的にすることができます。

 例えば、カウンセリングの場を利用するというのは一つの手です。
 中立的な第三者がいれば、お互いに感情的になりすぎずにすみますし、論点を見失わないで有効な議論ができるでしょう。
 このやり方は、片方が大きな声で一方的に意見を押しつけるような、どうしても議論の力関係が明らかになってしまうような場合にも有効です。

 あるいは、第三者を同席させなくても、
「今日は・・・について話し合いましょう」
というふうにきちんと席を設けることも良いでしょう。
 日常的な口げんかとは違うのだという姿勢を示すことにもなります。

 とにかく、自分の意見を述べたら、それについて相手がどう思っているかをじっくりと聞くこと。下手な邪推をしたりせずに、できるだけ率直に話すこと。
 それさえ守れていれば、お互いへの期待のズレを言葉に出して話し合っても、それだけが原因で関係が壊れると言うこともないでしょうし、もしも関係を終わりにしようという結論になっても、無言のまま別れてしまうよりは、お互いに納得がいくでしょう。


自分にあったやり方で人とつきあおう ・・・おしゃべりや娯楽だけが対人関係の理想ではない
   いつもニコニコして、おしゃべり上手で、みんなに囲まれている人気者。休みの日には必ず誰かに誘われて、友達とレジャーに繰り出していきます。

 しかし、このようにできない人にとって、人気者はいつも羨望の対象です。
「私もあのようになれたら、毎日が楽しいだろうに」
「自分ときたら、人と話をするだけでも気を使ってしまうし、気の利いた冗談も言えないし」
・・・・と。

 対人関係というものは、得意な人にとってはこの上もない楽しみですが、苦手な人にとっては大変な苦痛です。
 この苦手を苦手と割り切って自分の楽しみに集中できる人は良いのですが、どうしても寂しさを感じたり、自分にはコミュニケーションの能力が欠けているのではないかと思ったりしてしまうこともあります。
 仲が良さそうに話している人たちをみると、自分一人だけ異質な感じがして気持ちが落ち込むこともあります。

 そんなあなたは、どういう状況でなら自分が人と自信を持って話せるかを考えてみてください。

 大学生のTさん。友達を作るのが苦手で、これといった趣味もなく、サークル活動もしていません。
 講義のない時には、図書館で本を読んだりして過ごしますが、気分が落ち込みがちでほとんど頭に入ってきません。
 休みの日はいつも一人でぼーっとテレビを見ています。
 同級生が楽しそうに話をしたり、サークル活動に精を出していたりするのをうらやましく眺めるのですが、とても自分から入っていく気にはなれません。
 一度、親切な人からコンパに誘ってもらったことがあるのですが、全くその場の雰囲気になじめずに途中で帰ってきてしまいました。

 もともとTさんは引きこもりがちな人でした。大学に入る前も、あまり友達はいませんでした。
 しかし、大学生になって、周りが自由に華やかになってくるにつれ、自分が本当に異質な感じがしてきたのです。

 「生きていく意味が感じられない」
と相談に来たTさんに対して、今まで自分が自信を持って人とコミュニケーションしたことがないかを思い出してもらいました。

 Tさんは、中学生の時、短期間でしたが「選挙管理委員会」の委員になったときのことを思い出しました。
 その委員会は、生徒会の役員選挙のために短期間だけ設立されるものでしたが、Tさんはたまたまその委員になって仕事をしたのです。
 そのときの仕事は今でも「おもしろかった」と記憶していますし、ほかの委員とのやりとりにも全く支障はなく、今でも「良い仲間」として思い出します。

 ほかの人間関係に比べて、その委員会のどこが良かったのかをTさんに尋ねてみると、
「みんな委員として参加していましたから、それぞれの仕事もはっきりしていたし、会話も仕事の話が中心でしたから、僕にも話題があったのです」
と答えました。

 このあたりの話から、Tさんは、ある程度役割の決まっている人間関係でないとうまくいかないということがわかってきました。
 ただ漫然と「友達づきあいをする」ことは苦手なのです。

 そこで、一緒に考えた結果、Tさんは、ある養護施設のボランティアの仕事を始めました。そこではTさんは、自分が何をやれば良いのかをはっきりと確認することができ、また、仕事に慣れてくるにつれ、自信を持って仕事関係の人々と話をすることができるようになりました。
 今では、就職活動も始まり、ボランティアとの兼ね合いでかなり忙しい日々を送っており、「暇を持て余す」「友達がいない」などという悩みはすっかり忘れてしまったようです。

 このTさんのように、自分なりに最も気持ちの良い対人関係のやり方をみつけていくと、そこから思わぬ世界が広がることもあります。

 人間関係とは、何も、友達になって、お茶を飲みながら話して、一緒に遊びに行って、というだけのものではありません。仕事上の友人で、いつも仕事の議論ばかりしていても、本当に良い友人となることもあるのです。


あらゆる人に理解してもらう必要はない ・・・「人類みなきょうだい」と思いこみすぎるのは危険
 あらゆる人に理解してもらっていないと不安になることがありませんか。

 日頃ほとんど交流のない人から、ちらりと
「あなたは○○だからね」
などと言われてしまい、それが自分では思ってもみないことだったりすると、ぎょっとして気になってしまうことがありませんか。
 あるいは、その場で
「それはちがいます」
としつこく主張してしまうことがありませんか。

 人間関係は、親しい関係から遠い関係まで、層状になってバランスをとっています。
 一般的には、家族や親友・恋人とはとても親密な関係。
 次に、一般の友人や親戚と、やや親密な関係。
 その次に、職業上の人間関係など、という具合に、なっています。
 もちろん例外はありますが、やはり親しい順に、心に与える影響は大きくなっているものです。

 うつの人の対人関係を尋ねていくと、親しい人との関係が障害されていることが多いようです。

 反対に、あまり重要でない人との関係にとらわれすぎて無駄な労力を使っているように見える場合もあります。
 同じ部署内のあらゆる人と良い関係でいようとして「八方美人」などと陰口をきかれ、ますます落ち込んでしまっていることもあります。

 人間の相性にはどうしようもない部分があります。大きな部分は別としても、細かな部分では分かり合えない人たちが存在するのです。
 それは、その人がどのような部分に重きを置いて暮らしているかという人生観にも通じるものであり、まさに「どうしようもない」人間模様と言えましょう。
 そして、その相性に基づいて、些細な誤解は日常的に起こってきます。

 自分にとって、あるいは自分がやろうとしていることにとって非常に重要な相手との間の誤解は問題です。それは、きちんと話し合うことによって解決しなければなりません。
 しかし、たいして重要でない、たまたま同じ場所に居合わせたような人との間に起こる誤解をいちいち取りあげて解決しようとすると、労力の無駄遣いであるばかりでなく、ますます嫌な思いをすることにもなります。

 あまり親しくない誰かに
「あなたは○○だからね」
と言われたり、あるいは
「××さんがあなたのことを○○と言っていたわよ」
と耳打ちされたりしたときは、まずそのことの重要性を考えましょう。
 そう言われたことによって、あなたが行おうとしているプロジェクトに大きな影響があったり、あなたの身近な対人関係に悪い影響を及ぼしたりしそうなときには、相手になぜそんなことを言うのかを確認して話し合うことが必要でしょう。
 しかし、大したことがないと思われるときには、忘れてしまう、あるいは、もっと親しい人に、
「私のことを○○と言う人がいる」
と、笑い話にして話してしまいましょう。

 いずれにしても、人類は人それぞれです。様々な人がいるからこそ、本当に気の合う人を見つけて親しくしていく楽しみもあるのです。
 他の人と仲良くするのは大切ですが、「人類皆きょうだい」というコピーにとらわれすぎて嫌いな人と無理につきあったり、自分を100パーセント理解してもらおうと無駄なエネルギーを使うのはやめましょう。


(木馬書館「うつの上手なかわしかた」より)

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