市民運動のあり方


1.「市民」の定義

私は、主権者の立場で政府に対処する場合の国民を「市民」と呼んでいます。したがって、官僚も政治家も政府での職務を離れれば「市民」です。簡単に言えば、「政府を店にたとえれば、市民はお客様であり株主」です。その店の重役が政治家であり、一般従業員が官僚です。

2.市民運動の形態と比較

店に売っている品物が腐っていたり値段が高すぎるので、店の重役や一般従業員に「お客様は神様です」との基本精神をたたきこんだり、店の仕入れの仕組みや勤務規則を変更するように客が団結して要求しようというのが、民主化市民運動です。腐った品物の廃棄や入れ替えを、店の従業員や重役を手伝いながら実行するのが、公共サービス市民運動です。

公共サービス市民運動が、店の体質を維持したままで、当面の問題だけを解決していたのでは、同じような問題の続発は防げませんし、かえって店の悪い体質を温存させることになります。

1)公共サービス市民運動論:
個別の公共サービスの改善を早期に効率的に実行するためには、現在の行政機関、政治家、企業などの利害調整をしつつ、彼らにはない情報を備えて官僚や政治家からも利用価値のある存在となって、彼らとも協調して、市民側の意志を行政に反映していく事が重要である。まず、議論よりも具体的な公共サービスの改善という実践で汗を流し、多くの人と会う事が大事である。

2)民主化市民運動論:
市民が公共サービスの改善のために運動を繰り広げざるをえない原因は、行政機関や政治家が企業と鉄のトライアングルを組んでいて、国民のための政治や行政をないがしろにしているためである。したがって、市民が政府を制御するという民主主義国家を実現していかねばならない。いくら、個別に公共サービス改善のための市民運動をしてみても、政府の体質を変えていくパワーにはならず、かえって政府の悪い体質を温存することとなる。

3)両理論の比較・検討:

公共サービス市民運動論と民主化市民運動論の共通点は、「現在の政府のやっている事やその体質には、市民のために改善すべき事が多い。」という前提である。しかし、公共サービス市民運動論では、「公共サービスは行政機関が独占するもの」という暗黙の前提があるために、公共サービスの改善には行政機関との協力が必要であり、官僚の全てを敵にまわしてはいけないという結論になっていく。
民主化市民運動論では、行政機関や政策としてのあるべき姿は理論としては出せるのであるが、法治国家であり、間接民主制のもとであるので、国会議員の多数が民主化市民運動の主張する理論や法案を支持してくれないことには、法律も改正できない。直接民主制を実現するにしても、国会議員の多数が支持してくれて、法律として制定できないことには、絵に描いた餅に終わってしまう。民主化市民運動は、運動の成果の出し方が難しい。

3.市民運動における議論での留意点

1)用語の定義が相手と自分とで相違しているかもしれないと思われる部分については、議論の両当事者における用語の定義を確認する。身近な例を用いた「喩え話」で自分の考えを説明すると、誤解が少なくなります。
2)相手の投稿に反論する場合には、段落分けして段落ごとに反論するのではなく、一回の反論では主要な論点を1点に絞り反論する。できたら、その論点についての自分の意見と相手の意見を簡単にまとめて、両者の長所・短所をそれぞれ論じる。
3)相手と自分の意見が異なる場合には、両者の意見が異なる切り口で問題を表現しているだけかもしれないとの可能性を確認してみる。もし、そうであれば、一段上の切り口での意見の統合により、両者の認識を高める。


ご意見をメールでお送り下さい。 E-mail:atsushi_hisano@hotmail.com        

ホームページへ