フォクトレンダー・ブリリアント

ブリリアント  フォクトレンダーは1756年、今からざっと250年前にできた世界最古の光学工場である。楽聖バッハがなくなって間もないころで、日本では宝暦6年、徳川九代将軍家重の治世で、国学者の本居宣長が生きていた時代である。(朝日ソノラマ社刊カメラレビュー別冊クラシックカメラ専科No.8スプリングカメラ「フォクトレンダー物語」から引用)。

 フォクトレンダーのブリリアントはもともと初心者用二眼レフとして1933年に売り出されたカメラである。ボディは鉄板製で反射型のファインダーは大きく明るいのが特徴であった。その後次々に改良され数多くのモデルが発売された。ブリリアントの名はこの明るいファインダーに由来している。普通の二眼レフのようにファインダーでピントを合わせることはできない。目測でレンズの前玉を回転させて距離をセットしなければならない。120フィルムが使えるので今でも簡単に写真を写すことができる。

 写真のカメラは1937年に発売された少し新型のベークライト製ボディのブリリアントである。レンズはフォクター75mmF6.3、シャッターはB、T、1/2〜1/100秒付きであるが目測によるピンと合わせは初期のものと変わっていない。この後ピント合わせのできるフォーカシング・ブリリアントも発売されるが、ローライフレックスの敵ではなかった。

フォクトレンダーの運命: 皮肉なことにフォクトレンダーの技師フランケ、ハイデッケ両氏が退社して作った会社がローライフレックスのフランケ&ハイデッケ社である。さらに何十年か後に大きな運命が待ち構えていた。それはフォクトレンダー社がフランケ&ハイデッケ社に吸収合併されることになるのである。
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