相対性理論&ブラックホール

まず、特殊相対性理論の成立までの歴史的経緯を簡単に紹介します。説明を簡単にするために、科学史的な正確さを欠く部分があるかと思いますが、ご容赦ください。

光の正体については、ニュートンの昔から光は粒子であるという説と、波であるという説がしのぎを削っていました。後に、これに決着を付けたのがマックスウエルによって完成を見た電磁気学でした。この理論に従うと、電場(電界)と磁場(磁界)の振動が秒速30万キロメートルで伝わることが理論的に予言されます。これを電磁波といいます。当時、計測されていた光の速さも秒速30万キロメートルで、光のその他の性質も、マックスウエルが導いた電磁波の性質と一致しました。この時点で、光は「電磁波という波」であると、当時決着しました。

ところが、海の波、音の波を考えると、波が伝わるには、海水、あるいは空気などの媒質が必要になります。水がなければ海の波は伝わりませんし、空気がなければ音は伝わりません。このため、世界の物理学者は、電磁波の媒質の存在を仮定し、これに「エーテル」という名前を付けました。そして、その検出にやっきになりました。エーテルのことを「静止エーテル」ともいい、光の速さはこの静止エーテルに対する速さということになります。エーテル仮説に従えば、地球は宇宙空間に静止しているエーテルの中を進んでいるか、エーテル中に静止しているかです。地球は太陽の回りを進行の向きを変えながら公転してしているので、一年中エーテルに対して静止していることはありません。少なくとも、春分の日と秋分の日のどちらかは、エーテルに対してゼロでない速度を持ちます。海(エーテル)の上を船(地球)がゼロでない速度で進んでいる様を想像してください。波が船の進行方向から来れば、船から見た波の相対速度は速くなり、船の後ろから来れば、相対速度は遅くなります。真横から来れば、相対速度は、間の値をとります。とすれば、春分の日と秋分の日に、光の進行方向を 360 度回転させて光の速さを測定すれば、少なくともどちらかの日に(あるいは、両方の日に)、光の速さが光の進行方向の回転につれて変化するはずです。精密な実験の結果、この光の速さの変化は検出されませんでした。この結果は、当時の物理学者たちに衝撃を与えました。
様々な学者が、エーテルを基にこの現象を説明しようと試みる中、 1905年、アインシュタインは、エーテルの存在を仮定せず、「光の速さは観測者の運動に関わらずに一定である」と仮定し(直感的には奇異な感じを持たれる方も多いかと思いますが)、議論を推し進めた結果、運動する物体の進行方向の長さが縮む現象や、運動する時計がどんどん遅れていくことなどを予言し、後に実験で正しいことが検証されました。これが特殊相対性理論です。

なぜ、アインシュタインは、この奇異な「光の速さが変わらない」という仮定を確信するに至ったのでしょうか。それは、前述の実験結果よりもむしろ、マックスウエルの電磁気学にありました。この理論より導かれる光の速さ(秒速30万キロメートル)は、一体何に対する速さなのでしょうか。静止エーテルに対する速さと考えられたと申しましたが、何か変ではないでしょうか。地上に静止している人と、地上を移動している人がいたとします。この静止と移動は、地球があって初めて意味を持つ概念です。地球がなければ、移動している人から見た時、自分が静止していて相手が移動していることになるはずです。つまり、物体の運動は、観測者によって変わる相対的なもので、ある特別な観測者は存在しないのではないでしょうか。もっと言えば、あらゆる等速直線運動する観測者は皆対等で、マックスウエルの電磁波の理論は、どの観測者にとっても成立するのではないでしょうか。電磁波の方程式は、位置 x と時間 t についての方程式で、電磁波の伝わる速さは、位置を表す x-軸に対する速さです。位置 x の原点にいる人に対する速さといってもいいでしょう。とすれば、マックスウエルの理論から秒速30万キロメートルの速さの電磁波が導かれるからには、どの人にとっても(どの移動する x-軸にとっても)、光の速さは秒速30万キロメートルなのではないでしょうか。アインシュタインは、波の媒質という常識を捨てて、この相対的な世界観を選んだのです。そして、その帰結が実験で検証されたのです。ここで、移動する「ものさし」が縮めばよい、あるいは、移動する時計の刻みがゆっくりになればよい、そうすれば、光の速さを一定に保てるではないか、と考えられた方もいるかもしれません。
しかし、これだけでは上の図の両アイディアにおいて、「下のものさしにとって左からの光と同じ速さ」で右から光が来たとき、その光の速さは、図の動いているものさしにとって変わってしまいます。右からの光は、左からの光より多くの目盛りを通過していきますね。ものさしの縮みと、時計の遅れを同時に起こるものとしても、同じ事です。さらに、左の図で動いている観測者からみて、左の図で静止しているものさしは伸びるのでしょうか。これは、どちらの観測者にとっても相手の条件は同じなのに、一方からみれば縮み、他方からみれば伸びるというように、対称性が破れています。これは、相対的なものの考え方として、明らかに変です。一方にとって他方が縮むなり伸びるなりすれば、他方からみても、全く同じに相手が縮むなり伸びるなりすべきです。これが可能となるような重大なからくりがあるのでしょうか。そこで、次章以下で、なぜ動く物体が縮むのか、どの程度縮むのか、なぜ動く時計が遅れるのか、どの程度遅れるのか、重大なからくりとは何かをきちんと説明します。光の速さがあらゆる観測者にとって一定であることや、それぞれのものさしが他方にとって縮むことが奇異ではないことを、きっとご理解頂けるでしょう。更にローレンツ変換についても説明します。これは、ひとつの出来事に対応する位置と時間の組が、2つの互いに動いている座標系でどういう関係で結ばれるかを示す式です。そして、ローレンツ変換が図で表されることを示し、それを元に双子のパラドックスなどを解説します。

アインシュタインによる特殊相対性理論によると、静止している観測者からみて、等速直線運動している物体は進行方向に縮みます。これをローレンツ短縮、またはローレンツ収縮といいます。もちろん、「縮む」とはどういうことかを定義しないといけません。「縮む」とは、物体にへばりついている別の観測者にとっての、物体の進行方向の長さに比べて、静止している観測者にとっての物体の進行方向の長さが小さくなることです。長さを測るときは、ものさしをあてて、物体の両端の同一時刻における目盛りを読み取り、差をとります。これには、物体の両端から等距離の点に目の位置をあわせればよいです。

なぜ、このようにしなければいけないのでしょうか。これには、物体の運動が関係あります

NEC北米研究所(社長:ディビッド・ワルツ、本拠地:ニュージャージー州プリンストン)はこのたび、真空での光の速度による光のパルスの遅延に比較し、光のパルスが先に伝播する実験に成功いたしました。今回の実験は、セシウムガスを特別な条件下で設定し、3.7マイクロセカンドのパルス光を長さ6cmのセシウムガス容器に通した結果、光の伝播が通常の0.2ナノ秒(1ナノ秒は10億分の1秒)の遅延に比べ、62ナノ秒先に進んでいることを測定したものです。

アインシュタインの相対性理論では、一般には「光より早いものはない」と見られております。しかし、この定義は質量のある物質には適応されますが、質量のない電波などにはあてはまらないことは早くから議論されておりました。今回の実験はこの理論が正しいことを証明するものであります。また、セシウムガスを用いた特別な状態を設定したことが今回の実験の成功の鍵となっており、自然の状態で同様の効果を生み出せることではありません。

今回の実験は、セシウムガスでラマン・ピーク(注1)を近接する2つの波長に設定し、その波長間の屈折率について異常分散(注2)を作り出すことによって実現いたしました。また、気温30度における気体状のセシウムを6cmの長さのガラス容器に閉じ込め、1.0ガウスの磁界を光の伝播する方向と平行に設置しました。この結果、光の群速度(注3)は、真空状態における光の速度を上回るとともに、マイナスになることを実現しました。光がマイナスの群速度で容器を通過すると、光のパルスは真空状態で同距離を通過したパルスより早く容器の反対側に現れます。また、光速を上回る光の伝播は、光が波でできているとの特性を利用しており、質量をもつ他の物体が同様の現象を起こすことは不可能であります。

NEC研究者は、光の速度を超越するパルスの伝播は、因果律や相対性の原理を覆すものではないと指摘しています。一般的な相対性理論の見方は、「光より早いものはない」というものですが、この理論は質量のある物体だけに限られます。光は質量のない電磁波として捉えられるため、相対性理論に矛盾を与えることなく、特別な環境において真空状態における光の速度より早く伝播することが可能です。今回の実験はその点を証明しました。

実験の責任者であるリジュン・ワン研究員は次のように述べております。「我々の実験は、一般的に見られている相対性理論、すなわち光より早いものはない、という考え方は正しくないことを明らかにしました。だからと言ってアインシュタインの理論が間違っているというのではありません。情報を光の速度より早く伝送することは不可能である、という理論は正しいのです。今後もこの発見のさらなる発展と光通信を含む広範囲な応用につながるよう、光の特性についての研究を続けていく所存です。」

すべての物は何からできているのだろう。それらの基本粒子のふるまいを支配している自然法則は何だろう。これらのことを研究するのが素粒子物理学です。
 これまでの研究から物質の根源は12個の素粒子からできていることが分かっています。そのうちの三種類がニュートリノの仲間ですが、他の粒子に比べて少し変わった性質があります。ニュートリノだけが非常に軽いのです。なぜニュートリノはこれほど軽いのでしょうか? それともニュートリノにはもともと質量はないのでしょうか?
 現在の素粒子物理学の標準理論は、ニュートリノの質量がゼロという仮定の下に成り立っています。もし質量があることが分かれば、理論を作り直さなければならなくなります。ニュートリノの質量は、解決しなければならない大問題なのです。
 さらに標準理論が究極の理論ではないということは、研究者のだれもが認めています。しかし標準理論は今までのすべての実験事実を説明できていました。唯一、理論では説明できないのがニュートリノなのです。標準理論の不完全さの兆候がいよいよ見え、究極の理論に向けての突破口になるかもしれないという期待があります

私たちの体をはじめ、すべての物は電気的な結び付きによってできています。ところがニュートリノには電気がありません。そのため地球をも簡単に突き抜けてしまいます。観測が非常にむずかしいので、大切なものなんだけれどもこれまであまり性質が分かりませんでした。そこで太陽から来るニュートリノや大気中のニュートリノなどを観測しようと始まったのがカミオカンデの実験です。
 それではニュートリノはいったいどうやって調べるのでしょうか。
 ニュートリノが飛んできて電子に近づくと衝突します。ニュートリノは電子から電気をもらって自分が電子になってしまう。衝突された電子は、電気をとられてニュートリノになる。めったに起きませんが、そういう反応が実際に起きるのです。ニュートリノ検出のためには水を使います。
 水中には電子がたくさんありますから、ニュートリノが電子と衝突して自分が電子になる反応が起きやすくなります。ニュートリノが反応してできた電子が水中を走ると、「チェレンコフ光」という青白い光が出ます。この光をとらえるのが、水槽の壁一面に取りつけた直径五十センチの光電子増倍管です。光電子増倍管は、かすかなチェレンコフ光を増倍して電気信号に変え、どれくらいの光がきたかという量と、いつ光が届いたかという時間を計測します。チェレンコフ光の向きにより、光電子増倍管に届く時間に差があります。その時間差からニュートリノが入ってきた方向と電子と衝突した時間が分かるのです。

ニュートリノの一つに宇宙線由来の大気ニュートリノがあります。ニュートリノには電子型、ミュー型、タウ型の三種類あり、大気ニュートリノでは観測されるミュー・ニュートリノと電子ニュートリノの比は2対1になるはずです。旧カミオカンデなどこれまでの観測の結果は、ミュー・ニュートリノが理論の約60%しか観測できませんでした。これはおかしいということになったのです。
 スーパーカミオカンデでは平成8年4月からの運用にも関わらず、今まで10年以上の全世界の観測数よりも多い観測を行いました。これで大気ニュートリノにおいて最大の問題である「ミュー・ニュートリノが少ない」ということが確実になりました。
 ニュートリノが飛んでいる間に別の種類になってしまうことを「ニュートリノ振動」といいます。ミュー・ニュートリノが少ないことを、ニュートリノ振動で説明できるかというのが問題になりました。
 スーパーカミオカンデでは、ニュートリノがどの方向からきたかを分類して解析しています。その結果は、上からきたニュートリノはほぼ理論通りであったが、下からきたニュートリノは理論の半分しかありませんでした。下からのニュートリノは上からのものよりも地球の直径分たくさん飛行していることになります。その間に起きたニュートリノ振動によって、ミュー型がタウ型になったと考えることができます。ニュートリノに質量がなければニュートリノ振動はおきません。スーパーカミオカンデの実験結果はニュートリノに質量があるということを強く示唆するものでした。
 この観測結果が正しいかどうかを確かめるため、世界中が追試実験を計画しています。日本でも、茨城県つくば市にある高エネルギー加速器研究機構の加速器から、スーパーカミオカンデに向けてニュートリノを打ち込むという実験を1999年から行います。この実験では、打ち出されたミュー・ニュートリノの数が正確に分かるので、いくつのミュー・ニュートリノが振動によってタウ・ニュートリノになったかがはっきりします。
 ニュートリノの質量については、つくばとの実験も含めて後5年くらいでほぼ疑問の余地がなくなると考えています。
そういう短期的な実験の他、長期的な観測が必要な実験も行っています。スーパーカミオカンデの当初の目的の一つである陽子崩壊の観測もそうです。これが観測されればニュートリノの質量以上の大きな成果といえます。理論では1年に1個くらい起こるとされていますが、いまだ観測されていません。10年以上観測されないようだと、理論の見直しが必要になるかもしれません。
 あとはスーパーカミオカンデで超新星爆発を観測したいですね。超新星爆発では最初に大量のニュートリノが放出され、それからだんだん明るく輝き出します。スーパーカミオカンデでは超新星爆発らしいニュートリノを観測すると30分くらいでアラームが出るように準備しています。それを世界中の天文台へ知らせることで爆発による超新星の変化を非常に早い時期から観測することができます。超新星爆発を2・3個観測できると非常に面白い結果が得られると思います。
 また、超新星のうち5%くらいは爆発のあとにブラックホールを作るだろうと予想されています。ブラックホールが存在するという確実な証拠はまだ見つかっていません。スーパーカミオカンデでぜひブラックホールができる瞬間を見たいものです。
 このような長期的な実験は100年くらい続けたいと思っています。地元のみなさんも大いに期待していてほしいと思います。
先月、アメリカ、南カロライナ州チャールストンで開催されたアメリカ天文学会、高エネルギー天体物理学部門の集会で、二つのグループが、それぞれ、これまで知られていなかった、中間質量のブラックホールを発見したことを報告しました。

 ブラックホールというと、莫大な質量が僅かな体積に集まり、その重力に引かれて、光さえそこから出ることができない天体といわれ、何か化け物のような存在を想像される方があるかもしれません。光が出られないのは事実ですが、特異な状態にあるとはいえ、ブラックホール自体は物理学的に説明できるものです。

 これまで、ブラックホールには、大別して二つの種類があるとされていました。ひとつは恒星程度の質量のブラックホールです。これは大質量の恒星の寿命が尽き、超新星となって爆発した跡に残ると信じられ、太陽の数倍程度の質量をもつと考えられています。もうひとつは超巨大質量のブラックホールで、ある種の銀河の中心部に存在すると推定され、太陽の数100万倍から数10億倍という途方もない質量をもつと考えられています。どのようにしてこのブラックホールが形成されたかは解明されていません。星の形成が非常に激しいいわゆるスターバースト銀河の中心部で、上記の恒星質量のブラックホールがたくさん生まれ、それらがしだいに合体して巨大質量になったという推測もあります。この仮説が正しいとすると、ある時期には、二種の中間の質量をもつブラックホールがあってもいいはずです。

 ブラックホールそのものはもちろん見えませんが、周囲に形成している降着円盤のガスはブラックホールに落ち込み、熱されて、強度変化の激しい、特徴のあるスペクトルをもつX線を出します。そのX線を観測することで、ブラックホールの存在やその質量が推定できます。

 上記の集会で、ピッツバーグ、カーネギー・メロン大学のグリフィス(Griffiths,R)らは、X線観測衛星「あすか」の観測データを解析し、スターバースト銀河M82に、太陽質量の460倍のブラックホールが存在すると発表しました。一方、メリーランド州グリーンベルト、ゴダード・スペースフライトセンターのコルバート(Colbert,Ed)らは、ローサット(ROSAT)衛星の観測による39個の銀河のX線スペクトルをまとめた資料を調査して、その6個にブラックホールの特徴を見いだし、また、確証はないけれど、その他15個からもブラックホールの存在が示唆されると述べました。彼らは、これらの質量を太陽の100倍から1万倍程度と推定しています。

 このような中間質量のブラックホールが発見されたからといって、それがすぐに超巨大質量のブラックホールの形成過程を証明するわけではありません。しかし、ブラックホールを考える新しい手がかりのひとつとなることは間違いないでしょう。

ブラックホールという天体の概念は、カール・シュバルツシルトがアインシュタインの重力方程式に対する「シュバルツシルトの解」を引き出したことに始まります。シュバルツシルトはある質点を仮想し、その回りの重力場を球対称の形に書き直しそして変化しないとしてアインシュタインの方程式に従って解いてみました。その結果例えば地球と同じ質量をもつ質点の場合、半径1センチメートルの内側では、時間と空間の性質が我々の住む世界とは違ってしまいます。外側より質点に向かって落下する物体は半径1センチメートルの場所で光速度に達しその中からは決して情報は外に向かっては伝わらないとの結果がでたのでした。このような考えからブラックホールは生まれたのです。
 しかし、しばらくの間はシュバルツシルトが求めたような程の質量の集中が実際問題として起きるかどうかということが、問題となったようです。そこで理論家たちは、物質の圧縮がどこまでも限りなく続くものかどうかということを考察しました。
 このような質量が極度に集中した状態というのは、星の進化の最期において起こる可能性があると考えました。そのため、理論家たちは星の進化の最期である超新星がその後どのような姿となるかについて考察を加えました。太陽の6倍以上の質量をもつ恒星はその進化の最期に超新星の爆発を起こします。この爆発によって、外層が放出された後中心部が凝集し小さな非常に密度の高い星ができます。このような星は中性子星と呼ばれています。しかし、中性子の圧力でこのような安定した状態が保てるのは、中性子星の質量が太陽の2倍ぐらいの星までとされており、それをかなり越えた星については量子力学的考察によっても、もはや重力による崩壊を支えることができず、どこまでも果てしなく収縮して行くと考えられました。このような星がシュバルツシルト半径を形成しそうであると考えたのです。そしてこれがブラックホールになると考えました。
 観測的には、ブラックホールとはどの程度確認されたものなのでしょうか。ブラックホールであろうということで有名なX線源シグナスX1があります。これが発する、X線は不規則に時間的に変動しますが、変動の時間スケールは1秒以下です。このことは、X線を放出している領域が光が1秒間で横切る距離(30万キロメートル)以下であることを示しています。そして、この星の質量が、太陽の6倍であることが詳しい観測の結果わかりました。そして、大きさが30万キロメートル以下で質量が太陽の6倍以下であることからブラックホールと考えられたのです。このように、いろいろな状況証拠と一般相対性理論から、その存在を推測してブラックホールを見つけたと言っているわけです。
 しかし、本来ブラックホールの観測的な発見というのは不可能です。なぜなら、ブラックホールからは、その定義からして何も信号が発せられないのですから、そのもの自体は決して観測できません。ブラックホールの直接的観測は原理的に不可能です。あくまでも回りの状況しか観測できないのです。このことについては専門家自身も認めています。例えば次のような文があります。「さて、かくもありがたいブラックホールではあるが、ではその実体はというと、その名のとおりまったく見えもしないし、当然触れることもできない。したがって、直接的な観測によってブラックホールの証拠をあげることは、原理的にも不可能なのである。また、先に述べたようなことは、すべてブラックホールの表面近く、落下の途上で起きる現象である。したがって、それが観測できても、その発生源がブラックホールでなくてはならないという証拠にはならない。ただ、ブラックホールがあればつじつまが合う、という論理にすぎないのである。」(最新宇宙進化論94−105頁 祖父江義明 すべての銀河中心核はブラックホールか? 学研)そして、一般相対性理論が正しいと仮定したうえで、その状況証拠から存在を推測するのです。一般相対性理論からそこにブラックホールが存在するはずであると予測するわけであり、その予測されたブラックホールを一般相対性理論の正しいことの証拠として用いることは、堂々巡りであり、正しい理屈ではありません。ブラックホールを観測したと言う人に、この点について正してみても決してその観測結果がブラックホールであることを直接的に示しているのではないことを認めるでしょう。正しく表現するならば、「理論的にブラックホールであろうと考えられる天体を観測した。」と言うことであってそれ以上の何物でもありません。ただ異常に高密度の天体が存在しているというだけです。
 ブラックホールがあちこちで発見されたという報道がよくなされますが、どのように根拠の浅いものであるかがこれでよくわかるでしょう。

ブラックホールという概念が、一般相対性理論から導きだされたものであることはよく知られており、ブラックホールの解説書にはアインシュタインの写真が掲載されていることが多いのですが、これらより、アインシュタインがブラックホールを予言したかのように思っている人がいるのではないでしょうか。実際には決してそのようなことはなく、それどころかアインシュタイン自身はこのブラックホールを否定しようと努力したのです。1939年、アインシュタインは、1編の論文を発表し、その中で、シュバルツシルト半径が重力の源である物体の外部にあらわれて、それが現実的に意味のあるものとなるほど強く物質を凝集することは、不可能であるという証明を試みています。
 彼の証明が正しいのかどうかはわかりませんが、ブラックホールが持て囃されている現実を考えるとこの論文はほとんど無視されたようです。このように、ブラックホールの生みの親であるかのように思われているアインシュタインが、最も頑固なブラックホールの反対者であったわけです。なぜアインシュタインがブラックホールの反対者であったかを考えると、おそらく絶対的な速度である光速度をもつ物質ですら脱出できないということに論理的矛盾を感じたためでしょう。もともと相対性理論が光速度を絶対的な越えられない速度として成立した理論であるのに、その理論から導かれた解では、その光速度すら単なる通過点かのごとく扱われているのは確かに彼の信念に反することです。しかし彼が作り出した一般相対性理論から正確に導き出された解が、彼の信念に反したとしても、アインシュタインはとても一般相対性理論自体を否定したりすることはできませんでした。この矛盾点を解消するため、彼は何とかブラックホールを何らかの理由で否定しようとしたのですが、どうやら一般的には失敗に終わったとみなされているようです。彼の宇宙のあるべき姿についての哲学的信念と、彼の生み出したモンスターの間の矛盾点についての葛藤が彼を苦しめました。他の物理学者はそのような哲学的信念が欠如しているために、アインシュタインのようには、苦しまないままブラックホールを簡単に受け入れてしまったのです。批判的精神の欠如、哲学的精神の欠如した人々は、数式で表されることはすべて受け入れてしまうものの、数式では表されていない、基本的な論理的判断には見向きもしません。このような姿勢がブラックホールの存在に対して盲目的な信仰を作り上げてしまっているのです。

物質が光速度に達するには無限のエネルギーを必要とします。ブラックホールとはどのような物質も光すらも脱出できないとされていますが、これは、無限の運動エネルギーをもつ物質に対しても脱出ができないようにすることを意味します。無限の運動エネルギーをもつ物質を停止させるには無限のエネルギーが必要です。有限の質量よりなる天体が無限のエネルギーを有していると考えるのは全くの矛盾です。
 一般相対性理論の解説書によると、ブラックホールの外側の地点から内側の地点まで移動する間の、事象の地平線を越える部分で、物体自身は特別なことは何も感じられないままその地点を過ぎて行くとのことですが、外界から見た場合、物体は事象の地平線に近づくに連れてその速度が遅くなり、地平線には決して到達することができないと説明してあります。つまり地平線を越えて内側の地点へ到達することができないのですから、もちろんその逆方向の、内側の地点から外側の地点への運動も不可能になります。これは一見、不可逆性を否定した、論理的説明のように見えます。また、他方から見ると、その動きが静止したように見えるのに、当事者は普通に動いているように感じるのは、重力により時間の進み方が変化するからであると理解されています。相対性理論は時間を反転させたり、運動の向きを逆転させても成立します。さて、ここで奇妙なのは、外界から見た場合、永遠に事象の地平線に到達できないのですからブラックホールは大きくならないのではないかと考えられる事です。永遠に事象の地平線にたどり着けないからこそ、反対向きに運動する物質が、中から外へはでてこれないことが保証されるはずです。それにもかかわらず、質量が集中する理由についてはそのような外界から見た姿では矛盾するためにブラックホールへ落ち込んで行く当事者の立場で考えるという、説明が一般的にはなされています。都合により立場を変えた見方で説明するというのでは全く論理の一貫性がありません。必ずどちらかだけの立場で全てを説明しなければ正しい考え方とはいえないのです。

さてここで、もう一度ブラックホールの概念の元となったシュバルツシルトの解について考えてみましょう。シュバルツシルトはある質点を仮想し、その回りの重力場を球対称の形とし重力場が変化しないときに、アインシュタインの方程式に従って解いたのです。しかし、この論理展開は果たして数学的に正しいのでしょうか。はじめから質点というものが存在しないのであれば、このシュバルツシルトの解法は明らかに手順として間違いです。多くの物理学者は物質密度が非常に高まってくると量子力学的に重力崩壊が避けられず究極の状態にまで質量が凝集するために、このような質点が実現すると考えているようです。しかしこの論理には怪しい点があります。シュバルツシルトは、最初に質点の存在を仮定しシュバルツシルト半径を求めたのに、後の人達はブラックホールを考える場合に最初には質点を仮定せず、シュバルツシルト半径が現れると同時にその質点も現れるように考えているのです。これでは原因と結果が入れ替わってしまっています。この質点の仮定から結論までの部分でどこかに間違いがあるはずです。
 ここで、間違いがどこにあるのかを分析してみましょう。シュバルツシルトの解を一般相対性理論から求める方法が妥当であるのかを検討する場合、普通一般相対性理論の難しい数式からシュバルツシルトの解を求めて行く途中の段階でどこかに間違いがないかどうかを検討しそうですが、そのような方法は素人ではほぼ不可能ですし、普通こういう数式の解法というものは玄人はなかなかミスをしないものです。しかし素人でも簡単に検討ができ、かつ玄人がよく見逃す点があります。それは仮定の条件が妥当であるかどうかという問題です。シュバルツシルトの解を求めるには、下記のような仮定条件が伴います。これを考察してみましょう。
1.一般相対性理論が正しい。
2.質点が存在する。
3.重力場が変化しない。
4.重力場が球対称である。
 一般相対性理論の成立については、また別の章においてさらに検討を加えますが、一応ここでは正しいとして、さらに次に進みますと、まず質点が存在するという条件があります。重力の問題を取り扱うときに、物質の大きさを考えると一般相対性理論では非常に問題がややこしくなり、解くことがほとんど不可能になってしまいます。そのために持ち出したのが、物質を大きさのない質量だけの「点」と仮定して取り扱う考え方です。一般相対性理論が正しいとしても質点が存在しなければこの解は絵にかいた餅であり何の意味も持ちません。しかし、実に奇妙なことに、この質点とは数学的には質量が無限に集中している特異点であり、一般相対性理論はおろか、ありとあらゆる物理法則が成立しないというやっかいな点なのです。一般相対性理論が成立すると仮定しながら、一般相対性理論の成立しない特異点としての質点をもう片方で仮定するというのは矛盾です。 シュバルツシルトの解というものは、密度無限大の特異点としての質点を、無条件に最初から存在することを認めているという、実にでたらめな手法を用いているのです。この異常さに目をつぶるとしてさらに検討を進めてみましょう。
 ある値の質量を持つ物質が、大きさゼロの空間に閉じ込められているのですから、この質点の密度はいわば1/0として表すことができます。この質点が、どのような重力場を持つかという検討は、簡単にいえば1/0がどのような値を持つかを検討するようなものです。答えとしては無限大です。
 重力場は無限大となり、光りさえ逃げ出せないというような場所があるというのが、シュバルツシルトの解です。そしてこのような光さえ逃げ出せない範囲をシュバルツシルト半径と言いこの大きさは単純にその質量に比例すると言っているのです。シュバルツシルトの解では、ただ単にもしブラックホールがあれば質点の質量がブラックホールの半径と比例しているということが導かれただけなのです。ブラックホールが本当に存在するかどうかという問題に関しては何も答えておらず、ブラックホールが存在すると仮定すればブラックホールは存在するという結論になる、という全く無意味な論理構成となってしまっています。つまりシュバルツシルトの解は決してブラックホールの存在を証明するものではないのです。
 もし実際にブラックホールが存在するなら、それを記述する方程式は、ブラックホールが形成されるまでの時間的経過を記述することができなければなりません。
 シュバルツシルトの解を求める方法の欠陥として、はっきりとしているのは、仮定に重力場が変化しないとしていることです。これは時間の経過を全く考慮していないことを意味します。実際の宇宙においては質量が集中するには、重力場が時間の経過とともに変化しなければなりません。その時間の経過を考慮していないということは、もう一つの仮定である質点がいかに形成されるかを、この解自身は説明できないということになります。それどころか、この解は時間が静止してしまうという場所を予言してしまうことによって、質点の形成を否定してしまっています。
 ところが、物理学者はここで、このような質点が形成される理由として、相対性理論ではなく量子力学を持ち出しています。量子力学の要請として、太陽の2倍以上の質量を持つ中性子星の崩壊をくい止める力が存在しないという理論的結果から、限りなく崩壊し質点に崩壊するとしたのです。ここで問題はすり替えられてしまっています。一般相対性理論により導かれたとするブラックホールの形成過程を一般相対性理論で説明しようとするのではなく、量子力学で説明しようとするのは間違いです。量子力学で限りなく崩壊するという結論と、それが質点という特異点を形成するかどうかというのは別問題です。量子力学によって質点形成の証明などできるわけがありません。それなのに量子力学の要請により質点形成を証明できたとするのは間違いを通り越してインチキです。
 量子力学でいくら果てしなく崩壊し質量が密集していくという結論が得られても、それが質点にまでたどり着くかどうかはその時間的経過を考慮しなければなりません。そこにたどり着くまでの時間の経過というものは、必ず一般相対性理論を用いて考えなければならない事項なのです。量子力学で、限りなく中性子星が収縮すると結論づけたとしても、一般相対性理論の考えを用いれば、収縮するにつれてそれ自身の重力の影響によって時間の経過が遅くなり、決して質点を形成できないのです。これは、物質をどんどん加速して行くと限りなく加速して行くのだが決して光のスピードを越えないというよく知られた相対性理論の概念に通じています。速度という面で相対性理論が限界を設けたことの概念が、そのまま物質の集中すなわち空間の歪みに限界を設けていると考えるべきです。
 まさか、物理学者が時間の経過を無視するという暴挙にでるはずがない、どこかできちんと考えているはずだとだれもが思うでしょう。しかし実際は一般相対性理論を数学的に解くことが非常に難しいために、解が得られているのは極特殊な条件の場合だけに限られているのです。特に質量が空間的な大きさを持って存在していたり、重力が時間的に変化していく、というのは非常に難しくほとんど手をつけられずにいるとのことです。つまり物理学者は、このような高密度の質量の周囲で時間経過がどうなるのか、ということについての正確な知識を持ち合わせていないのです。一般相対性理論は時間と空間に関する重要な理論であるのにそれを正確に解く場合に時間の経過を無視するというのは全くの非常識です。
 元々シュバルツシルトの解は「水星の近日点移動」の謎を解くために一般相対性理論をある限られた条件で、太陽からある程度離れた地点での時空のゆがみを調べるために近似的に解いたものに過ぎないのです。シュバルツシルト以外の、回転するブラックホールという解についても同じです。どのような解も基本的には異常に集積した質点をまず想定している点においてただの近似解に過ぎないのです。この近似解は質点から十分に離れた位置においては意味がありますが、質点に近づくほど正確な解から離れてしまうのです。
 特異点としての質点の存在を許す限り、それは論理的に無意味な解であることは、数学的には明確です。シュバルツシルトの解からブラックホールが存在すると結論するのは数学的には極初歩の間違いなのです。それどころか、ブラックホールというものの存在には必ず特異点が付き纏うということによって、ブラックホールというものは決して存在しないことが証明されたようなものなのです。

特異点定理とは、1967年にホーキングとペンローズによって発表されたもので、一般相対性理論が正しいと仮定すると、ある程度質量が集中すると特異点の形成は避けられないという内容のものです。特異点の存在を証明したとされるこの定理により、ブラックホールだけでなくビッグバンの始まりとされる特異点もその存在が確立されたと考えられたようになったわけです。
 しかしここで気をつけていただきたいのは、特異点とは一般相対性理論どころかあらゆる物理法則が成立しない無限大の重力をもつ点であることです。数学の背理法に基づけば、ある仮定から出発しその仮定とは矛盾した結果が得られれば、最初の仮定が正しくなかったか、もしくは仮定から結果を導く過程に間違いがあったかのどちらかです。一般相対性理論が正しいという仮定から出発しその一般相対性理論が成立しないという特異点の出現が不可避であるという結果が得られたならば、それは一般相対性理論が正しくない(特異点が出現するような条件下での部分的修正を含む)か、もしくは特異点定理の証明法の誤りを意味しています。このような特異点定理に積極的意味をもたせ、ブラックホールやビッグバンの存在の証拠にしようなどというのは、まったくの馬鹿のすることです。
 特異点定理を発表したホーキングは少しは頭がよかったのか、現在では、量子論の助けを借りて宇宙の始まりは特異点ではないとしています。それは地球の南極や北極のように周囲のどことも区別のつかない存在であって、決してとんがった先端ではないとしているのです。特異点とは決して存在してはいけない点であるということを、特異点定理を発表した本人自身は悟っているようです。それで、巧みに自分の理論から除外してしまったのでしょう。考えてみればこれは実に姑息な方法です。自分が導き出した特異点定理がおかしいと気がつきながら、そういう事は言わずにそれから導き出したはずの理論をこっそりと修正してしまう。それをまた周囲の物理学者が矛盾として指摘しないまま見過ごすというのは一体どういう事なのでしょうか。
 ブラックホールを一般相対性理論による当然の帰結であると信じさせられた人々は、知らないうちに裏切られていることになります。このように、ブラックホールの成立のための条件というものは、知らない間にズタズタにされてしまっています。それなのに、結果のブラックホールが亡霊のように未だに成仏できずにさまよっているのです。
ブラックホールという、数学的には初歩的なミスによる概念がいまだになぜ堂々とまかり通っているか誠に不思議です。おそらく、すべての物理学者が、条件を与えられた問題を解くということにはたいへん精通しているものの、その条件の意味ということを考えることには不得意なせいであると思われます。おそらく創造的精神や批判的精神を持ち合わせていないのでしょう。

強い電波を放射する活動銀河核からは光速に近い速さ(ローレンツ因子2〜10)のプラズマ流がしばしば観測される。この流れを銀河系外プラズマジェットと呼ぶ。ジェットは1pc (1pc = 3.1 × 1016m)以内の領域から噴出し、その開き角は数度以内で1-1000 kpcまで延びている。その所々にknotと呼ばれる電波の強い斑点が観測される。また、ジェットの先端はきのこ状に広がり、その部分はlobeと呼ばれる。上記のジェットの速度はドップラー効果等により計られた実速度ではなく、このknotの速度である。
 クエーサー3C273、ブレーザー BL Lac、3C279等のジェットのknotは見掛け上光速を越えて運動する。この現象をsuperluminal motionという。これは相対論的ジェットが我々に向かって放出されているものとして解釈される。銀河系外プラズマジェットの加速に必要なエネルギーは1036-40J/sと見積もられる。このエネルギーは活動銀河核中の巨大ブラックホール(質量は太陽の108倍程度)のまわりのプラズマの重力エネルギーが開放されて供給されていると考えられる。その加速機構としては輻射圧によるモデルや降着円盤を貫く磁場によるモデル等が提出されているが、まだ未解決である。