Make your own free website on Tripod.com


いま、なぜ石田三成か……独断の石田三成私論

石田三成像



「私は三成の弁護人といいますか、三成が好きですね。好きだというのは、なんだか知らないけれども、彼には近代人のにおいがするもんですから…。そして政治家くさくない。」


(司馬遼太郎氏)


「私は、もし豊臣秀吉が長生きしていれば、三成は治世の名臣になったのではないかと思う。(中略)
関ヶ原でも三成の天下分け目の決戦へのビックプロジェクトの筋書きはさすがである。たかだか十九万石で五奉行の一人が日本を二分できたというのは、たいへんな辣腕ぶりだといわねばならない。しかも、後世の辣腕家は様々な形で三成の筋書きを踏襲している。(中略)その意味で三成はビックプロジェクトにおける比類ない名作者であったということができよう。」


(堺屋太一氏)


「歴史は勝者によって書かれる。その意味では、関ヶ原の戦いで敗れた三成が勝者徳川家康サイドにたつ江戸幕府の御用史家によって「姦雄」、果ては「豊臣家を滅ぼした佞臣」といったレッテルを貼られたことは致し方ないことなのかもしれない。(中略)
仮に、豊臣政権が二代、三代と続けば、初代“官房長官”三成は、“名官房長官”として歴史に書き記されたはずである。(中略)私は、“官房長官”としても三成を高く評価している。また秀吉と三成の関係は、上司と部下の関係としても特筆されるものだったとみている。」


(小和田哲男氏)


「敗軍の将、謀反を起こして敗れた者の中で、三成だけが、最期にさわやかな逸話を残しています。これは、私、一つの不思議だと思うんです。三成についてはほとんど徳川方の歴史しか残っていないわけで、徳川にしたら憎い相手ですね。だから、めちゃくちゃに悪くしてもいいのに、そういうさわやかな逸話が残ったということは、民間に三成敬慕っていいますか、そういったものが長く尾を引いていたんではないかと思うんです。」


(北条誠氏)


私が石田三成という人物の名前に出会ったのは、いつの頃か、もう覚えてはいません。

ドラマで見たのか小説で読んだのか…ただその最初の印象が、あまり芳しく無かったことは確かだったと思います。

陰謀家、傲慢、小賢しく狡い男…そういった印象が石田三成にはついて廻りました。

私自身も、いつしかそういう先入観に毒されていたのだと思います。

どの大河ドラマだったか、「黄金の日々」かなんかで、珍しく三成が善玉に描かれてまして、えらく奇異な感じをしたことを覚えています。

私の三成観が変わりだしたのは、堺屋太一氏の著作を読み出したころからです。良く知られてることですが、同氏は三成にプロジェクトメーキングの技量を高く評価しています。

豊臣から徳川への動きの中で、秀吉子飼いの武将達が行っていったことを年表的に並べて客観的に見れば、豊臣政権防衛に直接動いたのは石田三成だけでした。
組織への忠誠が高く評価されるこの国で、石田三成の評価が低いのは大変不思議なことです。そこに至るには、何か大きな「嘘」が長い歴史の中で育まれてきたように思います。

そういう思いで石田三成を見直したとき、この人物の高潔さ、有能さ、生真面目さが分かってきました。

徳川家康と石田三成が対決した天下分け目の関ヶ原の戦い、・・・・史書の多くは、これは家康が筋書きを書き、それに三成は踊らされたのだとしていますが、それは結果から物事を見てるとこが多分にあると思います。家康自身は、自身に戦いを挑む者がいるとしても、それは三成ほか数人の小大名だけであって、あのような天下を二分する戦いは予想していなかったことが、当時の書簡から窺えるからです。

実力・身分からいえば、当時第一の権力者徳川家康と比べるべくもなかった石田三成が、敗れたとはいえ、一時は互角までの勝負にもっていけたのは、現代に通じる彼の組織運営力があると思います。

私は、時々思うのですが、もし日本史に石田三成が存在せず、豊臣から徳川への簒奪が誰一人の反対もなく進んだとしたら、私達は自分の国の歴史を、どう感じるだろうか、と。当時の宣教師に「裏切り、寝返り、強者に媚びることを恥とも思わない国民。」と酷評されたことに果たして反論できるだろうか、と。

石田三成の生涯を調べるとき、私たちは先入観や偏見を持つ怖さを知ることが出来ます。

そして組織の中で生きる知恵を学ぶことができます。

そして人生を生きていく中で、決断を下すべき時に決断することの意味を教えてくれます。

私自身、石田三成について知るところはまだまだ少ないのですが、調べれば調べるほど興味ある人物です。そして、このホームページを通じ、皆さんとともにこの人物の生涯を考えていきたいと思っています。


ホームへ戻る
メール、ご意見は是非こちらへ・・・ ia7s-nki@asahi-net.or.jp


Copyright (C) 1997