ふるさと風景(加世田市津貫・干河ひご) 2002年4月28日(日)






1.干河(ひご)
 私の母方の実家は、加世田から南薩鉄道(鹿児島交通)で枕崎方面に下った「干河(ひご)駅」で降りて、幾つかの集落を過ぎた山間にあった。
 住んでいた舞敷野(もしきの)から歩いて峠を越え、内山田という集落に出て「内山田駅」からジーゼル・カーに乗って行った記憶が残っている。
 
加世田市街から枕崎方面に移動する車中から、駅のあった場所付近を思しき角を曲がると、たしかにそこは駅の跡であった。15年前にはレールは撤去されてはいるものの、まだホームだけは残っていた。しかし、今はもう面影もない。ただ線路の跡を偲ばせる空間が続くだけである。



南薩鉄道「干河駅」跡
(黄色の線が、以前の鉄道敷跡)



顔を洗った小川


同上(川の向こうが祖父母の家の跡))

2.変わらぬ清流と泉

 15年前はバスを降りて、約30年前の記憶をたどって歩くと目的地に行き着いた。今回は車で勘がくるったのか道に迷ってしまった。近くを通りかかった人に尋ねると、加藤一族は峠を越えた中原集落で、あちらは士族の集落だと言う。未だにそのような因習深い意識が残っていることに驚いた。
 この地は私の母方の祖父母や伯父一家の住んでいたところである。事情は全く知らないが、就学前の幼いころよく預けられていた。祖父母の家の縁側で、祖父が炭俵を編んでいるのを傍で眺めていた。
 朝は、家の前の小川の流れで洗面した。透き通るきれいな水で、川には小さなエビがいた。
 この川をしばらく遡ると泉があった。水道のない頃で従姉が水汲みに行くのについていったものである。
 いまも、懐かしい小川は昔のままの清流で、泉もちゃんと残っていた。いまも飲みに来るのか泉のそばにカップが吊るしてあった。



泉は今も健在だった