伊集院から加世田へ 2002年4月28日(日)

 私の生まれは鹿児島県加世田市舞敷野という集落。多くの鹿児島県出身者がそうであったように、高度成長期が始まろうとする昭和32年(1957)に兵庫県尼崎市に移住した。
 当時の我が家は貧しかったのであろう、各駅停車の蒸気機関車で長いながい旅をした記憶がある。
 小学生のころ祖父の葬儀で帰省して以来帰ったことはなかった。昭和60年ごろ、家内と小学生の子ども3人を連れて約30年ぶりに帰郷した。

この路線図は加世田市在住「上舞」さんのホームページ「kammai's page」に収録されているものです。
http://www.synapse.ne.jp/~kammai/railroad/nantetsu5.html



 鹿児島空港から市内に出て、西鹿児島駅から伊集院駅まで行き、そこから懐かしい思い出の「ジーゼルカー」に乗って加世田まで行こうと駅を降りたが、「ジーゼルカー」の姿は無かった。昭和58年(1983)6月の集中豪雨で大きな被害を受け、全線復旧を見ることなく翌59年(1984)3月に廃止されたとのことであった。幼い頃、野を越え山を越え、田園の中を走った「ジーゼル」に乗って思い出を辿ろうとした夢は叶わなかった。

 今回、約15年ぶりに大学院生(博士課程2年)となった二男と親子二人の帰郷旅となった。同じ年代に父親を亡くした私には、父親には申し訳ないほど至福の旅でした。


島津義弘像の前で二男とツーショット


伊集院駅前に関ケ原の戦いで正面突破を敢行した
第17代藩主島津義弘を顕彰する碑文

思いでの南薩鉄道風景

 思い出のままで終わってしまった心象風景が鹿児島交通(旧南薩鉄道)の紹介ページの中にありました。


懐かしい半円形運転台のキハ100形
(駅に着くとドアの下のステップが出てきた)
北総レール倶楽部「鹿児島交通」のページ
http://www.hokuso.com/kagoshima/html-kagoshima.html
に収録 されている作品「1974.8. 加世田車庫 Photo by: J. Satomi」から



在りし日の加世田駅風景
1974.8. 加世田駅 Photo by: J. Satomiから








このような車輌も走っていた(キハ300形)
同左「1974.8. 伊集院駅 Photo by: J. Satomi」から



加世田−万世間を走っていた車輌(エ4)
これに乗って潮干狩りに行った記憶がある

(阿多−知覧間を走っていたこともあるという)
1974.8. 加世田駅 Photo by: J. Satomiから

加世田駅の跡地に「ジーゼルカー」や蒸気機関車、ディーゼル機関車などが展示されている

小学校の記憶

 私の母校は、加世田市立加世田小学校。入学時には、下の地図の矢印「A」の所、階段を148段(昭和37年に78段の高さに切り取られたとのこと)登った所にありました。川のそばに聳える学校だった記憶が残っています。
 入学当時、グランドで円陣を作って「むすんでひらいて」の遊戯をしたこと、自分の名前を「もりたじんけ」と書いたこと(字を知らない私は自分の机に貼ってある名札を見て写し書きしたのですが、姓と名が二行に書いてあるのを、二行目は下から読むと思ってしまった)、校舎に雷が落ちたことなど、どう言う訳か鮮明に覚えています。







校門までの長い階段の道(当時148段だった)


校庭だったところに「別所城」の石碑


校門の跡


学校の由来を記す(配置図の裏面)


校庭の配置図が石版で残されている


校庭の跡(「むすんでひらいて」を思い出す)

 小学校2年生の時(昭和32年1月)、校舎が川向の平地に移転した(上の地図「B」)。木造の校舎から近代的な鉄筋の校舎や体育館になった。しかし、グランドは石だらけで、生徒を一列に並ばせて石拾いをさせられました。


小学校の校庭跡


 今回、思い出の小学校を訪ねたら、ここもすでに移転し、近くにスマートな校舎が建っており、跡地には、校門やモニュメントが昔を語っていました。


現在の加世田小学校