21世紀初の冒険
 
 
大阪で冒険する


「前から行きたいと思ってた店があるんですよ」
遊び人のまーさんこと、恥魔王に連れられて……やってきたのは天王寺。
ええぇっ!ウソだろ、まだこんなのあんのぉ?
自分の家の近所にだって市電まがいの「江ノ電」なる骨董品が走っているのをすっくり棚にあげ、駅前をガタゴト走る市電を眺めまわしたりしながらも、なにやら商店街をぐいぐい入っていく。
てけてけ道を歩き続けると、いつしか風景はこざっぱりした新興住宅街。
どの建物もスッキリキレイで、こんなところにお店がひっそりあるなんて……東京で言えば世田谷ってかんじ? 尻上がりで思いつつも大人しくついていくと
「あれぇ、おかしいなぁ。どっちだろ?」
昼間ロケハンをしたのだと、胸を張っていた魔王が不安な発言。
「んーーそうねぇ、右のような気がするから……とりあえず左行っとく?
不可解な応答をするのはモチロンわし。
いやなに、わしの人生はいつもこうなんである。
「右だ!」と思って右へ行くとドツボ、「左だ!」と思って左へ突き進めばノグソ。……だから、21世紀は敢えて裏を読んで逆を行ってみたのである。
が、やっぱり裏を読もうと表を読もうと、冒険的人生はわしを待ち受けているわけで、歩けども歩けども店らしき灯りどころか家並も途絶え……。そのうちに道の両脇にはいわゆる「自由形生活」を営む方々の、青いビニールシート式簡易段ボール型住居などがわしわしと出現。
「いわゆるひとつの繁華街ですねぇ」
などという私のブラックジョークが、空しく黄昏時の闇に溶ける頃、道の向こう側に灯のチラチラする一帯が見えて来た。
「あーーー、あっこだあっこだっ!」

我々が目指していたのは、何を隠そう飛田だったのである。
ひっひっひ。
飛田と聞いて「ピーーン」と来ちゃうアナタはどう考えても、中島らも事務所プロデュース、作・演出わかぎえふの「お正月」の観すぎ(←ねぇ、どうしてそう断定的なの?)か、落語中毒という新種の病気だとしか思えないが……手っ取り早く、しかも単刀直入にズバっと言ってしまえば、いわゆるひとつの郭、遊郭、もっとかみ砕いてのたまってしまえば「女郎買い」の場。それが、大阪市西成区・飛田新地。

1930年(昭和5)の「全国遊郭案内」によると、「貸座敷220軒、娼妓は2700人いる」と紹介され、日本一と言われた松島の次に賑わっていた飛田であった。
1918年(大正7)の12月、どうしてここ飛田に遊郭開業とあいなったかといえば、発端は明治45年のミナミの大火事で難波新地が全焼してしまったからに他ならない。赤線、娼妓を廃止せよ!という運動があり、大阪府は難波新地の営業免許を廃止したのだが……なぜか当時の市区外だった天王寺村(東成郡)に2万余坪の免許地(現西成区)を配置。なんのこっちゃない、場所を移しただけのことだった。
で、矯風会大阪支部なんかが新聞とともに、エライ勢いで建設反対運動を展開したのだけれど……
「知るか、そんなこと!必要なんじゃいっ!」
と、押し切る形で飛田新地が誕生。

車一台がやっと通れるような細い路地の両側の軒先には
「御用だっ!御用だっ!」
つい、持って走りたくなるような提灯がずらーーり。提灯の上には白い正方形の看板、黒字で書かれた店の名前が蛍光灯でぼぉーっと浮かび上がる。
「錦」はまだ許すけど(←なにをどう許すのか、なぜわしが許すのかは不明)、「舞夢」ってなんだか暴走族風だな……なんてぇことを考えながら眺めていたら「美音」の屋号。
うーーーん、正式名称は判らないものの、わしにはどうしてもびよぉ〜んに見えてしまう。
 

我々の目指すお店が、「昔、遊郭であったところを、料亭に作り替えた」のだとは確かに聞かされていた。
「おーっ、そんなら一度見てみるべぇ」
「今後落語を聞く上でも、郭の建物に入ったことがあるのと無いのとではきっと想像する風景に違いが出るに違いにゃーだで」
という、非常に学術的かつ、真面目な心意気での参加となったのであるが、こうも
「はぁーーい、このあたりがモロに遊郭でぇーーす」
的な町の風情を目の前に繰り広げられると、正直心臓が宙返りをしそうにドキドキするのである。(←ウブだね、どーも)

角をくっと曲がって目に飛び込んで来たのは「新春特別警戒中……××自警団」と書かれたぼんぼり。
な、なにこれ?
警戒するようなことが、この辺りには頻発するってのか?
しかも自警団ってなんともレトロだぁー。
などと思っていると、「色街」のかどっこにあるのはナント警察署なのである。
こういう地区も、いわゆる合法なのかも??……という気の迷いがふつふつと心に生じちゃったりもするのであるが、なーぜここに警察署があるかというとちゃんと理由があるんだなこりゃ。

 「周囲はコンクリートの高塀で囲われており、通常は一カ所の大門のみが開くという、文字どおりの廓(くるわ)の再現であった」(『新修大阪市史』)という飛田新地の高塀、高さは4、5メートル。
ま、まるでこれではゲットーぢゃないかっ!
と思ってしまうが、冗談ではなく「嘆きの壁」と呼ばれていたらしい。娼妓さん達を世間から隔絶していたわけである。
東西南北に門はあったのだけれど、前借金を背負った女性たちの逃亡を防ぐために、交番の置かれた西の大門からしか出入りは許されなかったという。
で、警察署はこの交番の成れの果てなわけだ。
う〜む。
思いこみの非常に激しい私なんかは……交番を見ただけでふわぁーっと魂だけがタイムトリップ。着流しに草履かなんかでひょっと店に飛び込んでみたくなる。いわゆる倒錯の世界。

ま、そんなことはどうでもいいのだけれど……胸がドキドキしてしまうのは江戸時代っぽいから、とか、岡っ引きの気分になれる、とか、屋号がヘンだからとかいうことではなく、この看板を出している一軒一軒の店の構えからだろう。


まず、店の玄関にはドアってもんがない。
いや、24時間365日開けっぱなしではないのだから、構造上はあるのだろうけれど……(ちなみに開いてない店もあり、そこにはシャッターが降ろされている)
「ガラガラガラ……」
とこう、開けるようなドアがないのでイキナリ吹きっさらしで、ばぁーんと中央にねぇちゃんで、脇っちょがヤリ手ばばぁなんである。
こんな乱暴な説明ではわかってもらえまい。
んーー、なんつーの?

普通のおうちの玄関で引き戸開けっぱなしのところを想像して欲しい。軒下には提灯が瑠璃色の灯りを放っていて、屋号や紋を染め抜いた赤い暖簾が欄間のところに下がっている。あがりがまちの向こうには座布団が設置されていて、そこにいわゆる「売り物の花魁姉さん」が座っている。襟を思いっきり抜いた粋な着物姿に日本髪……なわきゃーー当然なくて、髪の毛は茶髪。格好はといえば台灣の「檳榔西施」か、羽のついた扇子振り回して踊っていた、一昔前のディスコ姉ちゃんかってな具合のミニスカート・胸はだけ寸前風である。座っているといっても正座なんか当然してないわけで、座布団には座椅子というのがセットされていて、足を投げ出すようなカタチ。では投げ出された麗しい「おみあし」が拝めちゃうのか? 期待なぞしても無駄である。脇から前に石油ファンヒーターが置いてはあるものの、なんたって吹きっつぁらしの冬の夜。足は当然「ひざかけ」というかフリースの毛布みたいなものでくるまれている。
しかも、そのお姉さんを「引き立てる」目的なのか、鈴木その子もびっくりなライトを下から当てていたりする演出もニクイ。
で、脇には「女将さん」というか「お母さん」なおばちゃんが
「どうぞ寄っていきなはれ」
「お兄さん、お兄さん」
かなんか通りすがりの若い衆に声をかけては客引きをするのだが、これには
「土間の横に張った鏡に客が映るので、実は1、2軒先から待ち構えている」
というシカケ付きなんである。
女ばっかりでこのあたりをフラフラしてると塩を撒かれるという噂もあったのだが、わしはなにせオトコマエな冒険「小僧」だけに……追っ払われずに済んだのだ。(←そーじゃないだろ、魔王が一緒だったからだろーが!)

さて、話はいつものように横道やら裏道へ逸れる。
生まれて初めて、いわゆる郭地帯を冒険ということでかなり舞い上がっていたのであるが、よぉーく考えるとオランダでも似たような場所を徘徊したことがあったんだっけ。
別にそこへ行こうとしていたわけではないのだけれど、川ぞいをブラブラ散歩していたら、いつの間にか迷い込んでしまったのだ。
ガラス張りのショーウィンドウ(いわゆる飾り窓って言うんですかねぇ?)のようなところに、色とりどりの露出度の高い服をお召しになった、さまざまな髪の色をしたガタイのでかーーい、ガッチリした女性がずらりと並んでいた。
「わ、わ、わ、こ、これはいったい??」
目を丸くしながらもウィンドウを凝視する私に
「ハァーイ」
「元気ぃ?」
彼らは手なんか振って来たのである。
ちなみにわしは、現世での性別がいわゆる彼らと同じなので
「うっ」
あまりといえばあまりの展開にドギマギしつつも、なぜかツラれて……にっこり笑って手を振り返したりなんかしたもんである。
なんだったんだろう??
通り過ぎた後に自分の不可解な行動にはやはり戸惑ったのではあるが、あまりの「明るさ」というか「あっけらかぁーん」具合に
「うーーん、いいもん見せてもうた」
という気分になった。
しかも、いいもん見たとか言っておきながらも、今の今までそれをコロっと忘れはててしまうくらいの出来事でしかなかったんである。
しかし今回は「これを記録にしてホームページに上げねばならぬ」的使命に燃えて(←勝手にだけどさぁー)、こしこしこうやって書いている。
な、なんだろうこの違い。

考えてみるに、飛田には「淫靡な物悲しさ」があるような気がする。
スタンバイしている女性が複数ではなくてひとりきりってところも、寒いのに開けっぱなしってところも、なんとなく「楽しそう」じゃない。
膝にかけられたフリースに「キティちゃん」なんかついてると、それはそれでなにやら痛々しい。お客さんにとってはいいのかもしれないけれど……お姉さんが若ければ若いほど、キレイならキレイなほど、華奢であれば華奢なほど、勝手にこっちの胸が詰まる。
となりに座る「やり手ばばぁ」の存在自体も、なんつーかこう「身請け」とか「借金のカタに……」みたいなニオイがする。
勿論、今時そんなややこしいはずはないのだし、座っている花魁お姉さんが考えていることまではわからない。
「結構簡単にお金稼げるしぃ、毎日毎日早起きなんかしてぇー、満員電車に揺られてぇー、雀の涙ほどのお給金貰うなんてかったるいー」
くらいの「気軽な」お仕事なのかもしれないけれど、誰がなんと言おうとあそこには「陰と陽」でいう「陰」が存在するのだ。それに比べてあのオランダの飾り窓は、もーーー徹底的に外見が「陽」。
あなたならどっちに惹かれるだろうか?
私はどちらかといえば……アヤシイ、淫靡な飛田新地に興味を覚えるわけなのである。
魔王は
「わしゃ、上がる気にはならんな」
言っていたものの、座がほどけてからまっすぐ魔界の家へ帰ったかどうかは仲間内で……永遠の謎とされている。
 
 
 

これが入口を正面から見たところ。
花魁の姿も、ちょこっとだけだけど右端から見てとれるかも?
中央の白い物体が座椅子で、花魁のお姉さんの定位置である。やり手ばばぁは、あがりがまちのところに靴を履いた状態で腰かけており、前をヒトが通ると立ち上がって呼び込んだりするのである。

 

さてさて、さすがに花魁を真ん中にどぉーんと据えて写真を撮る勇気はなかったものの、街並みやら主役がなぜか「席はずし中」の店なんかを写真に収めていたら
「写真撮ったらダメて、書いてあるでしょ」
通りすがりのおばちゃんに叱られた。
そーーじゃないかとは思っていたけれど、やっぱりそうだったのか! ……ではある。

店の入口を見るとこんな但し書き。
「十八歳未満の方は、当店には入店できません。〜飛田新地料理組合〜」
この店が「料理組合」の傘下にあるっていう事実にはちょっとびっくりさなぁ。
戦争で焼けてしまった松島の遊郭に対して、北東部分を除いて焼け残った飛田は戦後も続いていたのだ。1958年(昭和33)に売春防止法が施行され、ここの遊郭は廃業したり料理店に転じたりしたわけなのだから……やっぱり料理店ということに表向きなっているのも納得だ。現在は「料理店」が約100軒ほどあるらしい。
で、この看板の横に出ている写真禁止のオフレだが、「NO PHOTOGRAPHS」となぜか英語のみで記されている。
「いやぁー、わし、英語わかんないもんだからぁ」
突然どこぞのオヤジのごとく、つむりをポリポリ掻いて誤魔化したり、言い訳したりなんかするんであるが、英語で書いてあるってことは……
「普通の感性の日本人なら、常識から言って写真撮ったりしねーだろーがよぉーっ!」
ということの裏返しだったのか? 
かなぁーり経ってから気付くあたり私もなかなか「こたえんやつ」なのであろう。きっと、たぶん……。
 



 

さてさて、お戯れ?はこれくらいにして……なんじゃかんじゃとアヤシイ色街を進んでいくと、目指すお店が見えて来た。そう、鯛よし百番である。別にここのお店からマージンを貰っているわけではないけれど、「しおり」を貰って来たのでカンニングしながらちょっと紹介してみよう。
「店内は桃山造りの豪華な雰囲気のお店で、古き時代のロマンを感じる。大正時代の情緒たっぷり」
なのだそうだ。
で、この店の何がどうスゴイかというと、大正時代初期に遊郭として建てられた建物を、そのまんま保存しているというところ。いわゆる売春防止法の施行で、「マジ」に料亭に変わったクチ。法律の施行から12年後の1970年、近くの酒店経営者が買い取って、今の大衆料理店として開業した。
「鯛よし百番」の「鯛よし」は鯛が自慢料理なのだから
「なるほどぉ〜」
であるが、なぜに「百番」なのかというのは
「ガッテンしていただけましたでしょうか?」
立川志の輔さんに聞かれても
「どうして百八番や、千番じゃダメなのか?」
という疑問が残るだけに
「ガッテン、ガッテン、ガッテン」
のボタンが押せないではないか。
なぜに百番なのか?

昔、大門の近くに「一番」と呼ばれた店があり、鯛よしがある奥まった場所は当時から「百番」だったらしい。入り口に近いほど「安かった」というから、百番ともなれば
「一見さんお断り」
とか
「裏を返してどーのこーの」
というしきたりが存在する、格式の高い「女郎屋」(←そんなハッキリ言わないでも……)であったに違いない。
確かに他の「料理店」が間口2間ほどでちまちまっとしているのに比べると、鯛よし百番の北西に面した角地に堂々と立つ二階建て、どっしりとした瓦屋根の下に鈴なりになる赤いぼんぼり、朱塗りの欄干など、確かに「高級郭」の雰囲気だ。

入口脇には天満宮の社殿を模した回廊式「顔見せの間」だが、ここに描いてある鳥さぁ。
白があまりにも鮮やかすぎて、なんつーの
「ぎゃぁーーー、ペンキこぼしちゃったぁー」
的なドッキリ感である。(←こういうこと言ってるヤツに、何をみせても意味がない気もする)

ペンキぶちまけ?←違うだろっ!

店に入れば緋色のもうせん(絨毯ですな、かみ砕いて言えば……)が廊下全体に敷かれており、なぁーんでこんなに豪華なんやねんっ! ここはどこぞのお屋敷かいっ! と不審に思うほどのゴテゴテとした装飾、キンキンきらきらな襖の絵などには開いた口もそのまま全開である。
 

玄関を入ってすぐ左にあるのが応接間。日光東照宮、陽明門を模したもので、やたらにギンギラギンなのである。
木彫りの獅子や鳳凰、左甚五郎・作の猫だの……
「さーーーどうだ」と言わんばかりにいろんなものがてんこ盛りになっている。
「天地に情あり」って、
うーーーん、解釈難しいけど……、とりあえず陽明門正面の天女の絵ですたい。
鬼とか如来とかのお面があって、お面と見ればかぶってみたくなるんだけど……残念なことに、なぜかヒモで結わえつけてあって取れなかったんだよなぁ。

決して「盗れなかった」んじゃーーないっすよ。

部屋は個室で
「旦さーん、ここんとこ、お顔ちぃーとも見せてくれはらへんで……このい・け・ずぅ」
みたいな会話がなされ、娼妓さんがぎゅぅーっと若旦那の膝をつねって「悋気してるフリ」なんかしてたのかと、勝手な想像をしてみるとかなり面白い。
床の間のある「まさしく日本家屋っ!」というのがお部屋で
「おーっ、こういう感じなのかぁ」
とミョーに納得したり、思ったより狭いと思ったり。
雰囲気は確かにバッチリなのだけど、少々の難を挙げてみれば
「寒いっ!なんとかしてくれ、このシンシン冷えるの!」
「どーしてトイレ、男性用しかねーんだよ!」
の言ったからってどーにかなるもんでもない、ズバリ二点であろうか。

いやはや、21世紀の初手から遊郭探検。
楽しい100年となりそーだ。(←いつまで生きる気だっ!)
 
 



 
 

これといった意図はないんですけど、鯛よし百番さんでこんな楽しい写真を発見。
21世紀ってこと……っていうか自分の単なる趣味で、サービス盗撮?してまいりました。
扇子持ってるこのヒト、どっかで見たことあんだけどなぁ。
和歌山の誰だろう??(←わざとらしいっ)

茶がまさんのおっしょはーーん、なにしてまんのや?

そんな意味も含めて続くけど、絶対観ない方がいい


ぼうけんこぞう