2000年8月〜9月の冒険より

 
 
タイの国旗

ポーランドで冒険する


〜大アセ篇〜

       
★大遅れまくり大会★
       

いやぁー、この前さぁ
「トラヴェルの語源はトラブルなんだって」
友達に聞かされて
「ぜんぜんちがうじゃーん、だってVとBじゃん」
と反駁したのだけれど、「やっぱりそうだったかも?」って訂正しようかと、この頃は思ったりもする。

うん、まずはポーランドへの旅の入り口からね。
なんとノッケからズッコケまくり。ナニを隠そう、成田からきっちりアテンドしなくちゃいけないところを横着こいて
「じゃ、香港で落ち合いましょうー。平気ですよ、先に着いてゲートのところへお迎えに参りますから」
とかなんとか言ってセンセイを丸め込んじゃったのだ。
ところが、出発当日の午後遅くになって
「小僧さぁんっ、た、たぁいへんです。乗る予定の飛行機が四時間遅れだって言うんです……どうしたらいいですかっ」
今にも泣きそうというよりも、明らかに泡くってオタオタな声で成田のセンセイから電話があった。
「ちっと遅れてる」
という情報は昼過ぎにつかんでいたものの、げっ!よじかんっ!というわけで、私も正直面食らった。当初からの便は香港での乗り継ぎ時間が一時間半あまりなので、四時間も大盤振る舞いに遅れられては、もう、どぉーにもなんないのである。
「では、出発を明日にしましょうか?」
という台詞がチラっと頭に登って来たものの、折良く?この日は台風が台灣へぐんぐん接近しており
「明日は台灣直撃です」
などと天気予報が告げていた。明日出発とするのはいいが、もしかすると台灣発の飛行機が明日は飛ばないかもしれない。そんなことになれば「大目玉」どころではなく、西川きよしが光の速度で天から降って沸きそうだ。しかも、毎度のことながらセンセイお連れの旅は、あっちゃこっちゃに毎日移動させられるため、私は電車や飛行機の切符を前もって手配してしまっていたのである。これが全部パーになると……キャンセル料だの手配の手間だのはまぁいいとしても、センセイお望みの一等寝台やらナニヤラが取れなくなって、旅の間じゅうやいのやいのと駄々っ子のごとくゴネ続けて文句タレまくるのは絶対だ。
ざぁーっとこれだけの思考が私の脳裏を駆け抜ける間、ほぼ一秒。
「大丈夫です。とにかく遅れてもなんでも予定の便に乗って香港へ来てください。心配しなくていいですよ」
私はあくまでも冷静な声で告げ、「平気ですから」と「心配しないで」と「大丈夫です」などを会話の中に、ニンジャの手裏剣のごとくバラバラとちりばめる。
「やっぱり本日乗り継ぐのは無理ですか……」
センセイの落胆がこちらにも思いっきり伝わって来るのだが、もともと九時に到着の便が四時間も遅れたら……どう考えても乗り継げるわけがない。
「残念ながらそうなりますね。でも平気ですよ。香港のホテルはこちらで手配して用意しますから、あせらずゆっくり来てください」
私の落ち着き払った声のトーンにつられたのか、ちょっとホッとした雰囲気が受話器から伝わって来る。
あらかじめ約束しておいたゲート前での待ち合わせはキャンセルして、香港で夜を過ごすのだからと入国審査ゲートの付近で待ってくれるように伝える。
「わからないかもしれない……」
またしても情けない声になるセンセイに
「大丈夫です、もし分からなければ動かないでください。私はどっちにしろ先についていますからお探しします」
きっぱりと私が答えると
「絶対に先に着いていて、待っていてくれるんですね?」
センセイはぎゅぅーーと痕が着くほどの念を押してくる。
「ええ、必ず先に香港に入ってお待ちしております」
はいはい、もーーお任せください大丈夫。センセイが着くのは真夜中一時を過ぎた頃。
それより後に台灣から着くすっとんきょうな便なんて、あるはずがないのである。

ところが「すっとんきょうな便」は、この日に限ってあったのだった。
私が乗ったのは予定通りの便だから、八時過ぎには香港に到着することになっていた。
「あぁーーもう、八時から夜中の一時まで時間持て余しちゃうなぁ。ホテルの予約だってすぐ終わっちゃうだろうから、かなぁーりヒマだろうなぁ……そぉーだ!香港の友達に片っ端から電話かけて遊ぼう」
なんて不埒なことを考えて、鼻歌まじりで乗り込んだのはいいけれど……なぁーかなか出発しない。
でもまぁー、遅れているお客さんの搭乗待ちか、荷物積みしてんのかな?
くらいの気持ちであった。ナンてったって、日本からの便は四時間も遅れてんのである。ちょっとくらいの遅れなんて、なんてこたぁないじゃーーん。リラックス、リラックス……
自分に言い聞かせているうちに機体はタクシング(だらだらと地上を走ること)を始め、離陸に向けて徐々にスピードをあげていく。
「ほっ、これなら数分遅れで着くだろうな」
と思ったのも束の間
ぐぃーーん、きゅーきゅーきゅーーーーっ。
前につんのめるような嫌ぁーな感じの動きとGと共に、飛行機は減速して止まった。
いっ、嫌な予感。
こういう時の予感というのは、霊感のまったくない私のでも大抵当たるのである。
「いやさぁ、今飛び立とうと思ったらさ、計器の一個が動いてなかったんだよねー。だからとりあえず空港に戻って検査してみたりするかも」
という、やたらに陽気なキャプテンのアナウンスが、再度のタクシングの最中に聞こえて来た。
ううーーーっ、計器の一個くらいなんだっ!
いーじゃないか、たった一時間十五分なんだからさぁー。
飛ぼうよ、飛んじゃおうよ。えいっ!
などと考えるのは、エアー・インデ○アや中国○○航空のヒトだけである。
この航空会社は以前私が勤めていたところで、時間通りに着くことよりも安全第一。事故らしい事故は会社始まって以来なぁーーんにも無いのが自慢の会社。計器が一個動かなかったりしたら、それはもう絶対に飛ばず……直るまで直す。どうしても直らないとあらば、香港から代替え機を運んで来ちゃったりもしかねない。

早く直ってくれるといいんだけどなぁ。台北のエンジニアの人達がどぉかどぉか優秀で、即座に修理してくれますように。
祈るような気持ちで落ち着き泣く座席に身体を埋める私を、まるであざ笑うかのように時はどんどん流れていく。しまいに乗務員が飲み物のサービスを始めたので
「あっちゃーー、ヤバイ」
私は心底慌てふためいた。
地上で何かしらのサービスが行われるということは、いわゆる
「とりあえず餌を与えるから……みんな大人しく飲んで待ってろ」
という意味であり、すぐすぐ直って出発できるのであれば、こんなことはおっぱじまらないのである。
うーー、困った。
ひーーー、困った。
うげーーー、困った。
の三連発である。
その間にもキャプテンは
「大丈夫だって、もしどうしても駄目ならもう一便後ろにあるから、その便にお客さんを移すことだってできるから」
なんてアナウンスをする。後ろに一便あるのは知っているが、私の乗っている便のすべてのお客が全員乗りきれるわけがない。
……となると、最優先で乗り継ぎのチケットを持っているお客になるのだが、センセイの四時間遅れで「今晩は乗り継ぎしませーん」ということで香港までしか行かないと宣言してしまった私は、後回しに決まっている。
こんな遅くの香港行きの便に乗るお客は、ほとんどがヨーロッパ・オセアニア方面への乗り継ぎ客である。
げーーー、マズイ。
じたばたしているところに
「お客さんがみんなお腹がすいていることは承知の上なんだけどさぁ、ミールまで地上でサービスするわけにはいかないんだよね。だからもうちょっと待っててね。大丈夫だよ、なんにせよ乗り継げるから」
的、無責任かつすっとんきょうな気遣いアナウンスがキャプテンによってなされるが、出発時刻はすでに二時間以上も過ぎている。これじゃぁ、どう考えたってもともとのフランクフルト便には乗れない計算である。センセイの便が四時間遅れてくれて、ホントに助かった。私の便が遅れてセンセイが乗り遅れたんじゃお話にならないからなぁ……と遅れた東京発香港便に、トンチンカンな感謝をしたりするわけなのであった。

さて、結局のところどうなったかというと……飛行機はこれまたきっかり四時間遅れて見事に飛び立ち、私は香港の友達に電話なぞするヒマもないほど慌てふためき、香港の空港に着くなり電話でホテルを予約。
さぁーも前々から着いたような落ち着き払った表情でセンセイを探し出せたので、めでたしめでたし。しかし、センセイの顔はいわゆるひとつの「顔面蒼白」、私の方はといえば。言わずと知れたことだが満身熱いのと冷たいのの汗ダクであった。
 



 
 
       
★金縛られる★
       

そんなこんなで、ホントはまるまる一日と半日あったはずのベルリン滞在が、あぁーーっという間に数時間だけになり、すったもんだの大騒ぎで街じゅうを走り回った。
朝、フランクフルトの空港に着いて、四時間あまりでベルリンへ移動し、それから夜の早い時間に出発する夜行列車に乗るまでの間に用事を済ませるんだから、ご老体のセンセイにはとんでもないハードスケジュールなのである。
ホントは次の目的地クラコフを潰して、予定通りベルリンに宿泊し、目的地であるワルシャワへ行けばいいものを、私が、そーーです、わ・た・し・が単にアウシュビッツへ行きたいもんだから
「センセイ、クラコフという町はですねぇ……第二次世界大戦の被害を奇跡的に免れた、古い町並みの残る素敵な場所なんですよ。せっかくポーランドへ行くのに、クラコフへ行かない阿呆はいませんよ」
などと言いくるめたのである。
ここでクラコフをぶっ飛ばしてしまったら、今回の旅は「私にとって」意味がない。(だからってこんな強行軍にしていいのか?という世間一般からのご意見は、この際「なかったこと」とする)

最初っから「アウシュビッツ」にはなぁーんの用事もないセンセイだから、旧市街の楽譜屋あたりに放し飼いにして……さくっと私だけ行って来ようと企んでいたのだが
「いえ、せっかくだから私もご一緒します」
なんて言い出したもんだから、私の予定は大狂いである。
当然バスで景色を眺めながら行こうなんていう目論見は「ぶーーっ(ブザーの音)」。
タクシーをチャーターして「オフィスセンチム」という、舌を噛みそうな名前の町へと向かう。
「アウシュビッツーーー!!」
というと、誰でも「ああぁ、あのナチス・ドイツの強制収容所ね」と分かるのだろうが……ポーランドでは敢えて「アウシュビッツ」とドイツ語では言わず、「オフィスセンチム」とポーランド語の地名で呼んでいるらしい。
それもそのはず、「オフィスセンチム」は「アウシュビッツ」「モノヴィッツ」「ビルケナウ(アウシュビッツU)」という強制収容所の集落?三つと、囚人が働く軍事工場を抱える村だったのである。
「オフィスセンチム」への道中、タクシーの運転手さんから根堀葉堀いろんなことを聞いて、これまたすっげー面白かったのだけど、細部まで書いているとちっとも話が進まないのでこれはまた別の機会にして割愛する。

で、アウシュビッツ。
私はナニがナンでなのだか知らないがシンドラーさん関連の映画には吸い寄せられたし、千畝さんの家は近所だし、イスラエルではヤバイ狐憑きになっちゃうわ、ルーマニアではユダヤ人墓地で考えちゃうしで……どうしてもここ「アウシュビッツ」へ来たかったのである。なんで来たかったかというと、イスラエルのとある博物館や在日大使館が、「ユダヤ人石鹸」の件に関して大ウソつきであることをほじくり出したがために
「ホントにあったのかよ、強制収容所にガス室」
ってことを、どうしてもこの目で確かめたかったのである。
前もって、あっちゃこっちゃの雑誌に発表されている
「いいいいや、換気設備の構造やチクロンBの効力から考えても、あれがガス室なわけがない」
的な医者やエンジニア、火葬業者による文章を漁って読み、そここで繰り広げられる
「んなわけねーじゃないか、すっとこどっこい。ガス室は確かにあったんだよ!施設責任者のルドルフ・ヘスだって独白してんじゃねーか」
なるバトルを、これまた目をさらのようにして読んでから立ち向かったのである。
私は科学者でも建築家でも、ましてやナチスドイツ擁護派でもイスラエル人擁護派でもないから、絶対的な判断なぞ出来るわけがないのだが、気持ち的に言えば
「なかったかもしんないじゃん」
くらいである。
これには傍観者なりの理由があって、いわゆる「私は強制収容所に居ましたが、生き残りました」という人々の本を読んだ時に思った
「なんで、誰も煙突から煙りモクモクとか、ガス室関連の記述をしてないんだろ?」
という疑問からである。
まぁ、これだって「死んだら生まれかわるのかどうか、死んでみなけりゃ分からない」ってなもんで、彼らは「生き残った」わけだから知らないといえば知らなくて当然でもあるのだけれど……。

書類によると「アウシュビッツ」「ビルケナウ」「モノヴィッツ」には六つのガス室があったとされている。それぞれ、一個、四個、一個である。
 
 
 

これがガス室の隣にある遺体焼却場の焼却炉。
写真は二機が並んでいるのだが、こんな感じのがあと二つほどあった。一回に六体を処理できるが、これで毎日2000体も焼却って可能なんだろうか? と思わずにはいられない。

 

このうち「とりあえず原型をとどめている」のはアウシュビッツとモノヴィッツのものだが、私はモノヴィッツを回ることはできなかった。(理由は後で書く)
最初にアウシュビッツのモノを見たところ
「うぅーーん、どうだろ?」
と余計に分からなくなったのである。
というのもここ、後から後から改修工事がされていたり、あったはずだろうドアのパッキングなどが見当たらないからだ。
詳しいことは省くけれど、つまりは
「これじゃ、どう考えて警備にあたる兵士をはじめ、まわりじゅうのヒトが毒ガスで死んじゃうんじゃないの?」
と思ったのである。
 
 

これがアウシュヴィッツにある、ガス室の換気口
どうみても、後からいじくりましたって感じだ

そこで、ビルケナウのほうへ行ってみる。(なんて書くと、まるでちょっと歩いたら着くみたいな近さに思えるかもしれないけれど、車で5分くらい行ったところにあって離れている)
監視塔の下あたりが入り口で、ガス室は敷地の一番奥にある。
「一番奥」ってったってビルケナウ収容所の敷地面積は約175ヘクタール、約53万坪なわけだから……
えらーーーーーーく歩かないとガス室には着かないのだ。
 
 
 

ビルケナウの奥から、引き込み線路と入口にある監視塔を見る。
右手に見えるのが有刺鉄線、(当時は)高圧電流添え??

 

私の方は「好奇心バリバリ」だしガス室を見るのはこの旅の「メインディッシュ」みたいなもんだから、ずんずかずんずか行くのだが、センセイはといえば「なんとなくくっついてきちゃった」だけ。根性にはおのずと違いが出て
「小僧さん、もう歩けません。私はここで座って待ってますから、行って来てください」
となる。
「そうですか?じゃぁ、サクっと行ってきます」
センセイを残して足早に奥へ進むのだが、真ん中に背骨のように走る線路の両方に二つずつあったガス室は、単なるコンクリートと鉄筋の瓦礫の山。すべてナチス・ドイツ軍が撤退する時に「ぶっ壊して」いっちゃったのである。
 
 
 
 

ビルケナウの「ガス室」跡

 

これじゃなんだか分かんないよ……。
ため息を吐きつつ
「でもさぁ、なんでガス室だけ全部壊して逃げたんだろう?やっぱりやましいことがあったからじゃないのか?」
思った私が歩き出そうと、右足を一歩前に出した時である。
がきっ。
私の身体は一瞬にして、石地蔵のごとく固まったのである。
どう説明したら判ってもらえるだろうか。
「だるまさんが転んだ」
をしている時
「小僧君、動いた!」
と鬼に見つけられまいと、身体をぐっと動かないように緊張させるではないか。
あれは勿論自分の意志で動かないようにコントロールしているのだが、そのコントロールを誰かさんにされているという感じである。いや、正確には「誰かさん達」であろうか。
足下から何本もの粘土の固まりのようなものが靴の底に張り付き、ぐぅーーっと沼の中へでも引き下げられるような感覚と、足首のところにツタのようなものが何重にも絡みつくような気がした。
「ぎゃーーっ。たすけてーーーっ!」
声を出したいのに声は出ず
「ティキ、ティキ、ティキ」
というへんてこりんな音が喉の奥から洩れるだけである。
本人は死ぬほどアセっているのだけれど、端から見たらいわゆる「ヨーイドン」の姿勢で立ったままカタマっている私は、とんだマヌケである。
観光客の団体が後ろから戻って来て
「このヒト?ナニやってんの?」
という視線で私を見て、まわりを避けるようにして通っていく。
「た、たすけて……」
視線で訴えるのだが、通り過ぎて行く人の背中は誰も気付いてくれない。
みしっ。
いったい身体のどこからそんな音が出るのか判らないのだが、とにかく私の足首のあたりで不気味な音がした。
視界がみるみる狭まって行き、遙かかなたに見える監視塔の屋根の上に、真っ黒な雨雲が見る間にどわーっと広がっていく。
「うっ、雨まで来る……」
視界の左右からまるで劇場の幕が閉まるかのように、深い灰色の霧のようなものが押し寄せて来て……いよいよ真っ暗になろうかというその時だった。
背後右手の方から、悲しげな幾筋かのか細い声が聞こえて来た。
う〜らめ〜しやぁ〜
……そんなわけは、いくらなんでもないのである。
声は話し声ではなく、なんとも陰鬱ではあるがメロディーだった。
「い、いったい誰が、強制収容所の跡地で歌なんか歌うんだっ!」
頭がオカシクなったとしか思えないのだが、歌は聞こえて来るのだ。
ピカッ!
監視塔の上に広がる雨雲の中で閃光が走る。
げっ、ここで私の人生も終わりか?雷に打たれて死ぬのって痛いのかな?
相変わらずとんまなことを考えたのだが、その後ふっと身体が軽くなった。
恐る恐る手足に神経を集中すると、普通に動くではないか。
いったい何だったのだろう??
私は昼日中、昼の二時過ぎに立ったままで金縛りに遭ったとでも言うのだろうか?
首を捻りながらも歩き出そうとすると、右足首にキョーレツな痛みが走った。
「いってーーーー」
捻挫みたいなのだ。
でも、考えてみて欲しい。
私は単に足を一歩前に出したのである。重心は左足にある。それで、右足なんか捻挫しないのではないだろうか。(ま、私のことだから、そういう恐ろしいことをしないとは言い切れない)
痛みに顔をしかめていると、またしても後方から歌声が聞こえる。どうやら幻聴ではないらしい。
「き、きらどのぉ〜でんちゅうでござるうぅ」
という効果音と長袴がぴったり来るような歩き方をしつつ、声のする方にヨロヨロ近寄ってみると……そこにはイスラエルの国旗を身体じゅうに巻き付けた幽霊が……
だから、そんなドラマチックなわけが無いのである。
実際は15、6人の人達がガス室跡の瓦礫の上にイスラエルの旗を立て、みんなで輪になってなにやらお歌を歌っていたのである。
イスラエル人がいっぱい集まって、神妙な顔をして「彼らの世界」に閉じこもっているところに
「すいませぇーーん、あなた達いったいナニしてんのぉ?」
とは、さすがの私も割って入れなかったのだ。
雰囲気からすると、「死者の霊に歌を捧げている」という感じであったのだが、どうやら「鎮魂歌」に救われたのはこの私であったらしい。
 
 
 
 

ビルケナウの「ガス室」跡で、イスラエルの国旗をふりまわしつつ、儀式をする人々。

 

……というわけで、私はこのあと捻挫っぽい足があまりに痛くて、モノヴィッツへ行かれなくなってしまったのだ。
普段からアヤシイ物は大好きだが、霊媒体質というわけでもなく、霊感などとはトンと無縁。「金縛りって幽体離脱へのとっかかりなんだよねー。一度でいいから金縛りになってみたい」などと不謹慎なことを言い続けていた私が、あのビルケナウでこんなことになっちゃったのはただの偶然なのだろうか。
クラコフへの帰り道
「やっぱりガス室はあったような気がする……」
漠然と私は思った。
ナニがどうしてモトモトの「なかったんじゃないのか?」という疑いを撤回したのか、「四百字以内で述べよ」なんて言われたら、左脳人間の私にしては珍しく理由が述べられない。
でも、「あったのだと思わされちゃった」のだから、これまたどうしようもない。
そして、そんな風に延々と考えること一時間あまり。
ぼぉーっとほうけたままクラコフに着く頃には、右足首の痛みはウソのように消えていた
 

 

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ぼうけんこぞう