Version 2004/05/24
1996年-1999年2月
1996年7月には、パソコン通信の「フロンティア」というBBS(掲示板)が開設されていました。フロンティアのコンテンツは掲示板と裏本、そして現在「PGF画像」として知られている「VIPルーム」の画像です。以下はフロンティアのBBSの冒頭に掲げられていた説明文です。
『Frontier』の特徴は、なんと言ってもVIPルームの“素人ギャルの写真”です。
一言で“素人ギャルの写真”と言ってもピンキリですが、
『Frontier』のVIPルームに登録されてる“素人ギャル”は
超極上の写真ばかりです。
なにしろネット提携カメラマンが美人のギャルをゲットするために日夜、
ナンパに励み苦労して撮影したオリジナルH写真ですから。。。^^;)
女の子の容姿&画質に関しましては、超自信がありま〜す。【年会費について】
『Frontier』の年会費は4,000円です〔有効期限->1年間〕
入会されますとVIPルームを除くムフフ画像(裏本等)は一年間無制限!
ダウンロードし放題で見ることができます。【VIPルームの利用について】
VIPルームに登録されているナンパした素人ギャルを見たい方は
上記の年会費とは別に料金がかかります。
一人の素人ギャルにつき、たったの約1、000円前後で、そのギャルの凄い
恥態写真を約40枚、見ることができます。
何番の素人ギャルから見ますか? 自由に番号で選択することができます。
入会手続き時にサンプル画像の番号で指定してください。フロンティア開設当初から96年10月までは、2ヶ月分の料金(VIP会員は入会金と2ヶ月分の会費で15,000円)のみでVIPルームの画像全て(V0051までアップされていた。)をダウンロードできました。このため、電話代を気にしながらも遠方から画像をダウンロードしたツワモノも少なからずいたようです。(毎日新聞の報道によれば、全国43都道府県に会員がいたということです。)14.4K BPSでダウンロードをする電話代を計算すると恐ろしい金額になります。遠方の会員の中には、東京出張の際にノートパソコン持参で来て、ホテルからフロンティアに接続して画像をダウンロードするという涙ぐましい努力をした人もいたそうです。
その後1996年11月26日から料金システムが変更され、年会費4,000円を支払うと1回30分の接続が可能で、裏本は見放題となり「VIPルーム」の画像はその都度代金を支払って購入するという形になりました。
当時のフロンティアのBBSのログを見ると撮影者やシスオペと会員、ゲスト(10分間だけBBSの閲覧が可能だった。)の活発な交流が見られます。
フロンティアはシスオペがNiftyの掲示板に会員募集の広告を出したり、パソコン雑誌に取り上げられたりしたことから、その良質のコンテンツと相まってマニアの間では広く知られるようになりました。素人投稿写真雑誌全盛の時代で、雑誌では見られない目線なしの素顔が見られ、局部にマスクが掛かっているとはいえ簡単に取りはずせる写真が人気にならないはずはありません。しかもモデルは一部AV女優や風俗嬢も混じっているとはいえ、ほとんどは素人と思われる若い女性です。
フロンティアはパソコン通信からインターネットへと舞台を移して(1997年1月)会員数を増やしていきます。毎日新聞の報道によれば、閉鎖直前には会員数800名、売上は3,700万円に上っていました。そのフロンティアも、1998年の前半には新規会員募集を停止します。そして1998年の8月にはBBSにログインできなくなり、1999年の1月26日に撮影者のN氏が逮捕され、2月16日にはフロンティアの運営者3名(うち1名は再逮捕されたN氏)が逮捕されてフロンティアは閉鎖されます。
しかし、全てはここから始まりました。
1999年2月-5月
フロンティア現存中から画像の流出は始まっていましたが、管理者は写真に「Photo Gallery Frontier」ロゴを入れる、1997年4月には会員の住所・氏名をハガキで登録させる、無断転載サイトには警告を出してサイトを閉鎖させるなど、流出防止に躍起になっていました。
しかしフロンティアが閉鎖され、それが報道されるとフロンティアのVIPルームの画像は徐々にニュースグループや画像掲示板などに流出し始めます。そしてその画像群は「Photo Gallery Frontier」の頭文字をとり「PGF」と呼ばれるようになります。
「PGF」画像は168セットのカタログが整備されており、毎日新聞の報道により未成年者を含んだモデルの年齢などが保証されるような事態になりました。コレクターが168セット全ての画像をコンプリートをしたいと思ったのは当然の流れでしょう。
*毎日新聞「インターネット事件」の当該報道記事は現在削除されています。
*1999年2月の新聞記事(読売・朝日・毎日)はこちらです。
*毎日新聞の報道によればモデルとなったのは198人。その中には18歳未満の少女が46人含まれていました。当時の学職別では、高校生が42人、フリー・アルバイター2人、ウエートレス1人、無職1人。年齢は15歳が2人、16歳9人、17歳35人。1999年5月-9月
この時期は当サイトのお手本にさせていただいたGandharaさんの「pgfaddict」の「わかった気になるPGFの歴史」の記事が詳しいのでそれを引用させていただきます。
以下引用--------------------
PGF創世記
まず、インターネットで騒がれるようになった最大の原因は1999年5月頃にPicture Upload BBSから独立したPicture Upload BBS for PGF(管理人がbillさんのため”bill産地”と呼ばれています)ができた事です。PGF板は桜田門とつながりがあるせいか裏板、前者は表板と呼ばれるようになりました。できた当初は、当然知る人も少なく参加者が手持ちを貼ったりリクエストに答えたり、またPGFを持ってない人もお礼の品を表に張ったり、既出リストを整理したりと和気藹々とした雰囲気が続きました。
混乱期
ところが、6月頃突然サーバーの反応が鈍くなり、当初からの参加者はそれをとある有名アダルトサイトのリンクのせいにしました。また奇しくも期を同じくして管理人のbillさんが病気で長期入院するという管理人不在の状況が続きました。アクセスできないストレス、時間と共に増える新人、舵取り人を失った板の状態は急速に悪化して行ったのです。急増する新人にまでは、張り子は1日5枚まで、表板には絵本は貼らない、などのローカルルールが浸透しなかった事も混乱に拍車をかけました。「常連だけで集まっている画像掲示板がある」とのデマがまことしやかに流れたのもこの頃です。
動乱期
その混乱の中でひときわ際立っていたのが、どこの画像掲示板にも見られる、「貼る人」対「落とすだけの人」との対立です。PGFは持っている人が限られていたため「貼る人」に発言力が集中し両者の溝は深まるばかりでした。対立は時間と共に醜さを増し、画像無しでリクエストをしただけで罵りの言葉が浴びせられるまでになりました。また表板では裏板の存在を口にする事はタブーとなりピ潟sリした状況が続きました。持つ人のおごり、持たざる人のへつらい、人間社会の嫌な一面がはっきりと浮き彫りにされたのです。
その頃、平行していくつかの文字だけの掲示板ができ運営方針について議論がなされました。しかしそれはbillさんの不在という事もあり内輪だけの話し合いに終わってしまい板に反映されることはありませんでした。また、画像を他のサーバーにアップしそれを報告しあうという板もできましたが、出所のかぎられたPGFであることからかアップする人も増えずこれも長続きはしませんでした。さらに、投稿も無い状態が長く続いたころ、各方面に投稿専用ポート88をつけたURLが広く紹介されますます混乱を極める事となります。
しかし、その混乱期にも「マイペース」と称して貼りつづける人や、既出の写真をインデックス形式にしてまとめてくれる人も現われ、bill産地の火は弱々しくあれど燃えつづけたのです。PGF板が他の画像張り板のように簡単に消滅しなかった要因を推測するならば、サーバーがアメリカ合衆国に設置されていて余計な圧力がかからなかった、マスク無しの画像をアップできる気軽さ、管理人不在のため無意味な発言削除が無く混乱は最悪の事態はかろうじて免れた、という事があげられると思います。
復興期
そして9月に入りようやくbillさんが復帰し板は課金制になり、無料で見られる板には最大ページ数や同時接続数に制限がつきました。しかしそれでも板には繋がりにくい状況が続き、投稿専用ポート88を正式なURLであると勘違いしている人々は、板には繋がるが画像がでないと思い込み「繋がるが画像をみるには課金に応じる必要がある」とのうわさが流れました。さらに、ポート888を指定すると繋がる事からそれを悟られないようにするためかbill産地のURLを教える事に非常に神経質になった人々もいました。また、この頃には当初bill産地に積極的に投稿していた人々の姿はほとんど見られなくなっていました。
Copyright©1999,2000 Gandhara
--------------------引用ここまで
Gandharaさんの文章に書かれていないことを補足します。
1999年の7月頃に「PGF mania」や「PGF collectors site」といったPGF関連のサイトが相次いで開設され、URLが色々な掲示板に書き込まれました。私がPGFを知ったのもこの頃です。これらのサイトは、いずれも手持ちのPGFを数セットから数十セット公開して未所持分を募る目的で開設されたものと思われます。
BILL産地はURLを掲示板などで質問しただけで激しい攻撃を受ける状況でした。通常の80ポートはいつも重くてなかなか繋がらないため参加者が増えてさらに接続状況が悪くなることを恐れ、良質の画像を独占しておきたいという参加者の気持ちがあったのだと思います。そのため「すごい画像掲示板があるらしい。」という噂が各所に流れました。事実BILL産地の表(PGF画像以外を扱う)や裏(PGF専門板)には入手の難しい良質の画像が多数張られていました。BILL産地は2000年1月に閉鎖してしまいましたが閉鎖直前のイメージがHDのキャッシュに残っていたのご覧ください。88ポートで入っているため画像はありません。
フロンティアの会員でPGFを全て自前で購入した会員からは、BILL産地はかなり批判的に見られていたようです。大金をはたいて購入した画像が次々に無料サイトにアップされるのですから当然のことでしょう。
あと一つ特記することは、URLなどの秘密主義にコレクターが嫌気がさしている頃に、ハンドルネーム「牛乳瓶」を名乗る人物がBILL産地の88ポートを含めPGF関連のURLを多くの掲示板に書き込んだことです。功罪については賛否両論があるでしょうが閉塞感のあったPGFコレクターの世界に風穴を開けたことは確かでしょう。この「牛乳瓶」氏によってPGFを多数の人が認知することになり、これがFTP革命の遠因になったことは否定できません。
この時期はPGF168セットのうち数十セットは手に入っても、最有力産地であるBILL産地が有料化で使い物にならなくなり、多くのコレクターがコンプリートへの絶望感を抱いていました。
1999年9月-12月
Bill産地の有料化、80(HTTP)ポート、88ポートの閉鎖により行き場を失ったコレクターたちは途方にくれました。まさに弱肉強食の時代が始まりました。WinMX2.6末期のファイル交換と同じような状況だと言ったら理解できる方もいるでしょう。
168シリーズのうちかなりを集めていたコレクターたちは、有志を募りクローズド(隠れ掲示板)で交換をはじめました。ある者はBill産地の特殊ポート888を探り当て、その情報が流れることに非常に神経質な反応を示したりしました。また、詐欺まがいの交換サイトも雨後の筍のように現れては消えました。
その時、Maggot氏のFTP革命が起こりました。
上記のような厳しい状況下で新規の掲示板を開設し、情報を集め自分の掲示板に転載することを始めた、ハンドルネーム「Maggot」を名乗る人物が現われました。当初は書き込みも少なく細々と運営していましたが、黙々と情報を集め、書き込みを続け初心者にもやさしく説明をする姿に賛同する者が増えてきたある日のことでした。FTP革命が起こったのです。それはコロンブスの卵でした。アップローダーがフリーウエブスペースにアカウントを取り、手持ちのPGFファイルをFTPでアップ、パスとIDを掲示板で公開して、ダウンローダーがFTPでログインしてダウンロードするというシステムでした。初めてその書き込みがされた数時間後には多数の参加者により、あっという間に数十個のアカウントが公開されました。いままで押さえつけられていたコレクターの気持ちが爆発したような掲示板への書き込みでした。
そのときの掲示板のログです。
------------------------------------------------------------------------
●maggot(296) 題名:これは革命なのか
管理者が驚いててもしょうがないんですが、凄いことになってきました。
DL忙しくてお風呂にも入れません。ありがとう。
どこも重いんで、tripod.frにとりあえず3っつ。
name:pass maggot:zscwzy
maggoti:kkhrtm
maggotfunk:gsxrfk
Frenchです。パロ〜レパロレパロ〜レ〜
095、153見た〜い。まっ、御自由に、でも大事に使ってね。
Mozilla/4.04 [ja] (Macintosh; I; PPC, Nav) 投稿日 : 99年10月20日<水>00時35分
------------------------------------------------------------------------この時から1週間の混乱と興奮の間にPGFのすべてのファイルが、WEB上にアップされたものと思われます。私がWAV(PGFの音声ファイル)を初めて目にしたのもこのときです。コレクターは寝る間を惜しんでアップ、ダウンを繰り返しました。現在のブロードバンド接続とは異なり、ほとんどのコレクターはアナログ56KBPSモデムのダイアルアップ接続で上り31.2KBPS、下り56KBPSでファイルをアップダウンするのだから大変です。PGF 1セットが約4MBなので1セットをダウンロードするのに20分、アップは30分以上かかりました。掲示板のログはどんどん流れてしまい、最盛期には1日前の書き込みも消えてしまうという状況も多発しました。PGFが欲しくてFTPクライアントソフトの使い方を覚えたコレクターも多数存在しました。
しかし、興奮が落ち着くにつれて、FTP交換の欠点にコレクター達が気づき始めました。心無い者にファイルを削除されたり、FTPクライアントを使えない者の質問、回答、批判で板が荒れるといったことです。その後アップローダーがFTPでアップ、希望者がHTTPでダウンロードするというPGF交換の形が出来上がりました。この混乱から交換システムの成立をMaggot氏は強力なリーダーシップで調整していきました。Maggot氏の板を「帝国」、Maggot氏を「管理神」と誰とも無く呼び出した所以です。Maggot帝国はネット上で話題となりDOM・ROMを含め多くのコレクターが訪れました。この時期23:00から翌日の3:00頃までは掲示板にアクセス出来ないという状況が多く見られました。また、帝国でアップされたものがBill産地に二次アップされ、Bill産地の古参の常連から批判されるといったこともありました。
Maggot帝国は、1999年11月の上旬に初のコンプ者(168シリーズ全部集めること)が出たのをきっかけに続々とコンプ者を輩出しました。後述する理由で帝国が崩壊するまでの1ヶ月間に、数多くのコンプリートの報告が掲示板に書き込まれました。
さて、一方の雄、Bill産地はどうなっていたでしょうか。
有料アダルトサイトであるのに、コンテンツはボランティアのアップローダーに頼るという不合理なシステムが成功することはありませんでした。一般のポートを開いて無料で見れるようでは会員になる者はいないだろうし、かといって完全に締め出してしまってはコンテンツの供給が無くなってしまいます。管理人も随分悩んだようでポートを空けたり閉じたりを繰り返していました。ポートを閉めるたびに常連アップローダーの板から去るという書き込みがありました。888ポートを完全に閉鎖したときには、反響の大きさに管理人が常連にアカウントを発行する、という悲痛な発言が見られたりしました。当時の経緯は現存するPGF関連の最古の板である「固定ハンドルを使わないでPGFのことについて語り合う掲示板」の過去ログに残っています。細々ながらもアップロードは続きBill産地も1999年12月下旬に初のコンプリート報告が書き込まれます。その後破損ファイルの補完、INDEXの補完がされ閉鎖直前には、ほぼ全てのファイルがアップされていたようです。そのBill産地も2000年の1月中旬から完全にアクセス不能になりました。閉鎖の理由は不明ですが、コンテンツがほぼ全てアップされ、今後の運営が困難なことから自主的に閉鎖したのではないかと推測されます。
残された帝国の繁栄も長くは続きませんでした。「“ポルノ大国”日本に高まる批判」のニュースが1999年12月14日ネット上を駆け巡りました。その日はどのサイトも平穏を保っている様子でしたが、翌日にはほとんどすべてのPGF関連サイト(帝国、その他)が閉鎖してしまいました。
*DOM・ROM DOM : Download Only Member(ファイルをアップしないでダウンロードだけする人たち) 、 ROM : Read Only Member(掲示板に書き込みをせず、読むだけの人たち) ネットの世界では蔑称として使われる事が多い。
*「固定ハンドルを使わないでPGFのことについて語り合う掲示板」は現在アクセス不能です。ログを保存していないのでお持ちの方、ご連絡をお待ちしています。
2000年 1-3月
繁栄を謳歌するmaggot帝国の終焉は突然やってきました。1999年12月14日、産経新聞の記事がネット上を駆け巡りました。その日はどのサイトも平穏を保っている様子でしたが、翌日にはほとんどすべてのPGF関連サイト(帝国、その他)が閉鎖してしまいました。
そして、残ったのはBill産地のみという状況になりました。しかし今回は1999年9月のときのような悲壮さはありませんでした。なぜならFTP革命によって数多くのコンプリート者が誕生していたからです。maggot帝国の末期(1999年12月)には、ほとんどの参加者はコンプリートをして、破損ファイルの補完や、より画質の良いものを求めて情報交換をしていました。
さて、年が明けて西暦2000年のPGFはどのような歴史を刻んでいったでしょうか。
前述したようにBill産地は1月中旬に突然の沈黙をしてしまいます。しかし、沈黙するまでのBill産地では重要な出来事が起こっていました。それは、ファイル名"HANA"のアップがされていたことです。ポートを狭められ、なかなかつながらない状況下でも細々とアップが続いていたことはすでに述べました。この中に"HANA"があったのです。"HANA"はBOBY氏撮影の本編には無いシリーズでした。BOBY氏撮影の本編には無いモデルの写真が、オリジナルのファイル名で一般コレクターの目に触れたのはこれが初めてだと思われます。"HANA"は15枚がアップされ、残念なことにあと18枚張られる予定のところでBill産地自体が沈黙してしまいました。それが、その後PIXYと呼ばれるものだということは当時はほとんど知られていませんでした。
産経新聞のニュースから2週間が過ぎ、PGFをめぐる動きはふたたび活発になっていきます。きっかけとなったのはやはりMaggot氏でした。帝国後期からすでに掲示板の管理をはなれ、PGFのWEBSITEを作成していたmaggot氏のアップ報告用掲示板「Clatterbox BBS」がその舞台となりました。帝国の終焉時にまだ未コンプだったコレクターがリクエストとアップ報告を始めたのです。時期が時期だけにそれを止めようとする書き込みもありましたが、圧倒的なコレクターの力に押し流されました。maggot管理神自身が管理しきれないので、「もう止めないよ」という書き込みをしたこともありました。その後、板はリクエストとアップ報告でうめつくされ、早くも1月の下旬にはすべてのファイルがアップされ、「倉庫」と称するURLのindexまでアップされました。
この時期の動きが革命時と大きく異なる点がいくつかあります。
- 交換に使われるサーバーのほとんどが「鳥:各国のtripod」から「猟犬:SEX HOUND」に変わったこと。SEX HOUNDのメリットはアカウントの取得が容易なこと、FTPを使わなくても(使えないが)サイト内のサービスメニューから簡単にファイルがアップできること、アダルト専門のフリーウエブスペースのためファイルが削除されないことなどです。
- 交換なしの「くれくれクン」にも寛容で気軽にリクエストに応えてアップがあったこと。
- アダルトサイトにアップされた画質の悪い「二次圧縮物」が流通していたこと。
などです。
一旦コンプリートした「Clatterbox BBS」は2月に入った頃から参加メンバーの交代が始まります。「倉庫」もいつのまにか姿を消し、再びリクエストとアップが始まります。しかし、またもや新たな動きが起こってきました。
FTP革命によって流出したPGF画像が無料のアダルトサイトを中心としてアップされ始めたのです。この流れはその後も止まらず3月上旬から中旬にかけて、ついに168セット全てがWEB上に上がるという事態を迎えます。それに伴いリクとアップのカキコは姿を消していきます。「Clatterbox BBS」も誰かが掲示板のレンタル元サイト(buri.net)の管理者に苦情を言ったとの事で、3月中旬にburi.netの管理者によって閉鎖されてしまいます。
PGF画像がWEB上ほとんど全てアップされると、今度はPGFのリンク集が増え始めました。パクリはあたりまえ、パクリのパクリサイトも現れます。3月下旬には似たようなリンク集が雨後の筍のように増殖しました。ほとんどのサイトがバナー広告を貼った広告収入目的のサイトだったため、リンク先のアップローダーがリンク集の運営者に苦情を述べるといった光景も見られました。
ほとんど全てのPGF画像がWEB上でアクセスできるようになり、リンク集も多くなってきた状況下でPGFをめぐる動きは鎮静化を迎えるかと思われました。しかし、2000.2.23にそれは突然起こりました。Gandhara氏の主催するPixyAddictでPGF番外と呼ばれていたものがPixyとよばれる209セットのシリーズ物だということが突然公表されたことです。しかもそれには写真付きのINDEXも存在していることが判明します。
PGFをコンプリートして、満足感と共に一抹の寂しさを感じていたコレクターたちはざわめき立ちましたが、その後の情報が出てきません。後に判明する事ですが、PIXYはPGFとは異なり撮影者からの直販のみで配布されていたファイルで、所有者が極めて少数だったためです。またPGFと同じモデルでも価格は3倍から4倍近くしたうえ、所持しているファイルで個人が特定される可能性もあり、所有者は安易に再配布をしなかったようです。
Pixyについて掲示板でさまざまなうわさが飛び交いましたが、杳として情報が出てきません。PGF番外専門のページ「桜写真館」もオープンしましたが有力な情報は出てきません。
*産経新聞の記事が出てからのPGF関連サイトの閉鎖・復活と、WinMX、Winny等で逮捕者が出てからの2ちゃんねるの騒ぎと沈静化が酷似しているのが興味深い。
*Clatterbox BBSは上記の理由で管理者に「書き込み不可」にされています。しかし、まだアカウントが残っているのが不思議。2000年 4-6月
さて、2000年の第二四半期のPGFはどのような状況だったでしょうか。
大きく分けて二つの話題に集約されると思います。一つはPGF画像(正規版)のNET上での動き、もうひとつはコレクターが一番関心のあるPIXYの情報がいよいよ現れはじめたことでしょう。
まずPGF画像(正規版)をめぐる動きを取り上げたいと思います。
PGFはすでに原産地のサイトが消滅していること、カタログ、プロフィールが整備されていることなどからアダルト画像の一大ジャンルとしてその位置を確立したように思われます。いままでのように掲示板でのファイル交換は4月以降ほとんど見られなくなりました。なぜなら168セット全ての画像が常にWEB上にアップされており、いつでもアクセスできるようになったからです。ただし、番外やINDEX(黒・白)の入手、破損ファイルの補完などは以前より難しい状況になっています。
以前は一大事業だった168セットのコンプリートも、ブロードバンドの回線が使える環境ならば1日で達成できる状況になりました。Maggot管理神の掲示板も書き込みがない日が多く見られるようになりました。
しかし、革命期のようにボランティアで画像がアップされているわけではありません。PGF画像をアップしているほとんど全てのサイトはフリーウエブスペースを利用して画像をアップし、バナー広告を貼り付けて広告収入を得ようとするサイトであるのが現状です。
さらに、そのサイトにリンクをはってバナー広告の収入を得ようとするサイトが次々と現れています。これらのサイトは通称「ふんどしサイト」と呼ばれ革命を経験したコレクター、自ら画像をアップしているサイトの主催者からは批判的に見られています。「ふんどしサイト」とは他人のふんどしで相撲をとって、小遣い稼ぎをしているとの意味だと思われます。これらリンクサイトと自ら画像をアップしているサイトとの対立も表面化してきました。「リンクだけでコンプリートしています、当サーバー内には違法画像を置いていません」をうたい文句にしている某リンクサイトなどは、アップローダーから次々にファイルを削除され、現在ではほとんど全ての画像を自前でアップしています。
PGFの全画像が流通し始めてまだ1年も経たないのに、PGFをめぐって色々なことがありました。PGFはこれからどうなっていくのでしょうか。
さて、PIXYです。すこしづつですが情報が出回り始めました。これまでの流れを簡単に整理しておきたいと思います。
- 2000年2月 「pixyaddict」でPGF番外と呼ばれていたものがPixyとよばれるシリーズ写真であることが公表される。
- 2000年5月 「桃の家」(サイト名・仮名)でハンドルネーム「白銀」(仮名)を名乗る人物がPIXYをはじめて公開する。「白銀」氏はこれ以降も散発的にPIXYを公開しています。
- 2000年6月 「場末の酒場」(サイト名・仮名)で209までのPIXYのカタログ画像のサムネールが公開される。その後フルサイズのカタログ画像も公開される。
- 2000年7月 「五色神牛」(仮名)氏のサイトでPIXYの総枚数が記載された15ヶのtxtファイルが「ATI」(仮名)氏によって公開される。「ATI」氏はいくつかのPIXYも公開しています。また、超有名サイト「夜天使」に121までのPIXYのカタログ画像(フルサイズ)も公開されました。7月8日現在公開中。
サイト名、個人名は一部、仮名としています。
2000年 7-9月
2000年の第三四半期です。この時期の動きとして特記すべきことは4-6月の延長上の2点でしょう。
まず、PIXYですがハンドルネーム「白銀」氏がその後も散発的、時には大量にPIXYを公開して現在までに公開されたPIXYは40〜60セット近くになりました。また、「ATI」氏も「五色神牛」氏のサイトで公開を続け、「場末の酒場」でも活発にPIXYが公開されるようになりました。しかし、いまだブレイクには至りません。持っている人は絶対にいるはずなのですが…。
PGF正規版については恐ろしい事態が生じてきています。PGF画像がアダルト画像の一大ジャンルになったことは既に述べました。誰でも比較的簡単にコンプリート出来る状況になっていますが、コンプリートするためにはそれでもある程度のスキルと努力は必要とします。ここをついて商売を始める者が現れたのです。
海外のフリーサーバーにアカウントを取ってPGFのCDを販売する者や、なんと「ヤフーオークション」でCDを販売するものまで現れる始末です。これは完全な違法行為でいつ手が後ろに回っても不思議はありません。「毎日新聞インターネット事件」を見ると、同様の商売をしている者が頻繁に摘発されているのに何を考えているのでしょうか?恐ろしいことです。
2000年 10-12月
2000年の第四四半期のPGFは、ほとんど動きがありませんでした。相変わらずPGFはフリー画像として、NET上を流通しています。CD販売のサイトも現れては消えています。
唯一、話題と言えばまたしても「白銀」氏が、今度はPGFのマスク付の画像(通称:PGFオリジナル)を公開したことでしょう。アダルトサイトの二次使用で画質が悪いファイルが蔓延しているなかで、これはコレクターの関心を一気に集めました。PIXYに次ぐ新たなコレクターズアイテムが誕生したといっていいでしょう。フロンティアの会員であっても、オリジナルのマスク付ファイルは消去してしまっている人が多いのでこれも収集は難航しそうです。
2001年 1月〜
2001年もとりたてて新しい動きはありませんでした。唯一特記することは、2月にV0095(PIXY0095?)の親族と名乗る人物が、いくつかのPGF関連サイトに警告のメールを送りつけてきたことでしょう。これにより、複数のPGF関連サイトが閉鎖またはコンテンツの一部削除を余儀なくされました。この警告が本当に親族が送ったものなのか、それとも単なる嫌がらせかは不明です。
4月には歴史ある三箇所の掲示板が繋がらなくなりました。ひとつはFTP革命の舞台となったMaggot管理神の掲示板です。移転を繰り返してきましたが、今回は本当に閉鎖したようです。もうひとつは、FTP革命当時から唯一、URLも変わらず残ってきた、旧SUBSUB板の「楽しくあっぷっぷ掲示板」(管理者:幸雄さん)、閉鎖前は「メール友達作りましょう掲示板」。最後は現存する最古のPGF掲示板であった「固定ハンドルを使わないでPGFのことついて語り合う掲示板」です。
歴史ある三箇所の掲示板の閉鎖により、PGFもひとつの時代の終わりを迎えたような気がします。
この歴史も書くべきことがほとんどなくなってきたので、しばらくお休みさせて頂きます。
*2001.5.23にMaggot管理神の掲示板復活しました。http://www.hoppy.net/のサーバー落ちだったようです。
*画質を問わなければPGF全ファイルの収集は容易ですが、FTP革命当時に出回ったような高画質のファイルはほとんど見かけません。新しいコレクターは高画質ファイルの収集が課題になると思われます。FTP革命当時に出回ったファイルはJPEGのサイズが945×604ピクセルで1枚90KB〜130KB程度、V0001からV0168までの合計容量が800MB程度です。「PGFの歴史」 第一部 完