ジャパンスーパースポーツセダン(JSS)レースは、グループ5(スーパーシルエット)の流れを受け、国内最高峰のハコレースとして1984年から始まりました。1989年までは富士スピードウェイのみでのレースで、「富士グランドチャンピオンシップ」のサポートレースとして、1990年から1993年までは全日本F3000のサポートレースとしても開催されていました。 |
'88ゼッケン31「チームコクピット和光」武井弘文選手 メンテナンス「RSファイン」 |
JSSは市販車がベースにはなっているものの、改造範囲は当時大人気だったグループAよりも格段に広く、巨大なオーバーフェンダーやウィングを装備して凄味のあるマシンでした。エンジン面をみても基本的には、当時では少数派となってしまったフルチューン仕様で、若干の吸気制限はありましたが、市販の仕様を生かしているならば何でもありでした。DOHCエンジンの最大排気量は3500ccまで、SOHCは4000ccまで、ロータリーエンジンは3000ccまで(ペリフェラルポート仕様が許される)となっていました。スカイライン(R30,31)やシルビア(S12)、RX-7(SA22,FC3S)が主力で、1988年には、牧口規雄さんの駆るBMW M3なんてのも走っていました。 | |
現「マツモトキヨシ・トムス・スープラ」の山路慎一さんが「コクピット館林RX-7」、現「外国屋アドバンポルシェ」の石橋義三さんが「外国屋スカイライン」、現「DENSOサードスープラ」の土屋圭市さんが「アウトブレーズファインRX-7」、現「クスコスバルインプレッサ」の小林且雄さんが「RE雨宮GuperG
RX-7」を駆っていました。土屋圭市さん、石橋義三さんは結構表彰台に顔を出していました。
この他にも、岡田秀樹さん(現SOKマクラーレン)が初期にRX-7で活躍したり、袖山誠一さん(現アイエーテックシルビア)がチャンピオンを獲得したり・・・、このレースを経験したドライバーの多くが、現在もGT選手権で活躍しています。 現在GT300で活躍しているRE雨宮のRX-7はこの頃からがんばっていました。また、エントラントもRE雨宮、外国屋、RS中春など、現在はGT選手権へ活躍の場を移しています。 |
'92ゼッケン10「BOMEX RX7」水野 正選手 メンテナンス「水野 正 & RE雨宮」 |
その後、JSSは1993年に全日本GT選手権への参加が認められ、GT300クラスとしての第一歩を踏み出したわけです。(1992〜1994年には、アメリカのIMSA
GTマシンを迎えての「IMSA GTチャレンジ」というレースも行われました。)
補足:1993年は、JAFのN3規定による全日本GT選手権にエントリーする車が極端に少なく、(影山正彦「カルソニックGT-R」、木下隆之「GTシルビア」の2台のみのエントリー)1994年からは、GTアソシエーション主導で正式に開催されました。 |
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さてさて、いかがでしたでしょうか?今はGT300クラスという形になっていますが、昔はひとつのレースを形成していたのですね! GT300クラスの前身、とっても懐かしいJSSのお話でした。 |