古神道の概略

 

ここで、私が申し上げたいことを数点、挙げますと、

1,明治以前の諸流派神道は必ずしも仏教、儒教、などとの混交思想ではない。

2、明治以降の神社神道は祭祀、教義に問題がある。

3、神道は社会の矛盾を覆い隠したり、無条件で体制を擁護する宗教ではない。


"1"に関しましては、五行、印、火祭り (護摩)、剣法、本田流鎮魂法なども、すべて、

神道独自のものであることが 典拠をあげて証明できます。 さらに、教義に関しましても、

用語に問題があるものの、神道独自の教義は 確立されていました。


"2"に関しては、特に祭祀から宗教色を取り除くとして、祭祀が改変された。

また、教義が通俗的封建道徳および、儒教色をおびたものとなった。


"3"に関しては、神道は正直(作為、恣意のないこと)を本とするので、間違いは当然の

ごとく改められます。

用語については、正直のように現在の一般的な意味と神道用語としての意味が微妙にちがいます。

微妙にちがうという例としては、真心、らしさ、すなお、礼、謙虚(無私)、などです。

さらに、その他、重要な点は、

1、強制された道徳は間違い、

2、からごころとは、独善的正義に基づく頑迷な心、

3、善念が即ち善、善因善果、

4、正義は復讐ではない、憎悪に基づく正義は誤り、公正さは復讐ではない、

5、荒御魂を振り起こすこととは、無抵抗は愛ではないということを知り、降りかかる火の粉

は払わなければならないということである。

以上はほんの一部です、

この他、神道の体系的教義、国体、国体の本義に見られるような

国体観でなく、本居先生の説く様な国柄にとしての国体

神道から見た左翼,右翼,現在の神道を取り巻く

政治情勢に関するもので、神道=右翼というような誤解を解くと共に、

神道から見た左右の思想に関する評価。

神葬祭は室町以来、古代の神葬祭は別にしても、

現在の神葬祭は吉田家において、室町時代にはすでに行われ

ていました。(勿論、吉田流ですが)

寺請け制度神職以外の者が神葬祭を行う為の

神道宗門ができたは江戸時代ですが、

仏教葬儀に比べても同じ位の伝統があります。

神社参拝の作法、これは神社参拝の作法について、

心願成就の実践的なコツ。

神仙道が日本起源という道教信仰、道教信仰で日本が神仙の国と

されていることと、神道系神仙道との関係についてなどです。

 
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