最後の殿様・木下利恭の跡を幼くして継がれた利玄さんは木下岡次郎と二階堂左馬七を伴って上京されました。利玄さんは佐々木信綱翁に師事し、後、白樺派の歌人として活躍されました。
歌人となられた利玄さんは東京住まい(後には鎌倉)でしたが、若狭から山陰を通って別府に遊ぶなど、歌人としての生活を続けられました。その間、故郷である足守の地にも何回かお帰りになっています。
利玄さんの日記類は今日、利玄全集に収録されていますが、それを読みますと、松茸狩りで足守の山にも登られたようです。利玄さんの日記には足守に残った木下利晁から不要となった甲冑類の整理を勧める手紙が届いたことなども書かれています。
故郷の足守に帰られた利玄さんはどの辺りを散策されたのでしょうか? 足守の旧陣屋町は現在、岡山市の手で町並保存地区として整備されつつあります。 植物を好まれた利玄さんは緑豊かな故郷・足守の町を愛されていたのではないかと思います。