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 1:素晴らしきハンドル「」の由来じゃ。刮目して読めい
 
 

14   BZU01131  12/17     32  侵略的生活競争力/鳩
      瀬下 司      検索キー:スピリット(こころ)

 侵略的生活競争力

 断片的に感じた事をそのまま表現してみました。
  汲々と生活している身でありながら、公共の義務の精神として、申し述べる資格を
有すると考えておりますが、読み苦しいところはお詫び申し上げます。

 私の生活している秋田について表現してみました。 
 現在の日本社会の実状をドイツの国に置き変えて表現すると、以前のゲシュタポと
同じ様な活動を、同じ目的を持って活動している者達がいる様な気がする。但しこの度
ユダヤ人が人の良い顔をしてラーメンを煮ながら
  ドイツの国の人達は、人権擁護活動を活溌に発展した事を誇りにしつつも、社会の
どこかに不協和音を感じながら、それが何処に原因があり、何が原因なのか、その違和
感の出何処が分からない。
 その違和感を例えるならば、
「鳩の群の中に、全く違う目的を持った猫が混じっている様な感じであり、鳩にはその
猫の姿が見えず、猫の目的を知る事もない。」
 時折、鳩を見つめる猫の気配をチラッと感じ、バサッと言う羽音を聞くだけ。
 この「鳩の群の中の猫」は、鳩に見えない所で得意げに笑みを浮かべながら、気勢を
上げる。「我々は選ばれた者だ。実力がある。この社会の全てを我々は支配し、欲しい
だけ皆、手掴みだ。」

 時折、この猫の活動に気づいた者は、虚しく叫ぶ。
 「鳩をたばかり、鳩の寝首を掻く様に、侵略を展開している者がいる。」
 人々はこれに対し、
「今時その様な事が、あるはずがない。」
と言うだけ。

 実のところ、この猫は大変な実力を持っている。
 その猫の爪は、鳩の目には絶対見えない凶器であり、その毛皮は鳩と同じ白に粉飾
されており、外見からは違和感を感じさせない。

 その猫の凶器は、マイクロ波とエックス線。いわゆる無線機の一種である。
 猫の都合に合わせて、個別に鳩の体に浴びせ、ジワリジワリと命を削る。
 鳩は逃げ切る事が出来ない。狙われた鳩にあるものは、降伏か死か。

 被害を訴える鳩が現れた時、猫は嘲笑の嵐を巻き上げる。
 「妄想だ、妄想だ、キチガイの鳩がいる。」
  鳩の見えない所で、猫同士は微笑みながら言葉を交わす、
「実力だぁ。」

 今のところ、誰にもこの猫の勢いを遮る事が出来ない。
 いつしか、この鳩の社会の半分以上の住人が猫に入れ替わるかもしれません。 
それで良いのかも知れません。それも競争原理。鳩の選択かもしれない。

 風の便りに聞くところによると、この猫には特徴がある。
 肌の色素を脱色する為、時々牛乳の様に飲む薬の為、肌が桜色がかっており、
襟髪だけ黒い。更に耳の上半分の溝が深く狭い。耳穴が二つある様に見える。

 この他に感じる事をそのままに

 現在の秋田県の社会は、全くの恐怖社会の様相を呈しておりながら、表面的にはその
恐怖観念の為に、住人の表情にはその実状を簡単に見て取る事は出来ない。 
 それだけ、既成事実と化していると言う事もできるかも知れません。
 しかし、この状態が安定して移行し、これ以上悲惨な事にならないとは、私には思え
ないのであります。
 私は人権意識、民主主義的精神の発展した国の民に対しては、他国的民族の精神を
持つ人間とは考えてはおりません。
 つまり、危険性を感じたり、犯罪被害を受けずに、同じ社会で生活できると言う意味
に置いて、同じ種類の人間であると捉えております。
 しかし、前述の比喩的表現の中で表した「鳩の群の中の猫」に当たる民については、
未発達な国の民族的精神文化を持つ民であると感じます。私はこれを「他国的民族の
精神」を持った民と表現したいと思います。

 この他国的民族の精神を持った民は、社会全体の反映を期するところは全くなく。
むしろその社会全体から略取する事を民族の優位性の証明として捉え、その活動性を
誇りとしている様に感じてます。
 その民族の優位性の証明と活動性に基づく誇りを心の支えとして、勇気を鼓舞し、
自信を持って生活を楽しむ事に貪欲に奔走する。
 この辺が彼らの本来的生活スタイルであり、実際の所、悦に入っているものと考える
次第であります。

 これはしかし、現実の生活実体としては、必ずしも法治国家、自由民主主義社会の
範疇に納まる生活ではなく、無理に押し込めたままでは、侵略的犯罪被害を積み上げ、
それを加速度的に増殖してしまう帰来が無きにしもあらずと思うのであります。
 現実問題として、それは手段を選ばぬ競争力の発揮と成り、摘発を受けない犯罪で
あれば、これを活溌に活用する性向を具現するものなのであります。
 極論的な例としては、犯罪として摘発を受けない手段があれば、生活競争力として
殺人も容易に選択される、と言う事なのであります。

 しかし、ここに問題とする犯罪の性格は、いわゆる強盗殺人などの犯罪とは全く違う
犯罪であります。それよりも遥かに質が悪いのであります。
 強盗殺人、強盗傷害、こうした犯罪に置ける殺人、傷害は偶発的ある意味に置いては
不測の犯罪であります。しかもその不測の犯罪は強盗という犯罪と言う、 「犯罪性を
偽らずに歴然と標榜した犯罪」であります。
 私がここで問題とする犯罪の性格は、
 「犯罪性を偽り生活者を標榜した競争の手段としての犯罪」
なのであります。
 つまり、生活者としての存在しながら、犯罪により利益を得る事をも経済活動の一端
として認識し、その生活者としての立場を守る為、或いは高い競争力を発揮する為には
殺人も辞さない、と言う生活の中に存在する犯罪なのであります。 当然こうした、
「他国的民族の精神」を持った人間と共存する社会の中に生活者として生きる事は、
危険と被害が付きまとうわけであります。

 ここまで好きに記述すると、
「秋田の社会がいやなら、秋田を出て暮らせばよい。」
と言う非難を浴びそうなのでありますが、ここまで記述すると危険は同じであります。
又どちらが本来的生活権なのであるかと言う問題もあります。
 未成年者の中には、離れたくても離れられない中学生もあります。
又、一旦こうした彼らの的に定められた女子学生等は県外に出ても難を逃れられるもの
では無いと考えるのであります。
 彼らの民族的組織網は都会にも経済活動と同じ位、むしろ大きな組織として存在する
ものと考えるのであります。

 良い年の男性としては、ここで公共の義務の精神を発揮し、頑張れるだけ頑張りたい
と思っている次第であります。
 勘違いが全くない、妄想である可能性は全くないとはもうしません。
 が、表現の自由と共に、「法の下に保証される生活の安全」の為の警察行政、司直
が、効果的にその機能を発揮しているかどうか、国民として一度確認する必要があると
思うのであります。
 その確認とは、
 「犯罪として摘発を受けない殺人手段」
があるかどうか、これを確認する事であると思います。
 つまり、妄想として観念付けられている
 「電波攻撃」
 これが本当に実在し得ない妄想の技術であるかどうかを国民の一人として、皆、知る
べき義務と権利があると思うのであります。
 十三年ほど前には、エックス線照射技術を使った生活テログループの摘発が週刊文秋
等に記載されていた様な気もするのでありますが、ご記憶の方はいないでありましょう
か。その様な記事があったとすれば、私の訴えは、既成事実に基づく犯罪被害の主張で
あります。
 その他にもマイクロ波であれば、電子レンジの全面シールドガラスを取り外し隣の
部屋で、人体に作用があるかどうかの実験でも確認する事が出来ます。
 確かに弱い作用でありながら、低温火傷の様にジワジワと一晩掛けて効いてくる致命
的な傷害を確認できるものと考えます。
 実際自宅の寝室、睡眠確保のため非難する旅館、サウナ、何処までも人を憚らぬ覗き
と揶揄と共に執拗に放射線を浴びせられては、たまりません。
 地位の低い人間なら自由に文句を言えるものの、地位の高い人間にこの様な競争手段
が発揮されては、どうなるものかと言う感じもします。
 ともあれ、その様な競争手段が市民権をもって存在する様な事は、あってはならない
事であり、その可能性を否定する為に、マイクロ波送信器にこの様な作用がない事を
実験により確認する必要があるものと思います。

 自分の体験として、マイクロ波が照射されている時には、その照射してくる方向に
手の平を向けると手の平がピリピリしながら体中の筋肉に痺れを感じます。
 最近になってでありますが、手の平を向けてもあまりピリピリしない事があります。
しかしこの時、手の甲側に体毛を撫でるような感覚が微かに起こる事と体中に強い膨
満感が生じます。
 この感覚はレントゲン撮影などに用いられるエックス線を悪用したものではないかと
思っております。
 マイクロ波と同じ様な機器の悪用による生活テロと考えているのでありますが、自分
としても何故あのような大人しい民族の方達が、これほどまでに執拗に、残虐残忍な
攻撃性を発揮できるものか、理解に苦しむところであります。
 想像を絶する性格であります。

 現在、私は秋田県秋田市仁井田にある二十四時間サウナに睡眠の確保の場を求めて
おります。仮眠室が二カ所あり一晩に幾度か移動しながらの睡眠であります。
 スリルとサスペンスを経験する事を目的とすれば、期待を大きく上回るものを体験
できるかも知れません。
 私自身は口ひげを生やしておりますので直ぐと,知る事が出来ると思いますが、声を
掛けないで頂きたいと思います。
 地元の人間の犯罪に対する無気力、箝口令の了解を彼らは充分認識しておりますが、
外地からの人間に対しての警戒感は強く、追跡と無い筈の「電波攻撃」
を受ける可能性があります。

 識者の検証を頂ければ幸いであります。
 

 
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  2:凸助とは何なのでしょう?

 71   BZU01131  12/18     49  日の丸凸助、何でもくれる/鳩
      瀬下 司      検索キー:スピリット(こころ)

 「日の丸凸助、何でもくれる。

シェイシェイしていれば、日の丸凸助、何でもくれる。」
 これは、夜の間、睡眠を確保する為、サウナに毎日非難するようになってから、
ある日仮眠室の隣の事務所の中から、こぼれる笑いと共に、ヒソヒソ話す会話の中
から、漏れ聞いた言葉であります。
 状況が状況だけに、私には彼らの心の内奥が、この言葉に表されている様に思えた
のであります。

 ラジオのテーマソングとして、全国的に馴染みの深いリズミカルな、しかし意味不明
な言葉が、私にはこれと絡んで、ある一つの心理的作用を意図した策略として浮かんで
きたのでここに残します。
 その言葉とは、
「なんだかチンチン、うふふふふ。」 
  この言葉はその響きによって、なんだか、ある種の人間を揶揄する様な韻の籠もった
印象を心に残す言葉であると考えられるのであります。
 そして、この言葉がラジオのテーマソングとして流される時、どの様な効果を生ずる
か考えてみました。
 すると日本人特有の
 「弱きを助け、強きを挫く。」
と言う、正義心がその種の人間を擁護する様に働き、深層心理として、うっすらと刻み
込まれる。しかもこの事は反復学習を何度も繰り返されるのであります。
 オウムの修行テープの報道で有名になった
 「修行するぞー、修行するぞー。」
と同じ事で、単純な作用では成るが、これは確実に人間の脳に刻み込まれる。
 いわば、本能的に指令される様に、本能的にその衝動を求める様に成ると言う効果が
ここにあるのではないでしょうか。
 「弱き種の人間を助け、弱き種の人間を虐める者を挫く。」
 そしてこの本能的欲求を満たす時、何故か本能的喜びが脊髄を走る。
 その様な効果が、無いと言えるでありましょうか。
 少なくとも、全くないとは言えない様に思えるのであります。

 ではこの様な効果があるとすれば、これを利用しようとする人間は、どの様にすれば
良いのでありましょうか。
 「シェイシェイ」をするのであります。つまり泣く。
 虐められている心象を作り出す。或いは強める。或いは極端に困った様子を醸成
する。この時に自分が差別を強く感じる事を小さく漏らす。
 勿論、間接的な増幅作用として、第三者的場所から、或いは社会運動として人種差別
をなくそうとする日本人の運動を盛んにします。或いは盛んでない事に対する国際的
批判を醸成し、或いは批判を行います。
 すると、国際取引の盛んな大企業の商社に席を置く人間、或いはそうした人間と
交流の深い知識人などから、盛んな運動が起きるわけであります。
  社会的に差別に対する敵愾心、或いは排除を必要とする企業社会。
 社会全体の深層心理に置けるその種の人間に対する助成を欲する本能的作用。
 これに、シェイシェイを使用されるわけであります。

 「シェイシェイ」についてのヒソヒソ話が耳に入る以前に、この言葉の主の方に、
次の提案をした事があります。
ラジオのチンチン言うコピーは、ラジオ放送局に対し止めさせる様
に運動を何時か起こさなければ、いけない。」と言うと、
「とんでもない。」
と言う反応でありました。腑に落ちない事なので疑問の儘、この会話が脳裏に残って
いたのでありますが、この漏れ聞いた言葉を考えてみた時、全ての疑問が氷解し、全て
の仮定が整合性のある現実となって感じられてきたのであります。
 この整合性を持つ仮定を、単なる貧乏人であるがあるが故に、より本心をかいま見せ
てくれるものと思い、敢えて喧嘩口調で、
「弱そうな顔をして日本人の同情心を煽り、その上で、間引きをする様に、寝首を掻く
様に、一人ずつ生活テロ でやっつけてきたんだろう。」
 と意地悪に怒鳴ってみた。すると、
「実力だーぁ。」と言う。
「それでは、犯罪者ではないか。」と言うと、
「冷たい奴。ヒャッケッ。」と言う。
 
 ここで考えてみたい。
 彼らの社会観、判断基準、生活感覚には、日本人のそれとは大きく異なる性質が
ある様に思えるのである。
 犯罪者を犯罪者として捉える。この事に対して、「冷たい。」と捉える感覚に注目
してみたい。
 日本人の感覚としては、犯罪者を捕らえる時、或いはこの犯罪者を裁く時、この治安
活動に対しては、「冷たい」「暖かい」と言う表現は馴染みが薄い。これに当たる表現
としては、「厳しい」「厳しくない」と言う言葉が使用される事が多いと思われる。
 ではこの表現の違いは、何処から来るのであろうか。
 表現をする主体の依拠するところが、犯罪を容認する立場なのではないであろうか。
生活が犯罪を常に活用する生活様式にある場合、自然に犯罪者としての立場からの表現
が用いられる。
 彼ら、他国的民族の精神を持った人間は、犯罪に対して、日本人が持つ交通違反の様
な感覚を持っているのかもしれません。
 つまり、交通違反は一般に多く行われ、取り締まりを受けた日本人の口から出やすい
言葉に「厳しい」と言う言葉の替わりに「冷たい」と言う言葉が用いられる事も場合に
よっては起こり得る事と思えるのである。
 しかし交通違反の場合とて、違反者の口から「冷たい」と言う言葉が出たとしても、
それは違反者が国民としての責任に置いて、ルールと罰則の学習、認識が希薄な場合に
起こる、精神未熟な部分の吐露がジョークとして口からでる程度と考えます。
 ここでこの違反者の口からでる「冷たい」と言う言葉が、ジョークでなく真剣な気持
ちから出た言葉とすれば、どの様な人間性が要因と成っているかを考える必要があると
思われる。

 日本人は、社会が快適である為には、その行政としての活動は合理的な行動規範に
基づいて、的確に仕事を処理してくれる事を本能的に望む。
 これは、生産性向上を常に目指す日本人の本質的な性格と、経済活動の生産性向上は
法秩序の円滑な機能により保証されるものと言う合理的な認識が根底にあるものと考える。
 この日本人の本質的な性格と法秩序に対する認識の有無が「厳しい」と「冷たい」の
表現の違いの原因に成っているように思えるのであります。

 この辺をもう少し掘り下げて考えてみます。
 共産主義の国に置いては、生産競争は本来的には存在しない、計画経済であり、国民
は指示通りに行動する事によって生活が保障されるのであり、他者より高い生産性を
上げてもそれが生活には反映されないのであります。  
 これは市民生活者にとっては、生産性向上を求める性格を萎縮、或いは否定させる
生活環境と言う事が出来るものと思われるのであります。
 これに従い市民生活にとって、生産性向上の為に法秩序の円滑な実施を求める欲求が
希薄に成り、共産主義の国に置ける法秩序とは、市民生活の上での必要と言うより、
指導者、支配者階級の立場に置いて、他国との比較と言う見地から求められる経済成長
の為に必要とされ、存在していると捉える事が出来るものと考える。
 つまり、その社会に生きる生活者にとって、法秩序は権力者の権力を象徴するものに
過ぎず、生活者が必要として出来たものではなく、権力者の略取を目的とし、権力者の
エゴで作られ、権力者の為に存在する、と言う認識が醸成される環境にあると思えるの
であります。

 次ぎに、競争原理の認識についても日本との違いを感じるのであります。
 法の存在意義が市民生活者の経済活動に必要なものであればこそ、国民全体の議論を
経て比較的公平に形成され、国民全体にとって必要な形態の法秩序が固定され、国民
全体に尊重の意思とその必要性を意識する認識が形成される。
 が、これが共産主義社会の様にその法秩序が、指導者、支配階級の国際的経済成長
競争をその存在意義とする時、市民生活者のレベルに置いては様々な不公平が生じる
事は必須であると思える。
 社会全体による議論が充分自由に行われないからであります。
 するとどの様な社会的現象結果が生ずると考えられるでありましょうか。
 国民それぞれにとって不公平が生じ、国民全体にとっては不必要な法秩序が指導者の
意志に連動し変化し易くなり、国民全体にとって他人のエゴとしての存在性とその存在
の不必要を意識する認識が形成される。
 つまり、共産主義思想の人間社会では、法秩序は必要条件としては存在せず、法秩序
を実施する国にとっても十分条件な条件を満たしていないと言えると思うのです。

 次ぎにこうした論を前提として、共産主義社会の国では、法的にはどの様な現象が
起きるか考えてみます。
 不公平を取り戻そうとする競争意識は、変化しやすい法やこれを実施する役人に対し
て、自分に都合のよう方向への変化を個人的に求め、個人的に強く働きかける。
 日本の社会の感覚で行くと、不心得な一部の人間により官民癒着構造を作り上げ、
時に贈収賄事件を引き起こす。動機とプロセスに置いてはこれと同じ事が全国民の共通
の概念となり、その為の競争社会の形態が自然発生的に醸成される。 しかも、本質的
に法に対する軽視は犯罪に対する裁きを逃れる為にもその競争力が発揮されるに至ると
思います。
 何故かと言うと、国民には不要な拘束であり、情勢の変化により指導者、支配者階級
の判断で容易に変えられる法に対しては、その法に従う事にも従わせる当事者にも心理
的、実務的、困難があり、国民としては法の実施による摘発を逃れる技術を洗練する方
が、より容易で、効果的に利益誘導を計れるからであります。
 又国民としても、分かり易く、容易に行える事であれば、そこに競争原理が働く事は、理解
し易い事と思えるのであります。
 日本の自由市場経済社会に置いては、生産した所有物の中から行われる寄付行為や
余暇の時間に繰り出されるボランティア活動が、いわゆる「暖かい」行為になります。
 しかし他国的民族の精神の社会、いわゆる共産体制下の社会の中では、その「暖か
い」人情が発揮される事として、法の取り締まりの手から逃れさせる事や裁きを軽減
する事がその位置に入れ替わるのではないでしょうか。

 この違いを例えれば、福祉行政から百歳の誕生祝い金を受け取った時、日本人の老人
は日本の制度に感謝し、共産主義社会ではその金を持ってくるお役人に感謝するので
あります。
 例えれば、犯罪を摘発され裁かれた時、日本人は自分の罪を悔いるのでありますが、
共産主義社会では自分を摘発した警察官を「冷たい奴。」と言って恨むのであります。
 例えれば、犯罪を行い摘発を逃れている時、日本人は他の法秩序を守り生活する人間
社会を維持する程度のコントロールを自分に科し、法秩序を破壊し、全国民に恨まれる
事の無い様に注意を配るのであります。
 一方、他国的民族の精神を持った人間、いわゆる共産主義社会に置ける人間は、
「実力だぁー」と言う事になると思うのであります。
 全国民的批判に対抗する根拠としては、
 「自分達は実力を発揮しているだけだ。自由競争社会なのだから。」
 「自分にも出来ると思ったら、同じ様にやればよい。」 
 「自分達は、自由民主主義社会に対して徹底抗戦で戦う義務を持っている。」
と言う事になるのでは無いのでありましょうか。

 私として、彼らに申し上げたい事は、次の如くになります。
 「一部の利益の為に、法治国家の社会の快適さを放棄する事は出来ない。」
 「犯罪手段を行使する人間を高く評価し、日本人にその犠牲を求める事は出来ない。」 
「日本人にとっては、法律は価値のある存在だ。」
 加えて申し上げるとすれば、
 「日本の国は庶民の一人一人が法の下に生活の安全を保証される事によって、
  経済も文化も発展してきたのだ。」
 「自分達の社会の指導者の判断を日本の法より優先するものとして生活をした
  ければ、自分達の祖国に帰って生活をすれば良い。」
 「日本は個人の生活と権利を尊重しながら発展する事を求める国だから。」

 最後に、本質的に社会観念の違う人間が生活する国際化時代の中、その競争観念の違い
による訴えを起こし難い犯罪犠牲者が発生すると言う事は、充分あり得る事と考えます。 
その様になる危険性を社会の中に孕む時代にあって、凶器と成り得る品々にはより
危機管理体制的意識を持って注意の目を配り、管理する必要があるものと思います。
 例えば、電子レンジの全面シールドガラスを取り外し、焦点を合わせる様に二台、
三台でマイクロ波を人体に向ける等の手口にも注意を必要と思います。
 電子レンジよりも地震対策用マイクロ波送信器ユニットには、凶器認定に近い様な、
或いは猟銃に近い様な管理を関係当局の方にお願いしたいと思います。
 十三年ほど前には、週刊現代や週刊文秋にエックス線を悪用した生活テロについての
記事が掲載されていた様に記憶しております。その記事の内容には民族的生活テロ組織
の存在が背後に感じられるとの内容があったと思いますが、識者の検証を頂ければ幸い
に存じます。  
 私としては、その民族的生活テロ組織の存在を実感する毎日であります。
 

 

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3:2月の瀬下様は素晴らしかったです。
 

431   BZU01131   2/12    303  電波を覚えた鬼畜土民/鳩
      瀬下 司      検索キー:スピリット(こころ)

 電波を覚えた鬼畜土民

 日本人が、電波各種を知っても、それを平和目的に使用する事しか考えないと思います。
 何かの作用や作用を及ぼす道具を見た時、如何にこれを生産的に使用するかに思考を集中する
のであります。これは、最も生産性の高い民族であり、道徳観念の高い民族であり、強い使命感を有する
精神文化を有している為と考えます。
 マイクロ波の発熱作用を利用した電子レンジは、日本でも1961年、東芝により第一号器が出来ましたが、
1970年に電波漏洩問題がでてから、性能の高い全面シールドガラスを研究開発し、現在では完全な
シールドガラスに成っております。
 これに対し、最も生産性が低く、道徳観念の低い民族であり、全く使命感を有しない鬼畜土民的精神を
有する民族が存在した場合、如何なる使用が考えられるでしょうか。
 その顕著な現象結果を秋田県社会に見る事が出来ると思います。
 ここには人間社会としては、考えられない現象が露呈されているのです。
 
 6000ワットの出力を持つ地震対策用マイクロ波通信器ユニット等の電波製品を脅迫集団レイプと
資産獲得の為の道具として悪用する事を覚えたのです。三万六千キロの静止衛星に向けて送信する時に
使用するパラボナアンテナを使い、人間のいる居室に向けて送信する事を覚えてしまったのです。
 何しろ、百メートル位の距離であれば、ほぼ一定の半径でその作用が伝搬されるのであります。
  サーチライトと同じ様にです。
  実際に、遠くから照準を合わせて設置する時には、小さいサーチライトを使用する様であります。
 
 勿論、人間が調理される程の発熱作用や電気的作用はありません。
  ま、しかし、実際試して見れば分かります。
 堪りません。
 
何しろ電波ですから、ゼロに近い電流ですが、出力が出力でありますから、やっぱりかなりなもの
なのであります。やっぱり、心臓に疾患のある人であれば、数分で死亡するだけのショックはあります。
 私は、お医者さんに類い希な丈夫な心臓と太鼓判を押された時がありますが、ゆっくりと強く、心臓の
筋肉が痙攣した時は、生きた心地がしませんでした。
 メーカーの方に伺いましたところ、やっぱりそうした破壊力がある製品であるとも確認が取れました。
 その係長のお話では、手のひらが一番察知しやすい敏感な部分と言う事でしたが、一番強い時には
この手のひらが、バチバチと言う感じで痛く成ります。
 三方から焦点を合わせる様にして、大きな出力で受けた時には、全身の筋肉が痙攣して動く事も、
殆ど出来ない時がありました。
 どんなに強くとも、一分以内に十メートル以上移動すれば、死なないと言う事を聞いていたので
なんとか張って移動して難を逃れた次第であります。

 私のこうした奇異な経験が起こる二ヶ月位前に、斜め向かいの移民系住人の作業小屋に、この辺では
見慣れない、大きな送信用パラボナアンテナや通信機器運搬用トラジットケース等が運び込まれ、それから
間もないある朝7時頃、土建会社の若社長が早出をして、一人で私の家から二百メートル位離れた川岸で、
建設重機を動かしていて、重機の中で心不全で死亡する、と言う事がありました。
 その時、その作業小屋の中からは、妙に鼻息を荒げた女性の声が漏れていました。
 「テスト、テスト、テストだ。」
 「苦しめ、苦しめ。うふふふふ。」
 「あれ、動かなくなったぞ。おい、どうしたんだ。」
 「死んだんじゃないのか。」
 「俺の家じゃ無いぞ。昌弘のおっきな機械が殺したんだぁ。」
 「黙っていろ。誰にもわからねぇ。」 
 こうした事のある少し前から、他人の家を覗き込んで、始終揶揄を飛ばす為に作業小屋を改造し、
隣の同じ移民系住人の親子が入り浸っている状態が始まり、
 「一体何を考えてるんだか。」
と、訝(いぶか)しんでいたのですが、マイクロ波の破壊力なんぞ念頭に全くなかったもので、この時にも、
 「何の騒ぎやら。」
 と呑気に考えていたのであります。
 が、前述の通りの災難が我が身に降りかかり、たまげた時、
 「これで殺されたんだ。」
  「今までも何人も数知れず殺されてきたんだ。」
と直感しました。
 そして以前の仕事から、それがマイクロ波の破壊力である事を思いだし、東京に行きメーカーの方に
確認をしてみたところ、行政として流通を全く管理していない事と、東京放送キー局の紹介状で破壊団体らしき
集団に大量に横流しされている事を聞き、悪質な犯罪である事を確信した次第であります。

 ここまで来ると、依然幾つも、耳に入れた奇異な犯罪らしき噂話が真実に思えてきたのです。
 何しろ、一般社会には縁のない大きな出力の電波です。
 その破壊力があるもないも、大きいも小さいも、全く考える必要のない電波です。
 これに対し、最も生産性が低く、道徳観念の低い民族であり、全く使命感を有しない鬼畜土民的精神を
有する民族が存在した場合、如何なる悪用が考えられるでしょうか。
  密かに、破壊団体的行為に悪用する選択をする事は、早かったと思います。
  何しろ思う様、他人に対し、電気的作用で苦痛を与える事が出来るのです。
 心臓の弱い人間に対しては、これを殺す事もでき、心臓が丈夫でも、人口の電気的作用の痙攣により、
心身共に疲労こんばいの極地に追い込む事が出来るのであります。
 被害者が犯罪被害と気づかず、病院に入院すると、第一塩化カリウムを注射してから隣の部屋等から
マイクロ波を浴びせ、死に至らしめると言う事であります。

 私は試しに、自分の被害を地元の警察所に訴え出てみました。すると、
 「それは警察の仕事でないから、病院に行け。」
との答えでありました。
 こうした状態が続けば、どの様な結果が現れるでしょうか。
 警察が職務を執行しない暴行手段を鬼畜土民的精神を持った破壊団体が覚えてしまったんです。
 山間の新築の公民館で、ロリコンアダルトビデオを作っていると言うのです。
 その様な商品案内の看板を見た事がありますが、全国のそうした商品の内、大半は、私ども県内の日本人の
小学生や中学生がマイクロ波等を使用した暴行に依る極限の疲労と絶望感、さらなる暴行を至らしめるとする
脅迫が、平和な家庭に仕掛けられ、そうした犠牲により生産されている事を、他県の方々にはご承知置き
頂きたいと思います。

 その他にも、彼ら土民民族の性欲は飽く事を知らず、
 「誰の家の娘でも手掴みぃ。」
等と、その意気込みが、口から多々漏れ聞かれるほどであります。
  が、誰も手出しは出来ない有様です。
 何しろ、警察が職務を執行しない暴行手段であります。
 一般市民が緊急逮捕してみたところで、検察庁も職務を執行しない事が予測されます。
 逆にこちらが犯罪者にされてしまいます。手の出し様がありません。
 皆さんの警察署は如何でしょうか。
 日本は、国家警察がない国ですので、地元の警察の能力を越える破壊団体的犯罪がまかり
越した時には、一般国民はその軍門に下るより無い感じであります。
 訴えるところがないから、仕方ない感じです。
 ただ、現在はこうした素人でも全国的連絡手段がありますので、国民の一人として、他の国民に、
この様な状態を拙文ながら御報告する事を義務と考え、選択した次第です。

 こうした鬼畜土民的犯罪を展開している者達の口からは、時折、
 「お前達も三国人に同じ事をしただろう。」
と言う言葉がこぼれてくるのですが、これに対して日本の国民の一人として思います。
 「では、その時の日本人が「帰れ。」と言われた様に、あなた方も「帰れ。」と言われなければならない。」
 当に、同じ事をされたのですから、同じ事を言い返さなければならないと思うのです。 世界分割とその後
の調整、世界の国々が秩序を模索しながら、熾烈なにらみ合いをしている時、彼らはいかほどにその情勢
を見極め、優れた判断と優れた秩序を持って国を維持していたと言うのでしょうか。
 
 鬼畜土民的犯罪をアジアに展開し、アジアに力による威令を誇示していたのは彼らの祖先の清国
ではなかったでしょうか。嗜虐的で猟奇的な性犯罪性を、この世界平和の時代の日本の中に開陳しな
がら、自分達の過去の歴史を認識に置かず、他国の行為による損害だけを拡大視する事は、あまりにも
卑しい欺瞞であったと思います。
 現在の国連でも出来ない国作りの土台を今の北朝鮮依り遅れた国に成しえた日本は、大きな功績を
持つ国との自己評価が求められるのではないでしょうか。
 しかも、当時の西欧の植民地政策が無く、現在の国連の機能があれば、日本の大陸侵攻はなかったと思います。
 アメリカの要請がなければ、軍隊派遣はなかったのです。
 あまりにも、嗜虐的犯罪土民の国に、一旦手を掛けた以上、日本としては後に引けなくなった歯車の
狂いが、日本を太平洋戦争突入に追い込んだと思います。
 知的レベルは同じ程度としても従軍慰安婦等を捏造しなかった三国以外のアジア諸国の方が、
素晴らしいと思います。

 電波の悪用で、再び清国の様な国をこの現代に展開しようとしている彼らは、いわば
生活者ゲリラです。日本のヤクザでも、昼間は真面目な役場の臨時職員で夜や土日はヤクザをする
と言う人間はいなかったと思います。
 しかし、彼らはそれが、日常生活なのです。
 最も卑劣な、高出力のマイクロ波等を人体に浴びせる、スピーカー取り付け型トランシーバー受信
回路を他人の生活用品に取り付け、ストーカー的に脅迫をする、これを日常生活の楽しみとし、生活向上
のための手段としているのです。
 頭の髪の毛の上半分を白くするほど、脱色効果のある発酵水を飲み付け、桜色の肌で品の良い人の
様に構えながら、
 「演説を打つのは止めろ。サンタが来るぞ。」
 「スコーピオンが来るぞ。」
等と彼らは呟く。
 こうした彼らに対しては、生活者ゲリラ、と呼び分ける他ないと思います。
 
 識者の検証をお願いします。
 有り難う御座いました。

       
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4:リクエスト第1弾。

163   BZU01131   6/29    740  在日二世から盗聴され、精神的に苦痛/鳩
      瀬下 司      検索キー:スピリット(こころ)

  在日二世から盗聴され、精神的苦痛

  朝鮮高中学校を出た韓国人二世の、受信回路を備えた盗聴器を使用した盗聴活動とストーカー
行為に依って、大変な精神的苦痛を受け、放射線発生器を使用した個人的テロ行為
によって、肉体的な苦痛を受けています。
 受信回路、と言っても通常、日本人の生活には縁の無いものですが、東京秋葉原の電気街に行くと、
小指ぐらいの大きさの回路が二千円位で、バラ山で売っているのです。
 これを盗聴器にくっつけると言うと、セットのトランシーバーから送る声が盗聴器をスピーカーの如くに
作用させて音声を強制的に、相手に聞かせる事が出来る、と言うものです。
 通常、その様な細工を他人の電化製品や車等に手間暇を掛けて仕掛ける事は必要無いのですが、
まぁ、人によってはかなりの目的を果たす事が出来る、と言う事であると思います。

 秋田の社会に生活していると分かるのですが、そうした行為が民族的な支配欲によって、
社会の全ての人間の動向を管理する程の、規模と意欲を持って、そうした行為の行われる可能性が
有った、と言う事であると思います。
 当に、その行為を行い得る行動力が、民族的な優位性を証明する事で有るかの様に、自負心と誇りを持って。
 その社会と言う範疇は、秋田県と言う、中央から最も距離感のある自治体に限られた問題では無いと思います。
 彼等に依る被害を単純労働者の人間が捉え、広く社会に告発したとしても、殆ど社会的反応が起こらない
程でありますから、日本全国至る所で、かなりの密度で、同様の行為が進行しているのではないでしょうか。
 
 こうした問題に対する反応としては、日本が最も被害が広がりやすい宿命的な国民性を持っていた、
と言えるかも知れません。
 私の言う国民性とは、自分達が善良であり、善良さ故に他者をも同様に善良な人間として認識
する為、他者が悪意を持ってある行為を行っている時に、なかなかその悪意に基づいた行為を捉え
難い、と言う事であります。
 「その人種、あの人達は、自分達より善良で、悪意に基づいた行動をする筈が有りません。」
 大凡、こうした反応しか得られない、と思います。
 現在までの秋田県人の様に。
 そして、現在までの日本人の様に。 

 一体いつまで、続けられるものか。
 これを考えると、如何に生活、人生が無駄に消費されてしまう事かと嘆きに堪えません。
 嘆きに堪え無いどころか放射線発生装置を悪用し、体がまともに痺れ、痙攣する程の、時折の
強い作用を考える時、いつまで生きられるものかさえ、殆ど当てが無い、と言えると思います。

  殺害をされる不安感に付いては、日頃、掲示してきましたので、今日当たりは生活、人生が無駄
に消費されてしまった事、現在それが続いている事の苦痛について考えてみたいと思います。
 放射線発生装置に依る作用を感じ、メーカー等の方から、こうした機器に纏(まつ)わる事情を
教えて頂き、ハッキリとそうした機器に依る犯罪行為と認識する事が出来てから一年と四ヶ月位経ちます。
 この間、殺害される不安感が高まった時に、思い切ってこの掲示板に記述させて頂いて来ました。
 中間の半年間の掲示の中止は、小康状態になり、書き込みの気力が衰えた時であります。
 
 こうした放射線障害をハッキリと認識する様になる一年程前から、時折、腸や手足に異常な痙攣
感じる事は有ったのであります。
 放射線発生装置を悪用した行為に依る被害に関しては、記述した通りであります。
 で、冒頭に申し上げた様に、放射線発生装置を悪用した行為による被害だけでは無いのであります。
 品物や原理について、業者の方から聞いて、以外に現実の行為として行い得ると言う確認が出来
ているので、公言できるのですが、彼等に依る被害に一旦填り込むと、前哨戦の様に、他の形の
被害を受けるのであります。

 何かと言うと、自分の乗用車のスピーカーが、何故かトランシーバーの受信器に成った様に、
自分を野次る他人の声を聞かされる、と言う被害が生まれるのです。
 こうした現象は、後でメーカーの方に伺ったところ、本物のトランシーバー一台と、これとセットに
なっている小指程の大きさの、受信回路をスピーカーの線に繋げる、と言う行為によって、意外と
簡単に出来る事で有る、と、後で知る事が出来ました。
 であるので、現在は、そうした被害をも受けている、と楽に言えるのですが、精神的苦痛と言うと、
大変なものであります。

 共産党の方が警察行政の方から盗聴器を取り付けられ、プライバシーの侵害により、大変な
精神的苦痛を受けた、と言う事で高等裁判所で四百万円以上の損害賠償が警察当局者としての
県に支払いが命じられた、と言う事であります。 
 で、この記事を何気なく目にして、端と思い付いたのであります。 なんしろ、自分も
大変な精神的苦痛を受けている
、と言う事で有ります。
 放射線発生装置を悪用した個人に対するテロ行為だけで、命からがら面食らいっぱなしで
忘れていた様な感も有るのですが、精神的苦痛、と言えばこの形の被害の場合大変な
ものがあります。
 精神的苦痛と言う事でも、共産党の方に関しては、単に自分の声を聞き込まれていて、
その事を後で気付いて、
精神的ショックを受けた、と言う事です。 
 私なんぞは、と言うより、秋田県内の生活者の殆ど、その他日本全国に置ける同様の被害者
に関しては、自分が盗聴されている、と言うところを毎日意識しながらの生活を余儀なくされているのです。
 
 何しろ、盗聴器に受信回路を取り付ける、と言う設計の品物を、ここ一番と言う感じで勝負付か
れると、有りとあらゆる物体、至る所に仕掛けられ、こちらの言葉を拾っては、効果的に不愉快に
させる野次を行って来るのです。
 日本人がストーカーと言うと、恋愛ものか何かの様に柔らかい印象を浮かべますが、彼等の
それは、まるで戦争です。
 被害者の体は、まぁ、自由に歩き回れるのですが、四六時中、彼等の不愉快な言葉を耳に
浴びせられるわけです。
 まるで、取調室で毎日しごかれている様な、と言える程の精神的苦痛であります。
 大概の現代人は、降参するしかないと思います。
 殊に平和国家の感覚そのままの日本の社会の中では、こうした手段、電気製品が有ると言う
認識が一般には無く、身近な友人にさえ、その被害を伝える事が難しいのですから。 
これだけでも、大変な破壊力があると思います。
 
 私の場合は如何かと言うと、元来この通り、他人がどう思おうと関係なく、有るものはある、
無いものはない、と言い張る性分であり、それと彼等中国人や韓国人の行いの様に、フェアー
プレーとは懸け離れた、卑劣卑怯、非道猟奇な行いが死んでも嫌いであると言うところが、
ここまで粘らせているのであります。
 では、秋田県内の他の日本人は、彼等の猟奇的生活風俗に抵抗無く溺れて行くのかと言うと、
全然その様な人間性ではなく、父が娘の命と、取りあえずは顔の形が歪められない様にと、
そして娘が父を庇う様に、思い通りにされているだけなのであります。
 思い通りにされる被害には至らずとも、近所にそうした気配を感じた時に、何の助成も行い
得ないでいるのは、そうした事と同じ理由が有るからです。
 
 日本人に対して、一旦彼等の攻撃が始まると、大変なものです。
 大変効果的な脅迫が与えられるのです。
 初めは、思いもしない事なので、自分の耳を疑い、次にあまりの反社会的行為でありますので、
簡単に解決されるものと高を括(くく)っているのですが、やがて間もなく、打ちのめされます。
 日本人としては、自分には、何の抵抗手段も無い事を思い知らされるからです。
 そして彼等の優位性が並べ立てられ、日本人の劣性が並べ立てられるのです。
 その一つとして、背の高さ、組織力、こうした点に置ける揶揄が何の意味があるかと思える程、
連呼されるのです。ちょうど子供の遊技として行われる「花一匁」の掛け声の様に。
 「こびと民族の日本人が抵抗しても、さざ波程度で終わりだぁ。
 「こびと、こびと。
 「さざ波、さざ波。」 
 こんな感じです。
 
 初めは、やられている方としても、意味が良く分からないので、
 「何なんだろう、これは。」
と言う感じなのですが、ハングル語風としても広東語風としても、同じ言葉なのでありますから、
やはり繰り返しを継続されると、以心伝心で意味が理解されて来ます。

 次には暴力的強さ、闇社会的破壊力、こうした威力が誇示されます。
 「日本人が破壊工作って分かるか。」
  「お前らに何ができる。殺されるどぉ。」
 「お前に誰が、「付く。」と言うんだぁ。諦めろぉ。」
 こんな感じです。
 さらには、政治的危機管理体制を持たない民族としての劣性が解かれたり、一
般社会に置ける認識の陥穽が指摘されるのです。
 「何もない日本の国が悪いべぇ。」
 「弱い日本人が悪い。」
 「何言っても日本人は分からないべぇ。諦めろぉ。」
 こんな感じです。

 こんな人間達は刑務所に入れて、出すべきでない、と思います。
 日本の警察能力を遥かに凌ぐ犯罪を行う能力を発揮し、しかも、その目的は単に
利益を獲るところに留まらず、基本的人権を蹂躙する所に楽しみを捉え、日本の憲法が
存在しないかの様に社会を変革させる行為を行っているのですから。
 その被害は少なくとも、一つの自治体を武力制圧でも行い得たかの様な、実権を行使
するに至っているのですから。
 実状に関しては、他の秋田県人にお聞き下さい。
 他の地域での被害についても、相当なものであると思います。
 個人的な犯罪責任が小さな場合でも、彼等の性格そのものが侵略的願望に根付い
ている事は確かなのだから、是非、比較的長い間、刑務所から出さない様に配慮して
頂きたいものだと感じます。

 それと、更に、この機会に思い切って他人の目に(耳に)入れて置きたい、と言う事が有ります。
 実は、彼等は他人の考えている事を読みとるのです。
 ま、私の考えている事が読みとられ、
 「お前は今、こんな言葉を頭に浮かべたな。」
と言う感じで、私が頭に浮かべた言葉をオウム返しか、ハモる様に、声に出して揶揄して来るのです。
 もう一度、言うと、彼等は私の考えている言葉を、読みとってしまうんです。 
 「それ見た事か、やっぱり正体を現したな!。」
 ま、大概の方は、その様にお怒りになります。
 ですが、今少し落ち着いて、寛容にあって頂きたい、と思うのです。
 過去に置いて、その様な事を研究した人間がいなかったかどうか、と言う事です。
 私の記憶では1970年代に、七、八年程の年月を掛けて旧ソ連の科学アカデミーと言うと
ころで、相当多額の予算を掛けて、放射線を使った読心術の研究が行われている、と言う真面目な
報道が有ったと思います。
 それと、日本国内に置いては、サイバースコープと言って、人間の頭から外側一メートル位の所まで
発生するアルファー波と言う超微弱な電磁波の一種を使い、検診を受けている人間が目で見ている像を、
どの程度映像として脳が捉えているかを検査する精密機器があったと思うのです。
 電磁波断層診断装置に変わる次世代の装置として注目されている、と言う事ですが、当面は痴呆症
の検診に使われる、と言う事を記事で読んだ時があります。
 映像が取り出せる位なら、音声が取り出せても良い、と思います。
 
 もしかすると、キャスパーと呼ばれる商品名で、音声と共に、微弱な出力の放射線灯の及ぶ範囲で
アルファー波を他人に伝える構内連絡用拡声器の存在も、ご確認頂けるかも知れません。
 私の拙文をキチガイの作として削除する前に、どうか、その様な現実が無いかどうか、検証して
頂きたいと思います。ま、それを思わせる技術製品は幾つか有る、と言う事であります。
 一概に否定できる問題では無い、と言う事だと思います。
 
 どの様な人間に対しても、簡単に考えている言葉を読みとれるか、と言うと、そうでは無いと
言う確信も、私には有ります。
 何故ならば、この放射線のテロを明確に意識する様になったのは一年と四ヶ月位前からですが、
隣の建物に置かれ、見張りに付けられていた不登校の子供が、私が頭に浮かべた言葉を見事的中
させたのは、今から四ヶ月位前であります。
 彼等は、親子共々並大抵の喜び様ではありませんでした。
 そうした喜び様から考えて、一朝一夕には行かないものであろう事が想像できます。
 そして、もしかすると、被験者が死ぬ程苦しむ程に、一年間の間、毎晩マイクロ波を浴びせられ、
体の電荷が通常の人間よりかなり上がった状態から、更にガンマー線を死ぬ程浴びせる時に、
そのガンマー線の発信元の側にいる人間の脳が、放射線の及ぶ範囲にいる、電荷の高い人間の
アルファー波を検知出来る、と言う事であるかも知れません。
 尤も、被害者としての私の体の電荷を上げる一年程の間、隣の建物に潜む子供も、かなり苦し
そうな声を上げる時がありましたから、アルファー波を読みとられる方も読みとる方も、共に体の
電荷を上げていなければいけない、と言う事かも知れません。
 
 もし、科学アカデミーの読心術の研究結果を閲覧出来る方がいれば、かくの如くの内容で
無かったかを、御検証頂ければ幸いです。
 ま、いずれにしろ、日本の社会、日本人には用の無い技術ではあります。
 用が無い事であるからと言って、済まない事も有る、と言う事を思い知らされた次第で有ります。
 遊び心としてでも、誰かが、こうした技術に関する話を公言しなければ、大きな危険が発生する、
と言う事であるかも知れません。
 政治的意味を持った地下破壊活動として、或いは性犯罪的目的を持った組織的恐喝として、
ストーカーの様に付きまといながら使われたのでは、被害が何処までも広がる、と思うのです。
 なんしろこの読心術、精神と肉体の両方に、効果的に苦痛を与えますから。
 
 こんなものを使って、日本人社会を真面目に支配する気になっている、或いは既に支配して
いる気になっていて、相当の被害を与えている彼等は、刑務所に入れられて二度と出て来る
様な事が無い様にして頂きたいと思います。
 勿論、親戚縁者を辿って、祖国に帰る、と言うので有れば、自由で構いません。
 毎日仮眠を取るのがやっと、余裕がないので、仕事にも充実感が持てない、こんな暮らし
では、中国人韓国人を追い出す為に内戦がある、と言う事でも有れば、真っ先に呼んで欲しい、
と言う気分です。
 ま、男なら、このくらいですが、女の子に置いては想像を絶する惨たらしい事が有る様なので、
そこの辺が私の踏ん張りの効くところであります。
  全く、彼等には出ていって貰いたい、と感じます。
 彼等と生存競争をするつもりで、難民受け入れに賛意を持ったものでもなく、彼等の人権の
平等を認める気持ちに成ったのでも有りません。
 餓死者が出て大変であるので居住地を分けて欲しい、と言うので現在に至っていると思うのです。
 土民的競争感覚で日本人に生存競争を仕掛けて来るので有れば、日本の国から出て
行って貰いたい、と言う気持ちでいっぱいです。 

 そうした言葉を頭に思い浮かべると、
 「殺されるー、殺されるー。」
と言う感じで、揶揄が飛んで来るのですが、余裕綽々(しゃくしゃく)の気持ちからでも本心と
しての言葉であっても同じであると思います。
 強姦と陵辱と拷問と殺人の山、山、彼等は間違いなく侵略戦争行為を行っていると思います。
 上辺の温厚さで日本人社会を欺きながら。
 戦争を始めたのは彼等です。
 出ていって貰いたいと言う私の気持ちに変わりはありません。

 猟奇的欲求、そうした欲求に基づく他人に対する支配欲に満ちた社会、そうした性質を持った
社会の宿命として飢餓に苦しむ国が少し前まであった、としても、そうした隣国が存在すると言う
事を原因として日本の国内の日本人の生活、人生、命が犠牲にならなければいけない、と言う
理屈は無い、と思います。

 重ねて、私がここに記述した文章は、真剣な気持ちで記述したものです。 
 これまでの掲示と会わせて、殆ど社会に告げるべき内容は告げ尽くした様に感じます。 
一重に、興味をお感じ頂き、お読み頂いている方々がおられたお陰であると思っております。
 ここで深く感謝申し上げます。
 有り難う御座いました。

 拙文ではありますが、こうした媒体で社会に訴えようとしていながら、その思いを達せられないで
亡くなった若者がおりましたが、一つには、その若者の分まで頑張ってこれた自分で有る事に
満足しています。この後も拙文は継続して行きたいと思います。
  最近は飛び跳ねるほどの強さの放射線は受けませんが、コンスタントに浴びせられます。
 心臓と頭の脳が、少しずつ蒸し焼きにされている感じです。
 ま、頑張れるところまで頑張りたいと思っております。
 日本人に生まれたのであるから、しようが無いと思います。

 お読み頂き、有り難う御座いました。
 

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        5:鳩様ホームページ開設の辞
 

166   BZU01131  10/21    240  ホームページ開設のご挨拶/鳩
      瀬下 司      検索キー:スピリット(こころ)

   ホームページ開設のご挨拶。

 一ヶ月程、掲示をお休みさせて頂いて居りました。
 理由は差別発言とのご批判に対して、有る程度の配慮を示すべきと感じたからです。
 しかし、秋田県に見られる闇社会的進行は深まるばかりで有ります。
 ますます、既得権的に性、資産、地位が、平和な生活者の手から奪われて行く日々で
す。 その状況に有って、日本人は何の抵抗をする手段も持たず、告発や批判を行う事さえ出来ない
状況です。さながら、彼らに占拠されつつ有る状況に有ります。
 上辺は平静を装う事が絶対的に求められる条件でも有り、日本人の心は、弄ばれる程に歪められて
行く様で有ります。
 
 男として、この状況に有って何もしないでいる事が理性的で有るのかどうか、大変難しいところで有ります。
 殊に、私は不幸にして独身ですから。
 キリストで有れば、相手が求めるだけ与える選択をするかも知れません。
 しかし、私にはその様な観念の中にも例外が有る様な気がするので有ります。
 キリストは、蛇の様に用心深く、人の知る所を選んで、尊い命を犠牲にされました。
 今、秋田県内の日本人の犠牲は、上辺を平和な生活者を装った者達に依って、平和な社会を装いながら、
積み上げられているのです。
 私はその条件に置いて、その犠牲を知りながら、目して語らない事を信仰とは思えません。
 男らしさとも思えません。
 人権を尊重する人間の判断とも思えません。
 
 大凡、中国人韓国人を前にして、人権問題に置ける議論をする時教えを請う必要を感じません。
 まして、白幸水なる麻薬を常飲する事に依って、日本人と同じ肌の色を保ち、民族的背景を偽る様に、
日本人名を取得し日本人名を名乗っている方に、教えを請う必要を感じません。
 それは、本能的に所有されている蛇の様な用心深さ、と言えるかも知れません。
 北朝鮮人系の居住者の方は、殆ど北朝鮮系の名前を通して名乗って来て居ります。
 ブラジル系の方もフィリピン系の方も、彼ら中国系韓国系の方々の、これまでの人権的活動には、
今にして思えば、戦争破壊工作的思惑を感じます。
 彼らの軍事的破壊行為を知っている人間にしてみれば、鳥肌の立つ思いと共に、慚愧の念に耐えない
ばかりで有ります。
 
 しかし、私の求める検証を行う時間的余裕の無い方々にしてみれば、私の主張は荒唐無稽な主張の
様に思えるとも感じられたので有ります。
 その思いに至ると、自分の熱意も冷めた感じのする今日この頃です。
 さりとて又、何もしないでもいられないのが私の性分、或いは魂、と言うものだと思います。
 飽きやすい自分の性分から、ホームページと言う新種のジャンルに思い至ったので有ります。
 日本人と日本人社会全体を欺き続ける彼らに、何とか一矢でも、と言う思いで有ります。
 そして、これまで幾人も、私にその悲痛の思いを伝えてくれた方々に答える為、さらにはこれから被害を
受ける方々が、何が自分の身に起こっているのか、自分に襲いかかっている人間の集団に付いて知る為の
足がかりにでもして頂ければ、と言う思いで有ります。
 まだ、インターネットプロバイダーとの契約をされていない方々には、生活防衛の一つの手段としても、
ご契約される事をお勧めして良いかと思われます。
 現在は、殆どのプロバイダーの料金は安くなり、一月二千円で十五時間です。
 このニフティー社でも、近く同じになるのでは無いでしょうか。
 何処も画面がグラビアみたいです。
 私のホームページURLは、
 http://www2.justnet.ne.jp/~hato/
で有ります。
 実はまだまだ、練習中で有ります。
 タイトルの部分が、ちゃんと画面に出てくれないので困っています。
 今のところ打開策が無く、それでも幾らか手管を探っている、と言う所で有ります。
 未完成で有って何故、冒険的な自己紹介を行うかと言いますと、やはりあれで有りま
す。
 最近富みに又、強く攻められる夜が有り、いつポックリとやられてしまうかも知れないと言う状況で
有りますので、とりあえずアップして置く、と言う始末です。
 
 御覧頂ければ幸いです。
 では、これで失礼いたします。
 お読み頂き、有り難う御座いました。
 
 

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 6:お釈迦様は殺されたそうです



  BZU01131 12/19 中国人脅威論と日本人の人格権の保証/鳩
瀬下 司     検索キー:スピリット(こころ)

       中国人脅威論と日本人の人格権の保証/鳩

 この論に置いては、中国人の中に韓国人が含まれます。
 その理由は、清国が存在していた時には中国が韓国の宗主国で有り、現在同じ黒社会
を有する生活風俗の生活圏と言う理由から、これから論旨にする観点に置いては同じ民
族性を有していると言えるからです。
 太平洋戦争後の中国は、共産主義制度を選択した国で有ります。
 しかしながらこの拙文に置いては、初めのその点から疑問を呈する事に成ります。
 中国人社会は心から共産主義を素晴らしい思想と評価し、選択したのかどうかと言う
所から疑問を呈する事に成ります。
 
 論の結果として求める所を先に論じますと、
 「もし現実として彼ら中国人が共産主義を高く評価した故に自国の制度として選択
したので無いとすれば、本質的にはどの様な思想を持っていたので有り、何故彼らは
共産主義を選択したのか。」
 こうした問いに対する答えが少なくとも一つ以上は必要に成ります。
 本来は無い筈のそのその問いに対する答え、或いはある種の可能性が無いわけでは
有りません。
 ちょっと考えてみると、実は有り得る事に気付きます。
 世俗的な表現を使えば、
1,全ての人間が正しいと判断すれば、少なくともその国家の中では正しい事に成る。
2,全ての人間が恥ずべき行いでは無いと認めれば、その国家の中では恥ずべき行い
では無い事に成る。
3,全ての人間が有る物を自分達の所有物と考えれば、少なくともその国の中では
それは事実に成る。
 大凡この様な所に成ると思います。
 言ってみれば、ただ単に卑しいだけです。
 行為障害と言う攻撃的な障害を有する人間の集まりの社会に過ぎません。
理性に未練を持つ事も無く、欲望に憑かれる儘の如くの亡者の社会と言えばあんまり
かも知れませんが、その様な社会がもし存在したとします。
 そしてその様な社会が自由に社会の制度を選択する事が出来るとすれば、畢竟共産
主義が選択される事は必定です。
 ここでは少なくとも、その可能性が1パーセントも無いとは言えないと言う事を
確認して置きたいと言う所で有ります。

 では次に、現実にその様な人間性を思わせる行いが彼らの社会の中に有ったかどうか
に付いて考えて見たいと思います。
 日本人として印象に強く存在するのは、通州事件で有ります。
 未だアメリカ主導で建設した中華民国が存在していた時代で有ります。
 この事件の経緯を考えて見たいと思います。
 旧日本軍が一番最初に中国本土に大群の兵を侵攻させる事に成ったわけは、列強国間
の話し合いで、アメリカとイギリス、ロシアを遙かに上回る二万人以上の兵の出動を
求められ中国の治安回復に努める事に成った時で有ると思います。
 で、中国本土に一緒に侵攻したロシア軍が南京に既に駐屯地建設の動きを示し、実際
に現在でもその道路が残っている訳で有りますが、江戸末期に北海道に上陸しようと
していたロシア軍に日本は脅威を感じ、中国から兵を引く事が出来ない状態に成った
ので有ると感じます。
 理由はどう有れ、所有欲の強い中国人社会に取っては腹が立ったのは当然で有り
ます。1927年にはアメリカの領事館が中国人に襲撃され、アメリカ人がその残忍
さに怒り、市内に砲撃を加えて二千人の死者を出してしまい、国際連盟から脱却し、
旧日本軍に治安維持の主役が回って来てしまったので有ると思います。

 その時点から、日本人は中国人の羨望と所有欲の的に成ってしまったので有ると思い
ます。
 やはり行為障害的な性欲は通州に町を形成していた日本人居住区に対する、
1,日本人を皆殺しにする事。
(残った町並みは、いつか自分達のものと成って帰って来ると言う本能的判断に基づく)
2,女性は全て強姦し、恥部に柄杓(ひしゃく)の柄を差し込んで出血死させる。
 (性欲の究極の発散で有り、臣下の部族を叱責する時の権威者の行い。)
3,勇敢に抵抗した男性の内臓を引き出し、肝の部分を持ち帰る。
 (宗教的価値観で、相手の勇士を殺害し肝を食らえばその分更に勇敢に成るとされて
いる。)
 こうした行動結果に至ったものと感じます。

 人間性を知る例としては次の事も上げられると思います。
 共産主義国としては内戦から政権を樹立した時に一般に見られる光景で有りますが、
そうした幾つかの国の中で、日本人社会に置いては例外的にその存在性を否定される事
も無く、嗜虐的に高い人間性を獲得していると言う事で、やはり中国社会は顕著な例と
言えると思います。
 その例とは、政権が樹立した時の一般人に対する虐殺です。
 本来的にはその様に国に対して経済援助や技術支援を行う事など悪魔的行いで有った
と感じるのですが、何故か中国に対してだけはそうした成り立ちに対して目をつぶった
関わり方がこれまでの日本の流れに成ってしまっていたと思います。
 
 中国共産党が政権を樹立した時には、公表されただけで二万人以上の地主とその家族
が虐殺されています。
 その行いを日本人社会と比較して考えて置くべきで有ったと感じます。
 豪族にしても、武将にしても、政党にしても、政権を獲得した時に地主階級の人間を
数万人も虐殺すると言う行動の根拠は何でしょうか。
 その行動の根拠は日本人に理解される領域のものでしょうか。
 町人に対して、地主に対して虐殺を行うどの様な正義、正当な根拠が有ったと言える
のでしょうか。
 何百年も前のお話では無く、四十五年程前の話なのです。
 その当事者が現在も実験を握っている国が現在の中国で有り、中国人社会で有った所
は日本国内の識者各氏の間で紀淡無く議論され、そこに有った行動性と思考性、本能的
欲求を解析すると言う事は成された事が有ったでしょうか。
 私は無かったと思います。

 一部では意図的に民族性を日常生活に出しながら生活し、差別的環境に対する指摘を
行っている中国人韓国人の方も居られますが、(外国籍のまま公務員にしろと言うのは
どうかと思いますが。)1970年には二百万人以上の方が、日本人社会の冒険的で
超人的な寛容さの発揮により、合法的に日本国籍と日本人的名前の住民登録を果たして
いるのです。で、そうした在日中国人韓国人の方々による聖域を無視した犯罪の多発が
昨今目立つ様に成り、日本の社会のマスコミにしても中国や韓国にはこれまで日本人に
は捉えられなかった社会の部分(裏社会)が有る事に注意を喚起させてくれるに至り、
或いは「黒社会」と表現し、その存在を認めた報道が成されるに至っています。
 こうした時代で有ればこそ、戦後、知らず知らずの内に出来た、中国人韓国人に置け
る道徳民族説的な既成観念を一度捨て去り、白紙の状態から中国人と韓国人の人間性、
その社会の本質に対する検証を試みる事は、時宜に叶った事で有るかも知れません。

 では私たち日本人には、どの様な判断材料が与えられているでしょうか。
 意識してか、せずかは兎も角として、現実に考えようとしてみると、殆ど判断材料が
存在しない事に突き当たると思います。
 中国人はどの様な考え方をする方々なのでしょうか。
 韓国人とはどの様な性格を持っているのですか。
 こうした問いに対する答えや根拠は、殆ど有りません。
 ではどの様な国なのでしょうか。
 どの様にして彼らの国は出来たのでしょうか。
 どの様な心に基づいて。
 日本人が彼らを知ろうとするその欲求に答えるものは殆ど無い、と言えるかも知れま
せん。
 何故でしょうか。
 何故何も無かったのでしょうか。


 私の感じる懸念に共感を覚えて頂ける方には、私は次の様な答えを提示して見たいと
思うのです。
 何も無いから、何も顕示されてこなかったのです。
 日本人には、中国と言うと仏教伝来の国、と言うイメージが付きまといます。
 私はここにすら一種の宣伝破壊活動的な働きを感じるのです。
 そもそも何故中国が日本に仏教を伝来させたと言えるのでしょうか。
 中国の何処に、日本に教示する程の精神性を感じさせる寺院が有りますか。
 何処にも有りません。
 基本的に簒奪者の歴史を積み重ねて来た中国人社会に、その様なものが有ったのでは
整合性が有りません。
 では、日本の仏教の伝来の地は何処と考えるべきでしょうか。
 アンコールワットの遺跡にこそ、日本人社会の仏教の精神を感じる事が出来るのでは
無かったでしょうか。
 本来的にはそこにこそ日本人の精神の源を感じるべきで有ったと感じる事が出来る
かも知れません。

 確かにカンボジアは近年悲惨な戦いと世情で知られています。
 しかし、アンコール文化が栄えた千二百年の歴史(四世紀 ~ 十六世紀?)に行われ
ていた仁政は、世界の何処にも無かった程の高い精神性を認めざるを得ない遺跡の数々
が発見されているのでは無かったでしょうか。
 カンボジアの西隣のタイも然りで、その時代にはインドからの仏教の影響を強く受け
ながら、社会の為に役に立つレベルの高い知恵を持った人間が王家の中から選ばれ、
そして王自らが責任を持って灌漑用水の管理を行い、農業国として大変栄えていたと
認識しております。
 クメール様式の建立物も数々残されていると思います。
 中国にタイやカンボジアの様な精神文化の偉功を感じる建立物が有ったでしょうか。
 学の無い単純労働者が認識できているところとしては紫禁城ただ一つです。
 それすら1945年以降中国共産党に破壊され掛け、日本がアメリカに依頼し、
アメリカに制止されてかろうじて残した、と言うところで有ったと認識しております。
 
 中国に精神的偉功を感じさせる建立物としてはチベットに有るラマ寺院が上げられる
かも知れませんが、タイのクメール様式の遺跡に比較すると、高い精神性が有ったと
しても殆ど形にして残されたものは無いと言い得るかも知れません。
 古書の中にはラマ層が清国の王の前で卑猥な格好をしたので清国に対する出入りを
禁止された、と言う記録も残っていると思います。(平凡社の百科事典参照)
 そして第二次世界大戦時には、日本とイギリスが対戦するネパール作戦に置いては
中立を日本軍に確約していたのですが、何と首都ラサに臨時の飛行場を設営し、フラ
ンス軍空挺部隊を後方支援すると言う行いも有った国です。(NHKのネパール作戦
特集番組のフィルムの中に、首都ラサ南側の飛行場跡が映っている。)
 私の知る復員の叔父さんは、チベット僧を

「寝返り地蔵めら。」
と言っていました。
 
 南秋田郡の井川町に住んでいた角倉吉蔵さんと言うお名前で有ったと思います。
 彼の方のお話では、旧日本軍の狙いとしては中国に完成し大量生産を始めた工場から
新型戦闘機が到着し、毒ガス弾を使用しない戦いを約束したイギリス軍に対して清々
堂々の勝負をしても充分に引き分けの形に持ち込み力が有り、悪くても休戦の形に持ち
込みたかった、と言う事で有りました。
 日本本土に作る予定で有った戦闘機工場を蒋介石のたっての要請で中国に建設した訳
で有るが、中国人の裏切りでその工場を戦闘機ごと爆破され、これ又ドイツから助けて
やったユダヤ系移民の裏切りで広島の新型レーダー付き空母二隻を爆破され、イギリス
軍には協約違反のフランス空挺部隊の用兵を行われ且つ毒ガス弾を使用され、さんざん
で有った、と言う事で有りました。
 
 ま、旧日本軍は
  インドに置ける権益を守ろうとするイギリス
    中国国内に誘致させた日本企業の資産を奪いたい中国
    アメリカにイスラエル国家建設を働きかけているユダヤ人
 こうした欲望に駆られた者達の卑劣な裏切りテロで無惨に散った、と言う形で有ると
思います。
 加藤ハヤブサ戦闘隊は半年も待たされた挙げ句、古い戦闘機で飛び立つしか無かった
のですが、隊長を失いながらも当面の目的で有ったインド国民軍とタイ軍との共同作戦
に依りインド東部の空軍基地と港の爆撃には成功したと聞き及びます。
 イギリス軍の艦艇は巧妙な作戦で一旦遠海に退いていた事も有るが、初期の段階では
充分成功裏に進められていたと聞き及びます。

 海軍少佐だったかその側近の親友と言う事だったか忘れましたが、私の知る角倉吉蔵
さんと言う方は当時満州にいただけだったが、インパール作戦の後方部隊の方々から
詳しくお話を聞いたと言う事で有りました。
 皆が何よりも悔しがり、口にしていた言葉は、
 「加藤ハヤブサ戦闘隊を新型戦闘機に乗せて戦わせたかった。」
と言う事で有った様です。
 インパール作戦は、半年遅れた時点で既に負けは決まって居り、後は如何に旧日本軍
が長く持ちこたえ、世界の世論に訴えるか、その志を世界に知らしめるかと言う事だけ
で有った様です。
 それにしても、休戦協定を破る三度目の中国共産ゲリラに依る爆破が無ければ数十機
の新型戦闘機は調達出来る筈で有ったと聞き及びます。
 
 それとこの拙文の主題に関わる、中国仏教の源的チベットの精神性に付いてで有り
ますが、十万人もの死者を一度に出すに至った最大の原因はチベットが休戦協定を
破り、フランス空挺部隊を呼び入れていた事だったと聞き及びます。
 西からは毒ガス弾、後ろからは空挺部隊の大群で殲滅されたのです。
 広島の基地と造船ドックに置ける新型空母二隻の爆破に対しては、世界に例を見ない
予備タンクを備えた戦闘爆撃機の急襲で真珠湾に集結していた上陸作戦用艦隊の殆ど
(病院船の様な飾り付けをしていた空母を除く)撃沈させたと言う事で戦いとしては
五分と言えたかも知れません。
 (アメリカ人の方には大変恐縮です。太平洋戦争に置いては沖縄の激戦、広島長崎の
原爆とアメリカに被害を与えながらも日本も大きな犠牲を積み上げました。しかし騎士
道精神と寛容な心から差し出された戦後の最恵国待遇措置等に依って、一人の日本人と
して心からの謝罪と感謝の念を抱いて居ります。)
 日本人として感じるところは、太平洋戦争は余りに協定破りと嘘吐きが多すぎる戦争
で有ったと言う事で有ると思います。
 その中でも世界の歴史に残る騙し討ちを行った者達として存在しているのが、チベッ
ト僧で有ったと思います。
 
 ここに日本の仏教精神の流れを感じ取れる余地は微塵も無いと確信しています。
 日本の仏教文化はインドから生まれ、タイからカンボジアに至るに及んで発展した形
に有り、船で中国に上陸した日蓮上人等が陸路を辿って、その身をカンボジアに運んで
仏教文化を学び取り、日本に伝えてくれたものと解釈します。
 大凡、中国人に置いては仏教等を学び取る人間性を感じ取る事は出来ないと言う所
が、日本人としては常識な実感なのでは無いでしょうか。
 中国に仏像は殆ど有りませんが、(バブル経済の中で建立されたものが有る。)もし
大きな仏像が有るとしても、心から、つまり本音の部分で仏像を拝む中国人の姿を連想
する事が出来るでしょうか。
 私は国民の一人として、それは大凡無いと思います。
 それはイスラエルに殆どキリスト教徒がいない事と一般で、宿命的なもので有ると
思います。

 お釈迦様を殺害したチュンダ(陳、或いは珍田)は行為障害で有ったのでは無く、中
国人社会全体の精神性を反映した行動をしたのだと考える事が出来るかも知れません。
 仲直りする振りをして鍋の煮込み会を行い、毒キノコをお釈迦様に食べさせて殺害
する等と言う行為は、並大抵の事では出来る事では無かったと思います。

 それを皆が求める、或いは少なからぬ数の有力者が求める所が有ったので出来たと
考えるべきかも知れません。
 でなければ又、お釈迦様ほどの方が簡単に騙される筈も無かったと思います。

 少し主題からそれてしまった様な気もしますが、今日はこれで終わりたいと思いま
す。明日あたり、もう一度この主題に取り組んで見たいと思います。
 ここまでお読み頂き、有り難う御座いました。 
 
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