SESSIONS

masterdisc, MDCD002
 



1 COME AND GET IT  2'28" Remix Stereo 1 from take 1 
2 LEAVE MY KITTEN ALONE  2'56" take 5
3 NOT GUILTY  3'21" SI onto take 102
4 I'M LOOKING THROUGH YOU  2'56" SI onto take 1
5 WHAT'S THE NEWS MARY JANE  6'06" take 4
6 HOW DO YOU DO IT  1'57" Remix Mono from take 2
7 BESAME MUCHO  2'35"  
8 ONE AFTER 909  2'56" edit from take 4&5
9 IF YOU'VE GOT TROUBLE  2'23" take 1
10 THAT MEANS A LOT  2'28" Remix Mono from take 1
11 WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS  3'25" take 1
12 MAILMAN BRING ME NO MORE BLUES  1'57" from Getback session
13 CHRISTMAS TIEM IS HERE AGAIN  1'06" Remix Mono from take 1

ライナー・ノーツ>

1962年9月4日から1970年5月8日の間に、ビートルズは200以上もの曲を
EMIを通して発表した.その間、特に1962年から1966年の間は、ライブを行い、
映画を作り、テレビに出演し、世界中のメディアの需要を満足させていて、新曲を録音するのも大変だった.

ビートルズが1970年にレコーディングを止めて、解散する前でさえ、スタジオの倉庫に眠っている
未発表曲についての噂はあった.これらの話では、音源の名前に応じて、50から250の間の未発表
タイトルがあるということだった.しかしながら、真実は全く違っていた.ほんの一握りの曲だけが未発表
のままであったのだ.

ファンや、メディアからの、EMIは未発表曲という、本当の「金鉱」の上に座っている要求は、
ブートレグやラジオで世に出続けたマテリアルによって火がつき、 15年間の間増え続けた.

この音源のほとんどはビートルズファンやコレクターには有名で、

1)BBC:1962年3月から1965年6月まで、ビートルズはマンチェスターとロンドン
にあるBBCのスタジオで36曲の録音を放送の為だけにした.これらはリリースのために
EMIによって録音されたわけではない.ビートルズは多くの初期の曲やアルバムの曲も同時に
再録音した.しかし、これは世間の興味を激しく引くマテリアルだ.

2)デモ:ビートルズは、他のアーティストの為に作曲した曲は録音したのだと、今まで広く誤認されてきた.
しかしながら、彼らは作曲者として、いくつかのデモ録音はしたのだった.未発掘の曲に基づくと
(意味的に変:訳注)、これらの数曲のデモは、ヴォーカルとアコースティック・ギターとで構成されており、
おそらく家か、提供者のスタジオで録音されたのであろう.

3)他のスタジオ:グループとしての終焉が近づくにつれ、彼らはアビーロード以外のスタジオで
レコーディングを行った.例えば、トリデント、アップル、トゥッケンハイム・フィルム・スタジオであり、
"LEt It Be"の大半がここで録音された.よって、ここでラフに録音されて、EMIには運ばれなかった
というのは極めて可能性の高いことである.

しかしながら、このアルバムに納められた曲は、EMIが所有していたもので、非常に興味深い物だ.
ビートルズの契約が1976年にようやく切れて、我々は話をスタートさせた.その時、会社の重役は
椅子に座り、リリースされなかった全ての曲をじっくり聴いた.
大半はラフ・ミックスの形で入っており、ほんの少ししか、公式発表にはふさわしくないように思えた.

1980年には、"Leave My Kitten Alone"は真剣にシングルとしてリリースされることが検討されていた.
しかし、その年の12月にジョンの悲劇的な死があり、この話は中断された.

1982年の初頭、EMIファーストシングルの"Love Me Do"リリース20周年に伴って、ファンからの
たくさんの手紙にすばやく答えて、ビートルズがEMIに録音した全てのテープを聴き、今まで知られて
いなかったマテリアルの資料をつくるという、壮大な仕事を、一人の人にまかせることが決定された.

その仕事は、アビーロード・スタジオのエンジニアのジョン・バレットによって行われたが、今まで
リリースされた曲の興味深い別バージョンなどは多く発見できたが、新曲は発見されなかった.
実際、1982年の夏、"The Beatles at Abbey Road"を催したが、多くの曲がそれまでに彼により発見されていた.
悲しいことに、、ジョンは1984年に亡くなったが、彼の大変な仕事の成果は残された.

もう一度、オリジナル未発表曲を評価し、ジョン・バレットによって発見された別バージョンを聴いた後、
mono以外で録音されたマテリアルは、ミックスをすることで利益を生むだろうと決まった.ビートルズと共に
働き、エンジニアだったジェフ・エマリックはマルチトラックを聴き、音質を全体的に改良するために
ミックスすることを頼まれた.

ジェフは、ロンドンとモンセラットにある、エアースタジオで仕事に取りかかり、とうとうEMIにテープを渡した.
その最終産物は、歴史的に見ても、音楽的にもリリースされることが正当なのは明らかだった.
 
 

"COME AND GET IT" (Paul MaCartney)
LEAD VOCAL:Paul
録音は、アビーロード・スタジオ2で、1969年7月24日.
同じ日に"Sun King"も録音された.この曲はアップルのバンドの
BAD FINGERに与えられ、1970年には彼等のファースト・ヒットとなった.
この曲はピーターセラーズやリンゴも出演した「マジッククリスチャン」にも使われた.

"LEAVE MY KITTEN ALONE" (Turner-McDougall)
LEAD VOCAL:John
録音は、アビーロード・スタジオ2で、1964年8月14日、アルバム
「フォー・セール」のセッション中に.この50年代後半の曲は他にも
リトル・ウィリー・ジョンとジョニー・プレストンによって以前に録音された.

"NOT GUILTY" (Harrison)
LEAD VOCAL:George
この曲は、アビーロード・スタジオ2で、1968年8月8日に、「ホワイトアルバム」
の11月のリリースに向けて録音されたが、最終的には採用されなかった.
長い間、この曲は、ある、有名なギタリストをフィーチャーしていると思われていた.
ジョージはこの曲の、よりアコースティック・バージョンを、1979年のアルバム
「慈愛の輝き」で再録音した.

"I'M LOOKINGTHROUGH YOU"
LEAD VOCAL:Paul
この曲の最終バージョンは1965年12月に「ラバーソウル」で発表された.
これはテイク1で、その年の10月24日、これもアビーロード・スタジオ2で録音
された.このバージョンはアルバムのものより長いが、この曲の「ブリッジ」、中間部分
はまだ入っていない.おそらく、それ以前には書かれていなかったからだろう.

"WHAT'S THE NEW MARY JANE"
LEAD VOCAL:John
ジョージの"NOT GUILTY"同様、これも「ホワイトアルバム」セッション中(スタジオ2)に
録音された.1968年8月14日である.しかし、この曲も最終的にはアルバムから
除かれた.

"HOW DO YOU DO IT"
LEAD VOCAL:John
1962年9月4日の録音.「ラブ・ミー・ドゥ」のリンゴが叩いた公式録音と同日である.
この曲の、2枚目のシングルの為に選ばせようとした計画的な録音については、多くのことが
悪いように書かれてきた.しかし、この曲は、「ラブ・ミー・ドゥ」のリリースの
1ヶ月前に録音されたのだ.よって、この考えはどうやら魅力的とはとうてい言えない.
この曲は、後にゲーリー&ペースメーカーズによってイギリスでの初のナンバーワンヒット
になった.
 

"BESAME MUCHO"
LEAD VOCAL:Paul
Recording in Abbey Road on June 6 1962:
1962年6月2日、ビートルズは初めてのアビーロードのEMIスタジオでの録音を
行った.この段階ではメンバーは、ジョン、ポール、ジョージ、そしてピート・ベストだった.
4曲が録音された.「ラブ・ミー・ドゥ」の初期バージョン、「P.S. アイラブユー」
「アスクミーホワイ」と「ベサメムーチョ」だ.この曲は30年代の曲で、50年代後半に
ビートルズのステージ・レパートリーだった.この曲は1962年1月のデッカ・オーディション
でも採用された.

"ONE AFTER 909"
LEAD VOCAL:Paul
最も最初期のレノン・マッカートニー作でありながら、1970年に「LET IT BE」に
入るまで、長い間レコードにならなかった.しかし、この曲は1962年3月5日に録音
された.同じ日に「フロムミートゥーユー」「サンキューガール」のファーストテイクも
録音された.

"IF YOU'VE GOT TROUBLE"
LEAD VOCAL:Ringo
このレノン・マッカートニー作の未発表曲は1965年2月18日に「4人はアイドル」
セッション中に録音された.疑いなくリンゴのヴォーカル参加用に作られたが、最終的には
「アクトナチュラリー」がとって代わった.

"THAT MEANS A LOT"
LEAD VOCAL:Paul
「ヘルプ」のセッション中の1965年2月20日に録音.この曲はP.J. Probyに
与えられ、その後、その年にマイナーヒットとなった.

"WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS"
LEAD VOCAL:George
録音は1968年7月25日.このバージョンは、初めのデモテイクから、
最終的な公式テイクまでに、どれだけ変わりうるかを示している.テイク1は
ジョージのヴォーカルと、2つだけの楽器・・・アコースティック・ギターと
キーボードのみを含んでいる.ホワイト・アルバムの為に再録音されたときは
最後の章が残っていないことを示すのは興味深い.

"MAILMAN BLUES"
LEAD VOCAL:John
後に"LEt It Be"と名前が変わった、"Get Back"の為のセッション中の1969年1月29日
の録音.

"CHRISMAS TIME IS HERE AGAIN"
LEAD VOCAL:ビートルズ
1963年から1969年の12月の間、ビートルズ・ファン・クラブは会員に
クリスマス.レコードを送っていた.これらのレコードはコレクターアイテムに
なっているが、だいたい、「ありがとう」の曲が寸劇とともに入っていた.
これらのレコードは強くビートルズのユーモアを示していたが、いくらかの音楽
も含んでいた.特に1967年のリリースには、この曲が入っていた.

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私が初めて、リボルバー」でビートルズと仕事を始めて以来、「サージェント・ペッパー」、
「アビーロード」と、録音過程が2トラックから、24、そして48トラックの多くの過程を
得るようになったのを目の当たりにした.

何年もの間発達してきた技術の進歩は、これらの曲のオリジナル・サウンドを強力にするのを
可能にし、音楽的にも、芸術的にも、最高の状態であなたにお聞かせするのを可能にした.

楽しんで頂けますように.

ジェフ・エマリック
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リミックス:エアー・スタジオ・モンセラット
エンジニア:ジェフ・エマリック
セカンド・エンジニア:スティーブ・ジャクソン
アシスタント:ニコール・グラハム

スリーブ・コンセプト:ブライアン・サウスホール
スリーブ・デザイン:ビル・バークス、ジョン・オブライアン
バック・カバー写真:ロバート・フリーマン
テープ・リサーチ:ジョン・バレット、ケン・タウンゼント
プロジェクト・リサーチとライナー・ノーツ:マイク・ヒートレー
連絡係:ジョン・バーゲス
スリーブ・プロダクション:クィック・オン・ザ・ドローとトニー・ワッズワース

フロントカバー写真はアビーロードスタジオでのセッションの合間に撮られたものである.