8日目、朝になってシンガポール女性の容態は少し良くなり、両脇を抱えられながらペリチェに向かって下りて行った。あの分なら大丈夫そうだ。私たちも朝食の後、トゥクラの宿を出発していよいよ最終宿泊目的地・ロブジェ(4930m)へ向かう。
宿の前の急坂を登り切ったところにある見晴らしの良い丘の上に、エベレストで死んだ数十名の登山家の墓碑が並んでいる。(写真後方の台地状の上にあるのが墓碑)。
墓碑の近くで小休止していると、原さんの小学生の息子が、登山用のゴーグルと日除け用のお面をかぶって、すごいハイペースで登って来るのが見えた。はるか後ろから父親とテンジン氏がのんびりとついて来ると。
原親子を先に行かせて私たちもゆっくりと先へ進む。墓碑から先はなだらかな登りが続いている。しだいに、荒涼とした光景に変わってきた。前方には「ヒマラヤの花嫁」の愛称で親しまれているプモリが、その優雅な姿を見せている。
これまで高度順化を十分に行ってきたので体調は万全だ。行動食のビスケットを一口食べ、宿でもらった湯冷ましを飲む。この日の行程は、終点まで食事をするバッティはないのだ。エネルギーと水分の補給は頻繁に行わなければならない。
昼頃、ロブジェに着く。宿が数軒建ち並び、色とりどりのテントが周辺に張られている。各国のトレッカーたちがにぎやかに往来している光景は、さながら小さな観光地の町のようだ。のどかなアンナプルナベースキャンプの光景とはずいぶん違う。
一番居心地の良さそうな宿に入る。まだ早い時間なのに、ベッドにはすでにたくさんの荷物が置かれている。本日カラパタールへ登っている人たちの物だろう。
原親子は、私たちの宿の横にテントを張っていた。紅茶を飲む父親の横で、息子はさっそく画用紙を出して写生を始めていた。私たちもドゥッチャを飲みながら昼食のできるのを待った。
さて、どこかで触れなければならないと思っていたのだが、トレッキング中のトイレの話をしよう。アンナプルナ方面はだいたい宿ごとにトイレのあるところが多く、比較的清潔に整備されている。ところがエベレスト街道の宿は、トイレがないところが多く、あっても宿から遠く離れていたり、足の踏み場がないくらい汚物で汚れていてとても入れた代物でなかったりする。
ここロブジェのトイレ状況は、この世の地獄かと思われるほどひどいものであった。まず、ロブジェ全体で個室のトイレが3室ばかりあるのだが、そのうちの二つは壊れていて使いものにならず、残りの一つもいつも数人並んでいる。運良く空いていても、糞尿と泥水でとても足を踏み入れる気がしない。
西洋人トレッカーのすごいところは、汚物を全く恐れず、糞尿でぐしょぐしょになった床でも、靴のひもをだらしなく引きずりながら平気で入ってしまうことだ。私にはとてもそんな真似はできないので、外で済まそうと思うのだが、いかんせん人が多くてとても人の目を避けるような場所などないのだ。
宿泊地のそばには小川が流れているのだが、その周囲も、1メートルごとに糞便の後が残っている(ネパール製のピンク色のトイレットペーパーが散らかっているのですぐに分かる)。よくもまあ、こんな人通りの激しいところで済ませたものだと思う。この糞便の溶けだした川の水を汲んで、飲料水や調理用水にされている。この川が、エベレスト街道の最上流にあたるわけで、下流の流域でもこの水が調理や飲料水に利用されているのだ。
さて、トイレの方だが、仕方がないので、裏山をはるか数十分登って岩陰などで用を足すしかなさそうだった(実際にそうした)。とにかく居心地の悪い宿泊地だった。
登りはじめて間もなく濃い霧のため自分の靴先すらはっきりと見えなくなった。ただ、下を向いて、一言も口をきかずに黙々と一歩一歩登るだけだ。自分が今どのあたりを登っているのか皆目見当もつかないのは実に不安なものだ。真っ白な世界というのは、真っ暗闇以上に人の心を不安にさせるのかもしれない。
霧の切れ間ができるたびに、下の方にちらっと見えるロッジの屋根がだんだん小さくなっていくので、高度は順調に上がっていることが分かる。私の安物の高度計は、ずいぶん前からFULLの状態になっていて全く使い物にならない。
エベレストの山頂があると思われるあたりは、いくら目を凝らしても、山肌の一部すらも見ることができない。
さっきまであんなにいた各国のトレッカーたちはどこへ行ってしまったのだろう。誰ひとりともすれ違うことがなかった。
やがて、風向きや周囲の雰囲気があきらかに変わった。おそらくカラパタールの山頂だろう。何も見えないので、どこにいても変わらないという感じだ。ただちょっと息苦しいことが、高度5548m にいることを感じさせてくれる。
本来なら目の前に聳え立っているはずのエベレストの方角に目を凝らしながら、岩に腰掛け、日本から持参したカロリーメートを食べる。30分ほどねばるが状況は変わらないので下りることにする。
ロッジの中から原親子とテンジンさんが出てきた。30分ほど前に下りてきたそうで、やはり何も見えなかったとのこと。それにしてもどうして途中で出会わなかったのだろう。もしかして、私たちが間違えて別の山へ登ってしまったのでは。まあ、こんな天気ならどこへ登ってもあまり大差がないだろうから、どこでも良かった。
ロブジェの宿に着いたときにはすっかり日が暮れていた。どうやら、満員の宿泊客の中で、きょうカラパタールに登ったのは私たちだけだったらしい。
「明日も登るのか」
とみんなに口々に聞かれたが、どんなに晴れていてももう二度と行きたくないとうのが本音だった。
今はただ、一刻も早く下界に下りて、シャワーを浴びたい、冷えたビールが飲みたい、肉の入ったダルバートが食べたい、カトマンズのインド料理が食べたい、タメルの喧騒が懐かしい。とにかく明日の朝一番で、全速力で下りはじめることにしよう。
10日目。タンボチェあたりを目標に一気に下る。途中で、ゴーキョピークから降りてきたトレッカーから「ゴーキョは良かった」という話を聞いて、急に行きたくなり、コースを変更する。その日の宿泊は、ポルツェ(3840m)。
11日目。川沿いの道をゴーキョ目指して登る。川沿いの絶壁を歩く道はかなり険しいが、高度順化ができているので、かなりのハイペースで楽々登る。その日は最後の集落・ナ(約4500m)まで進んで宿泊。
ゴーキョ方面は、メインの街道から横にそれているので、人通りが少ない。昨夜の宿も宿泊者は私たちだけだった。
この晩も、スペイン人のふたり組と、庭にテントツアーのイギリス人が数人いるだけだった。
12日目。宿を出て、最後の急斜面を登ること2時間。突然目の前に、湖が現れた(写真左)。この湖沿いに進むとゴーキョの村にたどり着くはずである。
紺碧の水をたたえた湖は、まるで巨大な鏡のように白い雪山をくっきりと映し出し、まるでこの世のものとは思えない美しさであった。
湖のほとりで腰を下ろしてじっとしていると、物音ひとつしない静寂の世界が身体を包み込む。やがて、あちこちから不思議な気配を感じてきた。
「なんだろう」
と思って耳をすますが、何も聞こえない。何も見えない。
急に、後ろの方でガサガサと音がしたので、パッと振り返ると、岩の隙間から顔を出している小動物と目があった。ナキウサギである。
ほんのしばらくにらめっこをしたあと、ナキウサギは岩の蔭へと消えていった。
湖に沿って歩くと、やがてゴーキョのロッジ村が見えてきた。思っていた以上ににぎやかなところだ。ロッジも、ロブジェより多く、建物も立派だ。だが、トレッカーの数は少なく、居心地は良さそうだった。
湖から少し引っ込んだところにある、気持ちのよさそうな宿に入る。
一休みした後、周囲を少し散歩してみる。
宿の裏手の岡を登っていくと、やがて切り立った絶壁となり、そのはるか下が氷河となっていた。氷河の向こう側には8000m級の山々が連なっている。ここからは見えないが、エベレストやチョー・オユー(8153m)もこの方向にあるはずだ。
目を反対側に移すと、下の方に今来たゴーキョのロッジ群が小さく並んでいるのが見える。その向こうが湖で、湖の向こう側には6〜7000m級の美しい山々が続く。湖の右手にある小高い丘がゴーキョピーク(5360m)である。そこからの眺めはさぞすばらしいことだろう。明日が楽しみだ。