ヒマラヤの麓にあるルクラ(標高2800m)から、エベレストを間近に見るカラパタール(5548m)まで、およそ1週間かけて歩くヒマラヤトレッキングのゴールデンコース。山登りの経験のない人や、年輩者・体力にあまり自信のない人でも、ゆっくりとマイペースで歩けば、決して難しいコースではない。最後までが無理なら、行けるところまで行って、引き返してきても十分にヒマラヤの大自然を満喫できる素晴らしいコースである。
カトマンズのイミグレーションでトレッキングパーミッションを取ったら、タメルの登山用品店で、寝袋とダウンの防寒着をレンタルして、さっそく翌日の飛行機で出発しよう。
カトマンズから小型飛行機で1時間、切り立った山間の狭い滑走路に砂ぼこりを上げながら着陸するとそこはもう別世界、ヒマラヤの懐奥深い入り口、ルクラの飛行場に到着だ(写真右)。しばらく感激に浸ったら、飛行場の近くで早めの昼食をとって、さっそく歩き始めよう。
1日目は、ほとんど登りがなく平坦な道。しかし、決して急いではいけない。高度順化にとって大事な1日目でもある。徐々に変わる風景を楽しんだり、すれちがう地元民と交流しながらのんびりと歩こう。私たちの最初の宿泊地は、ベンカール(標高約2700m)にある旅籠ロッジ。ここはかつて日本人の経営で大変繁盛した山小屋だったが、その主人は「不法滞在」ということで、国外退去になったという(未確認情報)。食堂のテーブルや暖炉にも趣向が凝らしてあり、狭いが気持ちの良い個室や、気の木目を生かした二段ベッドのドミトリーなど、さぞかし暮らしやすかっただろう当時の名残が随所に見られる。今は経営者が替わり、当時の繁盛は見る影もなく廃れてしまった。個室の壁には1センチ以上も埃がこびりつき、ドミトリーの二段ベッドは、クモの巣だらけでとても入り込めないというありさまだ。唯一の救いは、食事が予想に反してうまかったこと、宿の主人の小さなふたりの娘が愛嬌があって可愛かったことだ。(写真右)
3日目、高度順化のために、シャンボチェ、エベレストビュ−ホテル(約3900m)、クンデ、クムジュンを1日かけて散策。
エベレストビューホテルは、宮原さんという日本人が経営している高級ホテル。すぐ下のシャンボチェ空港(空港というより運動場)までカトマンズからホテル専用のピラタスポーターという6人乗りの山岳専用の単発機でお客を運んでくれる。以前私は、ヒマラヤの番組の空撮で、この飛行機に一週間連続で毎朝乗る機会があったが、パイロットの腕も良く、実に高性能で爽快な乗り心地であった。
さて、このエベレストビューホテルだが、まだシーズン前で(9月初旬)オープンしていなかったのに、わざわざ私たちのために紅茶を入れてくれて、しかも料金を取ろうとしなかった。以前も、お茶を飲みに行ったところ改装中で、がっかりしていると、職員用の食事をごちそうになったことがあった。
4日目、ナムチェを出発。村はずれの丘に登ると、チョモランマ(エベレスト)が初めて姿を現す。目の前の小高い丘の上には、今日の目的地であるタンボチェ(3867m)のゴンパ(寺院)もくっきりと見える。人の動きも見えそうなくらい至近距離である。しかし目を手前に移すと、はるか下方に切れ込んだ谷底が、今いる場所とタンボチェを情け容赦なく隔てている。つまり今日の行程は、この谷底の一番下まで降りて、再び同じ高度まで登るということだ。
約2時間かけて谷底まで下り、茶店で昼食にララヌードルを食べる。腹が減るあたりにちょうど都合よく茶店があるのだが、みなさん、谷底の川を渡ってすぐの店では決してララヌードルを食べてはいけない。なぜなら、この店では、一人前(つまり一袋分)を2人分くらいに水増しして出すからだ。
余談になるが、茶店では、客が来て食事を注文すると、店の子どもたちもそのおこぼれの食事にありつけるというケースが多い。ダルバート(定食)などの場合は、ご飯やおかずを多めに作って私たちの横で子どもも一緒に食べることがある。おかしかったのは、ララヌードルを二人分頼んでふと勝手裏をのぞくと、子どもがララヌードルの小鉢を食べていたことだ。二袋を2.5人分くらいに小分けして、子どものおやつを浮かせていたのだ。このくらいなら愛嬌として笑って許せるのだが、谷底の店は、初めから計画的に、しかも客同士で水増しを行っているのだ。さらにひどいのは、チキンスープと称してララヌードルのつゆだけ出して金を取っている点だ。例えば3人でララヌードル2人前とチキンスープ1人前を頼むと、ララ一袋分の予算で三人前の料理が作られるという寸法だ(当然、客からは三人分の料金を取る)。こういうゴーツクな店は、みんなで行かないようにして反省させるしかない。
タンボチェゴンパの裏にはエベレストで死んだ名登山家・加藤保男氏の墓碑が、エベレストの見える小高い丘の上にある。5日目、加藤氏の墓碑を詣った後、タンボチェを出発する。ガイドブックによると、この日はペリチェ(4300m)まで行くことになっているが、私たちはその半分の行程のオルショ(約4000m)に泊まることにする。
オルショには小さな宿が一軒しかなく、まさかこんなところに泊まる人もあるまいと思っていたら、シンガポール人のカップルが先着していた。彼らは、先日エベレストビューホテルで、日本人だと思って間違って日本語で話しかけたのがきっかけで顔見知りになっていた。この宿は、親切で食事も美味しかったのだが、換気が悪く、寝ている間にいろりの煙ですっかりのどをやられてしまった。
5日目、オルショを出て間もなく道が二つに分かれる。一方はペリチェ経由。もう一方はディンボチェ経由。普通なら次の宿泊地はペリチェなのだが、私たちは時間はたっぷりあるので、高度順化のためにチュクンピークを登ろうと思い、ディンボチェ(4412m)に向かう。
宿に着き、裏山へ高度順化の散歩に出かける。さすがに4400mを越えると、一歩一歩踏みしめるように登らないと身体が前に進まない。
宿に戻ると、各国のトレッカーがたくさん到着していて、ベッドはほぼ満員となっていた。
夜、高度に弱い人たちは一晩中ぜえぜえ言っているのが苦しそうだった。
翌朝、先へ進む各国トレッカーたちを見送った後、チュクンピークへ向かう。宿を出て、だらだらした登り道を4時間ほど歩くと、ロッジが2〜3軒並ぶ集落に出る。チュクンだ。ロッジで昼食を食べ、ドゥッチャ(ミルクティー)を飲んだあと、いよいよチュクンピークに登る。(写真の左側の斜面の先がチュクンピークピーク)
ジグザグの路を徐々に高度を上げるにつれて、目の前に世界第二位の高峰ローツェが顔を出す。素晴らしいながめだ。
やがて路がなくなり、一面、緑の芝生の広がる平地に出た。芝生は途中から急斜面となって、ピークの頂上の岩場へと続いている。一歩一歩踏みしめるように登る。高度計が4900メートルを指したところでストップ。氷河に落ち込む崖の縁に腰掛け、目の前に聳えるローツェの雄姿を目の当たりにすると、空気の薄さもつい忘れてしまう。一日費やしてチュクンに来て良かった。
7日目、ガイドブックによると最終宿泊地のロブチェ(4930m)まで行くことになっているようだが、私たちは、例によって中間地点のトゥクラ(4620m)を本日の目標とする。ディンポチェを出てすぐ、昨日散歩に登った裏山を頂上まで登ると、その先は尾根伝いの道となっていて、左側のはるか下方にペリチェの集落が見える。ヘリポートからヘリコプターが飛び立っていくのは、高山病患者をカトマンズまで運ぶのだろう。
トゥクラで原親子らと出会う
(ロブチェで、右から原医師、ラクパテンジン氏、原少年、私の妻、私、テンジン氏の友人)
ペリチェのあたりを通過してしばらく行くと徐々に高度を下げ、川を渡る。このコースは、ルクラを出たときから、基本的にはこの川に沿って登っていくコースなのだ。そして、所々、川から離れ、再び川沿いに戻り、また、川を渡るためにせっかく稼いだ高度を延々と降り、そしてまた延々と登るという作業を繰り返す。
川を渡ってしばらく急坂を登ると、石を積んだだけの壁に囲まれた建物が現れた。トゥクラである。
部屋へ荷物を置いた後、石壁に腰をかけてドゥッチャ(ミルクティー)を飲みながら日光浴をしていると、日本人の男の子が登って来た。その後から、男の子の父親、そしてガイドもやってきた。話を聞いてみると、お父さんは原さんという名古屋の整形外科医で、ダウラギリのエクスペディション目的でやってきたのが、許可が下りないので急きょこのコースのトレッキングに予定を変更したという。同行のガイドはヒマラヤの名シェルパのラクパテンジン氏で、日本のエベレスト登山隊で彼の名を知らぬ人はいない。私の仲間のテレビチームも何度もお世話になっている。
夕方近く、オルショで同宿したシンガポール人の女性が高度障害にやられて、抱きかかえられながら下りてきた(詳しくは高山病にならないコツ参照)。そういえば今日あたりカラパタールをやっているはずだった。
「病院のあるペリチェまで下りた方が良い」
とアドバイスするが、もう疲れて歩けないから、ここに泊まると言う。こんな高高度であんな状態で朝まで持つだろうか。(続く)