ケンが妻トレヤのガン(結婚してわずか数ヶ月で発病し新婚旅行もキャンセル)発覚からその死を看取るまでを
描きます。
ケン・ウィルバーがこれほどあからさまにニューエイジに対する反感を表明しているのは始めて読みました。
まあ、ガンで生きる死ぬとやっているときに、ニューエイジ流のあの調子で「病気はあなたの思いが作る」など
と言われては
腹が立つのも当然と言えるでしょう。ニューエイジが夢想にふけっているときにこちらは真剣勝負を余儀なくさ
せられているのだから。
ウィルバーはこういった方面にはとても慎重で、能力のあるヒーラーにもシニカルな態度を崩さず、転生も字義
どうりには認めていないようです。
(とはいうもののトレヤに対して、転生を繰り返してやっと会えたのだ、と言うような事を言っています。)
だが皮肉にも”日本でウィルバーはニューエイジに分類されて人気がある”と言う事を知って怒ったりしていま
す。
ケン・ウィルバーといえば、トランスパーソナル心理学の理論的支柱として、あまりに巨大な存在であるために
、あるとあらゆることに通じ、また当然精神的な到達度と言う点でも文句が無いほどである――平たく言えば悟り
きっている――とつい思いがちなので、ここで始めて知ったその私生活の人間くささが意外な感じもしました。
実際禅の修業も十何年と続けていて、日本人だったかの師から「見性を得ている」と認定されていると言う事で
すが、妻の病との戦いを通じて見苦しいまでにもがき苦しんでいます。
無神経な電話に腹を立ててたたきつけた
り,妻と言い合いをしてついに殴ったりと・・・
どうも「悟り」というものは直接にはこういう面の平静さとかとは関係が無いようです。
そういえば引用されているチベットの師の言葉にも「悟るのは簡単だが、それを生きる事が難しい」とありまし
た。「悟り」というものを知らない人間は、どこか悟りというものを誤解しているようです。
禅の公案にこう言うものがあるそうです。
ある禅の師が、禅の究極の真実を尋ねられてこう答えます。
「歩きつづけよ」と。
妻トレヤが最後まで成長しようとする様を見て、ケンはこの禅の公案を思い出します。
なるほど人間は生きている限りもがいて「歩みつづけ」なければならないのだなと理解させられます。
いろいろな治療法を探してドイツを始めあちこちへ行きますが、やがて終わりがはっきりと見えてきます。
最後はチベット仏教の教えに基づいて、「死の瞬間に世界と合一する事」を目指して死への修行を進めることに
なります。(”何かこの肉体を越えるものがあるとすれば、死の瞬間こそそれを知る機会だー違うだろうか?”)
例によって(上)(下)に分かれた膨大な文章ですが、妻トレヤの手記を挟んで交互に記述していく形になって
いて、トレヤの成長の過程なども内面からたどる事ができて、迫力があります。一人の人間が、死に追いかけられながら内面の成長を遂げていく、という事をこのように他人が内面の動きとともにたどることができるということはめったに有る事ではないでしょう。
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