大切な人を失ったときは

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大切な人を失ったときは、思いきり悲しむことが一番
   家族でも恋人でも友人でも、大切な人を人生のどこかで失わない人はいないでしょう。亡くなる場合もありますし、やむにやまれぬ事情によって恋人と別れなければならないこともあるでしょう。

 誰でも、大切な人を失うと悲しくなるものです。しかし、この当然の「悲しみ」がうつにつながっていくかどうかは、その後の対応によって違ってくるものです。

 Aさんは60歳の時に夫を亡くされました。彼女は、夫の存在を忘れることは供養にならないと思ったので、夫の部屋をそのままに保ち、持ち物も整理せずにおきました。

 Bさんは25歳の時に大切な親友を亡くしましたが、親友の死を確認することが怖くて葬式には参列できませんでした。

 Cさんは、身体の不自由な老母の世話を何年にもわたって続け、身も心も疲れ果てた挙げ句に、母が亡くなりました。そのときCさんは、これで介護から解放される、という気持ちになり、あまり悲しみを感じませんでした。Cさんはそれから趣味のサークルなどに熱心に通い、とても元気に暮らしました。

 これら三人の人々は、その後それぞれの期間の後にうつになりました。

 Aさんは、夫の死の悲しみからなかなか立ち直れず、新しい友達を作ったり新しい活動を始めたりすることができませんでした。以前は楽しめていたことも楽しめなくなってしまいました。

 Bさんは、親友のことを考えると辛くなるのでなるべく考えないようにしているうちに、気分の落ち込みや不眠を覚えるようになりました。

 Cさんは、母が亡くなってちょうど1年目の命日の頃から、体の調子が悪くなってきました。まさに母と同じような体調になってきたのです。しかし病院で検査を行っても何も異常は見つかりませんでした。

 さて、この3人はいずれも極端な例です。でも、これらの人たちを反面教師にして、上手な「悲しみ方」を学ぶことができます。

 Aさんは、夫への気持ちを整理するということができていません。そうすることが怖い、あるいは夫がかわいそうな気持ちがするのです。ある意味ではまだ夫との思い出の生活に生きているのですが、そのために新しい生活にとけ込んでいくことができません。

 Bさんは、Aさんとはさらに異なり、親友が死んだということも認めていません。もちろん人に聞かれれば亡くなったとは言うのでしょうが、自分の気持ちの中では極力認めないようにしているのでしょう。
 この場合も、やはり親友への気持ちを整理して新しい関係を作っていくということができなくなっています。

 Cさんは、介護で疲れ切っていたのに、十分にそれを振り返らないうちに過活動になってしまっています。母の死の前後のことについて人とじっくり話し合ったこともありません。
 人の気持ちは複雑なものです。亡くなる直前の、自分を疲れさせるわがままな母のイメージのみを考えて「清々した」と言っているだけではすみません。
 昔は頼りになった母の様々な思い出もあるのでしょう。
 こうした様々な感情を、Cさんは全く整理できていません。それが身体の不調の形をとったうつにつながったのかもしれません。

 以上から、どのようなことがわかるでしょうか。
 まず、人が亡くなったときには、感情を十分に表現することが重要なようです。悲しいという感情はもちろんですが、Cさんのような場合には、介護から解放されてほっとした気持ちも、ほっとしたことに対する罪悪感も、昔の母を懐かしむ気持ちも、その母が変わってしまったことに対する寂しい気持ちも、全て表現できると良いのです。
 このような感情を人に話して理解してもらうことが最も望ましいのですが、自分でも悲しくて当たり前なのだということを認めていくことが大切です。

 次に大切なことは、ある程度の儀式を踏むこと。
 お通夜やお葬式もこれに当たります。くだらないと思うかもしれません。でも、伝統的に行われてきた過程を経ることは、一つの区切りを心に与えてくれます。
 自分を支えてくれる人との交流の場としても重要です。
 埋葬なども重要な儀式です。
 また、亡くなった方の遺品を整理したり、使っていた部屋を片づけたりすることも大切な儀式です。

 大切な人を失ったら悲しくて当たり前なのです。でも、その悲しみの強さは時と共に薄らぎ、いつかその人との良い思い出と共に、心の糧となっていくのです。
 最初に悲しみに向き合わないとその過程が先に進みません。思い切り悲しみ、その悲しみを人と分 かち合うことが、一番の供養になるのでしょう。


(木馬書館「うつの上手なかわしかた」より)

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