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Flush back 現われては消えノ消えては現われるノ とらえどころのないアレノコレノソレ ある琉球人末裔のフラッシュバックな疑問集 監修: 港川玄人 (nnatuga genjin) |
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![]() 部分拡大図 左は「琉球八曲屏風(沖縄県立博物館所蔵)」に描かれた、中国から帰国する琉球王国の進貢船の部分図。進貢とは臣と称して中国に進貢してその帰りには多額の物資を持ち帰るので一種の貿易といえる(14世紀から19世紀後期まで続けられた)。下の方に浮かぶ小舟にはチョンマゲ姿の薩摩の役人がいる。 武力によって薩摩は琉球に侵略し、その対外貿易権を奪い、そこからの収益を得るために、琉球王国の体制をそのまま温存させ、自己の影を隠ぺいする間接的な搾取方式をとっていた。とくに中国との進貢貿易ではかなり気を使ったといわれている。中国側に悟られぬように、ことさら琉球王国であることを強調するための旗が用いられたことだろう。 この図は19世紀初期に描かれている。 |
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琉球王国の船 |
薩摩藩の船 (丸に十の字の旗を掲げている) |
島津興業のホームページによると、28代島津斉彬が、日本の国旗「ソレ」の生みの親で、ソレは単純なデザインのため、昔からいろんな形で使われていたとある。で、白地に赤い丸のソレを、日本のシンボルにすることを幕府に提案したのは、斉彬だという。 1854(安政元)年、幕府は斉彬の提案通り、ソレを日本の総船印にすると決めた...斉彬は、薩摩藩というより日本国を強く意識していたとのこと。さて... |