'97 ことばの世界へのパスポート

−私家版 言語学入門書解題−

愛知淑徳大学大学院 関山 健治

E-mail: sekiyama.kenji@nifty.ne.jp

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 このガイドは,これから言語学を学ぼうとしている学部生の皆さんや,他専攻(英米文学,英語教育,日本語教育など)の方で,教養として言語学を学ぼうとしてみえる方々を主な対象に,代表的な入門書を紹介したものです。今までみられたこの手の文献解題の多くは,大学の先生方が書かれたものであったためか,「入門者向き」とうたっていてもかなり高度なものが散見され,正直言ってあまり役にたたないものが多かったように思います。このガイドでは,皆さんと同じ学生の視点から,言語学を学ぶための指針となるべき文献を(大まかに)易→難の順で紹介したものです。記述に際しては,単に各文献の内容を要約するだけでなく,どのような層を対象としているのかということや,文章の読みやすさなども,学生の視点からかなりのスペースを割いて言及しました。なお,文献の選定は,以下の基準に基づいて行いました。

* 概説書であること→1つの分野を深く説明するのでなく,広く浅く知識がえられるものを選んであります。そのため,新書など,「一般書」の分類に入るものも多く載せてあります。概説書を読み,面白いと感じた分野を見つけたら,そこで言及されている参考文献などを手がかりに,各論のほうへと(狭く深く)入っていって下さい。ここまでくれば入門レベルは卒業でしょう。

* 平易な内容であること→大学の授業でテキストとして使われるような概説書に加え,ことばを扱った一般向けの「読み物」も多くとりあげました。これらは,言語学の予備知識が全くない方でも,小説を読むような感覚で楽しんで読めると思います。逆に,大学院入試などの準備にも役立つように,入門書としては高度なものも一部もりこんであります。

* 記述が中庸であること→入門書という性質上,比較的無難なスタンスで論じているものを扱い,ある特定の学説にかたよっているものなどは避けました。

* 入手が容易であること→大きな書店なら店内在庫がありそうなもので,比較的安価なものを選びました。

* 読みやすいものであること→不謹慎と言われることを覚悟で,内容以外の面(文字の大きさ,文体,図版など)もかなり重視しています。私の経験からしても,いくら内容が秀逸であっても,堅苦しい文体で文字が小さく,章立てが大ざっぱすぎる本は,読む気が起こりませんので…。

―――以上の観点から,私の判断と,それに対する友人,知人の院生諸氏からのコメントをもとに,独自に編集してあります。そのため,従来の解題には必ずと言ってよいほどみられた,いわゆる古典的名著とよばれるもの(Saussure, Bloomfield, Jespersen, Sapirなど)は意図的に省いてあります。これらの名著の概略は,ここに収録した文献のいくつかでもふれられていますし,このガイドで扱ったような,新しく優れた和書の入門書が陸続と出版されている今日では,必ずしもSaussureやBloomfieldから入る必要はないと思うからです。もちろん,私としてはこれらの名著の存在を否定するつもりは全くありません,というより,言語学を専攻されている方なら,これらの文献は避けて通れないものであると思います。そのため,機会があったら,ぜひ翻訳でもかまわないので目を通してみることをおすすめします。

なお,本ガイドの企画,草稿の段階で,小川多香子さん(東京大学),武黒麻紀子さん(日本女子大学),内田ららさん(日本女子大学)をはじめとした院生の方々から,多数の貴重なご意見をいただきました。心からお礼を申しあげます。


★言語学全般★

(1) 城生 佰太郎・松崎 寛 著 『日本語「らしさ」の言語学』 講談社

1995年・1700円

「日本語らしい」とはどういうことか? という,類書にはみられないユニークな視点から言語学を論じています。最近のテレビ番組や雑誌などからの例が頻繁に使われていたり,ジョークをも交えた軽い文体であるため,堅苦しさがなく,一気に読み進むことができます。言語学概説というよりはあくまでも言葉を題材とした読み物という感じなので,言語学をこれから学んでみようと思う学部生の最初の一冊としておすすめします。これが物足りなくなればEなどへ進むとよいでしょう。


(2)城生 佰太郎 著 『言語学は科学である』 情報センター出版局

1990年・1450円

人類最古の書き言葉の話題から始まり,未来の日本語はどのように変わるかという科学的な予測まで盛り込んだ,ユニークな概説書です。@よりは若干高度な内容ですが,学問としての言語学の殻に閉じこもるのでなく,言語学が日常生活とどのように関わっているかということが随所で明確にされているので,一般向けの読み物としても十分楽しめます。言語学全般をコンパクトにまとめた章もあるので,これから言語学を学ぼうとしている人が,本格的な概論書に入る前にぜひ目を通しておきたい本です。


(3) S. Pinker 著 椋田 直子 訳 『言語を生み出す本能』 NHKブックス

1995年・上下巻 各1300円 

原著の出版と同時にアメリカで大きな反響をよんだベストセラーの翻訳です。人間は本能的に言葉を用いて考え,生得的に母語を獲得するのだというスタンスから,サピア・ウォーフ仮説に反論を挑みます。「言葉とは何か」というきわめて根元的な問いに対し,MITの気鋭の研究者である著者が実に興味深く論じています。内容が内容だけに,上記2冊の読み物よりはとっつきにくいかもしれませんが,特に生成文法理論や心理言語学,認知言語学などに関心を持つ人は,背景知識を知る上でも必読の本です。


(4) G. Yule 著 今井 邦彦 他 訳 『現代言語学20章』 大修館書店

1987年・2678円

平易な概論書としておすすめしたい1冊です。従来の概論書の内容に加え,社会言語学や心理言語学といった応用言語学にも,かなりのページを割いているのが特徴です。扱っている領域が幅広いので,全体として深みに欠けるきらいがありますが,各章が簡潔にまとまっているので,関心のある分野だけを拾い読みすることもできます。言語学を学ぼうとしている学部生はもちろん,理論言語学を研究されている方で,応用言語学の領域を一通り眺めてみたいと思う方にもぴったりです。


(5) 石黒 昭博 他 著 『現代の言語学』 金星堂

1996年・3500円

新進気鋭の先生方による分担執筆で,理論言語学と応用言語学がバランスよく扱われています。抽象的な説明や用語の解説に終始するのでなく,様々な話題をあげながら,それらを言語学の観点ではどのように分析するかということが,具体的に示されているのが特徴です。従来の類書で軽視されがちであった,言語学と文学の関連や,動物のことば,日本語の特質といった分野がとりあげられているのも特筆できます。値段が高めなのが気になりますが,言語学の概説書として万人におすすめできる一冊です。


(6) 小泉 保 著 『日本語教師のための言語学入門』 大修館書店

1993年・2575円

日本語を軸に据えた言語学の入門書という点で,類書とは一線を画しています。理論言語学全般にわたって,((7)ほどではないにせよ)身近な実例やさりげないユーモアをまじえながら論じています。特に,日本語研究で注目されているテンスやアスペクト,ムードといった事項は懇切丁寧に書かれています。生成文法など最近の枠組みでなく,きわめてオーソドックスで,かつ穏健中庸な立場にたっているので,初学者にもとっつきやすいかと思います。日本語教育能力検定の受験対策にも役立ちます。


(7) 小泉 保 著 『教養のための言語学コース』 大修館書店

1984年・2369円

「教養のための」とうたってはいますが,内容的には読み物というよりは言語学の概論書であり,ある程度言語学に関心がないと退屈すると思います。随所にあげられている,モリソバとザルソバ,富嶽36景といった,通俗的,日常的な話題は興味深いのですが,これはあくまでも導入としてであり,メインは言語学の基本的事項のオーソドックスな解説です。最新の研究動向まではカバーしていませんが,内容は網羅的で,扱っている専門用語も多いので,CやDが物たりなく感じる人に最適です。


(8) 西田 龍雄 他 著 『言語学を学ぶ人のために』 世界思想社

1986年・2300円

言語学入門書の中でも,かなりハイレベルな位置づけになるものです。理論言語学全般に加え,社会言語学,言語人類学,言語類型論,文字学,コンピュータと言語といった周辺分野ももりこみ,非常に密度の濃い解説がなされています。この本は,ある程度言語学の基礎知識を身につけている人が,その知識により磨きをかけるものととらえるべきでしょう。特に,巻末の文献解説は,Paul, Saussureといった名著の内容が詳説されているので,大学院受験の準備用としても最適です。タイトルにつられて1冊目の入門書として買うと,きっと後悔すると思います。


(9) 加賀野井 秀一 著 『20世紀言語学入門』 講談社現代新書

1995年・650円

一通り言語学の入門書を読み,専門的に研究していこうと決めた人が,そのバックグラウンドを知るうえでおすすめしたいものです(「言語学入門」というよりは「言語学史入門」のような気もしますが…)。

Saussure, Jakobson, Martinet, Bloomfield, Chomsky, Fillmoreといった著名な言語学者をたどっていくうちに,青年文法学派の活躍から,構造主義,記号論の台頭,生成文法,生成意味論へという言語理論の変遷が体得できるようになっています。「入門」とはいえ,言語学に強い関心を抱いていないと読むのに骨が折れますが,大学院受験をする方などにはおすすめしたい一冊です。

(10) 中尾 俊夫・寺島 廸子 著 『図説 英語史入門』 大修館書店

1988年・1957円

歴史言語学や英語史に関心を抱く方へおすすめしたい本です。数ある入門書の中でも写真や地図の多さでは群を抜いています。歴史が好きな人は図版を眺めるだけでも楽しめるかもしれません。もちろん,内容的にも入門書としては必要にして十分な記述で,類書にくらべてOE, ME, ModEの各英語のテクストが文学作品から数多く引用されているので,英米文学を専攻する人がその時代背景を知るうえでも大変役に立ちます。講談社現代新書からも「英語の歴史」という同著者の本が出ていますが,図版が多いぶん,こちらの方がはるかに分かりやすいです。


★社会言語学★

(11) D. Tannen 著 田丸 美寿々 訳 『愛があるから…だけでは伝わらない』 講談社

1995年・1500円

自らの離婚の原因を言葉のやりとりの面から考察することによって,世界的にも著名な言語学者となったTannen氏の3部作のうちの1冊です。著者の経験が豊富にもりこまれているので,専門外の人でもついひきこまれてしまい,知らず知らずのうちに,会話分析という,社会言語学の中でも脚光を浴びている分野に関する基本的な考え方を知ることができます。こんなふうに言語学は社会の役にたつのか,ということを実感させてくれる,好個の入門書です。特に彼氏(彼女)のいる方は他の2冊*とあわせて一読し,互いをより理解する方法を,言語学から探ってみてはいかが?


(12) 大内 博 著 『コミュニケーションの英語』 講談社現代新書

1993年・600円

英語を身につけるにはまず文化背景を理解することが必要であるという観点から,感謝,褒め,慰め,依頼といった様々なspeech actsをとりあげ,それぞれの場面においてどのような表現を用いればよいかということを,著者の経験や映画などの例をあげながら,具体的に示しています。英語に関わっている人なら言語学にたずさわっていなくても読み物として楽しめますし,社会言語学や異文化コミュニケーションに関心を抱く方は,本格的な概論書に進む前の準備体操として(13)とあわせて読んでおくことをおすすめします。


(13) 脇山 怜 著 『英語表現のトレーニング』 講談社現代新書

1990年・600円

社会言語学の研究対象の一つであるpoliteness theoryを,実際の言語運用の観点から大変分かりやすく解説しています。断る,謝る,苦情を言うなどのいわゆるface-threatening actsを中心にとりあげ,いかにカドをたてないでこのような内容を伝えるかという点を平易に述べています。その他,敬語や呼びかけ形式,婉曲語法といった,(ミクロ的な視点からの)社会言語学で扱う内容はほぼ網羅されているので,(14),(15)などの概論書を読む前に目を通しておくとよいでしょう。社会言語学の知識がどう実際の言語運用に役立つのかということが,この本全体を通して感じとれると思います。


(14) 田中 春美・田中 幸子 編著 『社会言語学への招待』 ミネルヴァ書房

1996年・2575円

新進気鋭の著者による分担執筆で書かれた,社会言語学の概説書です。出版年が新しいこともあり,今までの概説書にないようなトピックも随所に見られます。記述はきわめて平易で読みやすく,しかも日本語の例が多くあげられているので,社会言語学をこれから学んでみようと思う学部生が,(17)の前段階として読むには最適です。本書で扱われていない,言語政策や二言語使用(bilingualism)などの分野は(17)などで補う必要があるでしょう。参考文献や索引がもう少し充実していれば申し分ないのですが…。


(15) 東 照二 著 『社会言語学入門』 研究社出版

1997年・2300円

欧米の書物の翻訳や分担執筆でなく,1人の日本人がすべてを書きおろした,数少ない社会言語学の概説書です。社会言語学の予備知識が全くない人の入門書としてだけでなく,アメリカの社会言語学研究の最新動向も紹介されているので,院生レベルの人にとってもこの本から得るものは多いと思います。従来からの,形態的側面からの言語学研究だけでなく,社会言語学も立派な言語学の一分野であるという著者の主張が至る所ににじみ出ていて,それが類書とはひと味違った新鮮さを醸し出しています。

(16) 鈴木 孝夫 著 『日本語と外国語』 岩波新書

1990年・680円

日本語と外国語(特に英語)を文化的な側面から比較したもので,比較文化や異文化コミュニケーションに関する入門書として恰好のものです。黄色の太陽,6色の虹といった,日本と欧米でとらえかたの異なる具体的な例をあげ,著者独自の主張や体験談も盛りこみながら,読みやすい文体で語っています。この手の本にありがちな,欧米崇拝の立場からでなく,漢字の果たす役割を2章にわたって説くなど,日本語の利点も積極的に押しだしているのが特徴です。専門外の方でも読み物として気楽に読めますし,言語相対論を理解するにあたっての前段階として,社会言語学が専門の人も得るものは多いと思います。


(17) P. Trudgill 著 土田 滋 訳 『言語と社会』 岩波新書

1975年・620円

社会言語学に携わっている者でこの本を知らない人はいないと言ってもよいくらいの名著で,言葉と民族,言葉と国家,言葉と地理といったマクロ的な視点を中心に社会言語学全般を概説しています。入門書という位置づけですが,英語以外の外国語の例がかなりあったり,無駄を省き,かなりの内容が圧縮されていることもあり,本当に社会言語学に関心を持っている人でないと読むのはつらいです。出版年が古いこともあり,Mを読んで,さらに深く理解したいという人が読むとよいのではないでしょうか。


★問題集・ワークブック★

(18) 田中 春美 編著 『言語学演習』 大修館書店

1982年・2310円

中学校や高校の頃親しんだ学習参考書のような体裁で,言語学(主に理論言語学)の要点解説と,それに関連した多くの練習問題が領域別に編集されています。問題も,学部レベルの基礎的なものから,レポートや卒論のテーマとしても通用するものまで網羅しているので,大学院入試の準備用としても最適です。ただ,出版年が古いので,進歩の著しい分野,例えば,生成文法は標準理論までしかカバーしていませんし,語用論や社会言語学などの周辺領域はほとんど扱われていないのは残念です。改訂が期待されるところです。


(19) 町田 健 他 編著 『言語学大問題集163』 大修館書店

1997年・1800円

最近の大学院入試に出題された問題を厳選した,言語学の赤本といった感じの本です。入試問題という性質上,分野にかなり偏りがみられますが,有名大学の問題を中心に扱っていることもあり,難問ばかりです。Qより問題数は少ないのですが,これを1冊こなすのは至難の業で,大学院入試の対策用として使うと,逆に自信をなくしかねないような気もします。解答や解説は非常に丁寧なので,自分の受験する大学の問題に絞って挑戦してみたり,関心のある分野のみを重点的に学習するといった使い方が最適でしょう。


付・英語で読む言語学の入門書

学部生や英語を専門とされていない方でも比較的読みやすい,洋書の言語学入門書をあげてみました。いずれも,内容はもちろん,英語自体も平易なものばかりです。洋書の紹介は,次年度版でさらに拡充したいと思いますので,ご意見をお待ちしています。

Jean Aitchison (1992) Linguistics: An Introduction

Hodder & Stoughton

これ以上平易な言語学の本はないと言ってよいくらい分かりやすく書かれた,言語学全般に関する「入門書の入門書」と言った趣の本です。いわゆるformal linguisticsとsociolinguistics, psycholinguisticsなどのapplied linguisticsを対等の比重で扱っています。また,言語学全般の入門書にしては珍しく,生成文法の基本となる考え方にも,かなりの紙数を割いてふれられています。私が初めて手にした言語学入門書がこの本だったこともあり,個人的には大変気に入っていますが,言語学の授業を今までに受けたことがある人にとっては,学部2,3年生でも易しすぎると思います。言語学を学んでいる学部生の皆さんは,内容云々より,英語の勉強をかねて読んでみるといいでしょう。


Janet Holmes (1992) An Introduction to Sociolinguistics

Longman

代表的な社会言語学入門書で,翻訳が出ていないこともあり,日本の大学でもテキストとしてよく使われています。豊富な例と解答つきのexercisesは類書にない特徴で,独習にも最適です。社会言語学全体を網羅していますが,どちらかと言えばマクロ的な分野(二言語使用,言語政策など)に重点をおいています。そのため,politenessやaddress formといった,ミクロ的な社会言語学に関心がある人にとっては物足りなさが残るかもしれません。


Ronald Wardhaugh (1992) An Introduction to Sociolinguistics

Blackwell

 この本も社会言語学の入門書としては定番的な存在ですが,Holmesのものにくらべて全体的にオーソドックスな体裁になっています。練習問題もHolmesにくらべてかなりレベルが高く,本文も,例が少ないぶん,密度の濃い記述になっています。また,ミクロ的な領域も扱われているので,Holmesを通読した人が,関心のある分野を拾い読みするのにも最適です。入門書とはいえ,かなり高度なことも扱われていますが,英語は非常に読みやすく,余白を大きくとってあるので,書き込みなどをする際に便利です。

* Tannen氏の著作は,他にも,You Just Don't Understand(田丸 美寿々 訳『わかりあえない』講談社)やTalking from 9 to 5, Women and Men in the Workplace: Language, Sex and Power.(訳書なし)などがおすすめです,これらは,アメリカで何年もベストセラーになるほどの評価をえています。

(c) K. Sekiyama, 1997

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