その13 私は、何をしたいの?

 あるとき、また私はいつものようにカオリさんに愚痴をたれていました。
「石田課長が3課じゃなくってインターネット課だって、いったんですよ。それなのに、私が移るなんて話、一言もでないです」
むりむり。石田課長の力じゃ。
「マルチって、もう人を増やしたりしないんですかね?」

「社長がかわったし。もう続けるのも無理なんじゃないかしら
と諦め顔のカオリさん。
「一ノ瀬さん、マルチ潰れたら会社起こすって、昔言ってましたけど」
かつてマルチができたばかりのとき、一ノ瀬さんが冗談めかしてそう言ったことがありました。
「うーん、どうかな。」
上司にもがんがん突っかかる積極的だった一ノ瀬さんは、なんだか丸くなってしまいました。 亜弥さんともめでたく結婚し、夫婦でなかよくマルチにいます。 亜弥さんのお腹も大きくなってきました。先立つものが必要となってしまって、 独身時代のように無茶はできなくなってきたのかもしれません。下山さんは
「別に、昔していた仕事にもどるだけだし、マルチがなくなったって、なんともないよ」
と言っています。新人だった小倉くんたちも、「別に…」という感じ。みんなあまり執着心がないみたいです。私一人が、執着しているんです。

  この会社に入ってから、がんばっている人たちをなんとなく追いかけて、楽しそうなことに 首を突っ込んで、いろいろやって、5年。 そして今、追いかけていた部署が、人たちが、なんとなく変わってしまった。私は中ぶらりんの気持ちでした。 私は、何を目指したらいいんだろう?
 システム3課でUNIXの仕事をしていると、たしかに充実している。UNIXの世界は、本当に面 白いです。でも、それが本当にやりたかったこと?

「私は、本当はなにをしたいんだろう?」
気がつくと、自分に問いかけていました。

 そもそも、マルチに行きたかったのはなぜ?
−−−−面白そうだったから。
 何が面白そうだった?
−−−−コンピュータで絵を描いたり、Webデザインとかすること。
UNIXも面白いけど、課を移るための手段として勉強したんだし。 根本は絵を描くのが好きという気持ち、小さい頃からまんが家を目指していたのと同じで、得意なことを生かしたいという気持ちです。
 ちょっとまってよ。うちはSE会社です。お客さんの要求を聞いてシステムを開発するところです。コンピュータで絵を描いたりWebデザインすることは、 SE会社の仕事じゃない。デザイナーとか、CGクリエイターとか、でしょう?
  SE会社でデザインの仕事したいってごねたって、それは無理な要求。上司が聞き入れるわけはない。そしてそういう仕事のできる可能性のあった、マルチも、もうすぐ潰れるという。

 じゃぁ、私のしたいことは、T社ではできない。 ここにいては駄目なのかも。
  初めて、「転職」ということばが頭をよぎりました。

 いままで、会社を辞めるということにマイナスイメージしか持っていなかった 私です。 キャリアウーマンぶって、できる女になろうとしていた私は(当時そういうのが流行りだったんです)、辞める女の人たちを「負け」だと思っていました。 男と同じぐらい働けないなんて、情けないよ、って。でも、そうとは限らない、積極的な理由で辞めることも、ありなんだ。

 よし、転職しよう!
 そして、自分のやりたいことを仕事にしよう!

 決心すると、 気持ちがぱーっと晴れたような気がしました。 自分に、新しい未来が待っているような、そんな気分になりました。 仕事のいやなことも、「なんでこんなことしなきゃいけないんだろう」と悩むのではなく、 「いつか辞めるんだし!」と我慢して、乗り越えられるようになりました。

  こうして私は、転職を思い立ったわけです。このあと私がどういう転職活動をして、どんな運命をたどったかは、本編「転職失敗記」の方を読んでください。(って、おそらく読んでいるでしょうが。)

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