転職失敗記その25

そして、現在…

その後、どうなったか…。

E社を辞めたTさんは、別の会社で頑張っている。
「俺も辞める」と言っていたDさんも、私の後数ヵ月してやめ、別の会社に入った。
ふたりとも、かなり多忙だそうだが、どんどん仕事も来ているそうだ。
突然の退社でびっくりさせたBさんは、実力のある人だけに 多くの会社が声をかけてきたらしい。
現在の別の制作会社にいる。最近急上昇してきたところで、前デザイン関係の知人が 「あそこががんばってるからE社の仕事減ったんじゃないの?」 と言っていた。
ちなみにその会社は、E社を辞めた人が他にもいる。

そして、頑張ってE社で働いている人も、いる。
E社は、かつての「厳しい状況」を乗り越え、順調なのだそうである。

さてE社の前に私が辞めたT社は、 そこそこ順調、かつて減らした新人採用もバブル期並に戻った。 「COBOLとJavaはどう違うのか」とおっしゃった常務は社長になり、 その社長のご機嫌を取りたい管理職連中のせいで、y2kのときは 随分社員が迷惑を被ったようだ。
かつて私が行きたいと思った、インターネット・マルチメディア関連 研究開発の部署は、組織改訂の際に、あっけなく潰された。

ある日、なんとなくコンビニで手に取った雑誌…それは、 地元の出版社が発行している、お固い経済関係の雑誌だった。
ページをめくると、そこにE社が載っていた。 注目の成長企業の紹介ということであった。
記事は社長のインタビューをもとに構成していた。 立ち読みなのであまり覚えていないが、社員のやる気を尊重し、とか、 必要な技術をいち早くとりいれないとやっていけないとか、 自分でマシンを組んでそれを売っていることとか、 自作マシンなので社員には理想的な環境だとか、 聞いたことのあるようなことが、それらしく書いていたと思う。
社長の大写しの写真が一枚。 フラッシュを受けて笑みをたたえる社長の背後には、
「もうやめたいー」とぼやいていたPさんが、
「あの人、たくさんの人の人生めちゃめちゃにしているでしょう」と 言った先輩が、かすかに写っていた。
この記事を読んだ人が、まさかE社があんな会社だとは、思うまい。

私がE社を辞めて、随分長い時間がすぎたような気がする。
こうして振り返ると3年ぐらい前のような気分だが、まだ一年 経っていないのだ。

私の経験は、決して無駄ではなかったと思う。
自分の甘さを知ったし、知らない世界を知った。 いろいろな人達との出会いがあった。
世の中は厳しい、頭では判っていたけど実感としてそう思った。
T社でずっと働いていたら、こんな体験はできなかっただろう。

さて、私自身はどうなったか。

その後、ありがたいことに、私の状況を見兼ねていろいろな人が 声をかけてくれた。そのおかげで、 アルバイトや短期雇用で、なんとか仕事はしている。
しかし雇用期間が終れば、また無職。(主婦とも言う)
それに、CG関係の仕事ではなく、システムエンジニアの方だ。
ハローワークでもそうだし、昔転職サイトM社の訪問でおねえさんに 言われたとおり、システムエンジニアなら仕事もある。
だけど、これなら、なんのために東京に勉強しにいったんだろう…
またシステム屋に逆もどりだなんて。

結婚もしてしまった。
もうすぐ30代、子供も産まなくてはならないし、 求人から外れる年齢だ。

私は、コンピュータで絵を描くのが楽しくてたまらなかった、 あのころの、A校で学んでいたころの気持ちを、 せめてもう一度取り戻したいと、思っている。
そしてまたCG業界に挑戦したい。

私は、ふたたび、スタートラインに立つことになった。
私の思う、ハッピーエンドを夢見て。

今度は、失敗しないぞ!

 

 

<<終わり>>

 

最後まで見て頂いて、ありがとうございます。
書きはじめたときは、こんなに続くとおもわなかったし、 こんなにたくさんの人に見てもらえると思っていませんでした。
私は、まだハッピーな状態ではありませんが、 いつかハッピーになれるように、これからもがんばりたいと思います。
そして、同じように、転職を目指している方、CG業界を目指している方、 こういうこともあるっていうことで、勉強になりましたでしょうか。(笑)
お互い頑張りましょう!

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