(1999年3月16日改訂)
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ネットワーク型の民主主義を推進していくと、最後にはグローバルブレインとしての人類社会に到達する。先進各国で行われつつある行政改革や情報公開の流れをマクロな視野で見ると、それはグローバルブレインへの道である。この視点から、行政改革や情報公開を把握し、行動する必要がある。
インターネットを通じて市民が行政を制御できるように、市民による行政情報の入手、政策提言、直接民主制の実現などが、インターネットを主要な舞台として行われていくであろう。そして、市民が政治に直接に参加するために形成する市民型バーチャルシンクタンクが多数あらわれるであろう。数千年前までは、村の事は村のおとなが集まって決めるという直接民主制が、行われていた。また、経済も再生可能な範囲で自然から資源を得て、廃棄物は自然に帰るという循環型経済であった。現在は、地球規模で直接民主制への回帰,循環型経済への回帰が必要な時代となった。
直接民主制への回帰という観点からは、次の事が言える。
間接民主制は民意を反映しにくく、職業政治家が自己の保身と権益維持を優先して、社会の課題にまともに取組まないで、問題先送りをしがちである。インターネットの発展により、市民が直接に自分達で意思決定をできる環境ができつつある。市民型シンクタンクを多数形成し、多くの市民が意見交換し、意見の集約を図る事が重要である。今後は、議員は市民型シンクタンクの代表者としての位置付けになっていくであろう。
循環型経済への回帰という観点からは、次の事が言える。
自然の回復力を越える量と内容の廃棄物を生み出す文明を、我々人類は構築してしまったので、そのもとで循環型経済を実行するには人間や、コンピュータなどの情報処理装置の働きによって、廃棄物に負のエントロピーを注入するしかない。これは、エントロピー増大の法則からみての必然である。すなわち、人力または情報処理装置を用いた「廃棄物の分別」、「廃棄物から有用物の生成」をやっていくしかない。このためには、@材質ラベリング付きの製品、Aセンサの多様化と標準化、B分別ソフトウェアの開発と流通が必要である。この事が実現できた状態をマクロに見ると、インターネットという神経系に接続された人間やセンサが、廃棄物を分別したり、有用物に再生する状態となる。この方法でもどうしても残ってしまう廃棄物は、マントル対流の中に投入して、マントルの中で熔融して数億年後に地球表面に回帰するようにして処理するしかないと考える。
人類は、生命体としての地球(ガイア)の一部である。ガイアを破壊することなく、ガイアの生命力を高める事が人類の個人個人の欲望も満たす事になるという仕組みや価値観を早急に構築しなければならない。ガイアを汚染し、国家間や宗教間で争う事は、本当に馬鹿げた所業である。国家は国家主権を主張し、他の国や地球全体の事をなかなか考えようとしない。宗教は自分の神にのみ忠実で、他の宗教を認めようとせず、数千年にわたって争いの原因となり続けてきた。国家主権も宗教も価値観が根本的に間違っているのである。全ての価値の基準を「ガイアと人類の共存のためになるかどうか」に置くべきである。神は存在しないが、ガイアと宇宙は存在し、我々および花も木も山も海も全てのものがその一部であり、兄弟である。また、宇宙そのものも生命体である可能性がある。宇宙そのものを神と呼ぶのであれば、呼べばよい。現在、人類は今までの価値観のもとでの成長の限界に達した。価値観を変えねば滅亡する。価値観を具体的に体現するものは、「マネー」である。
「ガイアと人類の共存のためになるかどうか」という価値観でのマネーの体系を構築しなければならない。
また、人類の成長の概念も変更しなければならない。工業製品の生産高やGNPによって人類の成長を計測していたのでは、地球上という限りのある資源の中で生活する人類は破滅に向かう。この事は、人類が宇宙に生活圏を広げても本質的には同じである。人類の成長の主要な舞台を、情報空間に求めなければならない。人は視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚という五官によって外界を認識している。さらに自分自身の体や心の状態を感じる内観もある。外界を認識する五官と自分を感じる内観によって感じられる情報世界に人は生きているのである。極端に言うと、この情報世界が充実して幸福に満ちたものになれば、良いのである。工業製品も食料も住居も音楽も、この情報世界を充実して幸福なものにする道具である。ガイアのためになるとともに、人の情報世界を充実させ、幸福なものにする活動かどうかを計測し、その総和が大きくなるように社会活動を制御することで、人類の幸福と人類の生存基盤であるガイアの幸福が調和する。幸福な情報に囲まれた人が100年間の幸福のような感覚を情報世界から得られたならば、実際の期間が1年であって、1年後に死んだとしても、その人は十分に幸福だったと思うであろう。一般に人の時間感覚は年齢とともに変化する。通常は、若い時には1年を長く感じるし、年をとるに従って、1年を短く感じる。もしかしたら、若い頃の10分の1の時間に感じているのかもしれない。素晴らしい哲学や思想や音楽や映画は、年老いた精神にさえ活力を与え、時間を長く感じさせる。
「社会循環の法則」に基づいて、1978年にソ連の崩壊を予測し、1994年に現在の世界恐慌を予測したラビ・バトラーは、21世紀の最初の10年間で資本主義は崩壊すると言っている。そして、資本主義の崩壊の後に「プラウト」が新しい人類システムの指導原理となると言っている。プラウト(PROUT)とは、Progressive Utilization Theoryである。このプラウトも、新しい価値観であるが、もしかしたら人類とガイアが調和していた数千年前の価値観にもどるものなのかもしれない。
ノーベル経済学賞を受賞したインドのアマルティア・セン教授は、「富の分配の平等化の圧力をもたらすので、民主主義は飢餓の防止機構となる」,「貧困とは自由の欠如であり、収入は自由を増大させる一要素にすぎないので、収入が多くても病気で寝たきりの人は貧困である」,「人間は自己利益の最大化を目指す存在であるという前提の経済学は、人間の把握の仕方が間違っており、現実とはあわない。利他を生きがいにし、行動規範とする人間も多い事を考慮すべきである」などの主張をされ、理論をまとめられている。また、アマルティア・セン教授は自由な経済活動をもたらす「市場経済メカニズム」の有用な面も認識されているが、市場経済メカニズムは収入の格差を広げる傾向があるという事と、「医療と教育」を社会の構成員の全員が不安なく受けられる事の重要性も指摘されている。その点で、医療保険制度のないアメリカの社会の大きな欠陥と、識字率の低いインドの欠陥を指摘している。また、アマルティア・セン教授は金融工学のような予測を目的とした経済学ではなく、評価を目的とした経済学を指向しており、経済指標として「人間開発指数」というものを考案している。
アマルティア・セン教授の理論は、経済学理論にとどまるものではなく、社会システム理論と言えるものだと考える。ラビ・バトラーの言うPROgressive Utilization Theory(PROUT)を具体的に説明する理論であると考える。日本の社会構造は、「PROUT」に近い位置にある。日本の社会保険制度と義務教育制度の現状は、問題を抱えてはいるが、世界全体のレベルから見ると、誇れるものである。しかし、制度を運営する官僚による害悪をいかに低減しつつ、これを発展させるかが日本にとっての重要な課題である。共産主義は、経済的な平等を共産党官僚による独裁のもとで実行しようとしたために、政治的には完全な不平等社会を出現させた。そして、結局は共産党幹部を頂点とする身分制を敷いてしまい、封建社会へと退行してしまった。このような「官僚制の欠陥」に陥ることなく、アマルティア・セン教授の理論を実現できる社会システムを実現する必要がある。それには、「事務局の官僚化」を克服して、「民主主義原理の徹底」を推進することが、必要である。
どのような組織にも、組織内で資源を分配したり、組織を管理するための「事務局」が必要になる。「事務局」は、本来は組織の目的を達成し易くするための支援活動や奉仕活動をするもののはずである。しかし、人間の持つ「権力欲」,「自己保身欲」の作用と、組織の対外窓口や組織統制の役割を「事務局」が担う事が多いとの状況が原因で、「事務局」は権力組織に変質する。民主主義,共産主義,国家組織,会社組織,労働組合組織など、既存のどのような組織においても、事務局は奉仕組織から権力組織に変質する。これを「事務局の官僚化の法則」と名付ける。特に、事務局の構成員が事務局専従者であったり、事務局が階層組織を構成している場合には、「事務局の官僚化の法則」からはほとんど逃れられない。奉仕者であるべき事務局員が、権力者に変質したものを「官僚」と呼ぶ。PROUTの崇高な理想を実現するためには、「事務局の官僚化」を防ぐための仕組みを確立する必要がある。
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