2001.1.10 のこと 
長いこと(約一週間),日記をお休みしてて,ごめんなさい。
そろそろ,活動を,と思って書いてみます。
実は,仕事が忙しくて書けなかった,のではないです。

1/10 に,友達が息を引き取りました。
一昨年バイクの事故に遭い,ずっと意識が戻らなかった友達です。

連絡があったのが,夜だったので,日記にその事を書くこともなく
正直言って,ショックだったので何も書けなかった。
お通夜,お葬式と慌ただしくすぎ,日記どころか,メールも,
何もかも…何か書こうとしても,頭を占めていることは,
友達の「死」でいっぱいで,毎日仕事をしているだけで精一杯で。

日記が更新されていないので,「体調崩してない?」とか,
いろいろメールを頂いたのに,お返事出せなくてごめんなさい。
事故のことを日記に書いたとき,励ましのメールをくれた友達に,
「亡くなった」ということを伝えなければならないのも判っていたのに,
どうしても,それを送ることが出来なかった。
ごめんなさい。

「この世の中で,死なない人など居ない」
というのは判ります。
だけど。
理解できなかった。
どうして「この若さで」なのか。
どうして「事故で」なのか。
もっとエゴなことを言えば,
どうして「友達」でなければならなかったのか,
です。

人が生きている意味,も判りません。
でるがどうしてこの世に生を受けたのかといわれても,
たぶん,言えません。

でも,それ以上に
「何故友達が,この歳で事故に遭い,亡くならなければならなかったのか」
について,どうしても理由が見つからないし,納得出来ない。

お通夜の席で,友達の顔を見せてもらいました。
眠ってるみたい,というのが本当にぴったりでした。
揺さぶったら起きるんじゃないかって思えるくらいで。

バイクの事故だったのだけど,奇跡的に,ほとんど顔に怪我をしてなかったので,
安らかな顔で,事故の直後から意識が戻ってないので,
本人にとって,それほど苦しまなかったのだろうかと思ってみました。

眠っているみたい,ではあっても,やっぱり「生きていない」というのは,
判ります。

「もう,友達は ここには居ない」

そう,思えました。
肉体は,確かに目の前にあるんだけれど,
心は,もう,手の届かないところに行ってしまったのだと,
そう思いました。

そう,理解できたことが,でるにとっては,
救いだったかもしれません。

残された者に出来る事は,ただ悲しみ嘆くことではない,
と,ある友達に言われました。

だから。
永遠に時を止めてしまった友達へ。
私は,あなたがこの世に生きていたことを忘れません。

January 18, 2001