親愛なるあなたへ 

真夜中の電話は、それだけで少し緊張してしまう。
一人の部屋に鳴り響くベルの音は、これから起こることに対する
開幕のBellのようだ。

PCに向かってWeb Pageの原稿を打っているときに、携帯がなった。
カバンに入れっぱなしの携帯をあわてて取り出し、
ちらっと時計に目をやると日付がそろそろ代わろうとする時間だ。
こんな時間に誰だろう?

「もしもし?」
「あー、私、私。E理だけどー、今どこ?」

少し騒がしい周りの音をバックに、E理の妙に陽気な声。
携帯にかけてくるということは、
Del がまだ外にいると思ってるということだ。

「家だよ」
「あーそー。じゃっさーあと少ししたら、ここ出るからー、
 んで小一時間くらいしたら、かけ直していいー?」

ここっていうのがどこか判らなかったけれど、
どうやら、どこかで呑んでいるようだ。

「いいよ、まだ起きてるから、家の方にかけてきて」
「りょーかーい」

そういうとE理は電話を切った。

めずらしい、こんな時間に外からかけてくるなんて、
と思いながらも、彼女からいつかかってきてもいいように、
子機を側にもってくると、とりあえずまたPCに向かい、原稿を打つ。

E理がさっき言ったとおり、小一時間する頃に電話がなり、
今度はE理だと判っているので、すぐ子機をとった。

「ごめんね、こんな夜中に」
「いいよいいよ、家帰ってきたの?」
「そそー、ちょっと呑んでた」

こんな時間にかけてくるということは何か話があるんだろう。
それも、きっと長くなる話だ。E理の様子がそう告げている。
そう思ったけれど、こちらから切り出すわけにもいかず、

「もしよかったら、うち来ない?なんだったら、
 車で迎えに行くけど」
って訊いてみた。

「んー、いいわー。今さすんごい、みっともないしさー、
 酔ってるしさ、電話の方がいいわ」
「うん」

それを聞いて少し苦笑いしてしまった。
類は友を呼ぶのか、なぜかDel の友達は、強がりが多い。
たぶん、どうしようもない気持ちを持て余して
電話をかけてきたに違いないのに、それでも最後の理性で、
みっともない自分は見せられないと、強がる。

「あんね、別れちゃった」
「…」

唐突に切り出すE理に一瞬言葉を無くした。
E理は社内で知りあった彼氏がいた。もう、5年ほどになるだろうか。
ただ、去年の春に彼氏が東京に転勤になったので、
遠距離恋愛になっていたのだ。

「今日ね、帰ってきたのね。彼がね。
 めずらしいなって、思って。
 でも、週末利用して帰ってきてくれるなんて、嬉しくて。
 デートの待ち合わせして、会ったんだ。
 そしたら、いきなり、別れてほしいって」

二人が喧嘩したとか、気まずくなっているという話は、
全然きいてなかった。
Emailのやりとりも、毎日欠かさずしていると聞いてたし、
週末には長電話して、眠いんだってのろけてたのに?

「なんかねー、好きな人できたんだって。
 なんか、冗談みたいだよね。でも、冗談じゃないみたい」

Del も、突然のことで返す言葉がなく、
ただ話を聞いている状態になってしまったけれど、
E理の方も、気にすることもなく、ぽつりぽつりと話す。

「あのね、彼ね、骨折してたんだ。去年ね。
 左腕だったんだけど、やっぱり不便で、そんときに、
 社内の後輩の女の子が、いろいろ身の回りのこと、
 してくれたんだって。
 それで、その女の子とつきあってるんだって」
「…」

「骨折したって聞いたとき、週末だけでも、そっちに行こうかって
 私、ゆったの。だけど、大丈夫だからって、言ってたんだよ。
 それくらい、一人でできるよって、彼言ったんだ」
「うん…」
「でも、やっぱり不便なことも多くて、
 そん時、助けてくれたのが、その女の子で…。
 辛いときに、側にいてくれることに、情が移ったって。
 だから別れてほしいって…」

もう、E理は涙声で、酔いも手伝ってか
すべての気持ちを吐き出すように話している。
たぶんE理のことだ、彼には、何も言えなかったんだろう。

「ねぇ、私何がいけなかったのかな?
 彼の元にやっぱり行くべきだったのかな?
 離れてちゃ、いけなかったのかな?」
「そんなこと…」

そんなことない、とは、安易に言えなかった。
きっと原因はそこだからだろう。

「くやしいよ。めちゃくちゃ、くやしいんだよ。
 私たち、長いことつきあってた。
 意見がぶつかったときも、もちろんあったよ。
 でも、納得いかないときは、何時間でも何日でも、話し合った。
 遠距離恋愛にだって不安がなかったわけじゃない。
 だけど、ちゃんと、私たち絆が出来てるんだと思ってた。
 長い時間をかけて、作ってきたと思ってた。
 でも、壊れちゃった。
 どうして?なんで?なんで、少し側にいたってだけで、
 その彼女が勝っちゃうの?離れてちゃ駄目なの?
 たった1年だよ?その前に私たちは4年過ごしてきたんだよ?
 くやしいよ…」

畳みかけるように、E理が問い、涙声はついに泣き声に変わり、
電話の向こうで、言葉が止まった。

「ごめん…」
「いいよ、」

深夜に1本のLineだけでつながっているE理とDel 。
だけど、彼女の悲しさとくやしさは、
痛いほど伝わってきた。
納得の出来ない、理不尽な悲しさと、くやしさ。

ここで、
"だいじょうぶ、もっといい人があらわれるよ"、だとか、
"そんな彼氏なんて、こっちから見限ってやればいいのよ"、とか、
そんな言葉を第三者が吐くのは簡単だけど、
それはなんの慰めにもなりはしない。

ひとしきり泣いた後、少し落ち着きを取り戻したのか、
E理はまたしゃべり始めた。

「ごめん。聞いてくれてありがとね。
 さっき彼と別れてから、一人で呑んでて、
 頭の中彼の言葉とか、自分がどうしたら、よかったのかとか、
 ぐるぐる回って、どうしようもなかった」
「うん」
「彼に別れてほしいって言われたとき、何がなんだか判らなくて、
 でも、別れてくれって言われて、そんなに簡単に、はいそうですかって、
 言えないし、ここで別れたくないって、食い下がれば、
 もしかしたら、大丈夫かもなんて、思った。
 なんかだけど、彼が頭下げたのみてさ、なんか、駄目だなって、
 思っちゃった。もう、彼の心には私がいないのが、判っちゃった」
「ん…」
「それとね、やっぱりその時点でも、私は彼のこと好きだってことも、
 判った」
「…」
「いい女ぶるつもりも、何にもないんだけど、納得いってるわけでも
 ないんだけど…でも、駄目だって。もう、追いかけても駄目なのが
 判っちゃったから。つらいけど、仕方ないよね」

最後の「仕方ないよね」は、たぶんDel に対する問いかけではなく、
E理自身が自分を納得させるために言っているのだろう。

「話したらすっきりした。もう、いいや。
 ねね、明日、あ、もう日付が変わってるから今日だけど、
 ぱーっと遊びに行かない?」
無理して笑い、話を切り上げようと、E理は努めて明るく言う。

「あーごめん。仕事だからなー」
「え!あ、ごめん。そうだ。そっちは土日休みじゃないんだっけ!
 わ、こんな時間じゃん。てっきり、休みだと思ってたから…」

E理に、そう言われてみて時計に目をやると、夜中の3時を過ぎている。

「大丈夫大丈夫。ちょっとやることあったから、
 起きてたし。いつもこの時間くらいは起きてるから」
この時間くらい、というのは、ちょっと嘘になるけど、いいよね。

「電話つき合ってくれて、ありがとね。
 じゃさ、お詫びの印に何でもゆってよ。差し入れするよ」
E理が、そう言う。

本当は、"E理が元気な顔を見せてくれたらそれでいいよ"って、
言いたかったけれど、なんだか照れくさかったので
「じゃねぇー、"cocorico"のピーチパイとレモンシフォンパイ買ってきて」
って言った。

「おけおけー、10個でも20個でも買ってくわー」
「そんなに一度に食べられるわけないっしょー」
「大丈夫大丈夫、甘いものは別腹じゃん」

少しだけいつものE理が戻っていた。
ううん、戻ったフリをしているだけなのは判っているけれども。

「さぁて、じゃ、もう切るわ。仕事頑張って」
「うん、ありがとー」

電話を切った後、少し考えた。
E理も彼も、たぶんどちらが悪かったわけじゃない。

淋しいときに、本当に側にいてほしい人が、
側にいないことが、辛いこと。
もちろん、それにちゃんと耐えられる人もいるだろう。
けれど、側にいる人に、情が移ってしまうことがあったとしても、
それを誰も責めることは出来ない。
人間はきっと、弱いものだから。

電話一本のつながりが、なによりの絆を産むこともあれば、
電話を10回するよりも、一目会う方がいいときもある。

E理は、淋しさを我慢できる人であり、
彼には我慢が出来なかった。
たぶん、その少しの差が別れを引き出した。

明日から、
胃がせり上がってくるような悲しみと、
足下をすくわれ、立っていられないほどの
喪失感を抱えて過ごすであろう、E理。

Del が何か力になれるだなんて、そんなことは思わない。
だから、その場限りの慰めも言わない。
たぶん自分の悲しみは、
自分で背負って昇華しないといけないものだから。

ねぇ、E理。
あなたのことだから、
今度会ったらきっと無理して元気なフリをするでしょう?
「もう彼のことなんて忘れたよ」ってうそぶくでしょう?
それなら、それで構わない。
Del は、あなたのフリをそのまま受け止めるから。
だけど、いつか本当に、心からの元気を取り戻してね。

人生って、そんなに良いこと続きじゃないけれど、
でも、きっとそんなに悪いことばかりも続かない。

Del は、そう思うから。
June 07, 1999