何のために勉強をするか 
いつもならでんごんばんへのカキコへは、
EmailでレスするDel だけど、今回はちょっと返事ができなかった。
99/08/09 17:30に書き込まれたNo 77「誰でしょう」さん。
この人かなっていう予想はあるんだけれど<文体とかで(笑)
もし違ってたら失礼で、本当に飛び込みで書かれた人かもしれない。
てことで、ちょっとこの場を借りて返事を書いてみたいと思うのだ。
当然「誰でしょう」さんは、文から考えても、大学生以上なわけで<年
だけど、今日書くことは、ちょっと高校生や中学生の皆さんにも
向けてって感じで書いてます。

 - 思い返してみたら、高校までの「勉強」ってのは、
 - まさに「受験のためのテクニック」でしかないんだよな。
 - 嘘の体系。従順な人間を作るための洗脳。
 -
 - 言ってみたらあまりに簡単な体系だし、
 - 巧くそれを利用できるくらいアタマのいい子ならいいんだけど。
 - あまりに多くの時間を無駄に過ごすことになる。
 -
 - 「そういうことを言うけど、いい人生のためにはいい大学、
 - いい大学に入るためには、今宿題をさせないと」
 - って強迫観念にとりつかれてるんだろう。大半の親、って。

というのが書き込まれた原文。
さて、勉強するって何だろう。
勉強って必要か、なんて今日は考えてみる。

「何のために勉強するん?」って疑問はたぶん誰もが思うんだろう。
「なんでこんな公式とか覚えんとアカンの?何の役に立つん?」
はて、何の役に立つんだろうか?

振り返ってみて、小学・中学・高校・大学、
えーと、6+3+3+4だから、16年だね、勉強ってもんをしてきて、
あの時これをしたから今ここに役立っている!って
明言できるものってないよなー。

微分積分が出来なくたって、セブンイレブンで買い物は出来るし、
砂糖と塩の分子のどっちが大きいか、なんて知らなくたって、
「さ・し・す・せ・そ」の順番に調味料はいれるんだよって、
母親に教わっていれば、砂糖を先に入れるんだって判るはず。
(砂糖→塩→酢→醤油→味噌、ね)

「文中の"それ"の指すものは何か」っていちいち考えなくても、
小説は読めるし感動できる。
変ホ長調なんて知らなくたって、カラオケでがんがん歌えちゃう。

さて、そう考えると勉強したことは何に役に立ってるんだ?
必要ないじゃんって、思うかもしれない。
でも、そこで、役に立たないって答えを出さないでほしい。

まず一つは、Del は、
学生の時の勉強って、勉強の仕方を勉強するんじゃないかって思う。
一見意味のない、例えば百人一首の全部暗記とか、
元素記号の暗記とかね、そゆんって、「暗記する脳の使い方」を
勉強しているんじゃないかと。
だって、そういうことがなければ、人間ってたぶんそういう脳の使い方
しないと思うんだよね。
何かを一生懸命覚えるとか、そういうことが出来るように、
基礎作りじゃないかな。

PC触ってて、いろいろ覚えなきゃならないことがある。
Web Pageをつくるのにも、HTML言語を覚えたりする。
そういうのって、学生のころの勉強に似てるとこない?
きっと、昔そういう「脳の使い方」を体得しているから、
今また同じ様なことを出来るんじゃないだろうか、って思うのだな。
もちろん学術的な裏打ちがあるわけじゃなくて、
Del の勝手な解釈だけれども。

それとあともう一つは、
勉強って直結して役に立っていなくても、もしかしたら、
どこかで目に見えない部分で役に立っているかもしれないってこと。

たとえばね、種を植えて水をやる。肥料をやる。太陽が照らす。
芽が出て葉が出て、花が咲く。
その時に、この日に与えた水は、葉っぱのこの部分を形作り、
この日に与えた肥料は、花びらのこの部分を形作ったのだ、とはゆえんよね?
どこの部分にどう影響を与えたのか判らないけれど、
水も肥料も太陽も、確かに花が咲くまでの役に立ってるわけだ。

じゃ、勉強もそれと同じじゃないかな。
私、っていうものを形作るのに、勉強(知識)っていうのが肥料となって、
「これに役立つため」って明確に判らないけれど、
でも、確かに自分を形成するのに必要だったんだと。

Del は、そう思うんだよね。
だから、無駄な勉強ってないんじゃないかと思うわけ。

確かに今のガッコでは詰め込み教育で、
勉強っていうのが受験の手段でテクニックになっちゃってるけども、
でも、「なんでこんなことしなきゃなんないのよ」って思うよりは、
どっかで役に立ってるんだなって思って勉強するほうがいい。
そして、それだけ「がんばれる」っていうのも、
本当に学生の時ならではなんだよね。今考えると。

がむしゃらに暗記しまくったり、っていうことも、
あとで忘れちゃうんだから意味ないじゃんって思うかもしれないけど、
その時の瞬間最大風速っていうか、脳味噌の極限っていうかさ、
とことん暗記するなんていう努力っていうのは、
学生のころの無理にさせられる環境でないとまずやらない。
#まー、大人になっても自立的に出来る人はいいけれども(笑)

Del ね、今不思議と勉強もう一度したいなぁ、って思うのよ。
大学とかもう一度行きたいなって。
行こうと思えばそりゃ行けるんだけれども(笑)
なんていうかなぁ、例えば嫌いな社会科だって、
今なら興味が持てそうな気がするし、楽しいと思うんだ。
それはね、人に押しつけられてする訳じゃなく、だからだと思う。
テストのための勉強じゃなく、自分で知りたいって思ってやる勉強は
きっと楽しいよね。
勉強することから離れてから、勉強したいと思うなんて皮肉だけれども、
人生きっとそんなことの繰り返しに違いない。
あの時もう少しやっときゃよかったな、ってきっと先になって思うもの。

だとしたら、今知りたいことは、今勉強したいと思うし、
何でもに興味を持ちたいと思う。

大人になって何かをしたいと思ったとき、その土台を作るためにもきっと、
学生のころの勉強って必要なものなんじゃないかな。
目に見えない、水や肥料や太陽としてね。
上手く言えないんだけどね。

Del は、就職することを見越して大学を選んだ訳でもないし、
結果として好きな分野に就職できてるけれども、
大学で学んだことが直接役に立ってるなーって思うことなんて
ほとんどないよ。
人間って「知識」だけじゃ駄目なんよね。
「知識」っていうものを使って応用して「知恵」にしなきゃなんない。
「知識」はガッコでつけれるけれど、「知恵」はガッコじゃ教えてくんない。
仕事の「知恵」はやっぱり仕事をしていくうちに、失敗も繰り返して
覚えていくものだと思うからね。

でもきっといきなり「知恵」って沸いてこないと思うんだわ。
何かしら「知識」(忘れているものも含めて)
つまり自分の今まで学んできたことの応用だからさ。
役に立つから勉強する、立たないから勉強しない、っていうのは、
その時には判らないと思う。

だから、学生のうちは勉強しようよ。
きっと、自分自身の肥料になるから。
目に見えなくても、きっとね。
August 18, 1999