side_story-13 (Miyako.S) 

ぴぽん、っと天上のチャイムが鳴った。
「笹野さん、面会の方がお見えです。時間外ですので短くお願いします」
天上に備わったスピーカーから、看護婦の声がきこえる。
「はい」
私はそう答えるとベッドから身を起こした。
時計を見ると19時を過ぎていた。

程なくして、ドアがノックされ、雅也が現れる。

「すみません。遅くなって」
「いいのよ」
「これ、仕事の資料です。決まったことや、次の予定なんか
 書き留めておきましたから」
「ごめんね。ありがとう」

お昼間の京子とのやりとりが思い出される。

「・‥…昨日、雅也と寝た」
そう、彼女は言った。

「崎谷さんと、キスしたこともある」
そう、言った。

「美也子さん?」
「ごめんね」
「何を謝ってるんですか?おかしな美也子さんだなぁ」
「昨日‥」
「昨日?」

何をバカなことを訊こうとしているのだ。
昨日、京子ちゃんと何があったの?
そう訊いて何になる?
「ううん、何でもない」
「どうしたんですか?何かほんと、変ですよ」
私が気にしてるのは、京子が雅也と寝たこと?
陽介さんと京子がキスしたこと?
その両方?
「ごめん、ちょっと疲れてるみたい」
「すみません、こんな時間に押し掛けちゃって」
「ううん、仕事のこと頼んだのは私の方だから。
 そういえば、お昼に京子ちゃんと野上さんが来てくれたの」
「京子さんと、野上さんですか」
「おもしろい組み合わせでしょう。偶然会ったらしいんだけど」
「京子さん、元気でしたか?」
「‥・」
「あ、いや、昨日京子さんと呑んだんですけど、彼女かなり呑んでたから、
 宿酔いなんかになってないかなって思って」

そういうと雅也は笑った。

「ううん、大丈夫そうだったけど」
「なら、いいんですけどね」

「京子ちゃんと‥」
何があったの?どうして、彼女と寝たの?
「京子さんと?」
「‥・」

言葉が出ない。

「どうしたんですか、何か京子さんが言ってたんですか?」

やっぱり言えない。

「京子ちゃんと、呑んだらつぶされるから、気を付けてね」
そういって私は笑った。
「あー、そうですねー。京子さん強いですもんね。
 昨日も結局二人でボトル一本開けてしまいましたよ」
「そう」
「僕は車だったんで、そんなに呑んでないんですけどね」

沈黙が流れる。
会話が弾まない。

「じゃ、僕これで帰ります。今、詰め所の婦長さんに、にらまれましたよ。
 完全に面会時間外ですからね」
「そうね。ありがとう」
「早く元気になってくださいね」
「うん」
「じゃ、また明日にでも」
「ありがとう」

ぱたん、っとドアが閉まる。
静寂が戻る。

バカだな。私は。
気にしていても口に出せずに。

何も考えずに、眠ろう。
ベッドに横たわり、無理矢理目を閉じる。

けれど考えまいとすればするほど、そこから考えが離れない。

            * * *

ぴぽん。また天上のチャイムが鳴る。
「笹野さん、面会の方がお見えです。時間外ですから」
一言告げると、ぷつんと切れた。
立て続けに時間外の面会人ともなると、あまりいい顔をされないようだ。

「おー、すまんすまん」
そう言って入って来たのは野上さんだった。
「どうしたんですか?」
「いやー、詰め所の婦長さん、どえらい怖いな。
 面会の時間は決められてますからって、怒られたわ。
 そない、にらまんでもええつーにな」
「さっき滝川君が来てくれたんですよ。 すでに時間外でしたから」
「あーそか。まー、規則やからな。せやけど時間内にはなかなか
 来れんやろ?働いとる人とかは」
「そうですね、半休をとってとかになりますよね。
 でも、そんなことより‥お店は?」
「あーそやそや、そんな愚痴をいいにきたんちゃうっつーねん。
 お店は今日は夜中からでええわ。それよりこっちの方が大事やし。
 お昼間のことやけどな」

やっぱり京子ちゃんの事か‥。

「美也子ちゃん気にしとるんちゃうかって、思てや。
 今日中に話とかなって戻ってきたんや」
「今まで」
「ああ、今まで京ちゃんとおった。いろいろ話とったんや」
「そうですか‥」
「あんな、判ってると思うけど、京ちゃん悪気があるわけやないんや」
「判ってます」
「ただ、あの子表現が下手やな。だから、あんな形になってもたけど」
「‥・」
「京ちゃん、まー坊と寝た言うたけど、あれは、嘘やってゆーとった」
「嘘?」
「寝たって言うたら、美也子ちゃんが雅也のことちゃんと考えるんちゃうか、って
 ただそれを思ってゆったらしい」
「‥・」
「ホンマ、何もなかったってゆってたからな、気にすな」
「気になんて‥」
「気にはなるやろ、やっぱり。全く気にせーへんってのは、それこそ嘘やで」
「‥・」
「雅也の気持ちは、京ちゃん、よぉ知っとーし、京ちゃんは雅也に、
 美也子ちゃんと幸せになって欲しいって、誰より願っとる」
「でも‥」
「でも、あかんわな?美也子ちゃんはまだ陽介のこと忘れられへんのやろ?
 それも、判っとるって。けどな、まー坊のことも、きっちり考えて欲しかったみたいや。
 美也子ちゃん、考えることから逃げとるやろ?違うか?」
「考えることから、逃げてる?」
「そや、まー坊のことはとりあえず考えん様にしとらんか?」
「‥・」
「考えられへんのは判るけどな、けど考えられへんから考えへんっていうのと
 考えたけど考えられへんっつーのはちゃうからな。判るか?」
「はい」
「美也子ちゃんは、考えることから既に逃げとるがな。
 結論を出すのが怖いから、考えないようにしてるだけやろ?」

言い返す言葉がない。

「まー坊のことも、考えたってくれ。いや、まー坊だけやないわ。
 美也子ちゃんの周りにおる、美也子ちゃんを好きな男達のこと、少しは
 考えたってくれや。考えても、やっぱり陽介が好きならそれでええわ。
 でも、考えずに、陽介の想い出ばかり追いかけるのは、やめとき。
 もう、昨日やそこらに死んだ人間やないで。陽介は。
 ええかげん、後ろばっかり見るのやめなあかんやろ。
 前に歩けとは、ゆわんわ。まだ無理なんかもしれん。
 けどな、とりあえず、顔あげな。前向かな。
 怖いからって目ぇつぶってたって、余計怖いだけやで?
 目ぇ開けてよぉ現実見つめたら、怖いもんも克服できるかもしれん」

「‥・」

「キツいかもしれへんけど、ずっと思っとるよ。美也子ちゃんが今のマンションに
 住んどるって知ったときから、ああ、この子は後ろしか見てへんわって思とった。
 人間は想い出が無かったら生きて行かれへんよ。
 けどな、想い出だけで生きて行くわけにはいかへんの。
 どれだけ陽介との楽しい想い出をかき集めたって、何になる?
 陽介との想い出に囲まれて暮らしてたって何になるねん。
 いつか時が来たら、辛いことも昇華できるよ。
 人間ってそゆとこ上手いことなっとんねん。
 せやのに、逆行してどないすんねん?
 忘れるようにしろってゆーとんのちゃう。
 自然に昇華できるようなもんを引き戻すようなことをするのはやめゆーてるだけや」

ぽろぽろっと涙が出た。

「ぅわ、泣かんとってや、すまん。俺、言い方キツかったな。
 京ちゃんのこと、キツい言われへんな」
「違うんです。ごめんなさい。野上さんの所為じゃなくて‥」

情けなかったのだ、自分が。
みんながこんなにも考えてくれているのに、
それを拒んでいる自分が情けなかった。

「いや、ほんま、すまん。ちょっと京ちゃんのことで、俺もかっとしてて」

涙が止まらない。

「俺、京ちゃんほっとかれへんのよ。まー坊が美也子ちゃんほっとかれへんで、
 京ちゃんがまー坊のことほっとかれへんのと同じで、俺は、
 京ちゃんのこと、めちゃくちゃ気になるんよ。まー、好きってヤツなんやけどな」

煙草を取り出した野上さんは「あ、ここは禁煙か」とつぶやくと、
またポケットにしまった。

「まー、この年になってまた恋愛っつーのもおかしな話やけどな。
 俺、ほらバツイチやから、恋愛する資格なんてないって思っとったんよ。
 結婚するほど好きになった女を、よう幸せにでけへんだのに、
 どの面下げて、また恋愛ってほざいとんねんって、自分で思うしな。
 けど、京ちゃんのこと、好きやわ。
 かつての嫁はんより、好きになってるかもしれん。
 なんか、自分で認めるの、いややったよ。ご都合主義の男みたいでな。
 けど、好きや。京ちゃんのこと。過去の自分は、目一杯、元の嫁はん愛しとった。
 そん時京ちゃんがおったらとか、そゆことは無意味やから考えへん。
 今、俺は京ちゃんのこと愛してる。過去の自分と現在の自分なんて、
 同軸で考えられへんやろ?過去愛した女と、現在愛している女も、そうやんか。
 比較できるかいな。大事なんは『今』とちゃうんか?
 『今』から作り出す『未来』の方が大事なんちゃうんかな?
 俺は、そう思うで」

判ってる‥頭では。

「陽介との想い出は、大切やけど、これから誰かと別の想い出つくっても、
 ええと思う。それによって陽介との過去が消えるわけやないやん」

判ってる‥。
判ってるんだよ、野上さん。
だけど‥。

「あー、なんか、俺一方的にべらべらしゃべって、すまんな。
 ちょっとだけ、考えてみてくれへんかな。俺の言うた事」
「はい‥」
「京ちゃんのこと、許したってな」
「許すもなにも‥」
「気ぃよう、これからもよろしくってことで」
「はい‥」
「あとな、俺も男やからさ、まー坊の事判るけどな、
 考えてもらって、やっぱアカン言われるんやったら納得もいくんよな。
 けど、考えてももらわれへん、対象外ってのが一番こたえる。
 そのへん、判ったって」
「‥・」
「ほな、帰るわ。また通りしなに婦長さんに、にらまれるんやろか。
 俺怖い女苦手やわ。京ちゃんは好きやけど」
そういうと、野上さんは照れたように笑った。

ぱたんっとドアが閉まり、また一人の時間が戻る。

野上さんの言うことは全て正しかった。
何一つ反論の余地がなかった。

毎年衣替えの季節になると、自分の分と陽介さんの分の衣替えを行い、
陽介さんの部屋を毎日掃除して、時々模様替えをしたりすることが、
何の意味も持たないことも、判ってる。
陽介さんは永遠に還らない人なのだ。
俺の居ない間、お掃除ご苦労さんといって、戻ってくるわけもないのだ。
二人でそろえたペアの食器を、いくらていねいに扱ったとて、
陽介さんと一緒にお茶を飲める日々は二度と来ない。

そんなこと、全て判ってる。
彼は死んだのだ。この世に居ないのだ。

判ってる、判ってる、判ってる。

だけど‥・。
to be continued ...