side_story-14 (Miyako.S) 

1995/1/14

「ようやく一段落やな」
陽介さんが煙草に火を点けながら、くるりと椅子を回転させる。

「今回のは、かなり手直しに時間喰いましたね」
雅也が束ねた原稿を手早くまとめながらそう言った。

「だいたいね、もたもたしすぎなのよ、しわ寄せが来るのうちなんだから」
京子ちゃんは相変わらず手厳しい。

「でもこれでやっとみんな休みが取れるじゃない」
私は4人分のお茶を入れながら笑った。

4人が組んで進めていた仕事が、やっと一段落つき、
ほっと一息つける瞬間だった。
この開放感が得たくて、私たちは仕事をしているのかもしれない。

「とりあえずは15〜17日は休み。18からは次にとりかかるで」
陽介さんが指示する。

「了解です」
と雅也。

「あー、3日しかないのね。骨休みにもならないわー」
大げさに肩をすくめる京子ちゃん。

「ずっと休日出勤続きだったものね」
と私。

お茶を飲んで一息ついた後、それぞれが後片づけを済ませてから、
軽く乾杯をしに近くのお店に4人で行った。
わいわいバカな話で盛り上がる。
そんな風に4人で話をしている時間が私は好きだった。
そう、このころは、雅也の気持ちも、京子ちゃんの気持ちも、
私は何も知らなかった。

お店の前で解散した後、雅也が京子ちゃんを送っていき、
私を陽介さんが送ってくれることになった。

「送り狼になるなよー」と陽介さんに言われ、
「僕の方が危ないかも」と言った雅也は、
ばこんっと京子ちゃんに後頭部を叩かれていた。
また4人で笑う。
幸せな時間が緩やかに流れていた。

電車を乗り継ぎ、最寄りの駅に着いた私たちは、
明日からの3日間、どうやって過ごそうかなどと話ながら、
二人寄り添い並んで歩く。

私たちはあらかじめ休みの予定を細かく立てない。
何故なら往々にして休日がつぶれることが多かったからだ。
特に陽介さんは部の責任者でもあったので、何かある度に会社に出向くことになり、
デートのキャンセルはしょっちゅうだったし、ひどいときには
デートの最中に呼び出されて仕事に行ってしまうことさえあった。
私がもしも別の会社のOLとして、普通に9時から5時までの仕事をしていれば、
たぶん陽介さんに不満を持っただろうと思う。
けれど、入社時から陽介さんの部下として働いていて、
そんな風に働いている彼をずっと見てきたから、
そして何よりもそういう陽介さんが好きだったから、
私にとってはデートがキャンセルされることなども、
ごく当たり前の日常だったのだ。

仕事と私とどちらが大事か。そんな質問を投げかけたとしても、
たぶん陽介さんはこう言うに決まってる。
「どっちも大事に決まってるやん」--と。
陽介さんから同じ事を問われたとしても、私も同じ答えを返しただろう。
だから、私たちはそんなことをお互いに問うたりもしなかった。

会えるときは思っきり楽しむ。
逆に、会えないときは、会いたいという気持ち、相手を想う気持ちを大事に育む。
それが私たちの恋愛だった。

「明日は成人式やし、どこ行っても人多いやろうなぁ」
「そだね。家でゆっくりする?」
「いや、せっかく休みやし、デートらしいデートするぞ」
何が「デートらしいデート」なのか、まったく陽介さんらしい言葉だけれど、
私を気遣ってのことだと判ったから、気持ちが嬉しかった。

「どっか行きたいとこあるか?」
「水族園!」
「ぅわあー、またかー。美也ちゃん好っきゃなぁ」
「だぁってー」
「よー飽きひんなぁ。俺なんて校外学習で一回いったら飽きてもたわ」
「可愛いのになぁ。ラッコさんもー」
「ラッコに"さん"をつけるなっつーねん。ほんま子供やねんから」

11歳も離れていた私たちだったけれど、
陽介さんは普段は私を子供扱いすることは無かった。
仕事の時も対等に扱ってくれた。
そんな彼がほんのたまに私のことを「子供やなー」と言うときの
笑った顔と口調に、いつもと違った陽介さんを発見し、何となく嬉しかった。

「子供でもいいですよーだ。好きなものはいくつになっても好きなの」
「んで、またクジラとかのぬいぐるみ買うんちゃうやろなー」
「えー、いいやんー別にー」
「俺の部屋にぬいぐるみ連れてくんなよー」
「あ、そんなこと言ったら今度こっそりベッドにもぐりこませとくもん」

そんな他愛のない話を続け、にこにこと笑いながら二人で歩いていると
延々と、この道が続けばいいなと思うのだ。
けれど、道はいつしか終点を迎える。 別れ際に陽介さんは
「じゃ、明日10時に迎えにいくから、水族園いこか」と言ってくれた。
軽く唇を重ね合わせ、「さっさと寝ろよ」と言い残し、
陽介さんは元来た道を てくてく と歩いていく。
曲がり角を消えて行くまで、ずっと後ろ姿を見ている私を背中で感じているのか、
陽介さんは曲がり際、こちらを振り向かずに左手をひらひらと振った。

言葉にしなくても、私たちは同じ様に相手を想っていたに違いない。


1995/1/15

楽しいデート。
陽介さんとの久しぶりのデート。
さすがに全国的にも休みだったので車も多かったし人も多かった。
でも、渋滞しようが待たされようが、関係無かった。
陽介さんが居れば、それで充分だったから。

滅多に二人で写真を撮る機会がなかったので、
通りすがりの人に頼んで写真を撮ってもらう。
彼の腕に腕を絡め、にっこり笑って、ピース。
陽介さんは照れくさそうに笑ってた。

フィルム一本分の写真を撮り、
デートの帰り際に現像に出しておく。

今度一緒に取りに来よう。
--そう言って。

家に帰ってから、彼に買ってもらったペンギンのぬいぐるみを、ベッドサイドに飾る。
水族園の中を一通り見た後、いつもの如くお土産売場のぬいぐるみのコーナーで
私がじっと見つめていたペンギンを
「なんや、これが気にいったんか?」といって陽介さんが買ってくれたのだ。
「いいの?」と訊いたら
「だって美也子ちゃんの目が"買うて〜"って訴えとるし」と言うから
「そんなことないもんー」と言ったけれど、本当はすごく嬉しかった。
陽介さんは「あー、俺って本当に美也子ちゃんには甘いよなぁ」と、
自分で自分に言い訳するように、少し照れながら紙袋を手渡してくれた。

そのペンギンに、陽介さんの名前の一部をとって「ぺんすけ」と名付けた。
彼が聞いたら怒るだろうなと、想像すると可笑しくて、なんだか笑えた。


1995/1/16

陽介さんは実家に用事があって帰ってる。
年末に、二人の新居となるマンションに先に移り住んでいた陽介さんだったけれど、
完全にこっちに住むとなると、いろいろまだ要り用なものがあるらしい。
私も休みの取れるうちに自分の部屋の整理をしておきたかったので、
16日は別行動を取ることにした。

夜に電話がかかってくる。

「あ、俺。やっぱり美也ちゃんに会いたいし今から帰るわ」
そう電話口で陽介さんは言った。
「え、いいよいいよ。だって、陽介さんそっち帰るの久しぶりでしょう?」
「せやな、休みとれへんだし、元からそんなに帰ってたわけちゃうし」
「だったら今日はゆっくりしてきなよ。お父さんも、お母さんも寂しがるよ」
「俺、子供ちゃうねんから」
「何言ってるのよー、御両親にとっては いくつになっても子供は子供じゃない」
「ま、そりゃそやけどな。今から車飛ばして帰ったら、ちょっとだけでも会えるで?」
「いいっていいって。ほんとゆっくりしてきてよ。
 また仕事が忙しくなったら、陽介さん、そっちにも帰れないじゃない。
 今日は親孝行してらっしゃいー」
「親孝行なぁ。一生分の親孝行、今日まとめて しとこか」
そういって笑った。
「そーよ、しっかり親孝行してくるんだぁ〜。
 それに、私たちはいつでも会えるんだから」

--ワタシタチ ハ イツデモ アエルンダカラ

「おう。ほな一晩泊まって明日には帰るわ」
「うんうん、じゃ、また明日ね」

--ウンウン ジャ マタ アシタネ

いつでも会える、--そう言った。
また明日ね、--そう言った。

私に会いたいと言ってくれた陽介さんの気持ちはとても嬉しかったし
会いたかったのは事実だったけれど、
長い間帰っていない実家でゆっくりしてほしかったのも、また事実なのだ。
そして私は愚かにも、"陽介さんの居る明日"がいつでも来ると信じていた。


1995/1/17

元から寝が浅い体質だから、わずかな物音にもすぐに起きてしまう方だ。
ゆさっと少しの揺れを身体が感じ、目が覚めた、
--と次の瞬間、何が起こったのか判らないくらいの衝撃がやってきた。
時間にしては長くなかったのかもしれない。
けれども、普段静止しているのが当たり前の地面が揺れるという感覚、
加えて今まで体験したことのない揺れ方に、
それこそ「それ」が「地震である」と認識するのに時間がかかった。
どこかに爆弾が落ちた?そんな風に思った。
人は本当に恐怖するとき、叫び声なんて出せない。
物が落ちる音、何かがぶつかる音、真っ暗な闇。
何も考えられなかった。
逃げる、ということさえも。

「美也子!」
兄の声がする。
心臓がドキドキと波打つ、暑いわけでもないのに、喉がからからになる。
声が出ない。
起きあがったまま、ぼんやりしてた。
「美也子、大丈夫やったか」
暗闇に兄の声が響く。
父親と母親の話し声も聞こえる。

「何?今の」
そう聞くのが精一杯だった。

停電しているので、何もしようがない。
懐中電灯だけの灯りに家族の無事を確かめる。
各部屋を見て回ると、無惨にもいろいろな物が倒れ、落ち、
元の部屋を想像できないくらいになっていた。

私の部屋も、ぐるりと懐中電灯で照らしたが、ひどい有様だった。
ただ、ベッドのまわりにはぬいぐるみくらいで
落ちてきて困るようなものが無かったのが幸いだった。

ベット脇に転がった「ぺんすけ」を拾う。

これだけすごい揺れを感じたのだから、
震源地は大阪だろう。
陽介さんのところも、かなり揺れたかな。
そんな風にその時は思っていた。

心配性の陽介さんだから、電話をかけてくるかもしれない。
停電の時って、電話通じるんだっけ‥…。

かなりしてからようやく電気がついた。
落ちて電池が飛び出した時計は、5時46分を指したまま止まってた。

私と母は、いくつかの割れ物などを片づけ、落ちたものを元に直す作業をしていた。
父と兄はテレビを見ていた、
「**の街です‥…」
スローモーションの様に私は振り返った。
「**の街」

--**? **ッテ ヨウスケサン ノ イル トコロ ?

目はテレビに釘付けになる。
でも頭が働かない。

夢だ。
リアルな夢だ。
ほら、よくあるじゃないか。
現実かと思うようなリアルな夢。
目が覚めたとき、ホントに夢だったのかって、思うような夢。
ちゃんと痛みも感じるような夢。
あるでしょ。そうよ、夢見てるんだわ。
父がこちらに気付き
「そういえば、崎谷君の実家が確か‥」
私はその場にしゃがみ込んだ。
「崎谷さんはこっちにいるから大丈夫だろうけど、御家族の方が心配だな」
兄がフォローする。
けど、フォローにならない。

こっちに居ないんだよ。
お兄ちゃん!
陽介さんは、実家に戻ってるんだ!

言えなかった。
言葉が出なかった。
呆然と、テレビを観ていた。

何が起こった?
落ち着かなきゃ。
夢から目覚めなきゃ。
陽介さんに言わなきゃ、今日ねこんなに怖い夢を見たんだって。
そう言わなきゃ。
ばかだなぁ、そんな夢見て、って笑い飛ばしてもらわなきゃ。
きっと頭を撫でてくれるだろう、美也は恐がりだからなって。
でも、結婚したら俺がいるから大丈夫って。
ずっと傍にいるから大丈夫ってゆってくれる。
動作が緩慢になる。
身体に鉛がついたように、一つ一つの動作が思うようにいかない。

連絡がつかない--

            * * *

家でじっとしていても仕方ないので、
何か連絡が入ったら電話をくれるように家族に告げ
私は、まずマンションに行った。
もしかしたら、夜中に帰ってきてるかもしれない。
私を驚かそうとしてこっそり帰ってきてるかもしれない。
鍵を開けて中に入ったけれど、陽介さんは居なかったし、
帰ってきた形跡もなかった。

後半年も経たないうちに、私はここに陽介さんと暮らすのだ。
まだ、あまり荷物も運ばれていない、少し殺風景なダイニングにぼんやりたたずみながら、
「陽介さん、大丈夫だよね」と、つぶやいてみた。

結局 ここでじっとしていても仕方がないので、会社に向かうことにする。
仕事熱心な陽介さんのことだから、私により先に会社に連絡を入れているかもしれない。
--そう思うことにした。

会社に着くと何人かが既に出社しており、あわただしい雰囲気が漂っている。
雅也と京子ちゃんが私に気付くと かけよってきた。
「崎谷さんは?一緒じゃなかった?」
京子ちゃんに問われ、私は首を振った。

「会社の方から、社員の安否確認してるんだけど‥」
京子ちゃんが言いにくそうにつぶやいた。
「まだ寝てるんですよ、きっと。崎谷先輩度胸あるから、
 きっと、のそっとお昼ぐらいに起きてきて、
 なんだ、地震なんてあったのか、って‥きっと‥」
雅也がそういう。

「陽介さん、こっちのマンションには、居ないの」
「どうして?!」 「どういうことなんですか?!」
京子ちゃんと雅也の声が かぶる。
「陽介さん、昨日から帰ってるの。実家に戻ってるの」
「…そんな」
「先輩の、実家、って…確か…」
3人とも言葉を失う。
「今どこに‥」 京子ちゃんがぽつりと言う。
それは、こちらが聞きたかった。

「でも、だいじょうぶですよ。たぶん、ちょっと連絡が出来ないだけで…」
「そうよそうよ。もしかしたら今頃こっちに向かって車走らせてるかもしれない」
「そうだね」
そうだね、そうだね…
早く無事な姿見せてね。
心配かけないでよーって、怒ってやるんだから…。




それからのことは、良く覚えていない。

陽介さんの実家は全壊だった。
私が近い将来、「お父さん、お母さん」と呼ぶはずだった御両親にも
「あなた」と呼ぶはずだった陽介さんにも、私は二度と会えなくなってしまった。

私は毎日どうやって過ごしてきたかも、よく判らない。
人間は、どんなに辛いことがあっても、それでも生きていけるのだなと思ったりした。
悲しいという感情が沸かなかった。
どうして?ってそれしか浮かばなかった。

涙も出ない。

            * * *
陽介さんいつ帰って来るんだろうなぁ。
陽介さん、どこに行ってるんだっけ。
出張だったかな。旅行だったっけ?
つまんないよ。陽介さんが居なかったら。

そういえば会社のね、陽介さんの机の上に、お花が飾ってあったの。
陽介さん、お花好きだったよね。
でも、あんなに真ん中に置いてあったら、
陽介さんが帰ってきたとき、仕事をするのに邪魔になるよね?

みんなね、「このたびはご愁傷様でした…」って言うの。
--ゴシュウショウサマ デシタ
なんだっけ?
どういう意味だったかな。
最近頭がぼーっとしてるの。

陽介さんが帰ってこないからだよ。
早く帰ってきてね。
お土産は要らないから。
元気で帰ってきてくれたらいいから…‥・----

            * * *

私は仕事をした。
めちゃくちゃ働いた。
考えないように、何も考えないように。

陽介さんが帰ってきたら、きっと誉めてくれる。
俺の居ない間、一生懸命頑張ってたなって。
きっと言ってくれるよね?

私の脳も感情も"彼の死"を決して受け付けなかった。
あの時、5時46分を指したまま止まった時計のように、
その日から、私の心も時を刻むのを やめてしまった

to be continued ...