side_story-17 (Kazuo.S) 

雅也からの電話を切った後,ほぅっと溜息が出た。
--美也子が,崎谷さんのマンションに居る。
馬鹿げたことだ,と笑ってしまいたかったが,
しかし,それは重くのしかかる現実に違いなかった。

「カズさん?どうしたの,電話終わったんじゃないの?」
妻の鈴香が,様子を見に来る。
「ああ,終わった終わった」
親父やお袋が,今のことを知ったら,また心配するに違いない。
伏せておいた方がいいだろう。
ふぅっ--また溜息が出てしまう。
「溜息ついて,何かあった?」
「いや,なんもない。そろそろ帰ろか」
居間に戻りながら,鈴香に そう促す。

「ほしたら,俺ら帰るわ」
「あら,もう帰るの?」
テーブルの上を拭いていた お袋が少し残念そうな顔をする。

「また来週にでも寄してもらうわ」
「また来ます」

「おう,気をつけて」
珈琲を飲んでいた親父がそう言う。

「あ,そうそう,頂き物の紅茶の詰め合わせがあるの,
 鈴香ちゃん,持って帰って」
「あ,嬉しい」
「紙袋,何か無かったかしらね,ちょっとまってね」
「はーい」

お袋と鈴香がそんなやりとりをし,キッチンに消えていった。
二人とも仲が良く,世間で言われる嫁姑問題など,うちには関係無い。
親父,お袋,鈴香,俺。そして美也子と崎谷さん。
夫婦三組で団らんすること。
無理な願いでは無かったはずだ。
運命という洋服に,無数のボタンがついているなら,
どこで,掛け違えてしまったのだろう。

「なぁ,父さん」
「なんだ?」
「美也子は…」
「どうかしたか?」
「いや,美也子は,これから先 誰かと結婚するんやろか」
「おまえは相変わらず心配性だな」
「前みたいにしょっちゅう美也子の様子みてるわけにはいかんからな」
「心配するな。美也子は美也子なりに頑張ってるのだから」
「そやな。心配しすぎかな,俺は」
「おまえは,鈴香さんのこと,心配しときなさい。
 美也子のことは,私と母さんが見てるから。
 今はもう少しそっとしておいてやりなさい」
「判ってるんやけど」

「おまたせー,カズさん,お紅茶たくさんもらっちゃったわ」
鈴香がキッチンから戻ってくる。
「そうそう,ジャガイモも持って帰らない?
 父さんと二人で食事が多いから,どうしても食べきれなくて」
「美也子に,そろそろ家で喰うように言うた方がええで」
「帰ってくるのが遅いのは心配なんだけど,
 滝川くん達と一緒だって言われるとね,断れない気持ちも判るし。
 みんなが美也子のこと考えてくれるのは有り難い事だから」
---その美也子が,毎日ひとりで崎谷さんのマンションに居ると知ったら,
  親父もお袋も驚くだろうな。
ふぅ,また溜息が出てしまう。

「カズさん,さっきから溜息ばっかりね」
「まーな,じゃ俺エンジンかけとくから,忘れ物ないようにな」
「はーい」

「ほな,父さんお休み」
「おう」

車庫の中でエンジンをかけ,鈴香が来るのを待つ。
また連絡入れますからと,雅也は言ったけれども,
今日はかけてこれないだろう。

助手席に鈴香が乗り込んできた。
「忘れもん,ないか」
「ないよ」
お袋が車庫の扉を開けてくれる。
ウインドウを下げて,お袋に声をかける。

「なぁ,母さん,美也子なぁ…」
「なぁに?」
「帰ってきたら,またうちに寄れってゆーといてや」
「直接ゆーたらええやないの?電話とかあるでしょうに」
「そやねんけどな,俺があまり とやかくゆーとな」
「カズさんねー,美也子ちゃんに過保護だからー」
横から鈴香が口を挟む。
「でしょう。ほんとねぇ,親の私たちより心配性だから」
「でも羨ましいですよ。私一人っ子だから。
 カズさんみたいなお兄さん欲しかったです」
「おまえ何ゆーとんのや,俺が兄より,ダンナさんの方がええやろが」
「あ,そうだったね」
3人で大笑いする。
「じゃ,お義母さん,おやすみなさい」
「ほな,またな」
「二人とも,身体気をつけてね」

ライトをつけ車を走らせる。

そう言えば,崎谷さんと美也子が結婚すれば,
俺は「お義兄さん」と呼ばれる立場になるはずだった。
その事で,美也子と喧嘩したのを思いだす。

            * * *

あの日,話があるといって俺の部屋に入ってくるなり,
美也子は
「お兄ちゃん,私ね,崎谷さんと結婚しようと思うの」
といった。

「なんやと?」
「プロポーズされたの。
 まだお父さんとお母さんにはゆってないんだけど」

寝耳に水と言うわけではなかった。
美也子が崎谷さんとつき合っていたのは知ってたし,
もしかしたら,という考えが無かったわけでもない。
もちろん,彼が美也子より11歳年上だということも聞かされていた。
しかし,当時の俺からしてみれば,11歳の年の開きということは,
俺が女子高校生とつきあうというのと同じ事で,想像の範疇を超えていたのだ。

「ちょっとまてや,崎谷さんがええ人なんは判るけど,
 結婚となると…」

そう,実際彼はいい人だった。
美也子より11歳年上ということは,俺より8つ上だということになるが,
外見も若かったし,話し方も気さくで,美也子の恋人というより,
自分の友達感覚であったのも確かだ。
だが,結婚となると話は別のような気がした。

「ええ人でも,おまえ11歳も年上やぞ?」
「しかたないじゃない。
 彼が11年先に生まれちゃったんだから」
「寿命考えてみーや,寿命。女の方が長生きすんねんで。
 おまえ,一体何年未亡人になると思てんねん」
「やだなー,お兄ちゃん。
 お兄ちゃんって,寿命考えて結婚するわけじゃないでしょう?」
「そりゃそやけどな,けど,おまえが崎谷さんと結婚したら,
 俺はお義兄さんになるんや。8つも年上のひとから,
 お義兄さんって呼ばれる身にもなってみろやー」

今にして思えば馬鹿げた論理だと思うが,
反対のための反対理由というもので,
ついついそんなことを言ってしまったのだ。

「おにいちゃん,寿命とか呼び方とかそんなの関係無いの。
 お兄ちゃんいつも私がつき合う人に難癖つけるんだからー。
 年下は頼りないっていうし,同学年だったら,
 女の方が精神的に上だから上手くいかないってゆってたよね。
 年上だったらお義兄さんって呼ばれたくない,って
 じゃぁ,いったいどんな人と結婚したらいいのよ。
 結婚するのは,私なの。お兄ちゃんじゃないんだからね」
そういうと,美也子は俺の部屋から出ていった。

11年の歳の差のことは,たぶん美也子も,そして崎谷さんも,
頭にあったには違いない。
年がもう少し近ければと,考えたことがきっと有っただろう。
親父とお袋に話せば,あからさまに反対はしないだろうが,
いい顔をしないだろうというのも,親の気持ちを考えれば想像に難くない。
だから二人に話す前に,俺を味方に付けておきたかったのかも知れない。
それなのに,俺の口からあからさまに年のことを言われて,反対され
美也子にしては珍しく怒ったのだ。

美也子が「もっと早く生まれれば良かった」と崎谷さんに言ったとき,
彼は,
「人間というものがこの世に誕生してからの長い歴史を考えれば,
 『11歳も差がある』のではなく,『たった11年の差だけ』で,
 この世に生まれて来れたと考えられるんだから,神様に感謝しないと」
と言ったらしい。

その後,うちの両親に正式に挨拶をしに来た時も,崎谷さんは
「平均寿命の男女差を考えると,彼女には人並み以上に長い時間
 淋しい思いをさせてしまうかも知れません。
 けれど,彼女といっしょに過ごす何十年かを大切にしたいので,
 結婚したいと思います」
と言ったという。
(その事も全て後から聞いた)

俺や周りが思う以上に,彼は彼なりに美也子との歳の差を考え,
悩み,そして出した結果だったに違いないのだ。

しかし,平均寿命に追いつくまでもなく,
美也子をひとりにして逝ってしまったことを,
崎谷さんは今頃天国でどう思っているのだろう。
そう思うとやりきれない気持ちになる。

            * * *

「ねぇ,カズさんってば」
鈴香に腕をつつかれて,我に返る。
「カズさん,なんだかおかしいよ。溜息つくし,ぼーっとしてるし」

「なぁ,鈴香」
「ん?何?」
「もし,俺が死んだら,おまえどうする?」
「え?何ゆってんのよー。縁起でもないことゆわないでよね」
「だから,もしもゆーてるやんか。
 今んところ,おまえおいて死ぬわけあらへんけど」

まだ,おまえをおいて死ぬわけがない
--そう,崎谷さんも思っていただろう。早すぎる死だった。

「でも,万が一死んだらどないする?」
「そうだなぁ。カズさんはどうしてほしい?」
「そやな,鈴香はまだ若いし。
 誰かおまえを幸せにしてくれるヤツと一緒になって欲しいけどな。
 俺には劣るやろぅけど,まぁしかたないやろ」
「そだね。最初はきっと辛いと思うけど,
 カズさんが還ってくるわけじゃないなら,私は精一杯幸せになって,
 カズさんが天国で心配しないようにすると思うよ」
「そやな。そうしてくれると有り難い」
「やだなー,カズさん,しんみりしないでよ。ホントおかしいよ?」

カーステレオから流れるDJの陽気な声が,今日はなんだか鬱陶しかった。
ぱちんっとスイッチを切ると,エンジンの音だけが耳に入る。

「ひとりの人を一生想い続けるのって,ええことなんやろかな」
「悪い事じゃないとは思うけど…。それ,美也子ちゃんのこと?」
「アイツさ,徐々に元気になってきてるやん。
 けど,ほんまに元気になっとんのかな,って思て」
「また,カズさんは心配性なんだから。
 せっかく美也子ちゃん自身が頑張って元気になろうとしてるんだから,
 ほんとは大丈夫じゃないんじゃないかなんて考えるのは,
 かえって失礼だと思うよ」
「そうなんかもしれんな」
「吹っ切れるときが来ると思う。きっと」

鈴香に,美也子が崎谷さんのマンションに出入りしている話をしようか,
…と思ったが,闇雲に心配をかけてもしかたないだろうと思い,
言いとどまった。

吹っ切れるときが来る,というのは,
本人が吹っ切ろうと努力しているからじゃないのだろうか。
美也子が今やっていることは,吹っ切るどころか,
忘れないために自分自身を深みに追いやっていることになっていないだろうか。

「愛している」という想いの表現方法は人それぞれであろう。
鈴香のように,亡くなった人間に対して心配をかけないように,
この世で幸せになるという手段を選ぶ者もいれば,
美也子のように,ずっと引きずりながらの生を選ぶ者もいる。
どちらの愛情が深いかとは,一概に言えないに違いない。
けれど,当事者の周りにいる人間にしてみれば,
どう考えても,後者の選択はいいとは思えないし,見ていて辛い。

周りの者は,見ていて辛いから,後者を選んで欲しくないのかも知れない。
美也子に,崎谷さんのことを想い出にして,
新しい人と幸せになって欲しいと願うのは,周りのエゴなのだろうか。

ふぅ---今日何度目の溜息だろう。
毎日,彼と住むはずだったマンションで独り,
美也子は何を想い,刻を過ごしていたのか。
それは,美也子自身しか知る者は居ない。

to be continued ...