side_story-22 (Masaya.T) 

からからと引き戸を開けて暖簾をくぐる。
昼食の時間を過ぎていたからか, 'いづみ' は比較的空いていた。
「いらっしゃい,お二人さんですか?こちらへどうぞー」
店員さんが席に案内してくれる。

「お決まりになりましたらお呼びください」
そういって,おしぼりと冷たい麦茶が置かれた。

「ぅー,ビール飲みたいですねー,こう暑いと」
「仕事じゃなければねー」
「まったく。サラリーマンは辛いよって感じです。
 …で,何しましょう?」
「そーね。私は '冷やしうどん' にしようかな」
「じゃ,僕は '天ざる' にしよっと。
 すみませーん。オーダーお願いします」

店員さんが来たので,僕は二人分の注文を伝えた。

少ししてから運ばれてきた '天ざる' と '冷やしうどん' を,
お互い食しながら,あれこれと話をする。
仕事のこと,ニュースのこと,最新の車のこと,
美也子さんは,いろんなことに興味があるらしく,
どんな話をしてものってきてくれるし,会話が途切れることはなかった。

「ねーね,滝川君ってさ,モテるよね?」
美也子さんが,急に話題を変えたので驚く。

「え?なんですか唐突に」
「んー,なんか,急にそう思って」
「モテませんよ,別に」
「そっかなー?彼女10人くらい居てもおかしくないのに」
「なんですかーそれー」
「彼女居ないの,不思議」
「…」

まったく。
僕は冗談抜きで溜息がつきたくなった。

「あ,ごめん」

僕が黙ってしまったのを,気分を害したと受け取ったのだろう,
神妙な顔をして謝る美也子さんだった。

「彼女は,要らないです。
 いや,好きな人が彼女になってくれるなら,
 彼女になってほしいですけど,好きでもない人とつき合う気もないし」

-- どうして僕はこんなことを言ってるんだ。

「そっかー,好きな人居ないんだね」

-- あーあ。この人は,何も判ってないんだな。

「ま,そーゆーことです。
 この話,おしまい」
「はーい」

屈託なく笑う彼女を見てると,悪気がないだけに心に痛い。
僕が恋愛の対象から全く外れていることがよく判る。
いや,対象から外れてるからこそ,きっと普通にこうやって話せるのかもしれない。
「3つ年下の話の合う仕事仲間」
そんな次元でしか,たぶん見てもらえてないのだろうな,僕は。
ふぅ。本当に溜息が出てしまった。

「ね?ごめん。なんかやっぱり,さっきのこと気に触った?」
「あ,違いますよ,なんだか僕も食欲ないような気がして」
「あ,そうなの?駄目だよー,男の子はちゃんと食べないと」

男の子…。なんだか心底情けなくなってきた。

「さて,じゃそろそろ戻りますか」
「そだね」
美也子さんは,自分の勘定をさっとテーブルに置くと立ち上がった。
僕は,それと伝票を持ちレジに向かう。

外に出ると,相変わらず暑い日射しと蝉時雨。
けれど幾日か過ぎると季節は秋へと変わってゆく。
そうして,季節は確実に巡っていくのに,
美也子さんの心の季節は,未だ変わらない。

            * * *

仕事も早く片づき,帰り支度をし,明日の予定のチェックのために
伝言のボードを見た。
そこに,バイトの女の子がグァムに行って来たのでと,
お土産のチョコレートが冷蔵庫に入ってますとの書いてあるのが目に入った。

「美也子さん,そういえば,この間 写真集の話 してたでしょ」
「'RAKUEN' のこと?」
「そそ。あれ借りにいっていいですか?」
「うん,構わないわよ。昨日にでもゆってくれてたら,今日持ってきたのに」
「いや,ほら あの伝言見たら,急に見たくなって」
「ああ,グァムのお土産ってメッセージ?」
「そう。頭の中に椰子の木が」
「もー,滝川君ってば単純だなー」
「悪かったですねー,単純でー」
「それに 'RAKUEN' はグァムじゃないよー。セイシェルとモルディヴなんだから」
「南国ってことで,いいじゃないですかー」
「あはっ。まぁ,いいけどー。
 じゃ,うちによっておいでよ。ついでに,何か作るよ,食事」
「いいんですか?」
「うん,だって,ひとり分作るのも,二人分作るのも一緒だから」

…そういう問題なのか。

「じゃーお言葉に甘えて,美味しいもの食べさせてもらいましょう」
「美味しいかどうかは,保証しないよ〜」
「胃薬持ってますから」
「ああああああ,そんなこというやつはー,水飲んどきなさいっ」

二人で同時に笑う。

美也子さんの手料理を食べるのは,初めてじゃない。
一番最初は…。
そうだ,僕が風邪を引いてぶっ倒れてたときだ。

            * * *

その日,僕は朝から高熱を出してうなっていた。
季節はずれの風邪にやられて,ひどい状態だったのだ。
独り暮らしの人間にとって,体調を崩したときほど困ることはない。
母親に連絡すれば,来てもらえただろうけれど,いっぱしの男がそれもな,
と思い,意地をはってみたものの,布団の中で身動きできずに苦しんでいた。

電話がなったので,根性で受話器をとると美也子さんからだった。
「風邪だってきいたんだけど,大丈夫?」
「大丈夫,って言いたいんですけど,
 そういうと,ちょっと嘘になるかなって程度に苦しんでます」

強気と弱気の入り交じった発言だった。

「お見舞い,いこうか?」
「あ,いいですいいです。大丈夫ですから」
「さっき,大丈夫じゃないっていったじゃない」
「あー。いや,大丈夫な気がしてきました」
「嘘ばっかり。目は覚めてるんだよね」
「眠りながら電話してないことは確かです」
「減らず口ぃー。もうすぐ仕事終わるから,そっち行くわ」
「本当にいいですよ,わざわざ…」
「病人は,おとなしくしてなさい。じゃ,またあとでね」

そういうと,有無を言わさずという感じで電話は切られた。
心配性の美也子さんらしい,といえばらしい。

一時間くらいしたころに,チャイムがなった。
ドアホンに出ると。
「笹野です」
と律儀に答える。

ドアを開けて驚いた。
「ぅわ,なんですか,それ」
美也子さんは,両手に荷物を抱えている。

「重いー」
「あー,えっと,中どーぞ」

テーブルの上に袋を置く。

「なんの荷物ですか,これは」
「んとねー」

袋の中から次々と取り出す美也子さん。

「桃缶」
「ももかん???」
「熱出てるときって,桃食べたくならない?」
「ぅはははっは」

頭痛がしてるのに,大笑いしてしまう。
…痛い。

「なんで笑うのよー」
「だって,桃って,小学生じゃあるまいしー」
「えー,そっかなー?」
「で,他には何買ってきたんですか?」

もう,可笑しくてたまらなかった。

「あとは,パイナップル缶,でしょー。それから,りんご。
 それと,イオン飲料。んと,御雑炊作ろうかなって思って,
 野菜と,たまごと…。あ,お見舞いだから,お花」

どうりで,両手に荷物になるわけだ。
だ,だめだ。
苦しい,笑いが止まらない。

「花っていっても,花瓶なんて無いですよ」
「どしてー?」
「男の独り暮らしの家に花瓶があったら,逆にびっくりですよー」
「えー,そんなもんなのかなぁ?じゃ,どうしようか」
「うーん,あ,そうだそのイオン飲料,ガラスポットに全部移して,
 それに活けましょう」
「ぅわあ,なんか,それってひどいなぁ」
「仕方ないでしょう」

イオン飲料をガラスポットに移し,
洗って花を活ける美也子さん。
「なんだかなー」
「なんだか,ですねー」

また大笑いしてしまう。

「次回は花瓶も持参してくるよ」
「また僕に熱出させる気ですか?」
「あ,そっか,それもそうだね」
「でも,有り難うございます。
 嬉しいですよ,お見舞い来てもらって」
「押し掛けたら悪いかなって思ったんだけど,
 心配だからね。えっと,キッチン借りるね」
「はいはい,どーぞ。あ!」
「え?」
「御雑炊っていいました?」
「うん,そのつもりだけど。食欲ない?」
「いや,そうじゃなくて」
「?」
「ごはん,ないですよ。全然」
「あー。じゃ,そこから始めなきゃならないのね。
 まさか,お米がないとか炊飯器が無いとか言う?」
「そこまでひどくないですよ。お米くらい炊きますって。
 じゃ,僕 お米を炊く用意だけはしますよ」
「寝てていいってば」
「っていっても,どこに何があるか判らないでしょ?」
「確かに判んない」
「お米を炊飯器にセットしたら,遠慮なく,寝させてもらいますから」
「よろしくですー」

この後,おだしをとるためのかつおぶしがないとか,
(だから,独り暮らしの男の家に,だし用のかつおぶしなどありはしない)
水切りざるが無いとか(だから…独り暮らしの…以下同文),
いろいろハプニングはあったのだが,なんとか作れたらしい。

「出来たよー」

朝から初めてのまともな食事で,とても有り難かった。

「美味しいです」
「よかった。多めに作っておいたから,また温めて食べて」
「すみません,ほんと」
「困ったときはお互い様でしょ。仕事仲間なんだから」

ずきん。
シゴトナカマ ナンダカラ…か。

「じゃ,美也子さんが倒れたら僕が御雑炊作りに行きますよ…」
「花瓶も持参で!」

二人の声がハモる。
きゃはきゃはと笑う美也子さん。
僕の風邪も吹っ飛ぶような気がした。

数日後,僕の風邪を移してしまったのか,
本当に美也子さんも風邪を引いてしまいダウンしたのだが,
さすがに寝込んでいるところへ男が乗り込むのも,と思ったので
お見舞いは遠慮しておいた。

考えてみれば,ああやって,僕の所に来るというのも,
彼女にとって,僕という対象は「男」ではないということの
表れなのかもしれない。

            * * *

マンションに帰る前に,買い物をしていくという美也子さんについて,
スーパーへ寄り,食材を買い込む。
ちょうどいろいろ切らしてたの,と彼女は言い,
たくさんの買い物になってしまった。
たぶん,本来なら,この荷物を持っていたのは僕ではなく,崎谷先輩だったはずなのに。
そんな思いがふとよぎる。

彼女のマンションに到着し,カギを開ける美也子さんの後について入った。
ここに来ると,何故か一瞬,後ろめたい気がする。

「ただいま」
美也子さんは,玄関に飾られた写真立てに向かいそういうと,
「どうぞー」と僕に言った。

部屋の窓を開けて回る美也子さん。
それが終わると,
「着替えてくるから座ってて」
そういって奥の部屋へと消えていく。

程なくして着替え終わった美也子さんが出てきて,
エプロンをつけ食事の支度にかかった。

「なんか手伝いましょうか?」
「んー?いいよいいよ,滝川君は座ってて」
「でも,手持ちぶさたなんですけど」
「あ,ごめん。じゃね,写真集みてていいよ。
 えと,陽介さんの部屋にあるんだけど」

手を洗うと,美也子さんが,崎谷先輩の部屋に
僕を連れていく。

埃一つ無い部屋。
灰皿が置かれたデスク。
マシンの上に,ちょこんと置かれた卓上カレンダーは,
1995年のまま…。

あの瞬間が閉じこめられたこの空間で,
僕は息が詰まりそうになる。

そんな僕の気も知らないで,美也子さんは淡々と話す。

「ここね,写真集並んでるから,好きなの見てて。
 これがゆってた 'RAKUEN' ね。他にもいろいろあるから」

そう,彼女にとっては,この空間が「日常」なのだろう。

その時,ふと不思議なものが目に入る。

「美也子さん」
「え?なに?」
「これ,なんで二冊あるんですか?同じの」

僕は本棚を指差す。

アルジャーノンに花束を

紺地に白で抜かれた題名が背に書かれた本。
そこには全く同じものが二冊並んでいた。

「ああ,それね。私と陽介さんが,同じ本を持ってたの」

少し,目を伏せ美也子さんはそう言った。
僕は自分の発言の迂闊さを呪った。
聞くべきことじゃなかったかも,と後悔しても もう遅い。
僕は また,美也子さんのパンドラの箱を開けてしまった。

to be continued ...