side_story-23 (Miyako.S) 

私は,本が好きでよく本屋に立ち寄るけれども,あまり立ち読みをしない。
よく驚かれるのだけれど,じっくり中身を吟味して本を買うよりは,
題名に魅かれてとか,表紙に魅かれてという単純な理由で本を買ってしまうことが多い。
「アルジャーノンに花束を」を買ったのも,ご多分に漏れず 表紙と題名に魅かれてだった。

あれは,まだ私が制服を着た学生の頃のこと。
学校の帰りに暑さを避けるために書店に入った私は,
いつものようにあれこれと書棚を見て回っていた。
その時に,ふと平積みされた本に目が釘付けになったのだ。
淡いグリーンの地に,ピンク色のバラの花束が描かれた表紙。
「アルジャーノンに花束を」と紺色の文字で書いてあった。
原題「Flowers for Algernon」。
手に取ってみると,背は紺色に白の文字。
--装幀に一目惚れだった。

表紙と題名で即
「これはアルジャーノンという女の人に花束を渡すまでのラブストーリーだ!」
と思いこんだ私は,中身も見ずにレジにその本を持っていったのだった。
買わずに帰ることなんて出来なかった。
本が,私を呼んでいた。--そんな感じであった。

家に帰ってから読み始めた時,あれ?ちょっとラブストーリーじゃないと思ったが,
読み進めていくうちに,止まらなくなり,結局夜を徹して読み切ってしまう。
ラストシーンでようやく題名の意味を知り,号泣し,
朝,腫れた目で学校に行ったのを覚えている。

本を買うときに想像していたような
「アルジャーノンという女の人に花束を渡すまでのラブストーリー」とは
全く違っていたけれど,読んで良かった,出合えて良かった,と思える本だった。
今でも,一番心に残る本はと訊かれたら真っ先に題名を挙げる本である。

その本が,何故ここに二冊あるのか。

あれはまだ陽介さんと付き合ってもいなかった頃だ。
仕事の帰りに二人で食事に行った。
特別な意味もなく,ただその日忙しくて食事を摂る暇が無く,
「飯でも喰いにいくか」と言われたのに「はい」と答えた,
という単純なきっかけであった。

バーも併設されているので比較的遅くまでやっているイタリア料理のお店で,
いろいろと話をする中で今まで一番印象に残った本は何かという話題になった。
陽介さんも,雑多に本を読んでいることを知っていたのだが,
次に彼の口から出てきた言葉を聞いて,持っていたフォークを取り落としそうになったほどだ。

「俺が一番印象に残ったのはなー,アルジャーノンに…」
「…花束を,!?」
「あれ?なんでや美也子ちゃんも読んだんか?」
「読みました!びっくりした。
 私も,それが一番印象に残った本だって言おうと思ってたから」
「あーそかぁ,なんや奇遇やなぁ」

その後は,本の中身やラストシーンについてや,二人の話は尽きることがなかった。

書籍というものは,年間かなりの数が出版される。
「ベストセラーだったから」という理由で流行の本を読むならば
同じ本を読んでいることもあるだろう。
けれど,二人とも,そういう理由で買ったわけではなかった。
もちろん買った年も,二人全く違っていた。
この本は,文章的にはかなり最初でつまずいてしまうようなもので,
実際,私は何人にもこの本を勧めたけれど「難しいわー」と言われ,
読んでもらえなかったこともあったのだ。

私がいいと言ったから陽介さんが読んだのでなく,
陽介さんがいいと言ったから私が読んだのでなく,
お互い違う時間を生きてきた中で同じ書籍を選んで読み,感銘を受け,
今まで生きてきた中でそれをベストワンに挙げられると,
お互いが思っていたことに感動した。
この時の嬉しさを言葉にするのは難しい。

彼が亡くなってから,彼が住んでいたここに引っ越してきたとき,
自分の持ってきた「アルジャーノンに花束を」を,
彼の持っていたそれの横に並べた。

二冊並んだ「アルジャーノンに花束を」。
この本のように,寄り添って生きて行くはずの私たちだったのに,
どうして今,私の横には彼が居ないのだろう。

            * * *

「…というわけで,彼が持ってた一冊と私が持ってきた一冊とで,
 合計二冊なのよ」
「なるほど」
「実はね,こっちに越してきてから気づいたことなんだけど,
 CDや文庫なんかも同じのを買ってたりしてたのよ」
「へぇ」
「面白いよね。そういうのって」
「僕がいうのもなんですけど,崎谷先輩と美也子さんって,
 どこか,共通点があったような気がするんですよ」
「共通点?」
「上手く表現できないですけど,何か根底に似たようなものを持ってる,
 そんな感じです」
「ふーん?」
「人間の一番基本的な所で,この二人は同じ素材から生まれたんだな,って
 ほら,パンとお米って全然違いますけど,パンとクッキーって
 なんだか共通点があるような気がしませんか?
 形も味も違うんだけど,小麦粉っていう素材が同じでしょう」
「うん」
「そんな感じなんですよ。全然ちがうのに,同じ雰囲気を持ってましたよ。
 お二人は」
「…ありがとね」

雅也に言われたことは判るような気がした。
私自身もそれと同じ様なことは思ったことがある。
ロマンチストと笑われるかもしれないが,
この人と自分は,きっと生まれる前は同じ人間で,
それが二つに分かれて別々の人間として生まれてきたんだと,
そんな気がしていたから。
better-half,という言葉があるけれども,
それに近い,いや,むしろ,same-halfだったような気がする。
(そのような英語は正しくないかもしれないが)

雅也は本を手に取ると表紙をしげしげと見た。
「美也子さんが好きそうな装幀ですね」
「でしょう?もう,一目見て買おうって思っちゃったの,判るでしょ」
「これも一緒に借りてもいいですか?」
「え?」
「僕も読んでみたいから,二人が良いと思った本」
「ん,いいよ。じゃ 'RAKUEN' と一緒にもって帰って。
 あ,食事できるまでここで読んでていいから,出来たら呼ぶわ」
「すみません,そうさせてもらいます」

雅也はそう言うと,さっそく本に目を落とした。

            * * *

「ご飯出来たよー」
雅也を呼びに行くと,真剣な顔をして本を読んでいた。
私の声に,つと顔をあげ,
「あ,いきます。これ,おもしろそうです」
と言った。

「最初の部分でイヤになってしまわなければ大丈夫よ」
「たしかに最初の部分はキツいかもしれませんね」
「京子ちゃんがね,出だしで放棄しちゃったわ」
「わは,彼女らしいなぁ。美也子さんが勧めたんですか?」
「勧めた訳じゃなくて,京子ちゃんも,それが二冊有ることに気づいて理由を訊いてきたの。
 それで,そのあと読んでみたいって。でも借りて帰った翌日に本返ってきたわよ」
「なんかゆってました?」
雅也は笑いながら,読んでいた本をもってダイニングに来た。
「『こんな小難しい本,あたしには読めないわー』って」
私もその時のことを思い出し,笑ってしまう。
「最高っすね,そのリアクション。なんだか目に浮かぶようだ」
「明日その本返ってきたりして?」
「僕は,ちゃんと読みますよー」
「きゃはは」
「あははは」
「さ,じゃ,ご飯ご飯」

と,そのとき雅也のカバンから携帯のコールが聞こえてきた。
「わ,誰だ今頃」
そういうと,カバンからあわてて携帯をとる。
「もしもし,あ。ああ,今,そう美也子さん所。
 ちょっと待って,代わるから」
雅也は携帯をこちらに向けた。
「京子さん」
私は それを受け取る。
「あ,もしもし。うん,そそ。うん。いいよ。おいでよ。
 うん。OKOK,もっかい代わるね」
携帯が二人の間を行ったり来たりする。
「もしもし。うん。えー。いや,判った,うん,15分ぐらい。
 駅の銀行側。そそ。じゃ」
雅也は電話を切った後,車のキーを取り出した。
「迎えに来て欲しいって?」
「そー。ちょっと迎えに行って来ますよ。
 でもおどろいたなぁ,本を読まなかったっていうの聞こえてたかなぁ」
「噂をすれば影って?」
「そそ」
「くすっ。じゃ,早く迎えに行ってあげて。
 京子ちゃんの分,ちょっとお料理追加しておくわ」
「じゃ,行って来ますー」

そういうと,雅也はあわてて出ていった。

ソファに置かれた「アルジャーノンに花束を」が目に入る。
この本の感想を陽介さんと二人で話したときに,
「どれだけ医学が進歩しても,人間には絶対に踏み込んではいけない領域ってあるよな」,と彼が言っていた。
この本が扱っているのは,人間のIQを上げることだったけれども,
その他にも「可能」でも「やってはいけない」ことがあり--それは「神の領域」なんだと。
人が生まれ,人が死んでいくのは,神の手にゆだねるべきで,
それを人間が操作してはいけないと,そう話していた。
「神の領域」に踏み込み,人間が神に取って代われると思っていたら,きっと罰が当たるよと。

でもね,陽介さん。
もしも医学が進歩して,あなたをもう一度この世に生み出してくれるなら,
私はきっとそれを望んでしまうと思うよ。
罰が当たったとしても,生きたあなたにもう一度逢いたい。
やっぱり,今でも そう願ってしまうから。

to be continued ...