side_story-24 (Kyoko.A) 

「ただいまー」
あたしは,もっていた書類を事務の市原さんに渡し,席に戻った。
いくつか伝言のメモが貼り付けてある。
「お疲れさまです,遅かったですね」
小川くんが,声をかけてくれる。
「河野さんところで,つかまっちゃって。
 なかなか帰してくれないんだもの」
「あー,河野さん話好きっすからね」
「そーそ。仕事の話より世間話の方が多いの。
 …あれ?美也子と滝川君,もう帰っちゃった?」
「あ,滝川達ですか。今日は仕事片づくの早かったみたいで,もう帰ったと思いますよ」
「そっか。あ,マグネット移動させるの忘れてるわ」
戸口近くのボードを見に行くと,確かに二人の名前のマグネットは,退社の方に移動させられていた。
「なぁんだ」
待っててくれればいいのに。
などと,ふと心の中で思ってしまう。
残務処理をしながら,置いてきぼりをくったような寂しさにおそわれる。

            * * *

「3」という数は,安定したものだと聞いたことがある。
テトラポットしかり,だ。
だけど,どうだろう。
あたし,雅也,美也子。この「3」は,安定しているだろうか。
いや,あたしたちは「3」じゃない。
いつだって「2+1」の関係だ。
雅也と美也子,そこにつけたされたような,あたし。
不安定な「3」。

崎谷さんが生きていた頃,あたしたちはいつも4人で行動していた。
もちろん仕事で組むことが多かった所為もあるけれど,
仕事を離れても,あたしたちはいつも「4」だった。
その時の方が,安定していたような気がする。
そう,美也子+崎谷さんの「2」。そして,雅也+あたし,の「2」。
いつもパワーバランスが取れていたような気がする。

「雨崎さん,これおねがいしますね」
市原さんが,書類の入った紙袋を持ってくる。
「打ち込むより,取り込んでOCRした方が速そう」
書類をパラパラとめくりながら,誰とは無しにつぶやく。
自分に話しかけられたと思ったのか,小川くんが
「最近のソフトって賢くなりましたよね」
と相づちを打つ。
「確かにね。昔は,ほんとバカ丸出しだったもの」
「バカ丸出しって…」
小川くんは,ぶっと吹き出した。
「機械ってのはね,人間を助けなきゃならないものでしょう?
 バカな機械とは付き合ってられないの」
「雨崎さんは,機械にまで厳しいんだから」
笑いながら,小川くんはまた自分のモニタに目を移す。

あたしは,Windowsをいったん落としてから,スキャナの電源を入れ直し,
また起ち上げた。
どうして,こんな順番にさえ,気遣わなければならないのか。
まったく,世話がやける。

シャカシャカと音がして,いつもの窓が起ち上がる。
そういえば。
スキャナに原稿をセットしながらふと昔のことが思い出された。

            * * *

このスキャナのセッティングをしたのは,雅也だった。
うちの課でシステムに詳しい人間というと,崎谷さん亡き今は雅也が一番かもしれない。
あの日,美也子は外に仕事でちょうど居なかった。
あたしは,機械には まるで疎い人間だし,興味も無かったが,
雅也がセッティングしているのをじっと横で見ていた。
小さな子供が工作をしている,そんな顔つきの雅也を見ていたかった。

雅也はPC本体の蓋を開けて,テレビのニュースなどで見る精密機械工場のシーンに出て来るような板を手にしていた。
少し手荒に扱えば壊れてしまいそうな板。
「それ,何?」
何となく会話のきっかけが欲しくて,そう訊いてみた。
「これはね,SCSIボードっていうものです」
「すかじーぼーど?」
「エス・シー・エス・アイ,のSCSI。
 Small Computer System Interface,の略ですよ」
「日本語しゃべってよ。全然判らない」
「小規模コンピュータの周辺機器接続用インターフェイス」
笑いながら雅也は言った。
「もー,そんなの全然判らないってば」
かちっと音がして,その"すかじーぼーど"とやらは挿さったようだ。
「判らなくても大丈夫ですから。
 こんな会話がすいすい出来る女性って美也子さんくらいじゃないですか」
「あの子,そういうのよく知ってるものね」
「どんな頭の構造してるのかなぁ,って思うときありますね。
 いろんな分野での興味のあることが詰まってるっていうか,幕の内な脳味噌,って感じです」
「すごい例えねそれ。判るような気はするけど」
幕の内な脳味噌--言い得て妙なので笑ってしまう。
確かにそんな感じだ。美也子の頭は。
混沌としていて,それでいて整理されているような。
つかみ所が無いような,でも,とても判りやすいような。

「ねーね,じゃ,あたしの脳味噌は何だと思う?」
「雨崎さんの頭ですか?うーん,難しいなぁ」
ドライバーを持ってねじを回しながら,雅也は考えている風だった。
「何か思いつかないの?」
「雨崎さんを,お弁当に例える時点で無理がありますね。
 あ,そっちのドライバーとってください」
「あ。これね。はい。
 で,例えられないの?」
「雨崎さんの頭の中は,きちっと組み立てられたレゴって感じだなぁ」
「レゴって,子供のおもちゃじゃないの」
「でも,しっかり組み立てられてるって感じするじゃないですか」
ねじの最後を締め終わると,カバーを元に戻す。
「もう少し良い例えが欲しかったわね」
「すみません,ボキャブラリー貧困で」
雅也は,くくっと笑うと,ドライバーを片づけ始めた。

「さて。じゃケーブル,か」
「これ?」
近くにあったケーブルを手渡す。
「さんきゅ」
テキパキとこなしていく。
手持ちぶさたになった あたしは,その辺のものを眺めていた。
それにしても,パソコンというやつは,どうしてこうひとつのことをしようと思えば,
こんなに手間がかかるのだろう。
なかなか家庭に普及しないわけだ,と思う。
例えば掃除機でも,掃除しようと思ったときにこんな風に中を開けて,
何かを差し込んでケーブルを繋げてなんてするものならば,みんな絶対に使わないはずだ。
使いたいときにすぐに使える,そういうものでなければ普通の人は使う気がしない。

「ねー,パソコンっておもしろい?」
「おもしろいですよ。雨崎さんはおもしろくないですか?」
「仕事で必要だから仕方なく使ってるけど,面白くもなんともない。
 だって,面倒すぎるわ。なにもかも。
 やりたいって思ったときにすぐに出来ないじゃない」
「ま,そういう面は確かにありますね。でも見方を変えれば,そういう手間が楽しいのかもしれない。
 今度はこれを増設して,とかね。動かないと何が悪いんだろうって,
 そういうのが苦にならない人が,パソコンを楽しめる人なんだと思う」
「なるほどね。手間がかかる子ほど可愛いってやつね」
「昔ほどは,手間もかからなくなってますよ」
「えー,そなの?これで?やっぱりあたしには全然向いてない」
「ははは,そういえば雨崎さん,強制終了のダイアログに怒ってましたよね」
「そうよ,だって,あたしは悪いことなんてなにもしてないのよ。
 なのに,"不正な処理"なんて言われたら,むかつくわ」
「そういうものなんだ,って割り切らなきゃ」
「機械ってね,"使うもの"だと思うわけ。決して人間側が"使われるもの"であってはいけないのよ。
 なのに,機械に振り回されてるような気がするのね。パソコンってのは。
 だから,キ・ラ・イ」
「毛嫌いすると,パソコンに通じますよ」
「まさかー」
「はははは。あ,それとってください」
「ん,これ?」
「そ。それをさしたらおしまいです」
「埃よけのフタ?」
あたしは"それ"を手渡した。
「これはね,ターミネーターっていうものです」
「アーノルドシュワルッツネガー?」
「それ,使い古されたギャグなんですが…」
「何よー,知らないわよ。ターミネーターっていうとそれしか思い浮かばないし」
「SCSIってのは,デイジーチェーンで本体含めて8つまで数珠繋ぎに出来るんです」
雅也は近くにあった紙にペンでイラストを描いた。
「これが本体で,これがスキャナで,あと,CD-ROMドライブとか,いろんなのつなげるわけです。
 だけど,一番最後にはここが最後ですよってのをちゃんと知らせてやらないといけないんです」
「バーゲンで並んだときの一番後ろに"ここが最後尾です"って,係の人が居るって感じ?」
「なんか違います,それ」
雅也は,大笑いした。
こういう雅也の顔が好きだな,と思う。
人に笑われるのは好きじゃないけど,雅也が笑ってくれるなら,あたしはきっとバカなことでもするだろう。

ひとしきり笑った後,雅也は手際よくそれを付けて
「おしまい」と言った。

「とりあえずね,流れてきた信号に対して,これ以上は繋いでませんよって,
 そういう終端の役目をしてるって思っててください」
「なんだか,頭痛くなっちゃうわね。んで,これで使えるの?」
「いや,まだですよ。これからドライバーを入れて…」
「え?ドライバーってさっき直しちゃわなかった?PCの中に入れるの?」
「ドライバ違いですよ。ねじ回しのドライバーじゃなくて,デバイスドライバー」
「あー,もう,ストップストップ。黙って見てるわ。
 専門用語にお手上げよ」
「なるほど,じゃ雨崎さんを黙らせるには,PCの専門用語の羅列が効果的って訳ですね」
「何よ,その言い方。あたしがまるでうるさいみたいじゃないのよ。
 聞き捨てならないじゃない」
「わ。冗談ですってば」
雅也は大袈裟に両手を上げて「ギブアップ」と言った。

些細な会話でも,楽しかった。

            * * *

ギーコーと音がして,スキャナが動き始める。

そっか。
そういうことか。
一連の記憶を辿りながら,あたしは,何故今あたしたちが不安定なのか,判ったような気がした。

崎谷さんが生きていた頃,あたしは雅也が好きで,雅也は美也子が好きで,
美也子は崎谷さんが好きだった。
そこで,崎谷さんが美也子を好きだったから,例えるなら崎谷さんがターミネーターとなり,
上手くそこで終結し,安定していたのだ。
あの頃は,各人の想いのデイジーチェーンが,崎谷さんを終端として繋がってた。
でも,その崎谷さんが居なくなり,あたしの想い,雅也の想い,そして,
美也子の想いとつながった一直線が,その先を見失い,安定しないのだ。
では,美也子がもしも,雅也を想うことが出来たらどうだろう。
美也子が終端となり,この関係は安定するのだろうか。
安定した二人と,行き場を失った一人。
それは,既に「3」では無くなるのかもしれない。

止まったスキャナから画像が吐き出される。
OCRソフトで読みとられ,活字に変換されていく。
頭の中で考えていることも,心の中にある想いも,
こんな風に正しい言葉に変換してくれたらいいのに。
キーボードを叩きながらそんな風に思った。

            * * *

仕事を終え,周りに挨拶し,あたしは退社した。
歩きながら携帯を出し,短縮を押す。
かなり長いコールの後,雅也が電話に出た。
「あ,もしもし。あ・た・し。仕事終わったとこなの。
「もしもし,あ」
「今どこ?美也子と一緒?」
「ああ,今,そう美也子さん所。ちょっと待って,代わるから」

案の定美也子の家に居たみたいで,すぐに美也子に代わった。

「あ,もしもし」
「もしもし,今日仕事早かったんだね,終わるの」
「うん,そそ」
「あたし今終わったとこなんだけど,そっち行っていい?
「うん。いいよ。おいでよ」
「あ,雅也に迎えに来てもらおうかな。」
「うん。OKOK,もっかい代わるね」

続いてすぐに雅也が出た。

「もしもし」
「もしもし,雅也,まだ呑んでないでしょ」
「うん」
「じゃさ,迎え来てよ」
「えー」
「何よー,一人で歩いていけってゆーのー!?
 最寄りの駅までは行くから,どれくらいで来れそう?」
「いや,判った,うん,15分ぐらい」
「どこでまってたらいい?」
「駅の銀行側」
「ターミナルのとこね」
「そそ」
「じゃ,あとで」
「じゃ」

あたしは電話をカバンに直し,駅に向かった。

不安定でも良かった。
「2+1」であっても,あたしは「3」の中の一人でありたかったのだ。
滑稽なくらい,雅也に執着している自分に嫌気が差しながらも,その気持ちを止めることは出来なかった。

to be continued ...