side_story-26 (Kyoko.A) 

「ただ今戻りましたー」
あたしは,そういって戸口のボードの「雨崎」と書かれたマグネットを「社内」の側に戻す。
美也子の名前は「社内」にあるが,雅也の名前はそこにはなかった。
どうやら,まだ戻ってきていないらしい。

デスクに近寄り,座っている美也子の後ろから
「たっだいまー」
と声をかける。

振り向いた美也子の顔を見て,あたしは驚いた。
「ちょっとどうしたのよ?気分悪いの?顔,真っ青だよ」
いや,真っ青というよりも,血の気を失った美也子の顔は,
蝋人形の口唇に紅を差したような感じだった。
また何か," 彼 " を思い出すような何かがあったのか?
あたしはとっさにそう思った。

「滝川君が…」
「え?」
「滝川君のお母さんが,倒れた,って」
「…」

頭が回転しない。
雅也のお母さんが倒れた?

「で。どうなのよ」
「判らない。電話があって,滝川君に連絡して,そこから…」
「連絡,ないのね?」
「うん」

あたしは,美也子の隣に座り,灰皿を引き寄せる。
我が社は禁煙ではないが,お昼の間はフロアの方で喫うことが多い。
けど,今はそんなこと気遣っていられない。
一本取り出して火を点ける。
深く吸い込み,吐き出す。
うつむいたままの美也子。沈黙。その部分を除けばいつもと同じオフィス。

「待ってるしかないわね」
「うん」
「雅也のお母さん,そんなにお年じゃなかったし,
 持病があるっていうのも聞いたこと無いし」
「うん」
「ほら,お歳暮のシーズンだからさ。
 酒屋さんってやっぱり忙しいんじゃないかな。
 だから,過労って感じなのかも」
「うん」

何を言っても「うん」ばかりでは,会話が続くはずもない。

「私の所為かもしれない」

ぽつり,と美也子がつぶやく。

「は?」

思わず聞き返してしまう。
雅也のお母さんが倒れたのと,美也子とどう関係するのだ?

「それ…」
どういう意味と,聞こうとしたところで,
「雨崎さん,『K.S.コーポレーション』の山原さんから
至急資料もってきてほしいとのことです」
と向こうから声がかかった。
タイミングが悪すぎる。

「美也子,あたし,今から出て直帰になると思うけど,今日何時上がり?」
「18 時から会議が一本あるのが最終だから」
「じゃ,いちお 21 時頃に駅前の『グリーンハウス』で待ってる。
 連絡とれたら電話するけど」
「判った」

あたしは,煙草を灰皿に押しつけ,キャビネットから資料を取りだし,
カバンを持って走る。

イライラするばかりで,仕事のことなんて考えられない。
何もかも放り出して,雅也の元へ駆けつけたい,そう思う。
美也子のように,感情を押し殺してなんて あたしには無理だ。
結果,出先では
「雨崎さん,えらくカリカリしてますね。
 さては,彼氏とケンカでもしたんでしょう」
という馬鹿げた言葉を受ける羽目になり,またそれにイライラするという悪循環を繰り返す。
一日が長い,ひたすら長い。
朝,封を切ったばかりの煙草の最後の一本を吸い終わる頃,
ようやく仕事から解放され,約束の「グリーンハウス」へ向かうことが出来た。

小走りになりながら,美也子の携帯に電話を入れる。
ワンコールで出た。
雅也の電話を待っていたのかもしれない。

「もしもし,あたし」
「あ…」

やっぱり。
あたしが電話の主と判って,落胆が声にでる。

「雅也から,連絡ないんだ?」
「うん」
「今,どこ?」
「グリーンハウス」
「ごめん,またせて,あと 15 分ぐらいでそっち着くから」
「気を付けてね」
「じゃ」

ピッと電話を切り,あたしはタクシーが通らないかを見ながら駅へと向かう。
こういう時に限って一台も空車に出合わず,結局駅からタクシーに乗った。

雅也にかけようか。
そう思った。
けれども,向こうから連絡が無いということは,連絡が取れない状態なのだろうから,
こちらからかけるのもためらわれる。
待つしかない,か。
あたしは,雅也のことに関しては,結局待つばかりなのだなと思う。
電話を待つ,彼が幸せになるのを待つ,叶わないと判っていても振り向いてくれるのを待つ。
帰ってこぬ飼い主をじっと待っていた忠犬ハチ公の様に,あたしもまた,ただ待つしかないのだろう。

「グリーンハウス」に着くと,入り口に近い席に美也子の姿が見えた。

「ごめん」
「うん」

ほとんど口の付けられていない紅茶が,遅れてきたあたしを責めているかのようだった。
もちろん美也子に,あたしを責めるなどという発想など沸きはしないだろうが。

「一度も連絡なし?」
「ん」

こんなとき,何を言えばいいのだろう。
" 大丈夫だよ,きっと "--- ?
" 連絡するの忘れているだけだよ "--- ?
どんな言葉にも保証なんてありはしない。
「大丈夫だよ」という無責任ななぐさめが,
かえって傷口を広げるのを目の当たりにしてきた あたしには,
今の状態で何かを言うことは不可能だった。

運ばれてきたコーヒーに口をつけたものの,
やはり飲む気にもなれずに,ソーサーに戻す。
数分後には,美也子の前に置かれている冷めた紅茶のように,
色の付いた ただの液体という存在になってしまうのだなと,ぼんやり思いながら。

「うち,来る?」
「うん?」
「一人で連絡待ってるのも辛いしさ。
 美也子の家にいっちゃうと,あたし帰りの足がないから,
 うちに来てくれるとありがたいんだけどな」
「そだね。じゃ,そうする」

見捨てられた二つの液体に別れを告げ,あたし達は席を立った。


「京子ちゃんのマンションに来るのひさびさだね」
美也子はそういって,上がってくる。
「みんなで集まるっていうと,美也子のマンションの方が広いからね」
-- だって,崎谷さんと二人で住む予定だったんだもの。
後半の言葉は飲み込み,あたしはクッションを勧める。

「何か飲む?って,あまり飲む気もしないか…」
「ん。お茶だけくれる?」
「OK ,OK 。ひとりで居るとさぁ,日本茶ってほとんど飲まないのよ。
 そいえば,親が持たせてくれた高級茶葉があったような」
「普通のお茶でいいよぉ」
「ってゆっかさ,それしかない,ってのが正しい」

顔を見合わせて少し笑う。

「うーんと,あったあった,これこれ。
 玉露だよ。って,あー,ヤバイ。賞味期限が近い!」
「そなの?」
「あと,4 日ほど」
「えー」
「ずっと放ったらかしてたからなー。
 あと 4 日じゃ飲みきれないな。ちょっともったいない気分」

自分には取り立てて必要で無いものなのに,
手放すとなると,少し寂しい気分になるのは,
恋愛と似ているような気がする。
結局は,欲張りで我が儘なだけなのだ。

「でさ」
「うん?」

あたしは,お茶に湯を注ぎながら話しかける。

「お昼に言ってたじゃない。自分の所為だって」
「あぁ」
「何よ,あれは。
 雅也のお母さんと,まさか何かつながりがあるって訳じゃないよね?」
「そういう意味じゃないよ」
「じゃ,何?」
「私と,一緒に居るから,だな,って思って」
「だから,何が?」
「そういう風に,いろんな人が,病気になったり,亡くなったりするの」
「は?」

全然話が見えない。
何の話をしているんだろう。あたしたち。

「意味が判らないけど。
 雅也のお母さんが倒れたのは,美也子が雅也と一緒に居るから,
 ってことなの?」
「うん」
「ちょっと待ってよ。全然判らないよ。
 雅也と美也子が一緒に居ることで,例えば何かお母さんに,
 負担がかかってたとかそういうこと?」

そんな話はまったく聞いて無い。

「違う」
「じゃ,何なのよ。もう少し判りやすく話してくれないと,
 あたしの頭じゃ理解不能」
「だから,私が居ると,一緒に居る人が不幸になるの」
「へ?」

日本語か?
日本語だ。
だけど,あたしの頭には美也子のセリフがこれっぽちも意味を成して入ってこなかった。

「美也子が居ると,一緒に居る人が不幸になる?
 風邪のウイルスじゃないんだからさ,
 一緒に居たら何かが移るわけではないでしょうに」
「疫病神,なのかもしれない」

今度は「疫病神」か。
連絡を待ちながらあたしたちは,何を禅問答のようなことを
繰り広げているんだろう。

「じゃ,聞くけどさ,美也子が疫病神って,なんでそう思うの?」
「あのね,京子ちゃんには言ってなかったと思うけど,
 私の周りで,私に関わった人死んでるの」
「知ってるわよ,別にそんな事言わなくても,崎谷さんのことでしょ。
 でもね,何度も何度も言ってるけれど,あれは,美也子の所為じゃないでしょ?
 『帰ってきて』って言ってたら,死ななくて済んだかもしれないって,
 美也子は言ってたけど,それだって結局は崎谷さんが判断して,
 向こうに残ったんでしょうが。
 だとしたら,美也子の所為なんてことは全然あるわけ無いんだから。
 いい加減,それ判ってくれないかなぁ…」

あたしは,ため息をついた。
美也子はずっとあれから自分自身を責めている。
自分があんなことを言ったから,陽介さんを失うことになったのだと,
ずっと責めている。

けれど誰かの運命を,別の人間がきっかけで変えてしまうなんてことは
有りはしないと,あたしは思うのだ。
そういう風に見えたとしても,それは元からその人が持っていた
運命に組み込まれていたことであり,どのみちを辿ったとしても,
同じ結果になるに違いない。

あたしから言わせれば,自分の所為で誰かに何かが起こったという考えは,
傲慢以外の何ものでもない。
それほどの,人の運命を変えるほどの力を,あなたは持っているのか,
と逆に問いただしたくなるのだ。

ただ,美也子が自分の所為だと思いこんでいる(思いこもうとしている)のは,
たぶん「理由」が欲しいからなのだと思う。
陽介さんが死ななければならなかった明確な「理由」
(-- それは「意味」と言い換えてもいいだろう)が見つからないので,
「自分の所為」という理由を付けているだけのことなのだと思う。
そうする方が「楽」だから,だ。

100 歳で亡くなった人が居たとして,そこには「もう天寿を全うしたから」
「充分長生きしたから」という「理由」が出来る。
そうすると人は,その人が死んだことを納得しやすくなるのだろう。

けれど,陽介さんの死は,誰から見ても早すぎた。
ましてや,憎むべき対象は「震災」という自然であり,
そこには「何故陽介さんで無ければ無かったか」という「意味づけ」がされない。
「たまたま地震があった場所に居たから」では,あまりにも悲しすぎるではないか。
だから,美也子は「自分の所為」で亡くなったのだと,無理矢理意味づけようとしているに違いない。
そして,少しでも「納得」しようとしているのだ。
その気持ちは判らないでもない。
けれど,だからといって,それが正しいことだとは思えない。

お茶を一口飲むと,美也子はこう続けた。

「あのね,昔高校の頃につきあってた人が居たの」
「え,うん」

急に話が高校の頃に飛んだので,驚く。

「その人,バイクの事故で,死んじゃったのね。
 もう,大学もちゃんと合格してたのに
 18 の時」
「…まさか,バイクに一緒に美也子が乗ってたとか…」
「うーうん,そうじゃないの。
 もう,その時には別れてたから。
 現場にいたわけでもなんでもないの」
「じゃぁ,関係無いじゃない」

その問いには答えず,美也子は うつむきながら尚も話を続ける。

「それで,それから何人かつきあって,
 またね,付き合ってた人が死んじゃったの」

悪寒が走る。

「その人は,生まれつき心臓が悪かったんだ。
 付き合うときには知らなかったんだけど,
 後から知ったのね。
 だけど,私は,そんなの気にしてなかったの。
 すっかり普通の人の生活は出来るくらいで,
 大丈夫だろうって言われてたからね」
「うん」
「で,そのこととは関係無く,別れたのだけど,
 その後,心臓病で亡くなられたという話を聞いた」
「でも,それって,別に美也子が,心臓に負担のかかることを
 させたとか,そういうわけじゃないんだし…」

また,その問いかけには答えず,美也子は続ける。

「そして,陽介さんが 3 人目,なの。
 気づいちゃったの。もう。
 3 回繰り返したら,それって偶然じゃないよね?
 やっぱり,私の所為なんだよね?」

呪縛 -- だ。
あたしは,言葉を失ってしまった。

ゆっくりと,美也子は顔をあげる。
透き通るように白く,生気を失った顔。

心は,どこだ?
美也子の心は。
呼び戻さなくては。

「美也子,あのね,いーい?」

あたしは必要以上に大声をあげる。
頭の芯がズキズキする。

「良く考えてみてね,美也子の所為で周りの人間が死んだり,
 不幸な目に合うなら,あたしは,どうよ?
 こうしてピンピン生きてるじゃないの。
 そうでしょう?
 美也子のお兄さんだって,ご両親だって,--  とにかく,
 3 人,そういうことがあったとしても,一つ一つ切り離したら,
 それは,美也子に全然関係無いことじゃないの。
 陽介さん以外は,美也子と別れてから亡くなってるんだし,
 そこに共通項を見い出す必要なんて全くないんだよ。
 判る?馬鹿げてるんだって,発想が。
 言い方悪いけど,その人達は,そういう運命だったとしか,
 言いようがないんだってば」

美也子は,そっとかぶりを振る。

「京子ちゃんは,そういってくれるけど,やっぱりおかしいよ。
 別に私は,1000 人の人とつきあってきてる訳じゃない。
 1000 人と付き合ってて,3 人がっていうなら,おかしくないのかもしれない。
 でも,付き合ってきた人の数から考えたら,3 人がもうこの世にいないっていうのは,
 明らかに偶然を越えてる数なんだって」
「だから,そゆふうに何でも決めつけちゃ駄目なんだって。
 それって例えば,小学校で 0 点を取ったことがあって,
 中学校で 0 点を取ったことがあるから,大学に行っても 0 点を取る可能性がある,
 って,そんな理不尽な決めつけといっしょなんだよ !?
 しっかりしてよ。そんなバカな考え方がどこにあるってのよ」

「私は,疫病神なんだ」
「違う!」
「陽介さんが死んだのも,私の所為で…」
「だから,違うっていってんでしょ!」
「雅也のお母さんが倒れたのだって…」
「いい加減にしてよ!」

ばんっと,テーブルを叩いてしまう。
もう,こんな会話は御免だ。
どうして,自分の中に原因を求め続けるのだ。

確かに,自分が 20 数年生きてきた中で,付き合った人が既に 3 人亡くなっているという事実は,普通はあり得ないことかもしれない。
けれども,あり得ないからと言って,それは「まったく無い」ということではないのだから,そういう偶然が重なってもおかしくはないだろう。
「偶然」なのだ。全て。
美也子の所為なんかじゃない,それは絶対に違う。
なのに,「呪縛」だ。
彼女はそう,思いこんでしまったのだ。

あたしは,あることにふと思い当たる。

「美也子,あんたまさか,自分と居れば不幸になるからと自分で思いこんで,雅也の気持ちに応えようとしない,なんてこと言わないでしょうね !?」
「…」
「どうなのよ,答えてよ,そんな馬鹿げた理由で,わざと雅也の気持ちに応えてないだなんていったら,あたし,あたし…」
-- あたしは,許さない。

「判らない。でも,もう,誰のことも,好きにならない,よ。私は」

やりきれない。
誰か断ち切って欲しい。
美也子が,がんじがらめになっている「呪縛」という名の鎖は,どうしたら解けるのだ。

二人とも押し黙り,重い空気の中,突然メロディーが鳴り出した。
お互いびくんっとし,あわてて美也子が傍に置いていた携帯を取り上げる。

「もしもし,あ,滝川君」

どうやら,雅也からの電話のようだった。
電話に出ている美也子を見ながら,あたしは別のことがふと頭に浮かぶ。

考えてみれば,あたしが本気で好きになる人は,既に美也子が好きだった。
雅也然り,陽介さん然り。
だとすれば,これはあたしへの「呪縛」なのか?
この次に恋愛をしたとしても,また同じ事を繰り返すのか?

違う,いや,違う。
美也子の思考パターンが危うく乗り移るところだった。
雅也が美也子を好きだったのも,陽介さんが美也子を好きだったのも,偶然なのだ。
だから,この次にあたしが好きになる人が,また美也子を好きであることなんて,あるはずがない。
いや,無いとは言いきれないだろうけれど,あたしはそれを自分にかけられた「呪縛」だなんて,決して思わない。
あたしの運命は,あたしの運命だ。
誰かの所為にしたり,必要以上に自分の所為にしたりも,絶対にしない。

そう思考に決着をつけたとき,ふと目の端に自分の携帯電話が留まる。
そうだ。
今,美也子の電話が鳴ったのだ。

雅也は,あたしの携帯の番号だって知っている。
だけど,真っ先に鳴るのは,あたしの電話ではなく,
美也子の電話なのだ。
いつだって。

鳴らない電話を待つあたし。
あたしの手元近くに置かれた,携帯電話。
まるで,まったく出番のない予備の役者のように哀れで仕方がなかった。
そっと手に取り,引き寄せたカバンにしまう。

美也子の電話はまだ終わらない。

to be continued ...