side_story-28 (Masaya.T) 

単なる仕事仲間である僕のために,夜中に飛び出してきた美也子さん。
判ってたはずだ。
あんな電話を聞いて,僕を放っておけるような人でないことくらい。
そして,来てくれたからといって,そこに恋愛感情がこれっぽちも交じってないことさえも。
全て承知だった。

それでも,彼女に救いを求めていた。
どこかで,こんな惨めな自分を見られたく無いと思いながらも,
耐えられなかったのだ。
重くのしかかる現実に。
僕は,きっと弱い人間なのだろう。

崎谷先輩が亡き後,彼女を守り通すと決めたのに,情けないけれど。

            * * *

洗面所で顔を洗い,玄関に戻ると,彼女は背を向けて座り込んでいた。
僕は彼女の後ろからそっと腕を回す。
何の反応もなく,彼女はされるがままだった。
でも,それはきっと僕を受け入れてくれたからではなく,
いろんなことを考えている最中で,心がここに無いからであろう。
それを判断できるくらいには,僕は冷静になっていた。

ひんやりした美也さんの髪が頬に触れる。
雨,は降っていなかったはずだ。
何故濡れているんだろう?

「美也子さん,髪濡れてませんか」
「ん。ドライヤーの途中で,まだ全部乾かしてなかったから」

彼女は,小さな声でつぶやいた。

思い出した。
電話で「寝てました?」と訊いた僕に,
彼女は「今お風呂に入ってた」と答えたのでは無かったか。

「ごめん…」

悪いことをしてしまった。

「んーん。謝らなくて,いい,よ」

彼女は,そう言う。

途端に僕は,こみ上げてくる感情を抑えられなくなる。
彼女が僕に恋愛感情を抱いていなくても,構わない。

「美也子さん…」

彼女の肩を掴み,こちらを向かせる。
力無く,彼女は僕の腕の中におちた。

「バカな人だ…」
「何回も,バカバカ言わないでよ…」
「…でも,愛してる。美也子さんのこと」

卑怯だ。僕は。
こんなときに持ち出す言葉ではないだろう。
なのに,口をついてそんな言葉が出ていた。
彼女は無言だった。

「俺には,必要なんだ」

そう。
必要だった。
彼女が僕を必要としてくれなくても,僕には彼女が必要だった。
彼女を守るというのは大義名分なのかもしれない。
彼女が居ないと僕の方が駄目になるのかもしれない。

僕は彼女の頬を両手で包む。
さっき冷水を使っていた僕の冷たい手には,冷えているであろう彼女の頬も温かかった。
言葉は,もう要らない。
彼女の目に僕が映りこむ。

彼女がそっと まぶたを閉じる。

時が止まる ----------------

-------------------------- 彼女は,受け入れようとしてくれている。

-------------------------- だけど。

-------------------------- いいのか?それで…

-------------------------- こんな形で結ばれることを,僕は願っていたのか?

-------------------------- 欲しかったのは彼女の…‥彼女の…‥?

彼女の頬から,僕は,手を放し,
もう一度彼女を胸に抱く。

「卑怯でした。すみません」
「…」

「嬉しかったです。今,一瞬でも,僕を受け入れようとしてくれたこと」
「…」

「でも。美也子さん,きっと,それは『同情』なんですよね」
「同情なんかじゃ…」
「…無い,って言い切れますか?同情じゃないなら,愛情ですか?」
「…」
「それとも,美也子さんは,誰とでもそういうこと出来る人ですか?」
「そんな…」
「…そんな人じゃないことは判ってます。
 でも,だとしたら,今の感情ってたぶん僕に対する『同情』なんですよ」
「…」
「同情でも何でも,美也子さんが手にはいるなら,それでもいい。
 一瞬,そう思ったのは事実なんです。
 最低でしょ。俺。自分の立場利用して,美也子さんを落とそうとしたのかもしれない」
「滝川くんは…そんな人じゃない…よ」
「いや,『そんな人』なんです。男としては最低です。
 でも,人間として,最低に堕ちなくてよかった。
 気づいたんですよ。俺が欲しかったのは…」
「…」
「美也子さんの身体じゃなくて,心なんです。
 あ。違うな,身体は要らないって言ってるんじゃなくて,
 先に心が欲しい。心が自分のものじゃないのに,身体だけ結ばれることは望んでない。
 あのまま,その先に何かが起こったとしても,そこには何も残らない。
 僕が望んでいるのは,そんな形であなたを手に入れることじゃない。
 その事に,気付けたんです。
 スタートのボタンを掛け違いたくなかった。
 掛け違えなくて良かった…」
「滝川くん…」
「でも,いつか美也子さんの心が僕に向いたら,その時は遠慮無くってことで」

僕は,ちょっと笑ってみせた。

「その代わり,そうじゃないのに僕が変な気 起こしたら,ひっぱたいてくださいね」
「ん」

そう言って美也子さんも笑った。
これで,良かったんだ。

こうして彼女を抱いていると,またよからぬ思いが もたげてきそうだったので,
僕はそっと腕から離した。

「髪,ドライヤーかけます?それじゃ風邪引いてしまいそうだ」
「いいよ。家に帰ってから,かける」
「御茶入れます」
「んーん。いい。ごめん。もう帰るね」
「…」
「あ。怒ってるんじゃないから」
「そうだといいんですけど」
「怒ってたら,ここ,飛び出してるよ」
「そっかな」
「うん」

彼女は少し逡巡したあと,言葉を繋げた。

「あのね」
「はい?」
「今までずっと滝川くん,私のこと支えてきてくれたでしょう」
「そう思ってもらえたら嬉しいです」
「だからね,今度は,私が支える番だって思ったの」
「…」
「滝川くんが何かを望む,それを私が受け入れることで,
 滝川くんの支えになれるなら,それでいいと思った」
「…」
「それが,さっきの気持ち。それって,『同情』とは,違う,よね」
「うん,少し,違う…かもしれません」
「でも。それって,すごく失礼なことだよね」
「…」
「子供じゃないから。私も。
 愛情が無ければ身体を重ねられないかって言われたら,判ん無い。
 …軽蔑,する?」
「返答に困りますね」
「もちろん,今まで,そういうことしてきた訳じゃないから,
 実際問題として,どうかは判らないよ。
 でも,あのまま滝川くんが,何か行動を起こしてても,私は拒まなかった」
「…」
「だけど,もう二度と,滝川くんを,
 今までの滝川くんとして見れないだろう,って,それは思ったの」
「それでも,いいと,思ったんですか?」
「それを,願われているなら,それでもいいと,思った」
「美也子さん…」
「関係を壊してもいい,それでも,って思われるなら,
 …いいと,思ったんだよ」

僕の頭の中には,かつて京子さんと交わした会話がフィードバックしていた。

「それでも‥いいって言ったら?
 美也子を敵に回しても,あなたを敵に回しても,
 今,抱いて欲しいっていったら?
 それがあたしの願いだと言ったら?」
「なら‥構いませんよ。そこまで望んでくれるなら」
そう。
「なら‥構いませんよ。そこまで望んでくれるなら」----あの時僕はそう答えたのだ。
そこまで望まれるなら本望だと,そう思ったのだ。
京子さんが,それを望むなら,叶えよう。
そう,思ったのは事実だ。

京子さんをもしも抱いていたら,もう僕たちは元の二人の関係には戻れなかっただろう。
友達として大事な京子さんを失うことになるのはとても辛い。
でも,それでも構わないと彼女が本気で望むなら,叶えてやりたかった。
自分は,彼女に何もしてあげられなかったから。
どれだけ京子さんが僕を愛してくれても,僕はそれに応えられなかった。
だから,せめて,彼女が望むことで僕に出来る事があるならば,
僕は痛手を背負ったとしても,その願いを叶えただろう。

あの時の僕と,今の美也子さんは,同じなのかもしれない。

そうか…。

「ひどいこと,言ってるね。私。
 ごめんなさい」

黙ってしまった僕を,怒ったと思ったのだろう。
美也子さんは,頭を下げてうなだれる。

「いや,怒ったんじゃないです。
 理解できます。それ」

----- 何故なら,僕自身が経験した気持ちだから。
----- あの時の,僕の京子さんに対する想いと同じだから。

「…」

----- だから。判ってしまう。

「気にしないでください。ありがとう。正直に話してくれて」

----- 美也子さんの気持ちが。

「ん…」

----- 今の僕にはまったく向いていないであろうことを,
----- はっきりと,知ってしまう。
to be continued ...