side_story-33 (Kyoko.A) 

カタカタカタ。
「あ‥」

このプログラムは不正な処理を行ったので強制終了されます。
問題が解決しない場合は、プログラムの製造元に連絡してください。
こういう時に限って,こんなダイアログが出て来る。
忌々しい。
意味を成さない「詳細」ボタンには目もくれず,
あたしは,素直に「閉じる」ボタンを押す。
こまめにセーブしていたので,被害はそんなに無いだろう。

時計を見ると,18時を回っていた。
ちょうど区切りがいい,もう,今日はやめにしよう。
そう思い,PC を再起動することなく終了した。

美也子はまだ外から帰ってきてない。
雅也は,コピー機の所で,紙詰まりを直しているようだ。

あたしは手早くデスクの上を片づけ,立ち上がる。
「お先でーす」
誰宛てというわけでもなく,そう言うと,あちこちから「お疲れ」と声がかかる。
戸口のボードのマグネットを移動させながら,ちらりと雅也の方を見たが,
コピー機の不具合と格闘している彼には,あたしの声は聞こえなかったらしい。

何となく気まずくなって何日経つだろう。
歩み寄るきっかけを失ったまま,毎日は過ぎてゆく。

今日は真っ直ぐに帰ろうと駅に向かいながら,あたしは物思いにふける

あの日,あたしは,雅也の頬を平手打ちし,走って帰ろうとした。
そう,ドラマであれば,そのまま主人公はカッコ良く走り去るものなのだ。
だけど,現実はそう綺麗には いかなかった。

            * * *

「僕が,こんなことをしても,京子さんにとっては変わらないことなんでしょう?」
「やめて」
「変わらないなら,平気でしょう?」

ぱしっ。

頬を打たれてもじっと立っている雅也をおいて,あたしは
「ごめん」と言って走り出した。

ところが,数メートルも走らないうちに身体にアルコールがイッキに廻り,
走れなくなってしまったのだ。

道ばたにしゃがみ込んだあたしの元へ雅也が走り寄ってくる。

「京子さん」
「ぅ」
「大丈夫ですか?あんなに呑んで走るなんて無茶なコトするから」
「…」

あたしは,情けなくて言葉を失う。
格好悪い。
めちゃくちゃ格好悪い。

雅也が優しく背中をさすってくれる。
「吐けるなら吐いた方が楽になりますよ」
「だいじょぶ」

こんな所でこれ以上の醜態を見せてたまるか。
その時のあたしは,意地で吐き気を押さえ込んだ。

いや,いっそのこと,もっと惨めな姿を見せて,
雅也に愛想を尽かせてもらうというのもいいかもしれない。
嫌われたら,あたしも納得がいくような気がする。

そんなことを考えながらも,やっぱりそんなことは実行に移せなかった。

「京子さん立てます?」
「無‥理っぽい」

情けなくて,泣きそうになる。

「仕方ないなぁ」

雅也はそういうと,あたしの前に回り込み,
自分もしゃがみ込んだ。

「どうぞ」
「何?」
「歩けないでしょ?」

背中を見せて振り返る雅也が何をしようとしているかようやく判った。
あたしを背負うつもりだ。

「ばか」
「バカは,京子さんでしょうが」

雅也は,くったくなく笑う。

「ほら,意地張って無いで,どうぞ。
 こんな所に二人でしゃがみ込んでたら,怪しいですよ」
「あたし,重いよ‥」
「大丈夫ですって。美也子さん担いだことありますし」

そう,美也子が倒れたとき,雅也が運んだんだっけ。
雅也は身長が180ほどある。
割と細めですらりとしているので,力なんてなさそうに見えるが,
彼は,倒れた美也子を易々と抱き上げ,駐車場まで歩いていった。
「火事場の馬鹿力ですよ」と,照れていたが,意外と男らしいところに惚れ直した。

「美也子よりも,重いから」
「そんなの気にしませんから,早く」
「…」

あたしは,覚悟を決めて雅也の背中に身体を預けた。
雅也の背中って,こんなに広かったんだなぁ,と,改めて思う。

「よしょっ」

雅也は あたしを負ぶって てくてくと歩き出した。

「どこかで休んだ方がいいですか?」

今の弱ったあたしは,そんな言葉にさえドキッとする。

「雅也の口からそんなセリフが出て来るなんて思わなかったわ。
 近くにホテルってあったっけ」

あたしは,わざと軽々しくそう言った。

「何をゆってんですかっ。落としますよ」
「ゎ。ごめん,嘘々,冗談」
「それだけの事が言えるなら,大丈夫ですね」
「うー,大丈夫じゃない」
「ホントですかー?」
「ほんとほんと,もう,駄目」
「なんだかなぁ」

あたしは,もう少しだけ,雅也の背中に負われていたかった。

「今度もう少し元気なときに,ホテルに誘って」
「誰もホテルに誘ってなんか無いでしょう。
 少し先に,公園があるから,そこでいいですよね。
 公園の池で頭冷やしてあげましょう」
「やだーっ」
「背中の上で暴れないでくださいって,本当に落ちちゃいますから」

雅也は,マイペースで歩いていく。
ゆらゆらと一定の間隔で伝わる振動。
温かい背中。
じっとしていると,眠ってしまいそうだった。

「雅也ぁ」
「何ですか?」
「呼んでみただけ」
「もー,何なんですか,子どもみたいに」
「へへっ」

ぎゅっとしがみつく。

「そんなに強くしがみつかなくても,
 落としたりしませんから安心してくださいって」
「うー」

そういう訳じゃなかったけれど,まぁ,いいか,と思う。

「雅也ぁ」
「また呼んでみただけ,ですか?」
「違う」
「ん?」
「雅也,いい香りするね」
「そですかー」
「え・い・え・ん,だね」
「何だ知ってるんじゃないですか」

雅也が付けている香り -- ETERNITY for men

「前に,雅也のとこに行ったときに洗面所に置いてあったの見てたから」
「あはは,チェックしてたんですか」
「そだよー。女物の歯ブラシが無いかとかね」
「ぅわ」
「なんていうのは,嘘だけどー」
「怖い発言しないでくださいよ〜」
「あ,動揺してる?女物の歯ブラシあったかもしんない?」
「無いです無いです」
「怪しいなぁ」
「怪しくないですって」
「じゃ,そゆことにしとく〜。
 でも,普段,何か付けてるって気づかなかったから,
 フレグランスのビンを見つけたときはちょっと意外だったの」
「これくらい近づけば判るくらいにしか付けてないですよ」
「そなんだ」
「あれ,うちのいとこの姉貴からもらったんですよ。
 ゆみさん,って言うんですけど。
 夕方の "夕" に,"美しい",って字」
「へぇ」
「僕,ひとりっこでしょ。で,その夕美さんも一人娘なんですよ。
 うち,酒屋だから,親父もお袋も働いてたんで,
 小さい頃から,姉弟って感じで良く遊んでもらってました」
「いくつくらいの人?」
「僕より3つ年上だから,京子さん達と同い年ですよね」
「今何してるの?」
「さっき夕美さんからもらったって言いましたけど,彼女,そこの代理店で働いてるんです。
 何かとファッションに関しては面倒見てもらいました」
「そなんだ。雅也にはコーディネーターが付いてるんだね」
「結婚してからダンナさんの転勤で,今は東京に行ってますから,
 こっちにはほとんど戻ってきませんけどね。
 『男もおしゃれでないと駄目だ』ってのが,彼女の信条で,
 あれやこれやと教えてくれました」
「雅也,素材がいいから教え甲斐あったんじゃない?」
「んなことないですよ。
 で,まぁ,その夕美さんからもらったのをずっと使ってるわけで。
 そうそう,彼女が言ってました,
 『数メートル先から香り立つようなフレグランスの付け方はするな』って。
 『肌が触れ合うくらいになって,初めて香るのが大人だ』って,ゆってましたよ」
「カッコイイね,それ。でも,それ判る。
 なんかこれ見よがしに『香水付けてます〜っ』ってのは,あたしもヤダ」
「ですよね。夕美さんセンスがあるから,いろんなこと教わったような気がするなぁ」
「ねーねー,雅也ってさぁ,やっぱりシスコンの気があるよね」
「何でですかーっ」
「そのおねーさんに,惚れてたりしなかった?」
「してませんって。僕なんて相手にされませんよ」
「相手にされない,ってことは,やっぱり好きだったんだ?」
「違いますって。もー,京子さん,絡むなぁ」
「酔ってますからね〜」
「酔ってる振りしてませんか?」
「ぅ〜〜,吐きそう〜〜」
「わぁああ,やめてくださいって,背中ではやめてくださいっ」
「嘘ぉだよ〜ん」
「ったくー」

よしょっと,雅也はもう一度あたしを背負い直した。
あたしは,雅也の肩にちょこんっと頭を載せる。
きらりと月の光を反射するピアスのキャッチ(留め金)。

「ピアスかぁ」
「え?」
「んーん。ほら,ピアスしてるの,後から見る機会ってあまり無いじゃない」
「まぁ,そですよね」
「なんか,こうやって負ぶってもらってると,いろんな発見があるね」
「このピアスもね,実は夕美さんの影響があったんですよ」
「えー」
「夕美さん,ピアスしたがってたんだけど,恐がりでね。
 どうしても出来なかったんだな。
 それで,僕が,こんなの平気じゃんって,手本を見せたってわけ」
「ばちんってやるピストル型のピアッサー?」
「そそ,それで大丈夫ってやってみせたのに,
 夕美さん,それ見てやっぱり駄目だって」

雅也はその時の事を思い出したのか,くくっと笑った。
背中を通じて,あたしに振動が伝わる。
幸せだった。

「結局僕の耳にだけピアス用の穴があきましたとさ」
「あはは」
「夕美さんから贈られたピアスが多いですよ。
 彼女,自分が出来ない代わりにしてたんじゃないかなぁ。
 いつだったか,小さな花びらのピアス持ってきたんですよ。
 僕,さすがにそれだけは勘弁してくれって逃げました」
「ゎは,見たかったなぁ,それ。結構似合ったりして〜」
「冗談やめてくださいよー」
「今度ね,あたしが何かプレゼントするよ,ピアス」
「遠慮しときますよ。なんか,とんでもないものプレゼントされそうだ」
「ちゃんとしたの選んでくるってばー」
「ほんとですかー?」
「ほんとほんと。だからちゃんとつけてよね?」
「ハイハイ,京子さんから頂いたものなら大事に付けさせてもらいます〜」
「ふふふ,楽しみにしててね」
「はいはい〜」

あたしは,少しずつ酔いが醒めてきた頭でいろいろ思いを巡らせる。
雅也には,どんなピアスが似合うだろう。
うんと,シンプルなやつがいいな。
シルバーの。
肌に触れる,雅也に一番近い場所で,
あたしのプレゼントしたピアスが輝く様を想像して嬉しくなる。
雅也の心は美也子にしか向いていないけれど,そうやって,
ほんの少しだけ,あなたの一部分に触れることは,許されるよね。

「さて,到着っと」
「ありがと,もう,大丈夫だよ,降ろして」

あたしは,遊園地の乗り物から降ろされる子どものように,
少し未練を感じながら,雅也の背中から降りた。

人の居ない公園は,昼間見るのと違った雰囲気を醸し出している。

「何か買ってきます」

ぼんやりと光を放つ自動販売機に向かって雅也は歩いていった。
ちゃりんちゃりんっと,硬貨の滑り落ちていく音が響く。
かこんっと,ボタンを押すと,ぴぴぴぴぴっという電子音が,
静まりかえった公園に響いた。
がぐんっ,とそんな音が続いて,転がり落ちてきた缶を手に,
雅也がこっちに戻ってくる。

「はい。熱いですよ。持てます?」
「さんきゅ」

近くにあった木のベンチに二人並んで腰を下ろす。
熱くなった缶を両手でころころと回しながら,少し冷えるのを待った。

頭上で ぱちんっという音がする。

「誘蛾灯,かぁ」
「ですね」
「蛾って,こんなに寒くても居るんだ」
「蛾かどうか判ん無いですけど」
「…あたしね」
「はい」
「誘蛾灯って "優しい" に "雅やか" の "優雅" だと思ってたの」
「あはは,優しくて雅やかな灯ですか」
「うん。だって綺麗よね?だから,ずっとそう思ってた」
「蛾にとっては優しくも雅やかでもないでしょうけれど」
「そうなんだよね。
 でもさ,あの綺麗いな光に誘われてくる瞬間は,
 きっと蛾にとっても "優雅" な灯なんじゃないかなぁ」
「かもしれないですね」
「誘蛾灯に誘われてきた蛾にとって,その先にあるのは死だけど。
 でも,その瞬間までは,幸せなんじゃないかなって思う」
「…」
「ねぇ,雅也。崎谷さんって,幸せだったのかな」
「京子さん…」
「死ぬ瞬間,苦しまなかったかな」
「…」
「美也子のこと置いて,自分が先に逝ってしまうこと,心残りだったよね。
 きっと。
 誘蛾灯に誘われる蛾のように,美しい光を見ながら死ねるのは,
 もしかしたら,幸せなのかもしれないね」

あたしは,雅也からもらった缶コーヒーをこくりと飲んだ。

「崎谷先輩は,幸せだと,思いますよ。
 もちろん,あの若さで死を迎えないといけなかったことは不幸だと思いますけど,
 でも,美也さんに過去から愛されて,今も想われて,そして,
 …未来永劫,きっと愛され続ける崎谷先輩は,幸せですよ」
「雅也…」
「人が死んでしまったら,肉体は消えていきますよね。
 だけど,人の心の中で生き続けることは出来る。
 崎谷先輩は,美也子さんの心の中で,永遠に生き続けられるんですよ。
 それも,一番綺麗な形で。
 たぶん,それって,一番幸せなことなんじゃないのかな」
「生か死か,っていう意味では,崎谷さんは不幸だったけれど,
 死が逃れられないものだとすれば,一番幸せな状態だった,
 ってことになるのかな」
「だと,思います。ただ…」
「ただ?」
「美也子さんにとっては,不幸せだと思います」
「うん」
「本人が意識するしないに関わらず,彼女の枷(かせ)になっていることは確かですから」
「ん…」
「神様が,誰でも良かったのなら,
 崎谷先輩の代わりに僕が対象でも良かったんですよね。
 そしたら,美也子さんは幸せに暮らせてただろうし,
 もしかしたら,僕は美也子さんの心の中に生き続けられたかもしれない。
 それなら,僕だって幸せだ」
「バカなこと言わないでよ。雅也が居なくなってたら…」
「…」
「あたしは,不幸せだよ」
「でも,京子さんは,崎谷先輩が好きだったじゃないですか」

雅也の言葉が,吹く風よりも冷たく心に刺さる。

「それは…」
「だから,きっと僕が崎谷先輩の代わりになっていたとしたら,
 今こうしてここにいるのは僕じゃなく,崎谷先輩だったかもしれなくて,
 それなら,それで,京子さんも不幸じゃないですよ」

返す言葉が無かった。
それが正しいからだった訳でもなく,
けれど,反論するための正論も出てこなかった。

「ま,そもそも,そんな議論をすること自体無意味ですよね。
 やめましょう」
「うん…」

雅也は煙草を取り出し,火を点ける。
あたしは,もうぬるくなってしまった缶コーヒーを一気に飲み干した。

「捨ててくる」

そういって,先の自動販売機の方へ歩きながら,あたしは考える。

崎谷さんと,雅也と,どちらかをあの時失わなければならないとしたら,
どちらかを神に差し出さないといけないとしたら,
あたしは,どちらを選んでいたのだろう。

崎谷さんのことは,本当に好きだった。
美也子から奪ってでも手に入れたいと,本気で思った。
では,雅也のことはどうだろう。
今,雅也のことが好きだ。
雅也が,美也子のことを好きであっても,
あたしの方には全く興味を示さなくても,それでもあたしは雅也が好きだ。

現在,崎谷さんに対する想いと,雅也に対する想いを比べれば,
後者の方が勝つに違いない。
ただ,それは,「この世にいない崎谷さん」と「現在を生きている雅也」を
天秤にかけているからだ。
だとしたら,「雅也」自体に意味があるのではなく,
「生きている」こと自体に意味があるのか?

あたしは,美也子のように亡き人をいつまでも想い続けられるほどの意志はない。
ならば,生きていれば,崎谷さんでも雅也でも,どちらでもいいのか?
あたしは,そんないい加減な気持ちで,好きになっているのか。

「比べる」という行為は,同じ次元のものでないと無意味なのだと,
改めて気づかされる。

今現在において,「生きている」という同じ次元で,
崎谷さんと雅也を比べるということは,絶対に実現しない。

あたしにとって,崎谷さんは「過去に生きていた人間」であり,
雅也は「今を生き続ける人間」なのだ。
「あの時もしも」という問いかけは,全く意味を成さない。
答えは一つしかない。
「今」どう想っているか,それしかない。

勢いを付けて,ごみ箱に缶を放り込み,雅也のところへ戻る。

「ねぇ,雅也」
「はい」
「あたしね,雅也のこと,好きだよ」
「…」
「それはね,崎谷さんと比べてとか,あの時に遡ってとか,そんなこと関係無しに,
 "今" 雅也が好きなの」
「…」
「ずるいかもしれないけど,この世に今は居ない崎谷さんと,
 今こうしてここにいる雅也を比べることなんて出来ない。
 だから,確かなのは,今,あたしは雅也が好きだって事。
 美也子のことが好きでも,あたしは,そんな雅也が好きだって事。
 それだけ」

ふいに,涙がこみ上げてくる。

こんなに傍にいるのに,手を伸ばせば触れることも出来るのに,
心だけを手に入れられない悲しみが押し寄せてきた。
そしてまた,その痛みは,雅也にとっても同等なのだ。
彼もまた,美也子の傍に居ながら,ゴーストを追いかける彼女の心をつかめないでいる。

ぼろぼろと涙が落ちる。

「ごめん…ね,また,明日ね」

そういうのが精一杯で,あたしは今度こそ駆けだし,
雅也の元を離れた。

            * * *

「次は **** ,****」

降りる駅名を告げる案内に,回想から引き戻される。
あたしは,立ち上がり扉の方へ移動した。
外を流れるイルミネーション。
扉に映りこむ自分の顔。
電車の動きに合わせてゆらゆらと揺れるアメリカンタイプのピアス。
唐突に,雅也にピアスを買いに行こう,そう思った。

迷っているなんて あたしらしくない。
悩んでいるなんて あたしらしくない。
そう,いつだって "雨崎京子" は前進あるのみだ。

あたしは,自分に活を入れると,次の駅で降り,
電車を乗り換えた。
to be continued ...