side_story-5 (Miyako.S) 

 目覚まし時計が鳴る前に、目を覚ました私は、
少し気分が重かった。
今日はお花見の日だ。
桜の花を見ると心が華やいだのは遠い昔だ。
今の私にとっての桜は、想い出だけを蘇らせる花でしかない。

 カーテンを開けて、外を眺めてみる。
心とは裏腹に雲一つない快晴だった。

 何かをしてもしなくても、季節はこうして移り巡る。
あの時から立ち止まったままの私を気に留めることもなく、
変わらぬ日常が訪れる。

 いつもの様に車で会社に向かい、いつもの様に仕事をこなす。
お昼休みは、今日のお花見の話で持ちきりだった。
相変わらず、何故花見に来ないのかの言及はあったが、
巧みに話をかわし、その場を逃れた。

 今日は、ただただ時間が早く過ぎるのを待つばかりだ。

 終業時間になるやいなや、みんなはさっさと準備を始める。
席を立とうとしない私に、雅也がそっと近寄って来、
「美也子さん、やっぱり来れませんか?」と訊く。
金曜日の夜に、公園で交わした会話のことは、
彼も触れず、普段通りの仕事仲間に戻っている。

「ごめんね。少し残った仕事を仕上げたら、
 行かないといけないところがあるの」
「そうですか。残念です。じゃ、美也子さんには、
 おみやげ話を持って帰ってきますから、
 楽しみにしててくださいね」
そういって笑うと、
「滝川ぁ、行くぞぉー」っと向こうから呼ぶ声に、
「わかってるって、先行ってろよ」と返し、
「じゃ、おつかれさまでした」
ぴょこんっと頭を下げると小走りで出ていった。

 ディスプレイに向かい直し、いくつかEmailを打ち込み送信した。
持って帰るデータをプリントアウトし、ファイルに閉じる。
外に出て駐車場に向かい、エンジンをかけ車を走らせる。

 仕事仲間との花見を断っておきながら、
私は一人で花見をしようと思っていた。

 みんなと桜を見ることさえ出来なくなったのは、
理由があった。
桜を見るとあの日のことが思い出されるからだ。
その時冷静でいられる自信がない。

 今でも鮮やかに脳裏によみがえる、回りが霞むほどの桜吹雪。
お花見のシーズンを完全に外してしまったような、
桜が舞い散るその日の公園には、誰も居らず、
まるで、私と陽介さんだけの貸し切りのようだった。

「綺麗ね、綺麗ね」
桜吹雪の夕暮れに、私は、はしゃいで走り回っていた。
桜ももう終わりの時季に、やっと二人の休みが取れた平日だった。
陽介さんの提案で、桜で有名なK市の公園に来ていた。

 時折ざぁっと吹く風に、花びらが雪のように舞う。
走り回る私を遠目に、彼はベンチに座りたばこをくゆらしていた。
大きめの石があるのを見つけ、私はそこにのぼってみる。
桜の枝がほんの少し近くなったような気がして、手を伸ばしてみる。
石の上に立ち、桜を眺めている私の所へ、陽介さんが歩み寄る。

 小さい子供を抱き上げるように、
私の両脇に手を入れ、石からおろすと、
私の髪についた桜の花びらを優しく払い落としながら、
いつになくまじめな顔で言葉を切り出した。

「なぁ、美也子ちゃん、来年も、再来年も、
 これからずっとこの景色を見に来ようや。
 二人が、三人になっても、四人になっても、
 ずっと、見に来ようや」

 その時もう少し言葉の意味を考えれば良かったのだが、
桜を見る誘いだと軽く受け取った私は、こう言った。
「そだね。見に来ようね。来年はね、
 京子ちゃんたちも誘ってみようか?」

 少し間が空いたが、次の瞬間、陽介さんは相好を崩し、
おかしくて仕方がないという様子で私の頭をぽんぽんっとたたき、
「そやな、京子ちゃんも会社のヤツもみんな
 誘ぅて来よか。大勢で見る桜もええな」と言った。
目尻に涙がにじむほど大笑いしている陽介さんに
何がそんなにおかしいのかよく判らなかったが、
陽介さんの笑顔を見るのが嬉しくて、
「うんうん」と私もうなずき笑い返した。

 彼が笑う。ただそれだけで幸せだったのだ。

 ずっとこの景色を見に来ようと言った彼の真意は、
私には伝わらないまま、時季はずれの花見は終わり、
また忙しい日常が戻ってきた。
あの日彼の言葉の意味を理解し、適切な返事をしていれば、
もしかすると、別の未来が待っていたのかもしれない。

 彼の言葉の意味を知ることになったのは、
数ヶ月後のことで、その時彼は言ったものだ。
「前の時は婉曲的すぎて判ってもらえなかったみたいやったし、
 今日は、はっきり言うけどな」と。
「前の時?」
「そ。二人で桜みにいったやろ。その時、覚えてへんかな。
 俺が真面目な顔でゆぅたこと」
「これからも一緒に見に来ようって言ってたこと?」
「あたり!」
おどけて、ぴんぽんっと人差し指を立てる。
私より11歳も年上だとは思えない。
時々驚くほど子供になる。そんなところも、好きだった。
「で、やな。言いたい事ってのは、
 結婚しよう、ってことや」
あまりにさらりと言ってのけられたので、また冗談かと思った。
「それと桜のことと関係あったの?」
と訊いてみる。
「大ありやんか。これからもずっと来ようっていうのは、
 結婚してもってことで、三人になっても四人になってもってのは、
 つまり、やな、ほら、子供ができて家族が増えてもってことや。
 そんなこと、いちいち説明さすな」
「あ、そっかぁ。でも、そんなの婉曲的すぎて判んないよー」
思わず笑ってしまった私に、
「鈍いなぁ。普通判るっつぅねん。雰囲気を読みとれ」
そういう陽介さんも笑っている。

 そうだ、あの時陽介さんが大笑いしたのは、
そういうことだったのだ。
遠回しに結婚しようと伝えているのに、
あろうことか、私は、京子ちゃんや会社の人を誘って
花見に来ようと答えたのだ。

「ほんでや、笑うのもええけど返事訊かせてや」
「返事?あ、忘れるところだった」
「忘れな」
笑いながら陽介さんは、こつんと私の頭をたたく。

「謹んでお受けいたします」
真面目な面もちで、ぺこりと頭を下げる、
「ありがとうございます」
陽介さんも頭を下げる。
お互い頭をあげ、また大笑いしてしまう。

「ほんまにぃ。
 俺が一生懸命考えたプロポーズやったのになぁ。」
「だめだめ、そんなの絶対判んないってー」
「まぁええわぁ。なんか、かっこよく決めようとしたのに、
 結局お笑い路線やったなぁ」
「いいよいいよ。気持ちが嬉しいから」

 そんな風にして、プロポーズを受け、
その日からまた楽しい日々が始まったのだ。
一番充実していたあの頃を、桜の花びらが私に思い出させる。

 過去を回想しながら車を走らせ、着いたところは、
陽介さんが眠る墓地だった。
桜の木がたくさん植えられたこの墓地で、
桜を見るのが、私なりの花見なのだ。

 あなたも空から見ているのだろうか。
満開に咲きほこる桜を。
そして、その桜を一人で眺めている私を。

 その問いに、桜が代わりに答えるかのように、枝を揺らし、
少しばかりの花びらが私の前に舞い落ちた。

to be continued ...