成長記録・柱のきず |
先日、私の家内の母が永眠しました。満80歳。戦中、戦後の混乱期を夫を支えつつ苦労を重ね、7年前に夫を送りこの度自身の最期を迎えました。本日の告別式で近隣の婦人が友人代表として弔辞を述べられましたが、胸に深く感動するものがありました。 長女を山口県に、次女(私の家内)を三木市(当時)にと、それぞれ遠方に嫁に出しました。長男が同居していたものの娘も孫も遠い地でおいそれと会うこともできません。嫁ぎ先で苦労しているかも知れない娘のこと、可愛い孫達のことをいつも心に留めていたようです。 家内の母は近所でも評判の世話好きで、出産・育児、嫁姑問題、親の介護のこと等々、特に他地域から嫁に来た婦人に親身になってお世話をしていたといいます。本人が言うには、遠い地で自分の娘が周りから大事にされ応援してもらえるよう、自分がこの地で自分の娘のように応援するのだと話していたことを弔辞の中で述べておられました。 こんな思いで娘のこと、孫のことを考えていたからでしょう、娘や孫が帰ると喜んで精一杯の歓迎をしてくれました。特に私の子供達は、我が家の都合でよく預けられることがありましたが、本人達は預けられることをむしろ喜んだものでした。 孫たちが実家に帰るたびにいつからか玄関近くの柱に成長の記録を残してくれたようです。そんな孫達も社会人になり結婚する年代になりました。先日、この柱の傷を子供たちと眺めていると過ぎ去った日々を思い出すとともに、この柱の傷の一つ一つを家内の母親はいつもどんな気持ちで見ていたのだろうかと想いました。遠くに住む我が娘や孫の幸せを祈るような気持ちで想う親の心が痛いほど伝わってきます。そして、そんなことを感じる年代になっている自分がそこにいることに気がつきました。 |