「突破者訴訟」に見る
宮崎のイカサマぶり


 

 メルマガVol.8でもお知らせした、「宮崎が「突破者」にウソ書いて、抗議への謝罪でメチャクチャやった」という件について、原告だった福冨弘美氏が発行する資料を入手しました。

 たくさんあるのですが、現在Web上では公開されていない、訴訟「終結」までの流れをつかめる1文章を紹介します。

 宮崎が「これを出版したことで私は過去と訣別した」と高らかに宣言しているところの「突破者」本体にこのような捏造があったこと、その後、追及されるやn転(n>1)しながら右往左往してきたことは、まさに、この「スパイ」問題をめぐる宮崎の杜撰な態度と直結しているものと言えましょう。

 また、「法の華ゴーストライター」云々を突然持ち出す手法は、宮崎は今も得意とするところです。宮崎、自分の周囲をしばしば、敵も味方も全部「大物」または「ダーティーな存在」として描き出すことがあります。それをネタに小説で儲けよう、という腹づもりなのかも知れませんね。まさに「人間関係を金に換える」、任侠でもなんでもないチンピラです。

『突破者』訴訟 終結のお知らせ

2000年5月福冨弘美

 宮崎学著『突破者一戦後史の陰を駆け抜けた50年』(!996年10月南風社刊)のなかで、著者とは面識もなかった私が虚構の場面に同行者として実名で登場し、特異な言動を示したとされる捏造記述をめぐって、著者・版元に対し謝罪広告などを求めていた訴訟(東京地裁民事38部)が、この3月末をもって和解により終結しました。
 この件について、国暗関係の方はご存知ですし、気にかけてくださっている方もおいでなので、やや長文となりますが、以下にまとめの報告をします。興味がなけれぱ廃棄してください(その場合、受取人払いで返送していただけるとありがたいのですが)。
 和解の中身は、(1)被告は原告に迷惑をかけたことを謝罪し、解決金(計180万円)を支払う、(2)原告は謝罪広告の要求を取り下げる−というものです。不本意ながら、後述する理由からケリをつけ、大詰め段階にきた国賠訴訟控訴審に集中することにします。

◆事実にづいて一裁判のなかみ
 問題の記述は、著者が週刊現代の記者をしていた時期「中核対革マルの内ゲバ殺人に関して、同僚だった福冨と革マルの本拠地である動労にM委員長(実名)を取材した。その際、福冨が革マルなんか殺されて当然だと言いだし、殺気だった連中に取り囲まれた。福冨は平然としているので、目分が必死にその場をおさめた。何という奴だと思っていたところ、2か月後、福冨が爆弾事件で逮捕されたので、なるほどと合点がいった」という内容です。
 この裁判で、中心的争点となったのは以上の事実関係です。これは、当方にとって意外な事態でした。その記述が事実でないことは、議論や調査をするまでもなく、私の抗議に対し著者が直ちに認めているからです。その始末をどうっけるかをテーマに交渉を重ねた結果、後の版で本文の「修正」とあとがきでの「お詫び」がつけ加えられています。
 それなのに訴訟沙汰になったのはなぜか。3刷段階から話を進めていた修正が、最終的に実行されたのは抗議から4か月後の9刷からで、その間旧版が売れ続けたこと、そしてそれまでに市場に出たものに対する措置について、当方の提案(謝罪広告など)に何も対案が示されず、しびれを切らした当方の金銭的解決案も無視され、最終通告に対する回答も戻って来なかったからです。提訴は、抗議してから1年9か月後(98年8月)のことでした。
 そして訴訟が始まると、著者らは捏造した事実を否定したうえ、関係記述は悪意によるのでなく、原告に対する敬意を込めて書いたもの、故に名誉を傷つけていないと主張したわけです。悪気があって捏造したのでないことは、当方が最初から認めていたことで、にもかかわらず一方的に被害を与えたことが問題だと指摘し、彼らもそれを認めていたのでした。訴訟となれぱ、代理人が突っ張るのもわかりますが、この否認主張と増刷分における修正やお詫びとの関係がどういうことになるのかは、結局わからずじまい。いくら追及しても、回答や反論が出てこなかったからです。
 ともかく捏造の事実を認めない、というのでは、当方は、その虚構を解体しなけれぱなりません。私は1971年11月に総監公舎事件で違捕・勾留され、週刊現代での仕事は終わったわけですが、その時期以前に内ゲバ殺人は70年夏の一件しかなく、陰惨な殺し合いが本格化するのは私が獄中にあった時期以降であること、その時期にさえ週刊現代は内ゲバ事件を取り上げていないことが、予想どおり判明しました。後に動労委員長−JR総連会長となるMは、当時、地本の委員長でもなかったし、そもそも革マル派という党派が重要な労働組合の幹部を構成員であると認めることはありえず、当然、内ゲバ殺人の取材など受けるはずがないのです。
原告本人質問で、私はこれらの事実を資料に基づいて明確にしました。ところが、その後の被告本人質問で、版元代表者(編集者)は、著者自身がそのような事実があったと言うので、それを信じたといいます。
 さらに、最後の宮崎本人質問では、私の逮捕前に該当する事件が存在しないことを指摘しているのに、取材先は動労ではないが私と一緒に内ゲパ殺人の取材をしたことがあり、その過程で私と二人しかいない機会に、私が革マルに関して問題の記述と同じ意見を述べたことを鮮明に覚えている、その企画にづいては、私の抗議を受けた後、講談社の当時の編集者Dに確認できたと、新しい話をを持ち出しました。
 苦しまぎれ、その場しのぎの弁解にいちいち付き合ってはいられないところですが、虚構を事実として主張されることにはがまんがならないので、D氏に会いに行き「宮崎からの電話での問い合わせに対してそんな昔のことがわかるはずがないと答えただけである」ことを確かめました。

◆存在した事実にに対するいい加減さ
 こうした経緯を通じて、痛感させられ、そしてうんざりするのは、読者に対して基本的に事実を提示することを売り物にするノンフィクション作品の著者・版元(編集者)が、歴史的事実は変えられないのだ、という認識を持ち合わせないことです。「この世に確かな事実なんかありえない」といった哲学的・文学的意味での「事実」や「虚偽事実」ということばが通用する法的な世界における「事実」はともかく、切れば血の出る現実世界では、存在した事実を粗末に扱うべきでないと思います。
 私としては、この宮崎作品について批評したり作者に対する意見を述べることは、係争当事者としての立場からはみ出るので言及しないことにしていますが、相手方が訴訟上のこととはいえ、争っている事実についてウソの上塗りを童ねたり、そのことに対するためらいもないことには驚くばかりでした。
 たしかに、近頃はマスメディアの世界でも事実に対するいい加減さ、厳密性を欠落させた説明や見解、そして真っ赤なウソがはびこっており、それが過去を知らない若者に限ったことでないのは、石原慎太郎三国人発言にも明らかです。
 不法入国と不法滞在を意図的に混同して、「不法入国の三国人」と言ってみたり、アフリカ系アメリカ人ロドニー・キングヘの暴行警官への無罪評決に対する1992年の「ロス暴動」と、94年のロス地震を混同したくせに、災害時の暴動など現代世界では一度も起きていないという事実に対する無知を反省しなかったり、関東大震災時のデマに基づく大量虐殺について忘れたふりをする。あるいはユダヤ人やこの国の被差別部落、在日韓国・朝鮮人への差別の歴史的経緯に明らかなように、社会的差別は常に畏怖や恐れに発して侮蔑感覚をつくりだしていく構造を持つことに対する無知等々。
 そして発言の大前提たるべき基本的事実の認識に誤りがあったことがはっきりしても、発言の撤回や迷惑をかけた相手への謝罪をせずに済ませてしまうこと、それを受け入れるメディアと世間。自分の都合に合わせて事実を適当に修正し、あるいは確認する僅かな手間を惜しむのは、いま書店の歴史コーナーにのさばる「歴史修正主義者」たちにとどまらず、枚挙にいとまありません。
 と考えながら、ふと目の前の朝日新聞夕刊を見ると妙なコラム(素粒子)が目に止まりました。
「〈…十七歳の少年が、世間を騒がすのである〉の一節が出てくる獅子文六の小説「箱根山」(1961年朝日新聞連載)が始まった前年が浅沼(稲次郎刺殺)事件で、同じ年には嶋中事件が起きた。いずれも十七歳の右翼少年による凶行だった。かの十七歳は狙った標的を襲った。現代の十七歳の凶行の犠牲者は二人の年配の夫人、偶然かどうか」とあります。
 嶋中事件(深沢七郎「風流夢譚」の版元・中央公論社社長宅が襲われた)で殺されたのは、嶋中邸で働くお手伝いの女性、傷を負ったのが嶋中夫人だったはずです。二つの事件は、安保闘争が終わり、三井三池の炭鉱労働者が敗北する前後、1960年の10月と11月に起きています。
 ついでにいえば、続く64年3月には19歳の少年によるライシャワー駐日大使刺傷事件が起きました。この少年に精神病院通院歴があったことから、事件を契機に精神衛生法(現在は精神保健福祉法)の改正が行われ、精神病者と疑われる者を見かけた者は警察か保健所に通報しなければならないという無茶な制度が設けられたのでした(その後1995年に患者の人権への配慮を重視した現行法に変えられるまで、長い道のりがあるわけですが)。四○年の時空を超えて、事件を「十七歳」でくくり、共通項をさぐったり対比することに何ほどの意味があるのかわかりませんが、何か書くなら基礎的な事実ぐらいは問違えるな、といいたいところです。

◆戦いの基盤は事実しかない
 それはともかく、フレームアップや捏造記事・記述を解体するには事実を基盤とするしかありません。「総監公舎」事件も、「突破者」事件も、その他「総監公舎」フレームアップ解体の過程で起きた「読売デマ記事」事件や、もろもろの捏造記事(多忙すぎて、訴訟までやったのは1975年の対読売だけ、それ以外のほとんど公安情報を源とするメディア・個人によるさまざまなでっちあげ情報は、口頭での陳謝と以後真剣に気を付けてもらうことで矛をおさめました)についても、全く同様です。
 権力のでっちあげに対して「私は自己満足にすぎないケチな爆弾事件の犯人ではありません。これこれしかじかの経過を経て、ろくに知りもしない他人が代用監獄を利用して強制された自白でフレームアップされました」と、世問の皆さんに言ってまわるわけにはいきません。同様に「私は党派対立を死に至る暴力で解決しようとするスターリニスト根性丸出しの内ゲバを認めず、特定の党派のメンバーを殺すことだけを例外的に認めるはずもなければ、対立する一方の党派の本拠地に出向いて『お前ら殺されるのは当たり前だ』と口走るほど、軽口でもお人好しでもありません」と、説明して歩くわけにもいかないのです。
 他人に誤解されるのには憤れっこであっても、どこかで、あいつ、死刑廃止を唱えながらリンチ殺人を認めるのか、などという類の誤解を受けるのは、なかなかにしんどいことです。

◆訴訟救助を受ける権利
 謝罪広告の掲載料金について主要5紙から見積りをとると、合計600万円を超え(2段×50ミリ)、結局訴額は約1000万円で印紙代(手数料)が約6万円。私としては、ちょうど国賠訴訟一審の終わりと控訴審の始まりにかけての繁忙期で、最近数年間の収入が極端に少ない時期であり、現実に金がないので、かって対読売新聞の訴訟で活用した訴訟救助(当該裁判所の認定で、勝訴の見込みがある場合に印紙代を公的資金から立て替えてもらい、事後に返済する制度)を申し立てたところ、生活保護を受けているわけでもないので救助できないといわれました。
 そこで、止むなく長文の「陳述書」をしたためました。個人資産も皆無の者が、警視庁と東京地検がそれなりに力を込めて実行したフレームアップを解体し、さらにはその権力犯罪の責任を追及する戦いを30年近くも手抜きをせずにやっていると、いかに逼迫困窮するものかについて、実態を明らかにし、生活保護を受けていなくても訴訟救助を受ける権利があることを主張したわけです。単に倹約・耐乏生活を続けるだけでは現実の裁判闘争を効果的に戦うことはできません。
 人件費はゼロでも、長期問仕事と併せて常時働ける一定の機能を備えた事務所(タコ部屋)を維持しなければならないのでコストも馬鹿にならず、それ以前に収入が伴わない。定収入を得る道をふさがれ、年刊・季刊を除けば定期刊行物の仕事を取ることもほとんど不可能(刑事裁判確定後、国賠訴訟を開始するまでの3年問を除く)だったので、時問の許す限りは目いっぱい稼いだものの、常に債務が先行するので蓄えには至らず、裁判が繁忙になれば時には何か月も無収入状態が続きます。刑事裁判の途中から、弁護人との共倒れを防ぐために分業制をしいたのがきっかけで、結局はすべての事務局機能と原稿書きを一人で背負いこまねばならなくなりました。国賠訴訟も、相手方はいかに無能とはいえ20人以上もの代理人が毎回顔を揃えてくるわけで、いわば権力の人海戦術に対して、人民が孤立して対決する形です。記憶が薄れつつあるなかで、膨大な記録を照合しながら遺漏なく敵をやっつけていく準備書面を書くのは楽なことではありません。
 国賠一審の作業終結とともに、大久保の事務所を畳み、機器類やファイルの山とともに自宅に引き上げてみると、折からの不況のあおりと体力減退による生産性低下から稼ぎはいよいよ悪くなる始末。いずれにせよ、負けるはずのなかった一審実質全面敗訴のダメージは大きく、新たに印紙代約140万円(5人分)を払い、改めて控訴審の準備にかからなければならなくなったのですから、厳しさはひとしおです(国賠は、みんな仕事を持っているので訴訟救助を受けるのは無理)。驚くべき空疎・無内容な、形式論にもならない形式論とはいえ、一千頁余と分量だけはある原判決を対象に、克明かつ徹底的に批判する作業は、とにかく時間を奪ってくれました。
 そんなこんなで、みっともない話ですが、この間仕事の面でも何点もの大作を含む膨大な原稿を書き、それなりに稼ぎながらも、借金は減らず自転車の綱渡りを続けている状況を添付資料(申告書、家賃・税金を始めとする催告状の束、借入残高表、請求書等)で具体的に明らかにしたものです。これに辟易したものか、陳述書提出後すぐに訴訟救助の決定は出ました(残念ながら、その裁判官が和解の途中で異動してしまったために、それまでの記録を読もうとしない新しい裁判官相手に苦労することになります)。

▲「表現の問題」とは何か
 宮崎証言で、看過できないことの一つは、この訴訟について、本来、市民的自治の枠内で解決すべきであったし、自分は「表現の問題を国家に判断してもらう」ことに反対であると主張したことです。私は、最初の抗議文で「裁判沙汰にはうんざりしており、新たな問題が出現したことに困惑していること。したがって問題を大げさにせず、自主交渉で解決したい」旨を明記しています。著者と版元代表者が陳謝しに拙宅にやってきた際も、ちょうど出たばかりだった国賠一審判決書を前に、いかに雑でくだらないものであっても、これを逐一具体的に破砕していかなければならず、その作業の膨大さに暗濾たる思いがすることを話し、共感をえたものです。その場でも認めた対応措置にっいて、一部しか実行せず、いくら手紙を書いても梨のつぶてになってしまい、泣き寝入りしないためには訴訟するしかなくなった事態をもって、突然、市民的自治などと言いだされても困るのです。
 ウソを事実と言い触らす行為に対し、実効性のある措置を求めるのは、表現の問題以前の低レベルの話であることも、準備書面でさんざん書いてきました。それに対して、どんな方法であれ、反論や意見を聞かせてもらった覚えは皆無です。私は、他人の著作物や表現を縛るつもりも、公権力に取り締まってもらうっもりも全くないのであって、誰がノンフィクションにウソを書こうが一向にかまわない。ただし、正当な理由もなしに事実と見せかけた記述のなかで私をダシに使うな、使ったら責任を取れというだけのことです。

◆「権利のための闘争」と当事者
 著者は、グリコ・森永事件で、毎日新聞に「平成の3虚報」といわれるデマ記事を書かれたことがあるそうです。それに対して、自分は人権を侵害されたとかなんとか言ってはいないのだそうです。よくわかりませんが、自分の人権をどうこういうつもりはない。虚報した側が自ら過ちを認めるのを待つ、ということのようです。そこが私と意見の分かれるところで、私は自分の権利を侵害されたときに、当事者が直接抗議し、戦わなければいけないと言い続け、できるかぎりは実行してきました。市民的権利一般のための運動も必要でしょうが、誰もが、自分自身に対する権利侵害と具体的に戦うことを通じてしか物事は進まないし、とりわけマスメディアが相手の場合はそうです。ほんとうに面倒くさく、間尺に合わないいことですが、「権利のための闘争」は、まず目分でやるしかないと思います。相手方に具体的なダメージを与えることを通じて、以後、一定程度は書かれる側の立場、権利にっいて留意せざるをえなくしていくことができるからです。

◆「法の華」のライターというデマ
 宮崎証言の最後に、とんでもない話が持ち出されました。私が「法の華」福永法源のゴーストライターをやっているのではないか、というのです。最近の報道によると、福永の「著書」のゴーストライターのなかには「天声」や「足裏診断」などのアイデアを編み出したブレーンがいるそうですが、宮崎氏によると、今年の初めころか(?)警視庁の捜査官が某出版ブローカーに「法の華」関係の聞き込みに来た際、私の名がゴーストライターとして出たといいます。
 なによりも、私にとっては嫌悪の対象という以外に興味もなく、もちろん事実として何の接点も、誤解される余地もないので、唖然とするばかりの話です。どんな筋道を通ってそんな話が出てくるのか、元が公安サイドの情報だとしても、推測不可能、摩訶不思議としかいいようがありません。信条として、いかなる宗教団体や政治団体とも付き合うつもりなく、ここ何年間も少数の受注先からの仕事で手が一杯だったため、長いこと出版業界の人びととさえろくに顔を合わせる機会なく、実際にも世間付き合いする時間がないし、飲み屋にも居酒屋にも無縁の生活を送っているのですから、毛色の異なる仕事の話が舞い込んでくる可能性はほとんどないし、来れば断るに決まっています。
 たまたま「法の華」に対する強制捜査が始まったために、私の無関係性は結果的に明らかになりましたが、事もあろうに法の華を名乗る一派のあこぎな商売に一枚噛んでいるようなことを言われるのは、心外であり耐えがたい話です。いかに困窮していようと、あるいはどれほど好条件を提示されようが、私がこの手の宗教活動を行う者のために働くことはありえません。また、ものかきとしては、署名原稿であれ、無署名原稿であれ、書いたものには責任を負うし(その代わり改ざんは許さない)、数十年来私信に至るまで筆者名を公表されて困る文章は書いていないのが実態です。
 それにしても、そんなふうにして藪から棒の「噂」が捏造されたのが「総監公舎」事件であり、「突破者」事件であったわけです。まるきりのガセであることが直ちに判明してしまったため、宮崎氏らがこの話をネタに何を主張し、立証したかったのかはわからずじまいに終わりましたが、このようなデマがどこかで生まれ、それを真に受ける人がいる。したがって「福永の著書は意外な人物が書いていた」などというデマを、真っ赤なデマとは思わずに世問に広める者が現れないとは限らないのです。そのような場合に、書かれた側は犠牲を厭わず戦わなければならないでしよう。

◆「懲罰的賠償」を認めないシステム
 懲罰的賠償の考え方を受容しないこの国の裁判システムのもとで、人権や名誉にかかわる訴訟は費用対効果の面ではやるだけ損になるでしょうが、相手を社会的に追い詰めていくうえで訴訟は有効な手段というべきです。アメリカの民事裁判で、しばしば権利侵害に対し巨額の暗償責任が認められるのは、人権のコストが高く見積もられていることとともに、一罰百戒的な意味で懲罰的賠償を課するからです。
 これに対して、日本の裁判システムは運用面でその考え方をはなから排斥しています。その前提として多くの裁判官は金銭に替えがたい深刻な被害について、替えがたいから安くていいと考えているのではないか、人権の値段は殺された場合に始めて高額補償の対象になると考えているのではないだろうか、と私は疑っています。

◆和解した理由
 宮崎証言を聞いていて、なんともばかばかしくなったことが和解に応じた第一の理由です。そして、このうえ訴訟を継続することが経済的にも不可能になったことが第二の理由です。
 裁判所は、判決を書くことを嫌がっていましたが、ともあれ判決に持ち込めば、当方の全面勝訴は疑いないものの、相手方が控訴してだらだら継続を図ることも確実になりました。それにはとても付き合いきれないということです。この夏までに、国賠控訴審で提出する書面をすべて用意しなければならないこと、目先のこととして国賠控訴審以来、経済的苦境が限界に達し、滞納家賃・税金・返済金などが待ったなしになり、国賠の作業を進める環境が脅かされてきたことも直接的には大きな理由でした。結果、解決金は右から左へ流れ去り、無利子の借金をしている方に少しでも返済しようと思っていたのも、皮算用に終わりました。もうひと踏ん張りおわるまで、不義理のほど申し訳ありません。

 


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