七篠薫
三上=味岡氏の「さくぶん」を読んで愕然とした。
これらの文章が公開されたのは11日だから、わずか1日前の10日の野田っちイベントの内容が踏まえられていないのはわかる。しかし、それよりも2週間も前に中核派が機関紙で「アピール」を発表しているというのに、これら「さくぶん」はそれに全く触れることなく、脳内空想の世界で自己完結しているのである。
三上氏は、情報へのキャッチアップという観点ですでに失格である。
三上氏は、ネット上にこれだけ流れている情報を捨象して、いや、勝手にフィルタリングが為されているのかも知れないが、「結局、宮崎が信じられるのかどうかだ」とまで言う。
はっきり言おう。当初は「会っていない」と言い、後に「3回だけ会った」と訂正し、しかし実際には間違いなく5回以上会っている、というこのウソツキぶりは一体何なのか。
「突破者」初版の捏造記事をめぐっての、いわゆる「突破者訴訟」(http://miyazaki_kyusatsu.tripod.com/lawsuit.html)におけるいい加減な事実認定の変更は一体何なのか。
十分、信じられないではないか。
三上氏は「合法的な活動にとって、スパイされるということがさしたることではなくなる」と言う。果たしてそうだろうか。
反原発運動や市民オンブスパースンの取り組みなどは、それこそまさに、三上氏が言うところの「古びた思想」を乗り越えることで発展してきた運動である。これらに対して、最近の公安は現実にスパイ活動を仕掛けてきている。これらの活動の大きな核心の1つは、国家・行政の側が握るリソースをいかに公開させるか、という部分にあることは言うまでもない。そして、これらを巡る動きが当局にスパイされることは、間違いなく攻防の局面での大きな後退を強いるものなのである。
これは1つの例に過ぎない。要は、三上氏の「古びた思想」を「どうにかしよう」というテーゼが、徹頭徹尾、自らの狭い狭い世界の中の「経験」からしか語られていないものでしかなく、実際に「古びた思想」を超克せんと取り組まれてきたリアルな市民運動からは何も学んでいない、ということを自己暴露しているものなのだ。
このことは、9・2集会における無責任な総括にも現れている。
この集会が出版界の中に限定されたものになったのは、9・2が「専門領域からの運動」という構造にあったからなのではなく、それ以外に対して結果として働きかけがほとんど行われなかったからである。
9・2がそもそも「出版界・知識人中心の運動」を目指していたはずはない。
実行委に、日消連やロフトプラスワンが加わっているではないか。
しかし実際は、出版界以外にはあまり拡がりはなかった。(いや、共産趣味業界には大いに拡がったかも知れないが)
とりわけ、この法案で出版界以上により直接的に打撃を受けるネットワーク関係の人々に対し、訴えかけないどころか、逆にネットワークに対してのネガティヴキャンペーンを張る事務局メンバーまで現れる体たらくだったのである。
そのような、「結果として出版界の話題に終わった」という現実を、フーコーまで持ち出して無理矢理賛美しようとする三上氏は、本当にこっけいであり哀れだ、と言う他はない。
こういう体質が事務局内部に包摂されているから、当日の入場者数を2倍近くに水増ししたりするような、それこそまさに今どき「古びた思想」の持ち主ですらやらないことを平気でやってのけられるのである。
三上氏は、我々および質問状に対し、かなりのボリュームをもって「ヒハン」を展開している。
しかしこれ自体、まず内容以前の問題として、三上氏の偏狭な姿勢を垣間見ざるを得ない。
我々のことを三上氏は、「彼」と表現している。これは、日本語としても非常に不自然である。通常、集団に対しての代名詞は「彼ら」であろう(「彼ら/彼女ら」と書け、と言うと、この差別者には「古びた思想」と言われてしまいそうだが)。そして、我々が複数人の男女からなる集団であることなど、まさに9・2の現場模様を想起すればあまりに明らかなことなのだ。しかし、三上氏は我々のことを勝手に「1人の男性」としてしまうのである。
このような言辞こそまさにイメージ操作であり、また「こういうことをするのは男性だ」という差別的発想しかできない三上氏の貧困さを端的に示している。
三上氏は「異なる見解を持つひとたちとどう共同作業をやるかに腐心している」などとうそぶいてみせ、「宮崎糾弾を持ち込むのはおかしい」と主張している。しかし、そのような動きを持ち込むのがおかしい、と考えるのであれば、それを実行委なり事務局なりとして明確に公表しておくのがあたりまえの話ではないか。
まして我々は、9・2の事前より十分に公開の場で討論を行い、当日の行動についても事務局メンバーに予告しつつ行動しているのである。「集会のルールを破る行為である」と三上氏は傲慢に言うが、「発言者にヤジが飛ぶくらいの方が元気があってよい」と言っていたのは事務局の國貞であり、平野であり、吉田である。
事前のネット上での議論の扱いもそうだ。「立場が違った人の共闘」は、課題やその運動に無関係な意見の対立を持ち込まないことと、一定のルール下での相互批判の保証がセットで保証されてこそ、活き活きとした民主的なものとなる。しかし、ネット上で(そう、この法案が出版界以上に直撃するネット上で!)あれだけ宮崎問題を巡る議論が出ていた時期、事務局はこれらに何ら対処せず、ただただ放置するだけだったのである。そして対処が放置された掲示板では、実行委会議にも参加していたライター目森が「左翼を『左翼だから』という理由で排除するのは当然」などと堂々と書き込むような状態だったのである。
もちろん、「相互批判の保証」ルールの運用がとてつもなく難しいことなど、三上氏に言われなくとも誰にでもわかる。しかし、困難だからルールを示さなくてよい、ということにはならないはずだ。事務局は、多少の批判を甘受するつもりで、自らに捌き得るレベルのルールを定め公開し、それに従った統一戦線づくりをするのが当然ではないか。「集会が近く、今議論を持ち込めば混乱するだけだ」と考えたのであれば、堂々と「議論は後にしてくれ」と呼びかければよいだけではないか。
しかし事務局は、それらについて何もやっていない。
三上氏は「ルールを守れ」と言うが、そのルールが示されたことはほとんどない。もしや三上氏はそれを「暗黙の了解」とでも言うのだろうか?しかし、「暗黙の了解」が全く意味をなさないことなど、まさに「個々人の考えの違い」を前提とした統一戦線の場では明らかではないか!
むしろ、「混乱を持ち込まない」ことを考慮してきたのは我々の側である、とすら言える。我々の友人が提出した、「団体参加拒否問題」に関する公開質問状は、本来は参加拒否がわかった時点で抗議があってしかるべきところを、「集会前に混乱を持ち込んではならない」という自主的な判断で、集会終了後まで提出を待っていたものなのである。
しかし、そんな我々の友人を待っていたのは、集会での「実行委は解散です」という突然の宣言だった。まさに「2度不意打ちに遭った」ようなものである。
三上氏は「公開質問状」と言うが、そこで俎上にあるのは宮崎問題のみであり、まさにこの「団体参加拒否問題」に関して提出されている公開質問状(http://miyazaki_kyusatsu.tripod.com/inquire2.html)が完全に無視されている。
この問題は、単に「団体参加を認めるかどうか」という問題ではないのである。いったんは認められたはずの参加がなぜ事後に突然取り消されたのか、という、まさに「ルール」の問題なのである。
この質問状は、9・2実メーリングリスト内で、國貞によって告知されていることを我々は確認している。
三上氏もこのMLの参加者であるから、この質問状を知らないはずがない。
しかし、「ルール」をこれだけ連呼・絶叫する三上氏が、これ以上の非民主性はない、というくらい重大な問題である「団体参加拒否問題」について全く無視しているのである。
民主的な統一戦線のためには、実行委なり事務局なりが、「戦線の破壊」に対しては一定のルール・手順によって厳しく対処することも必要だろう。そして、その「厳しい対処」が正当なものなのか、常に大衆に判断を仰ぐべく、ルールや過程がすべて公開されていなければならないはずだ。
しかし9・2実では、今どき、「古びた思想」の持ち主ですら行わないような事務局内秘密会議が行われ、そこでいつの間にか勝手なルールが後付けでデッチ上げられる(団体参加拒否問題!)という体たらくである。事務局はおよそ民主性のかけらもないサークル主義的引き回し政治を行ってきた集団であり、実行委や実行委参加団体もまた、一部のそのような動きを容認してきた集団としての責任は免れ得ない。
そんな引きまわシスト=三上氏が、宮崎をここまで無理矢理(本人には「無理矢理」という自覚はないのかも知れないが)擁護しようとすることには理由がある。我々は、その理由をまだ明かすことができない。我々のコンテンツ内にそのヒントは記載されてはいるが、ここでは敢えて示さない。
今言えることは、三上−宮崎−古賀ラインの野望がまかり通るほど、世の中甘くないよ、という忠告だけである。
日本最大の匿名掲示板である2ちゃんねるの主宰者であり、当日まさに宮崎が進行役を務める予定だった第2部の出演者でもあったひろゆき氏は、この集会の本質を、集会前に、まるで予言するかのごとく、次のように鋭く射抜いている。
「public relationを全く考えてない。(公式サイトが)ジオシティじゃしょうがないでしょうが。せめてマガジンハウスの下に置けよ」
「年行っちゃった学生運動が懐かしい人とイベントやりたい若い人が騒いでるだけ」
「盗聴法のときみたいに、わかりやすい通称作ればいいんだよ」
「誰のためにやってるイベントなのか全く見えない」
「参加費を取るっていうのがおかしいでしょう」
「本気で権利守りたいと思うなら、自分で金払ってもやるべきなんじゃない?」
「ストラテジ、考えてんのかな、という」
何度でも言うが、この法案で最も直接的に被弾圧を受けやすいのは、出版界ではなくネットワーカーである。まさに「古びた思想」とは対極にあると言ってもよい、ネットワーカーの代表格の1人と言ってよいひろゆき氏のこの意見を、三上氏はどのように受け止めるのだろうか。