三上「手紙」批判=論証

2001.9.27 T.S.(投稿)

 三上治=味岡氏の、宮崎学氏を擁護する文章を読んだ。ここでは「Aさんへの手紙」を扱う。

 直接反論するにも値しない内容であるが、いい機会であるので、「公安調査庁スパイ工作集」(社会批評社)の刊行後に出された、宮崎氏本人の発言・コメント、被害者中核派の声明、スパイ工作当事者でもあった野田敬生氏の証言を根拠として、現在はっきりするに至っている宮崎氏のスパイ行為について論証しよう。
 以下、「工作日誌」とは「公安調査庁スパイ工作集」に収録されている公安調査官樋口憲一郎の報告書、中核派声明とは、週刊『前進』(2019号4面1)「小野田襄二、小野田猛史、三島浩司および宮崎学が関与した公安調査庁スパイ事件に対する革共同の態度と闘いのアピール」、週刊新潮記事とは2001年9月20日号の「中核派に「公安のスパイ」と糾弾された「キツネ目「宮崎学」の内ゲバ騒動」のことを指す。
 また、文中「公調」は公安調査庁、「公安」は公安調査庁と公安警察の両者を指す。

 なお、この文章はあくまでT.S.個人の私見である。


【1】宮崎氏には金という立派な動機がある。

 地上げで巨額の金を動かしていたと自慢している宮崎は、それが嘘でなく本当であったとすれば、バブルの頃は多いに儲かっていたのかもしれない。工作日誌では、宮崎は
「大体1回につき30〜50万ぐらいカンパしています。」
と述べている。
 その他に宮崎が中核派との金のやりとりについて述べているのは2点である。まず1点は
「平成4年7月28日に、金山が大口で頼むというので、貸すことにしました。路線転換に金がかかるといっていました。その時の額は、1200万円です。」
「この金は昨年11月までに4回に分けて返済してきました。」
というもの。
 ここではっきり確認しておく必要があるのは、平成4年(1992年)8月から、1994年11月までは、金の流れは、借金返済という形で中核派から宮崎に合計1200万円が流れていたことである。宮崎から中核派に、ではない。もし仮に、宮崎の側が1回につき30万から50万のカンパを出し続けていたとしても、1200万円を相殺するには40〜24回のカンパが必要となる。それに、相殺するほど多額の金をカンパしていたとすれば、借金の返済の額からそれをさっ引くのが普通だろう。やはり、金のフローとしては中核派から宮崎に流れていたのであって、工作日誌は、この時期、宮崎が資金的に潤沢な状態だったと信じる根拠にはならないのである。
 そして、最後に宮崎が触れた「カンパ」は、
「私はまた、藤井高弘の保釈金100万円も出してやりよろこばれ、」「この100万円はくれてやりました。」
というものである。
 藤井高弘氏とは、自民党本部放火事件で警察にでっち上げ逮捕され、後日、裁判で無罪となった人物である。その保釈は、91年初頭のことである。ちなみに保釈金は1500万円。
 宮崎が公調樋口と最初に接触したのは1995年。この点は宮崎も認めている。(2月ではなく3月だと主張しているが。)
 つまり、宮崎が述べている中核派への資金提供のうち、具体性をもった部分はすべて、宮崎が公調樋口に接触をはかるより前であり、しかも確認できる金の流れの最後の内容は、94年11月に中核派から宮崎への金の流れが終わった、ということなのである。そして、それから3ヶ月ぐらいして、公調に宮崎から接触をはかっていることになる。
 これらの流れを見れば、工作日誌を根拠にして
「宮崎には金という動機はなかった」
「むしろ宮崎は中核派にカンパとして金を提供していた」
「だから金は動機とならない」
と主張することは、全く成立の余地がないことがわかる。
 むしろ、金策に窮していた宮崎が、金目当てに公調に接触したという我々(私と有志;公開質問状賛同者のことではない)の見方とぴったり符合しているのである。そもそも公調が宮崎をスパイにしようと接触をはかったのではなく、接触をはかったのは宮崎の側なのだ。(工作日誌参照)

 さて、三上氏は宮崎が樋口に会った動機として「オウム信者の救済」を想定している(【2】)。そういう動機ならば、スパイとして糾弾されるべきものではない、という主張である。

 しかし、宮崎が実際にやったことは、オウムに対して破防法を適用してリストラを免れたい公安調査庁に対して、破防法適用請求の資料となるオウム内部情報を提供し、裕福なオウム信者川本氏に「身の安全」が保証されたような錯覚を与え、川本氏から巨額の金(2000万円と言われる)を受け取った、というのが実態である。2000万円の件は記載されていないが、宮崎、樋口、川本氏のやりとりの一部は録音されたテープを起こしたものが「公安調査庁スパイ工作集」に収録されている。これを読めば、上記取引は明らかだ。金銭授受についても、我々は全く別の経路でこの授受に関する情報を得ている。
 宮崎は公安調査庁へ破防法発動に役立つ秘密情報を提供して、巨額の利益を得ているのだ。
 それに、そもそも、オウム信者の身柄について取り引きするのであれば、宮崎が実際に行ったようにオウム内部の情報を本人に提供させればいいのであって、何も関係のない中核派の情報を流す必要はない。宮崎は樋口に初めて会った時、オウムのオの字も言わずに、中核派についての情報提供を申し出ているのである。
 言論・表現・集会・結社の自由、罪刑法定主義を侵害する破防法発動への協力と引き替えに金を得た宮崎。金を得るために、環境保護運動、オンブズパーソン運動、消費者運動、平和運動、住民運動等々の市民団体をスパイ活動の対象にしている公安調査庁に情報を提供した宮崎。これが糾弾されるべきスパイ行為でなくして、なんであろうか。
 なお、後日談として、宮崎を信じた川本氏はその後警視庁に逮捕されている。信用する人物を間違えるとどういう目に遭うか、という実例である。

 宮崎が最初に公調に接触をはかった際にまず考えていたのは、公調からの金というよりも、川本氏からの2000万円を引き出すことだったとしても良い。その限りで、「宮崎が公調に接触した最初の動機はオウム信者の身柄に関する裏取引のため」であったとしても良い。だとすれば、言えることは次のことである。

・接触相手が公調だけであったとしたら不自然。むしろ、川本氏の身柄を直接左右できる警察の一部である、公安警察にも同時に接触をはかったと見るのが妥当。

 公調などという的はずれな相手と交渉することで、刑事事件の被疑者である川本氏の身柄の安全が確保できるなどと考える三上氏も、また三上氏が言うとおりだったとすれば宮崎も、「政治者(政治能力者)」としては失格である。「この程度の想像力も働かないのでしょうか。」

・川本氏からの2000万円を受け取った後、公調や公安警察との接触がなくなったと考えるよりも、金のためにずるずると情報売り渡しを続けていると考える方が妥当。
 宮崎は樋口に対して、最初の接触時、中核派に提供するアジトについて、自ら「あなたのところで、ウォッチングするなら引き渡す前に場所を教えても構いません。」「今後のアジト提供の際には、事前に場所を知らせても良い」と申し出ているのである。
 当時すでに、多額の借金を背負っていたと言われる宮崎にとって、月数十万から数百万と言われる公調協力者のペイが魅力的でなかったわけがない 提供する情報の質があがれば、それが即、月々のペイのランクアップにつながるとなれば、宮崎が、公安の喜びそうな課題の運動――安田弁護士逮捕後の救援運動、タイでのドル偽札事件容疑者の田中義三容疑者の救援運動、国労争議団支援、日本赤軍重信容疑者支援等々に積極的に関わり、時として、強引に運動の中心になろうとしたことも、よく理解できるというものだ。同じ情報で公調と公安警察、両方から2度金をもらえるとなれば、さらにおいしい。(公調と公安警察は犬猿の仲で、けして互いに協力者=スパイの正体を明かさないから、これは可能だ。)
 宮崎の「反権力」の正体は、それだけの話だったのである。


【2】スパイされた内容を列挙する
 三上氏は宮崎と樋口とのやりとりを、「雑談」に過ぎないとして正当化しようとする。
 三上氏は、6月27日のロフトプラスワンでのイベントにおいて、宮崎のスパイ行為を糾弾する動きについて

「”取引”ったって、どこまでをいうのかねえ。ボス交渉なんてみんなやってるのに。やだなあ、そういうサヨクの小さなイジワル”運動って。笑い飛ばしていいんじゃないの。」

という発言をしている。
 この発言を見るだけで、三上氏が容認する「権力との雑談」がどういう内容かわかるというものだ。ボス交渉、裏取引まで「雑談」とは!

 そもそも、逮捕されての雑談、街頭の闘争現場における警備責任者とのやりとり、これらは自ら求めるものではなく、権力の側が勝手にこちらに話さざるを得ない状況をつくるから、やむを得なく行われるものだ。
 この後で見るように、宮崎と公調とのやりとりは、「雑談」などというものではない。

 また、「樋口は成績をあげるためという動機があるのだから、中身をそのまま信用はできまない」と三上氏は主張する。
 まず、「公安調査庁スパイ工作集」に掲載された文書が樋口による公調報告書そのものであることは、それを持ち出した張本人である野田敬生氏が名乗り出て保証しているので、これは確実として扱うことができる。本人にとって不利な証言であるから、その信用性は極めて高いのだ。(傍論になるが、野田氏が同文書を持ち出してきたと公式に認めているにも関わらず、革マル派が社会批評社小西誠氏は公調から文書をもらったと主張し、「公安調査庁のスパイを許さない市民の会」も小西氏を同様に扱っていることは、同文書の信頼性をおとしめる行為であって、宮崎のスパイ行為を追及している我々としては看過できない。野田氏、小西氏の名誉を傷つける行為でもある。)
 三上氏も含めて、宮崎擁護者もこの点については疑問を表明していない。
 ちなみに、選挙に出馬した宮崎氏をつぶそうとする権力の謀略だという珍説もあったが、文書自体は宮崎氏が選挙出馬を表明する遙か以前、99年には「噂の真相」編集部にわたっていたのである。時間的順序が逆である。
 さて、問題になるのは、樋口の書いた文章に、誇大報告やねつ造が含まれてい
ないか、という点である。
 この点については、次のように考えられる。

 例えば、この報告書では、宮崎は中核派にアジトを提供していると述べた上で、樋口に対して、「あなたのところで、ウォッチングするなら引き渡す前に場所を教えても構いません。」「今後のアジト提供の際には、事前に場所を知らせても良い」と話した、とある。
 これが樋口自身によるねつ造であると仮定すれば、樋口は上司から、中核派アジトに関する情報を宮崎からとって来いと言われたらアウトになってしまう。そんなことはちょっと考えればわかる。成績をあげたい、上司の覚えをめでたくしたいという動機があればあるだけ、逆に、樋口は自分の首をしめるようなねつ造はできないのである。
 また、樋口は、宮崎について関東公安調査局に引き継ぐことを同じ文書で提案している。これは決定的である。樋口が報告書のなかで、過大報告、ねつ造を記載していれば、関東局に引き継がれたらそれがすぐに露見してしまう。自分でねつ造して、同時に自分から関東局への引き継ぎを提案するなど、あり得ないではないか!
 以上の理由から、工作日誌の宮崎に関わる内容については、これを真実と信じることができるのである。

 また、明らかになった工作日誌では、宮崎が実際に中核派メンバーのアジトの所在を樋口に告げている記載がない、ということを問題と主張する向きもある。
三上氏も「金を受け取っている形跡がない」と言う。
 が、これは、野田氏が持ち出した記録のうち、本文部分がたまたま樋口と宮崎の接触初期までのものであるからに過ぎない。従って、そのことは宮崎が樋口に情報を渡していない、金を受け取っていない、と主張する根拠にはならない。
 むしろ、「あなたのところで、ウォッチングするなら引き渡す前に場所を教えても構いません。」「今後のアジト提供の際には、事前に場所を知らせても良い」と宮崎が申し出た点、被害を受けた中核派の指導部自身が被害を認め「最悪の場合は生命にかかわる問題」「革命党の組織的死活に関わる問題」とする声明を出している点、週刊新潮の取材に対して「幹部の居場所を漏らしたんはさすがに謝ったけど」と宮崎自身がコメントしている点、これら3つがすべて矛盾なく、宮崎が中核派非公然メンバーの「居場所」=「現在使われているアジト」の情報を公調におしえた、ということを整合的に指し示しているのだ。
 革マル派との関係、また、下部構成員との関係で、自分たちのミスを認めたくないはずの中核派指導部が、工作日誌の出版という事態を受けて出した声明で、「革命党の組織的死活に関わる問題」と述べているのは決定的である。

 このように、工作日誌の宮崎に関する記載の真実性を疑う主張は成り立たないばかりか、当の宮崎本人の発言によって、その核心的な部分について真実と証明されているのである。

 新潮のコメントが記者によってねつ造されたものと主張する向きがあるが、そうだとすれば宮崎が抗議していないのはどういうわけであろうか。新潮の記者が取材時にテープ録音していないわけがないからである。新潮コメントがねつ造であると主張する宮崎信者は、宮崎に訴訟を起こすことを薦めたら良い。
 ちなみに、同じ週刊新潮の担当記者から取材を受けた野田敬生氏は、自身のメールマガジンで次のように述べている。
「いわく「95年当時は社会的に無名な地上げ屋に過ぎず、非難されるいわれはない」「『前進』に『謝罪』とあるのは、あくまでも活動家の“住居”を漏らしたことについて謝罪しただけ、そのほかのことについて謝るつもりはない」ということだったそうだ。すでに宮崎への取材も済ませていたらしい。」
 野田氏も指摘している通り、謝罪したということは、現在形の非公然アジトを教えたということを指し示すものでなくて何だろうか。

 さらに、流出資料に基づいてだめ押ししよう。資料に含まれている「マル対第6−58号索引」には、
「24 7.5.27 中核派マル非幹部面割」
「25 7.5.28 電話提報(同上について)」
「26 7.5.30 15回目マル接。(中核マルア契約書、名刺提供)」
「27 7.6.6 17回目マル接。(暴対法資料提供)」
「28 7.6.21 18回目マル接。(川本供述打ち合わせ)」
とある。(原文では、マル非は非の字をマルで囲んだもの、以下、マル接、マルアも同じ。マル対は工作対象者、マル接は面接のこと。)
 マル非幹部とは、非公然幹部のことだ。マル非幹部面割とあるのは、非公然幹部がどんな顔の人物なのかを確認・割り出すことを言う。面割(メンワリ)は警察や探偵業界での常套句。もし、宮崎擁護者が言うように「幹部のアジトを教えたのは、利用が終わった後」だとしたら、どうして面割ができるのか。
 さらに翌日には、前日のメンワリについて電話提報(情報提供の電話)がある。前日に人相を観察した人物が、本当にターゲットの人物かどうか、人相風体を電話で付き合わせて確認したと考えられる。
 中核マルア契約書というのは、アジトの契約書のことである。
そして、中核派声明には、「当時不動産業をやっていた宮崎の事務所および関係重要書類が公調による情報収集の対象とされていたこと、重要書類が公調の入手するところとなっていたことも判明した。革共同は、この問題について革命党の組織的死活にかかわるものとして、他の問題とは区別して宮崎の謝罪と自己批判を求めてきたのである。」とある。中核派が実名で契約をするとは思えないから、どれが中核派の契約書であるか、見分けられるのは宮崎本人しかいない。宮崎が「はい、これとこれですよ」と提供するしかないのだ。
 また、暴対法に関しては、宮崎が暴対法反対運動に関わっていたのはよく知られていることである。これは、野田氏によると、95年当時まで破防法の弁明手続きを一度も行ったことがなかった公調が、実務の参考として、暴対法における聴聞手続について、宮崎に情報提供を求めた、と考えられる。
 最後の「川本供述打ち合わせ」については解説の必要はないだろう。

 以上、宮崎は、
・破防法適用請求のためのオウムの情報を公調に売った。
・中核派非公然メンバーのアジトの情報を、事前・利用中に公調に売った。
・中核派非公然幹部の人相等の情報も公調に売った。
・暴対法に関する暴力団側の資料も公調に売った。
ことが、流出資料・中核派声明・宮崎自身のコメントから明らかなのである。

 「工作日誌から言えるのは、宮崎が公調と会ったということだけ。スパイとは言えない。」「雑談」などという三上氏や宮崎信者の言説が、いかに噴飯ものか、わかるというものである。

 三上氏には、次の言葉をそのままお返ししよう。

「雑談するということと、情報を流すということは別のことです。」


【3】樋口という人物も、宮崎という人物も信用する必要などない。

 三上氏は、宮崎をスパイだと言っている人間は、樋口を信じているのだ、と言う。自分は宮崎という人物を信じるのだ、ということだろう。
 ここで、宮崎という人物の言い分が信用に値するものかどうか、見てみよう。

 まず、宮崎自身がこの問題について、どのように言い分をクルクルと変えてきたか見てみよう。

 宮崎は、疑惑が指摘された当初、「この「1995年2月21日」に残念ながらわしは日本におらんかった。なに、香港におった。そのあとマカオでバクチして800万円勝ったんや。」「まあ、スパイなんちゅうのはいたるところにおるよ。超大物はしらんけど、中モノとか小モノはしっとっても黙っておいとる。大腸菌といっしょであって、そんなんがちょっとはおるようでないと健全なサヨク運動とはいえない。」「なお、上記「アンダーワールド」がもっともらしく掲載している「秘密情報」ちゅうのは、わしも情報公開法に基づいて早速原資料を公安関係者から取り寄せた。しやし(ママ)、「公安アンダーワールド」の伏せ字名がどうしても知りたいというやつがおったら、教えてしんぜるから、希望者はメールをよこしなさい。 ただわが電脳突破党財政難のおりから、一文字1000円やで。組員と党員は半額である。」
とふてぶてしく、否定していた。http://www.zorro-me.com/2001-5/010505.html

 ところが、資料が広範に出回るやいなや、
「公安のスパイ説について HPにも書いたが、あの記事は、 「公安に会ったとされる日付」「公安に渡した書類」「新左翼系の党派に貸したとされるカネの金額」などすべて 間違っており、信頼できない。 が、あの記事は誤りでは終わらせたくない。公安に会ったのは事実。」
と一転して事実関係の一部を認めた。そして、その内容について、くだらない泣き落としに転じるのである。http://www.zorro-me.com/2001-6/010627loft.html
 いわく
「1995年は、オウムによる地下鉄サリン事件があった年で、何人かのオウムの元信者の 身元保証人になったりしたので、ガサ入れもされたし、自分のところの”若い衆”が 7人逮捕された。まだ服役中の者もいる。 彼らを守るために裏取引をしようと、弁護士を介して公安に会った。 結局3回会って、3回目に無茶な要求をしてきたので、ケンカ別れして、その後は会っていないし、会う気もない。 自分は清く正しく美しく生きているつもりはまったくない。 若い衆を守るために自己責任において裏取引をした。これは墓場までもっていく。・・・後は黙秘権を行使したい。」
というものだ。誰も、宮崎が清く正しく美しく生きているかどうかなど問題にしていない。公調に情報を売り渡すというスパイ行為をやってきたかどうかを問題にしているのだ。

 そして、選挙落選後、次のようにまた問題をすり替えた上で殊勝さを装い、信者をつなぎ止めようとしたのである。
「第二番目の問題なんですが、この場を借りて明らかにしておきたいと思います。 それは、「公安アンダーワールド」に関する僕の公的な態度を明らかにしておく必要があると思います。
事実関係については、何度も話しているような通りであります。問題は解放同盟の機関誌に書いたとおり、司法官僚の思想というものに対する対決の思想の問題であります。
 僕は大逆事件のグループの取材を通じて明らかにしたわけでありますが、司法官僚が明治維新以降伝統的に持っている民衆に対する徹底した嫌悪感、それと官僚の中に一貫して流れている極めて濃厚な差別意識というものを僕はそこで指摘したわけですが、「公安アンダーワールド」で書かれているとおり、今の公安調査庁もその思想体系の中にあって、それに基づいていろんなことをやってきているわけですね。それに安易に妥協したところが僕自身にあると思ってます。
 それと同時に僕自身のもう一つのテーマである、在日朝鮮人−「不逞者」で金天海のことを書いたのですが−在日朝鮮人の諸運動に対しても、公安調査庁はとんでもない役割を果たしていると僕は思っています。
 そうしたものに対決できなかったという問題点はここで明らかにして、僕自身はもう一度これに対してきちっとした闘いを挑んでいきたいと考えています。
 同時に司法官僚の持つ根元的な差別意識を批判しながら、やはりそのときに僕自身がその思想系列に陥没するような思想体系にあったということを深く反省していきたいこととして存在しています。」
http://www.toppa.org/2001-8/010815-2fainal.html
 ?!??!
 問題の所在は、司法官僚の差別意識云々ではない。宮崎自身が情報を公安権力に売るというスパイ行為をやってきたことなのだ!

 ちなみにこの後、宮崎は「幹部の居場所を漏らしたんは、さすがに謝ったけど、それかて違法行為じゃないし、何が悪いんですか。」と新潮に対してコメントしたわけだ。「深く反省」はどこに行ったのだ?
 この経過を見ただけで、宮崎の言い分が信用に足るかどうか、誰でもわかるというものだ。
 引用2番目の、事実関係を一部認めた宮崎自身の告白を前提に、最初のふてぶてしい否定の態度を読み返すだけですぐわかる。
 宮崎の言うことのうち、公調資料や被害者である中核派の声明などで、やむを得ず認めるに至った部分のみが信用に値し、その他は噴飯ものなのである。

 次に、宮崎が認めているのは、やったことのうちごく一部に過ぎず、しかも、認めている内容にもごまかしがあることの証明として、宮崎が公調樋口と会った回数を確認してみよう。
 公調職員時代に宮崎との接触に何回か同席した「副マル担」野田敬生氏の証言・整理を参考にすると、
1 95年2月21日の面談(宮崎は日付について否認しているが、3月初旬、「ちゃんこ鍋吉葉」において面談したことは認めている)
2 同6月19日付けの、樋口、川本、宮崎の面談テープ(接触がテープ記載の日付と異なる可能性もあるが、1と異なることは明らか)
3 同7月18日の帝国ホテルでの面談。三島、宮崎、樋口、野田。工作日誌に「副マル担同席開始」と記載のあるもの(宮崎からの言及なし)
4 APEC大阪会議前に、JR京都駅(下京区)前のホテルで面談。三島、宮崎、樋口、野田。この点「二度目は九五年八月か九月に、京都のブライトン・ホテルの「ほたる」という店であった」(同「前進」)とのことであり、時期的には同じものを指している可能性もあるが、ブライトン・ホテル(上京区)は、JR京都駅から車で15分の距離にあり、野田氏の記憶と異なっている。すなわち、別の接触の可能性が高い
5 「三回目は九六年四月頃、帝国ホテルのレインボーラウンジで会った」との点については野田氏は不知。しかし、宮崎氏から指摘があったので事実認定できる。
 さらに、工作日誌の索引部分には次のような記述がある。
・ 95年5月27日、「中核派マル非幹部面割」
・ 同28日、「電話提報(同上について)」
・ 同30日、「15回目マル接、中核派契約書、名刺提供」
・ 同6月6日、「17回目〃(暴対法資料提供)」
・ 同21日、「18回目マル接、川本供述打合せ」

 結局、95年2月から96年4月にかけて、9回程度は接触していたことになり、「会談は3回」云々は明白な虚偽である。
 なお、「三回目(96年4月頃;引用者注)は、宮崎の側から三島を介して公調に会談を申し入れたこと、その目的がなんとオウム真理教の関係者からの依頼に基づく裏取引であった」(中核派声明)とのことであるが、上に見たとおり、すでに95年6月中に、川本氏も面談に同席し「裏取引」が開始されていたわけであるから、同供述も虚偽であるというほかない。
 この接触回数の問題に関しては、野田氏作成の経過表を参照されることをお奨
めする。

別表1  http://noda0.tripod.com/z091101a.gif
  2  http://noda0.tripod.com/z091101b.gif
  3  http://noda0.tripod.com/z091101c.gif

 以上のことだけから、宮崎は事実の一部を認めているに過ぎないこと、また、認めている部分にもごまかし、嘘が含まれていることが明らかである。自分に不利な嘘をつくことは考えられないから、宮崎は自分で認めている以上の踏み込んだ内容を含む接触を少なくとも9回以上行っていることになる。

 さらに、宮崎という人物にとって、政治・社会運動が何であったのか、ということがよくわかる事例をあげよう。
 宮崎は選挙出馬前、ある人物に「選挙で疑惑危機を乗り切る」と言っている。さらに、同時期、早々と9・2の日比谷野音集会場をおさえた。当初のもくろみは、自分が代表格になっている「石原やめろネットワーク」の課題である、石原都知事による防災名目の軍事演習への反対集会の会場にしようというものだった。ところが、そのもくろみが破綻するや否や、急遽、個人情報保護法案反対運動の集会に切り替えたのである。
 何のことはない、個人情報保護法案反対の運動自体、宮崎にとっては自分が生き残るための人質に過ぎなかったのである。その証拠に、宮崎周辺の信者や擁護者からは、「宮崎を批判するのは法案反対運動への敵対」という言説が大量にまき散らされた。宮崎の思惑通りである。
 しかし、無数の無名の闘う人士の立ち上がりによって、自分を守るはずだった9・2集会が、自分の切り札である有名人人脈の前で逆に自分の悪行が暴露される場となってしまい、自分自身は主催者の中心人物であったにもかかわらず、不誠実な「ドタキャン」を決めて逃亡せざるを得ない、というテイタラクに陥ったのは、彼自身の卑劣さの結果であり、痛快なことであった。
(ちなみに当日、佐高信氏を革マル派と思われる集団が糾弾したそうだが、私や有志たちは無関係である。動かぬ証拠と本人の自白つきのスパイ行為を行ってきた宮崎に対して、今後佐高氏がケジメをつけてくれれば、何も文句を言う筋合いはない。)

 これらのことから、宮崎を信じることなどできないことは明らかだ。

 それにそもそも、真実を追求するにあたって、宮崎という人物を信じる必要も、樋口という人物を信じる必要もないのだ。各種の資料、発言の経過、声明、等々を批判的・合理的に――今まで述べてきたような方法で――総合して、浮かび上がってくる真実の姿、それだけを見据えればいいのである。

 三上氏は、役所の不正を示す内部文書が暴露された時でも、「役人の書いた文書だから信用できない」と主張するのだろうか?それでは、「情報の流れ」やら、「国家を開いていく」ことやらをいくら考えても、何の成果もあがらないだろう。

 誰も「樋口がスパイに仕立てる目的で宮崎に接触したと言っているから、樋口を信用するから、宮崎はスパイだ」などという低レベルの議論を展開している者はいないのである。論戦相手の主張を勝手に、欠陥あるものに置き換えて、それを批判してみせるというのは、詭弁の常套手段だ。

 なお、宮崎の現在の生き残りのツテとして、関西の解放同盟を利用しようとしている形跡が見受けられる。解放同盟と一緒に被差別部落を尋ねるツアーなどを始めている。どういう縁があるのか知らないが、スパイの生き残りの手段として利用されている解放同盟の方は迷惑な話だろう。


【4】現実の運動から浮き上がった「幽霊」は三上氏自身
 三上氏は「国家=抑圧装置論」(国家=暴力装置論というのは聞いたことがあるが)に基づいた「革命運動」ではない、新しい国家観に基づいた新しい運動、合法運動であれば、公安調査庁や公安警察を警戒する必要はないと言う。
 では、チェルノブイリ原発事故の後の、伊方原発出力調整実験反対をコアとした反原発運動は、「抑圧装置論」に基づいた「革命運動」、非合法運動だったというのか?そんなことはあるまい。
 では、この運動をつぶすために、公安警察が、各地の草の根運動の中心メンバーの自宅を「日本赤軍関連の旅券法違反容疑」なる令状で、連鎖的にガサ入れをし、地域的な排外主義を煽って運動に大打撃を与えた事実をどう説明するのだ?
 彼らは、一カ所で名簿を押収すると、それをもとに、さらなる不当ガサ入れをかける、という連鎖を繰り返した。名簿はどんな運動にとっても、最大のプライバシーなのだ。革命運動でない運動には、権力に知られて困る情報がないなどと、一体どうしたらそんな妄言が出てくるのだ。
 また、公安調査庁が、環境保護運動、オンブズパーソン運動、平和運動、消費者運動などの大衆運動・団体をそのスパイ活動の対象にするようになっていることを、どうしてくれるのか。公調の90年代における「業務・機構改革」も知らないで、公調の「リストラ」対策が「共産党が暴力革命を唱えているという幻想」だと?失笑ものだ。最大級の逆風のなかで破防法発動反対運動を闘い、その中で公調の「業務・機構改革」が各種市民運動をターゲットにしてきていることを暴露してきた者として、非常に腹が立つ。それ以前に、こんなレベルでは三上氏は活動家として失格だ。
 現実の個々の課題の地道な運動から浮き上がったところで観念だけ振り回しているから、「新しい運動」「合法的運動」こそ、権力との緊張関係のもとで闘われていることがわからないのだ。

 三上氏達の世代の中に「スパイ狩り体質」という忌むべきものがあったのは、三上氏に言われなくても我々はよく知っている。我々は自分たちがその誤りを繰り返していないか、常に自省している。そして、宮崎に関しては、動かぬ証拠があり、また、本人も一部とはいえ事実を認めているからこそ、宮崎を糾弾しているのだ。路線論争の代わりに三上氏達がやったスパイ狩りと一緒にされては迷惑だ。
 「国家=抑圧機関論」が間違っている、あるいは一面的であるとしても、少なくとも公安警察や公安調査庁が、抑圧機関でないわけがないだろう。そして今問題になっているのは、国家というものが暴力装置、抑圧機関かどうか、ではなく、公安調査庁であり公安警察なのだ。(三上氏の実体主義=形而上学的哲学についての批判は「感想」批判に譲る。)
 そもそも三上氏は個人情報保護法案の中に、自分たちの不正と特権を隠したいという権力者の利害意識を感じないのだろうか?その反対運動が、公安組織によって悪意をもって監視されるということが想像できないのか?まわりに「どんな情報が権力に知られても悪影響はない。」だから「スパイ行為を問題にする必要はない」「問題にするのは幽霊におびえている左翼だけ」などという言説を振りまく三上氏は、客観的には各種運動(「合法的」な!)を公安権力に対して脆弱なものにする働きをしているのである。


【5】人々を踊らせる芝居を狙ったのは三上氏自身だ!

 そもそも宮崎の行った行為を擁護すること自体に無理があり、その無理を整合的に説明しようとすればするだけ、とんでもない主張に行き着くのだ。
 では、なぜ三上氏はそうまでして宮崎を擁護するのか?

 三上氏、情況の古賀氏と宮崎の3人がある企みを持っていること、そのために宮崎が全国的に講演してまわっていたことを、我々は知っている。
 三上氏と宮崎の関係が、通常の盟友以上の関係であったことは、宮崎がしゃべるために三上氏が密かにアンチョコを提供していたという事実一つをとっても明らかだ。(それにしても宮崎ももう少しまともな論者を確保できなかったのか。)3人のなかでは一番著名な作家となった宮崎の知名度を利用して、彼を表看板に押し立てて、かつての夢よ、もう一度、を画策したのだろう。そしてそれは金と情報が欲しい宮崎の利害とも一致した。
 全然変わっていないのは、三上氏自身ではないか。
 批判されるべき、過去の運動の暗黒面とは、まさに三上氏たちがやろうとした、こういう運動圏の裏支配でなくて何であろうか。
 もしこの最低の運動圏裏支配構想が実現していたら、まさに、戦中唯一の反戦運動であった日本共産党の中枢部で運動を発展させていた人物が、実は公安(特高)のスパイであったという、スパイM事件の完全なる再現になっているところだった。中枢部に権力のスパイを居座らせた運動が発展したら最後にはどういう目にあうか、このスパイM事件は、アジアの人々への殺戮を止めることに失敗した日本のカウンタームーブメント最大の失敗の歴史として、私たちに教訓を与えてくれている。

 現実の各種運動から完全に浮かび上がったところで、幻想から別の幻想へと渡り歩き、「公安は怖くない」という危険な考えを吹聴し、運動圏を裏から支配したいという権力欲のみ旺盛な三上氏には、個人情報保護法案反対運動をはじめとする各種運動圏へ害悪を垂れ流すのを直ちにやめて、運動から一切関係ないところで隠遁して欲しいものだ。

 公安との「雑談」=「取引」問題なし、などという考えで、「僕は今後も宮崎と付き合って行こうと思っています」というのならなおさら、運動圏からご退出願いたい。
 三上氏の世代は、内ゲバ、テロ、セクト主義、急進主義の負の歴史で後続の世代を苦しめた上に、今度は逆の極端へと地滑りして、この上さらに足を引っ張るのはいいかげん勘弁して欲しいものである。