「週刊新潮」記事関連リソース

01/09/17 00:00現在


「週刊新潮」記事
新潮記事を予告したサイバッチ!
宮崎の居直り&虚勢
amlへの富永氏投稿
野田敬生氏による記事への解説

「週刊新潮」9月20日号 ワイド特集[7]
『中核派に「公安のスパイ」と糾弾されたキツネ目「宮崎学」の内ゲバ騒動』
△  

キツネ目の男として知られる評論家、宮崎学氏(55)がスパイ呼ばわりされている。過激派の最大組織・中核派の内情を、公安調査庁(公調)にこっそり流していたというのだ−。

「“宮崎問題”はどうなっているんだ!」
「宮崎は公調のスパイじゃねぇか!」
 9月2日、東京・日比谷で2600人を集めて開かれた『個人情報保護法案をぶっ飛ばせ!』という集会に、突如、過激派と思しき男たちが乱入し、こうわめき散らした。
 彼らが名指しで糾弾したのは、この日の司会を予定していた宮崎学氏のことである。
 宮崎氏といえば共産党員から地上げ屋などを経て著書『突破者』でデビュー。左右両陣営に広い人脈を持ち、参院選にも立候補するなど、売り出し中の“反権力評論家”だ。また、グリコ・森永事件では“キツネ目の男”に瓜ふたつだったことから真犯人と疑われたこともある。その宮崎氏がスパイだと罵倒されたのだ。
 そもそも、この事件は今年5月、公調の工作日誌なる生資料が流出したことが発端だった。これを最初に載せたのが『公安アンダーワールド』(宝島社刊)というムック。同書では名前が削られていたが、中核派はこの原文を入手し宮崎氏が公調の協力者だった事を突きとめていた。
 その原文によると、
<7・2・21(中略)「ちゃんこ鍋吉葉」に入った。10分ほどしてかっぷくの良い男がきた。○対(工作対象者=弁護士)の紹介で宮崎といい、名刺交換をした>
<ひとしきり内外情勢について話した後、宮崎は「中核派政治局員の金山(克巳)と懇意にしているが…」と切り出した。(中略)1月末から、倉庫用アジトの確保を頼まれているとかでこのときもその件をせっつかれていた>
<そのほかに、宮崎は非公然政治局員の居住アジトを10か所ほど調達してやったといい、(中略)当方に協力することは躊躇しないといっていた>
 文章には宮崎氏がアジト提供の差異は事前に教えると約束したとも書かれているのだ。

「何が悪いんや」
「その文章は私が持ち出したもので、書いてあることは事実に間違いありません」
 と言うのは公安調査庁の元職員、野田敬生氏(31)だ。野田氏は公調のキャリア官僚だったが、女性問題がきっかけで2年前に退職。その際に持ち出した資料の一部が、この文章だったのである。
「宮崎氏を“獲得”したのは、私の上司で、私も宮崎氏を紹介されたことがあります。宮崎氏は会うたびにアジトを教えてくれたほか、最高幹部が病気で療養してた極秘の場所も教えてくれたんです」
 野田氏によれば宮崎氏は実に頼もしいスパイだったわけだが、当然、収まらないのは中核派だ。機関紙『前進』の9月3日号で、宮崎氏を糾弾し徹底的に絞り上げたことを明らかにしている。
<この問題について革共同は(中略)五月以来、宮崎学と数度にわたって真実の告白と自己批判を求める真剣な討論を行うなど事実の解明に全力をあげてきた。(中略)党として宮崎自身の思想問題にまで深めた全面的自己批判の表明と、一切の大衆運動から身を引くことを厳しく要求し(中略)権力のスパイ攻撃との断固たる闘いを貫徹することを宮崎氏に通告した>
 今にも“怒りの鉄槌”が振り下ろされそうな勢いだが、当の宮崎氏、どう答える。
「大体、そんなもん公調の文書が嘘だらけなんですよ。わしが公調と会ったと書いてある日はマカオでバクチやってましたがな。それに、公安に会ったと非難されとるけど、わしは左翼でも警察でも会う。幹部の居場所を漏らしたんはさすがに謝ったけど、それかて違法行為じゃないし、何が悪いんですか」と火消しに必死なのである。

「別冊サイバッチ!」スーパー速報版00259[09/11] http://move.to/cybazzi/   

 日本一の人権蹂躙雑誌「週刊新潮」が、木曜発売の最新号で、宮崎学さんスパイ事件を取り上げることを決定した。
 宮崎さんといえば、突破者。個人情報保護法反対運動という、地位も名誉もある出版界の大御所たちがやっている、道楽と自己満足のバカ騒ぎを陰で操り、反権力ごっこをするアカのフリしていたが、真の正体は人間盗聴器であり、公安調査庁から小遣いをもらっては、ビシバシと、アカどもの情報をオカミに流しつづけていた正義のひとであることが発覚したばかりである。
 工作日誌を初めて見たときにはビックリ仰天。えええええ、あの突破者がオカミの犬だったぁ!!と、俺なんかは、鼻血が出るほど驚いてしまったわけだが、どうしたわけか、これまでどの媒体も完全に沈黙し続けていたのである。(ミニコミの「創」は除く)
 なかでも、突出したのは、「噂の真相」だ。99年11月の時点で、もう、工作日誌を入手していて、宮崎さんが公調のスパイだと知っていながら事実を隠蔽。ご都合主義の反権力誌ぶりを縦横無尽に発揮した。
 さらにいえば、「サイゾー」。今年7月号には、<『公安アンダーワールド』という本が話題になっているのか?>という記事を掲載しているが、ななななんと、このタイトルにして、宮崎学の「み」の字さえ載っておらず、M(三島弁護士)のことばかりを書きつらねたあげく、党派間の謀略説まで持ち出す始末。あまりのメチャクチャぶりに、宮崎さんが、すべてをしきって記事を書かせたという噂が業界中を駆け巡ったが、実際は、宮崎さんが「俺に関する部分は外してね」と「お願い」すると、その一切を受け入れて関連個所をまるまる削除したあげく、記事を全面的に書き換えたのだ、という。
「サイゾー」は、その後も、懲りることなく、8月号では<「コレがワシの闘い方や!」 宮崎学候補(作家・自由と希望)が大いに語る>、9月号では<新党「自由と希望」の政党広告はなぜ掲載されたのか?>など、まともな神経の人間なら背中がムズムズとかゆくなりそうな、とってもキショくて、ヨイショな記事を平気で載せつづけたのである。「ああ、素人は厚顔無恥だよなぁ。パソコン雑誌あがりは、常識のカケラもないから大胆なことするなぁ」(大手月刊誌編集者)と業界内では、笑いものになっているようだ。
 しかも、である。9月2日には、<個人情報保護法案をぶっ飛ばせ! 2001人集会>という出版界の大御所たちが、自己満足とオナニーのためにやった道楽集会があったのだが、そこでは、宮崎学がトンズラをこいて大混乱。会場は騒然として乱闘寸前という事態にまでいたったというに、どんなメディアも1行たりともそのことに触れなず、何事もなかったかのような言論統制報道をおこない続けているのだ。
 どうなっているだ、マスコミ関係者諸君!! おまえらの仕事は人権蹂躙だろう。他人の嫌がることを穿り出し、弱者を痛めつけ、プライバシーを暴き立てて笑いものにするのが仕事ではないのか。
 なのに、なのに、なのにこんなおいしいネタを隠し続けるなんて。唖然呆然あきれてあいた口がふさがらない。あうあうあう。
 ……と、思っている最中に、やっと動いてくれたのが、日本一の人権蹂躙雑誌。あの「週刊新潮」だったのである。
「週刊新潮」は、「噂の真相」や「サイゾー」が隠蔽し続けた、宮崎スパイ事件を暴きたてようと、陰湿でしつこい取材を続けていたのだ。取材を受けたある人物が、絶対匿名を条件に重い口を開き、川谷拓三のような下品な笑みを浮かべながらベラベラとしゃべり始めた。
「うほほほほほ。私も取材を受けたから間違いないです。タイトルは<中核から公調スパイと名指しされた作家>みたいな感じで、ワイドの1本としてやるみたいです。宮崎にはもう取材していて、宮崎からは『あのころは文化人でもなんでもない。地上屋だった(運動には関与していない、という言い訳か)』というわけのわからん回答を取った、とか。記者が『前進』で中核に謝罪したことについて尋ねると、『謝罪はしてない。病気療養中の中核派関係者の住居を世話したことについては謝罪したがその他については謝罪していない』という、母親の財布から小銭をクスねた小学生がするような、情けない言い訳をしたそうです。ヤキがまわっとんちゃいますかぁ」
 この他、あの有田芳生氏も、この問題について「ある週刊誌」から取材を受けたと述べている。取材は、宮崎学さん本人をはじめとして、三島浩司や大口昭彦弁護士、その他、党派関係者など空前のスケールでおこなわれている、という。
 さあ、そろそろ入稿の時間だぞ。ちょうど、今ごろ、「週刊新潮」の記者が書いた原稿は印刷所にまわっていることだろう。

●宮崎学、居直り&虚勢 常軌逸老の《米国に対する同時多発テロのニュースを聞いて》   

しょもない週刊誌がわしの悪口を書いておる?新潮やろ、誰が、誰に書かせたかもわかってるけど、ちょっとびっくりするでえ、政府筋ゲンエキのあのデブがからんでたとは。わしもオオモノになったもんやがな。あはは。いずれ挨拶するわ。

◆aml(オルタナテイヴメーリングリスト)富永さとる氏の投稿[23502]   

 (前略)
 注目点は3つあります。

 一つは、これまでオウムがらみで「若い衆を守るために裏取引しようと」公安調査庁に接触した、と言っていただけだった宮崎氏本人が、「中核派の幹部の居場所をもらした。」と認めているところです。これは、この間の批判者側の主張が正しく、宮崎氏のロフトプラスワンでの「釈明」が嘘の上塗りだったことを自己証明しています。また、中核派の声明についても、この件に関してはっきり書いてあるところは真実として扱っていいという補強にもなっています。

 また、「幹部に提供した隠れ家の場所を後から公安に教えた」のではなく、限りなく「現在使われている隠れ家の場所を教えた」と読めるのも注目です。

 二つ目に、「公安に情報流しても、違法行為じゃないんだからいいだろう」という開き直りです。いくら何でもこれはないんじゃないの、としか言いようがありません。

 三つ目に、「マカオ」がまた出てきているところです。そして、微妙に内容が変わっています。5・5付けの自らのサイトの文章では、氏は> この「1995年2月21日」に残念ながらわしは日本におらんかった。なに、> 香港におった。そのあとマカオでバクチして800万円勝ったんや。と言っていますが、ここでは当日マカオにいたことになっています。

 まあその微妙な食い違いは別にして、宮崎氏の事務所を差出人住所として、2月22日付けで公安調査庁の樋口に書類が郵送されているのは、どう説明するのでしょうか。(「公安調査庁スパイ工作集」社会批評社刊に封筒の表裏が掲載されています。)ちなみに、エアメールではありません。
 パスポートを調べられる(偽造かどうかも含めて)ことはない、と踏んでのハッタリと考えるのが妥当です。

 完全に悪しき開き直りに入った宮崎学氏。焦点は、彼を担いでいる運動体がどうするのか、という点です。

 この点、これまで彼を運動の世界にどんどん引き入れ、担ぎあげてきた人々は、自分の責任を明確に認めて、しかるべき行動をとるべきでしょう。中核派だってその点自己批判したのに……。

 それがなければ、運動圏もしょせんは天皇制無責任体質か、と言われてもしょうがなくなるでしょう。

野田敬生メルマガ「ESPIO!」Vol.50 09/15/01号

  ▽

 「すわ戦争開始か」と色めきだち、「オサマビンラディンオサマビンラディン」と連呼するメディアをチェックしながら、狂牛病を恐れて食生活が激変したりしている今日このごろである。
 そんなことに比べれば卑小な話題かもしれないが、筆者にとってはリアルな戦いなので、一応継続的にフォローしておく。
 何の話かというと、言うまでもなく今週12日発売の週刊新潮のことである。大手メディアで、はじめて公調スパイ問題について言及した。
 とりあえず、まず、記事中事実誤認があるので指摘しておこう。
 「宮崎氏を“獲得”したのは、私の上司で、私も宮崎氏を紹介されたことがあります。宮崎氏は会うたびにアジトを教えてくれたほか、最高幹部が病気で療養してた極秘の場所も教えてくれた」という個所である。
 前段はともかく、さすがに「会うたびにアジトを教えてくれた」ということはない。そんなことを筆者は一言も言っていない。これは記者あるいは編集者の“作り”である。筆者が宮崎と接触したのは2回であるが、その時には、オウムとよど号の話題に終始した。
 実はこの種の誤りないし捏造は日常的である。「文学部中退」を「法学部卒」としたり、訴状を出した日を間違えたり、写真を別人と取り違えたり、「建設省」がなぜか「警察庁」となっていたり、「暴行」を「公務執行妨害」としてみたり、枚挙にいとまがない。
 一箇所も間違えていない記事のほうが少ない。週刊誌だけでなく新聞も同じようなものだ。記事を書かれる立場に立って一つ学んだことは、マスコミは結構いい加減だということである。
 そういうふうにでも考えない限り、記事中の宮崎のコメントは理解し難い。つまり、「幹部の居場所を漏らしたんは、さすがに謝ったけど、それかて違法行為じゃないし、何が悪いんですか」という発言である。
 もし、そのとおり言っていたとしたら、まるでバカである。なぜなら、「幹部の居場所(=非公然アジト)を漏らしたこと」、そのことこそが公調に提供された情報の核心部分なのであって、これを自認する以上、日付や場所が違うことを主張しても、まったく意味がないからだ。
 てなわけで、「やはり誤報か」と思わないでもないが、一箇所この間、宮崎が使っているキーワードがある。すなわち、「違法性」という考え方である。「売り出し中の“反権力評論家”」氏は、8月5日のブント日向派のグランワークショップでも同じようなことを言っているのだ。
 ブントHPのほうでは消去されてしまったようなので、要約すると、「仮に情報提供行為があったとしても、それ自体に違法性はない。あるとすれば政治的道義性だけだが、ストーカーでクビになった奴に道義性を云々される筋合いはない」というものである。
 自称「似非政治家」改め「似非文化人」氏はいったい何をどう取り違えているのか、皆目見当がつかない。筆者は政治的道義性がどうしたこうした、などとは語っていない。そんな高尚な話はお互い相応しくない。真実を捻じ曲げてデマ宣伝を行う徒輩がいたので、ただ単に「事実は事実である」と、誰にでも分かるように指摘したまでのことである。
 やはり「似非文化人」であるせいか、今ひとつ論点を把握する能力にも欠けているようだ。
 違法性など最初から問題となっていないのは当たり前。「政治的道義性」というよりは、任侠としての「信義」ないし「仁義」が、今まさに多くの人士から問われているわけであるから、幼稚な言い訳や開き直りをする前に、まず真摯に釈明すべきではないのか?
 と、軽く断った上で、一応当事者として、ちょっとした裏事情なども明かしておきたいと思う。
 新潮の新人風の記者が拙宅を訪れたのは9月6日のこと。筆者が一しきり状況を説明すると、最後に宮崎のコメントについて感想を求められた。
 いわく「95年当時は社会的に無名な地上げに過ぎず、非難されるいわれはない」「『前進』に『謝罪』とあるのは、あくまでも活動家の“住居”を漏らしたことについて謝罪しただけ、そのほかのことについて謝るつもりはない」ということだったそうだ。すでに宮崎への取材も済ませていたらしい。
 記事中の内容とも随分異なるように感じるが、要するに「オレは悪くない」ということである。
 念のために、その時答えた内容を記しておくと、次のとおりだ。
 「有名・無名かは事実と関係ない。むしろ有名であったほうが、取材目的などと言い逃れすることもできるはずなのに、無名であることに拘るのは不自然。どこの世界に公安と会って情報提供する必要のある地上屋がいるのか。宮崎は当時すでに約10年間も中核派と関係があった」
 「謝罪は、つまり、非公然アジトを漏らしたことを自認したということ。工作日誌に書かれている内容をまさに追認している。ただし本当に謝罪したかどうかも疑わしい」(実際「何が悪いんですか」と言ったとされているわけだ)
 (後略)

 


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