まえがき
このタイトルは「義務教育死すか」ではなく「義務教育死す」である。もう死んでいるのだ。そして恐らく「蘇生」は相当難しい。その事情をこれからお伝えする。
教育業界の末席を汚させていただいていると、きちんと目的意識と意欲とを持ち自分の可能性を最大限生かすための助力を求めてくる家庭や生徒も常に一定数確実に存在するが(完全にゼロにならないのが救いだ)、必然的に「どうしようもないバカ」の相手をせざるをえなくなってくる。確かに少々要領は悪いがどうにも憎めない「愛すべきバカ」というのもいて、それはそれで必ずしも忌むべき事態ではないこともあるが、どうも最近「バカ」の様子が変質してきた気がしてならない。つまり、「バカ」というのもおこがましい、こんな連中をバカと呼ぶと本当のバカに失礼じゃないかと言わざるをえない信じがたく頭の悪い連中が続出しているのだ。もう「こいつら人間なのか? いや生物なのか?」「こいつに人権を認めるのは人権侵害じゃないか?」というレベルのどうしようもない連中がゴロゴロいて往生するわけだ。
「いや、そんなの大袈裟な。我々だって彼等くらいの頃はバカだったじゃないですか」「学校の勉強と『頭が悪い』云々とは別じゃないんですか」と言う方々もいよう。あるいは「学校の勉強が少々できないからといってそういう言い草は差別だ! それこそ人権侵害だ! 帝国主義だ! 軍国主義だ! 戦前に逆戻りだ! 男尊女卑だ! 家父長制度だ! 中央集権だ! キーッ!」とか騒ぎ出す連中もいよう。しかし、そんなもんじゃないのだ…… この期に及んで「画一的教育でなく子供の自由な云々云々……」とか言える方々は恐らく現状を知らないのだ。「こんな状況でまだそんなことを言えるのか?」ということをこれからご紹介しよう。
物事が急速に変化したのはもちろん悪名高い「新指導要領」なるものが実施されてからだ。あれは結局愚民化政策以外の何だったのだろうかという疑問を筆者はついぞ拭えた覚えがない。しかし悲しいながら、こんな辺境でこんな一個人がいくらギャーギャー騒いでいても、こういう「お上の決めること」は変わるまい。この活動がきっかけで「死の指導要領」ならぬ「新指導要領」が廃止もしくは大幅改善されれば、というのは希望的観測であるが、残念ながらそれは実現しまい。そのくらい状況は絶望的なのだ。それも、以下の記事で分かってもらえることと思う。
何にせよ前置きが長いのはよくない、早速本題に入ろう。信じられないバカの群れに愕然とするがよい。
念のため、タイトルの「義務教育死す」は大河SF小説のある作品を、「当世義務教育気質」は坪内逍遥の作品をそれぞれもじったものである。
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