CM2S中国滞在記(仮題)
ひょっとしてこれが典型的中国人?!
中国で出合った、そして筆者を苦しめたある人物について(その2)

日本人よりも日本語が分かる中国人?

突然だが、ちょっとクイズを出したい。

第一問:次の日本語の意味を答えよ 「しんねんこ」
第二問:「羊の肉が生臭い」ということを日本語で何と言うか
第三問:「どういたしまして」を切るとすればどこで切るか
第四問:「麦芽糖」は何と読み、何のことであるか

さてどうだったろう? 平均的日本人ならば「???」「そんな表現は多分ない」「どう・いたし・まして」「ばくがとう/麦芽糖そのもの以外なら何だ?」という順序に答えるのではないかと思う。

しかし、である。何と正解は
一:「あけましておめでとうございます」
二:「にごい」
三:「どういた・しまして」
四:「みずあめ」
だというのだ。

「誰がそんなことを言うのか?」と言われるかもしれない。もちろん日本人ではない。中国人である。「あぁ、その人は日本語を齧っただけか、よく分かっていないのだな……」と思うのが普通だろう。

ところが、である。その中国人――仮に「J」としておこう(イニシャルではない、念のため)――、筆者と共に日本語教室で日本語を「教えて」いたのである。いや、それどころか、筆者を差し置いて、この教室を「仕切」ろうとし、実際、それが可能な状況においてはほとんどこの教室の授業進行を支配していたのである。

「何でそんなバカなことを許していたのか? 制止すればいいではないか。大体お前は日本人だろ。間違った滅茶苦茶な日本語を教えることになってもよかったのか?」そう思われたとしても当然である。もちろん筆者も抵抗はした。「『しんねんこ』だの『にごい』だのという日本語は聞いたこともない」「『しまして』はともかく『どういた』という単語は奇妙だ」「『麦芽糖』は『ばくがとう』としか読めず、確かに水飴の原料ではあるが、水飴そのものとは別物のはずだ。大体、店などで『麦芽糖をください』と言っても水飴はでてこないはずだ」と言ってみた。

もちろん、無駄であった…… J曰く「私がもらった年賀状に皆『しんねんこ』と書いてある!」(それはあんたが中国人だから中国語で「新年好」と書いたんだろうよ……)とか、あるいはひたすら「ありますよ! ありますよ!」「言いますよ! 言いますよ!」と時には「怒鳴る」…… あるいは、生徒に中国語で何やらくどくど文句を言い(恐らく「あいつの言うことはおかしい」とか何かそんなことを言っていたのだろう)、「麦芽糖」に関しては「ばくがとう」としか読めないはずだと言う筆者に対してひたすら「違いますよ! 違いますよ! 全然違いますよ!」(しかし後でも書く通り、どこがどう違うのか、そして、ならば正しくは何と言うのか、そういうことについては決して何も言わないのである……)

このJ、万事がこの通りなのである…… 他にも

「ダメじゃない」という日本語はありえない
「日本語がバラバラ」は「日本語がペラペラ」「日本語が滅茶苦茶」の両方の意味になる
「気持ち悪い」を「不愉快だ」の意味で使う(そして、これも後で書く通り、何か不愉快なことがあるとすぐに「気持ち悪い!」と言う)
「難しくて分からない」を「頭クルクル」と言い、重要表現として憶えさせる
「一切」を「いっさつ」と言うなど、奇妙な言い方をよくし、それを正しいと押し通す

など、挙げればきりがない。もちろん、こんな日本語を平気で教えるどころか正しいと言い張る程度であるから、まともな日本語が使えるわけがない。助詞や活用は乱れているわ(中国人の日本語学習者によくある間違いは大抵拝聴できる。中でも「消すして」「会話するいいですか」といった誤用は、かえってそっちの方が正しいのではと錯覚するほど頻繁に使われる)、それどころか逆に生徒が使った正しい表現を「そんなこと言いませんよ!」とわざわざ間違った表現に直させるわ、ひどいものである……

Jは何年間か日本で仕事をしていたことがあるらしいのだが(これも奇妙な習性だと思うが、「何年間」「何の仕事を」していたのかということは決して詳しく言わないのである。ひょっとして全部ウソなのだろうか? そうとすら今は思える)、そして実際通訳としてはある程度役に立つのであるが、しかしこんな有様ではもちろん日本語教室の教師としては失格であろうし、その資格もないと言わざるを得ない。

しかし、筆者はそんな人間にバカ扱いされながら同じ教室で何とか日本語を教えていたのである…… どうか苦労を推し量っていただきたい……

「こんな日本語教室は世界中どこを探してもない」確かにその通りだ、ただし逆の意味で……(その2)


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