よもやま話
固め(のはず)の
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日本語をローマ字で表記する時

まず、直接関係ない話をお許し頂きたい。最近河島英五さんが亡くなった。フォークというのは大嫌いだが、なぜか英五だけは別だった。特に大ファンというわけではなかったが、自分達の世代の中では珍しいファンだったと思う(当時尾崎だボウイだという時代に河島英五なんか聴いている奴はほとんど変態だったかもしれない)。一度生で聴いてみたかったと思う。久しぶりに芸能人の死に悲しい思いをした。慎んで御冥福をお祈りする。
実は、ファンにもかかわらず彼のCDはもっていなかったので(レコードは何枚かもっていたが)、近所のレンタルCD店で借りて来た。最近はテープもMDも使わないで、いきなりMP3にしてしまう。タイトルその他のデータが一緒に保存できるので便利だ。

さて、そこで困った。いつも邦楽のCDをMP3に変換する際に困るのが、日本語タイトルの曲の処理だ。現在筆者使用のコンピューターは英語版のOSで、MP3用のソフトも日本語に対応していない。一々英訳していたこともあったが、色々と不都合があるので結局ローマ字表記に落ち着いた。これで解決かと思うと、そうでもない。
さて、借りて来たベスト盤『Scene of 38』の中で一番長いタイトルは「タンバリンをたたいておくれ」という曲だ(文字数の上では「トーキョーホームシックブルース」の方が長いが、こっちは英語表記にしてしまえる)。
さて、何が問題なのか?拙サイトに頻発するulタグで書き出してみよう。

この曲だけでもこれだけの問題があるので、とりあえずこの四つをちょっとづつ見てみよう。

「タンバリン」をどう表記するのか。
まず「タンバリン」だが、「そんなものこの語だけ「tambourine」でいいじゃないか」と言われるかもしれない。外来語は本来の表記をすればいいという、これはこれで一つの解決法だ。実は今聴いているMP3データのタグもそうなっている。
しかし、このCDには「ろまんちすと」という曲がある。これを「Romantist」と書くと何か全然雰囲気が変わってしまうような気がする。そこで「Romanchisuto」と書いてみる。少しましな気がする。確かチャゲ&飛鳥には「あhぁんぎゃるど」という曲があったと思うが、これも「Avant-garde」じゃなくて「Avangyarudo」の方がいいと思う。実は、欧文の学術論文において日本語文献に言及する際、この方式が採られることも最近は多い。「ニーチェのルサンチマン」という論文があったら「Nietzsche no Resentiment」ではなくて「Niche no Rusanchiman」だ。

前者の利点は、何と言っても元々の言葉が分りやすいということだ。しかし、欠点もある。一つはもちろんこの方式だと日本語に外国語がどんどん入ってくることになるということで、この方式で例えばコンピューター関係の文書をローマ字化したらほとんど何語だかわからなくなるだろう。もう一つは、この方式だとこの手の語彙にあたる度に「正しい綴り」をせねばならなくなることで、例えば「ナンガパルバットで見つけたヒラリーのアイゼン」と書くのは特定の分野に詳しい人でなければ困難になる。人名・地名、特に非西欧のそれがバンバン出て来るともう絶望的だ。
後者の利点は、何と言っても日本語であるという点で一貫性が保てるということだ。一々本来の綴りにあたらなくてもいいので書くのも楽だ。しかし、もちろん元々の語に戻ることが時に困難になる。「Witogenshutain no win」「Puraton to Kikero no diarekutike ron」何だか分らん。
もちろん「kon (KORN)」「kiti (Kittie)」みたいに書けばいいのかもしれない。新聞や雑誌なんかでよくあるパターンだ(韓国でもそうだという話)。しかし、例えば件のMP3タグのように文字数が限られている場合はどうするか。え?もうすぐ各曲100文字くらい使えるようになるって?まぁそう言わないで。
とりあえず、今は自分が分ればいいので、元の綴りが分る場合は原語の綴り、分らない場合だけカタカナ・ひらがなのローマ字化にしているが、もちろんこれで何の問題もないとは思っていない。筆者の作ったCDロムを覗いて「????」となる人も多分少なくないだろう。

単語をどこで切るのか
これは普通の日本語表記では決して生じない問題である。そもそも日本語をローマ字表記する際に、スペースをどこで入れればよいのか。問題の曲名の場合でとりあえず可能性を挙げてみる。

Tambourinewotataiteokure
Tambourinewo tataiteokure
Tambourine wo tataite okure
Tambourine wo tatai te okure
ちなみに、もうひとつ、筆者が今思い浮かぶ長い曲名として筋肉少女帯の「パレードの日陰男をひそかに消せ」を同様にやってみる。
Paradenohikageotokowohisokanikese
Paradenohi kageotokowo hisokani kese
Paradeno hi kageotokowo hisokani kese
Parade no hi kageotoko wo hisokani kese
Parade no hi kage otoko wo hisokani kese
上に行くほど日本語の本来の表示とのギャップは少なくなり、下に行くほど分りやすくなると思う。
言語右翼的な考え方をすれば、日本語は本来分かち書きをしないものだからローマ字表示の際もそうするべきだと言えば言えるし、日本語・中国語以外にも少数ながら分かち書きをしない言語もあると聞くから、これもありえない選択ではないが、何より分かりにくい。一時期流行った長い曲名なんて絶望的だ。「Ainotameniwagamamanibokuhakimidakewokizutukenai」前衛文学かよ。
文節で区切るのは韓国語的だし、全体の意味はよく分るかもしれない。しかし、韓国語の場合はハングルという文字の構造上そうなっているわけで、日本語もそうするべきだという理由はない。相手が日本人だとこれが一番分りやすいかもしれないが、このような表記をした場合、日本語はマジャール語やスオミ語のようにやたらに語尾の種類が多い言語になって非ネイティブには分かりにくいかもしれない。
となると、単語で区切るのが分りやすいかと思うが、問題は助詞助動詞の処理だ。個人的には動詞に関しては厳密に切るとかえって分かりにくくなる気がするので、名詞の場合だけ助詞の前で切り、動詞の場合は切らないという変則的な方法を採っている。
従って、筆者所有のCDロムにはそれぞれ「Tambourine wo tataite okure」「Parade no hi kageotoko wo hisokani kese」となっている。

表記と発音が食い違う場合にどうするか
他の言語と同様、日本語でもいくつかの表現では表記と発音が食い違う。これをどうするか。
上でもちょっと触れたが、欧文の学術論文で日本語の文献や内容に言及する際に最近では「を」を「o」、「は」を「wa」と書いてしまうこともあるらしい。『フェミニズムはジェンダーを哲学する』という本があったら(個人的には読みたくもないが)「Feminizumu wa jenda o tetugaku suru」になる。もちろん、実際の発音にはより忠実になるので、その点では分りやすいとは言える。
しかし、例えばフランス語で「eau de cologne」を「o de kolon」と書くと違和感があるように、日本語ネイティブにはどうしても違和感があるのも事実だ。個人的には標準的な現代仮名遣いの単純なローマ字化でよいと思っている。特に標準的な近代語における食い違いの範囲を大きくこえるものではないと思うからである。

(続く)


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