CM2S私家版「作家の値うち」
江国香織

神様のボート(1999)

発作のように引っ越しを繰り返しながら、「消えた」父親を待ち続ける母子のだらけた日常

が、例によって(評者には)「ちぐはぐ」な(としか思えない)文体で綴られていく

聞くところによるとこの作家の代表作、あるいはもっと最高傑作とも称されているらしいが、「なるほどこの作家はこの程度なのであろう」と思わされるという点では確かに「代表作」と言えるかもしれない

(以降、この作品の欠点を挙げていくが、もし不幸にしてファンの方がこの文章を読んでおられるのであれば、どうぞ気を確かに、とあらかじめ言うしかない… 後で「ものすごく上から目線」とでも何でも仰るのはどうぞ御自由に(ま「そうか…そういう読み方もできるのか…ならばもうちょっと読んでみようか…」と思えるような指摘でももらえたらそっちの方がより良いであろうが…))

評者が著者江國の文体を決定的に気に入らないのは今更仕方がない、としておこう…

この作品は、「母パート」と「娘パート」がほぼ交互に出てくる形で成り立っているのだが、まずこの両者の書き分けが上手くない。この主要登場人物にして語り部二人の「文体」にそれほど区別が付けられていないのは、読み手としてどうかと思う。要するに読みにくい。特に、この二人が会話しだすとしばしばどっちが話しているのか分からなくなる(「それこそが狙い」というのは「逃げ」としか思えない。つまりそのことに特に意義は感じられない)。

そして、この作家独特の文体にも起因するのかもしれないが、「両パート」とも語り口がどうにも「ちぐはぐ」で白々しい。つまり、「娘パート」は不自然に「ませ」ていて(しかし、このくらいの年頃の女子というのはそういうものなのかもしれない、と納得することもできなくはないかもしれない)、そして「母パート」は妙に「幼い」(こっちは明確に読むのが「しんどい」…作者江國は「でも女ってその程度のものじゃないんですか?」とでも納得してほしいのであろうか?)。こんな、日常生活から母娘を演じているような母子では自らはもちろんありたくないと思うし、身近に「こんなの」がいてほしくもない、というのが正直な所だ。一言で言えば「面倒臭い」。(映像化された(未見)際に(恐らく)母親役が宮沢りえだったようなのだが…ある意味適役かもしれない)

さらに、ストーリーはなかなか動かない… 「父」が「消えた」経緯は、まるで昨今のしょうもないバラエティー番組のように「引っ張り」に「引っ張り」、母親と「パパ」との関係に関する重大な事実(一応「ネタバレ」はしないように留意しました…)は何と作品の終盤になるまで明らかにならない…

これではファンしか「読めない」! としか言わざるを得ない


作者本人のあとがきに曰く、この作品は自らの作品の中でも最も「危険」で「狂気」のものだ、ということらしい… この程度の作品にそんな自負を持つことこそが狂気で、こんな作品がもてはやされることこそが危険なのではなかろうか… しばらくこの作家の作品は読みたくない、と思った(39)


きらきらひかる(1990)

男性同性愛者とメンヘラ女が結婚して色々と問題が起こる中での愉快で切ないドタバタ劇

2010-20年代の「LGBT」な御時世に丁度いいくらいの「なぞり」具合でこういう状況を「きれい」に描いてみたもの、と言えば大体雰囲気が分かってもらえるだろうか? 同性愛にしてもメンヘラにしてもどこかファッション的で「『現実』はこんなもんじゃないだろ…」と外野ながら言いたくもなる、がヴィジュアル化にはこのくらいがいいのであろう(実際発表まもなく映画化されているらしい(未見)… むしろその頃にこんな作品が映画化されているのは「進んで」いたのかもしれないが…)。

男性同性愛の描き方に関しては「BL」のレベルを出ていない… つまり、妙に「きれい」で、多分本物の男性同性愛者には反発を覚える向きも多かろうと推察される。もっともそういうものが読みたければそういうものを描く作家が別にいるからそれを読めばいいだけの話ではあるが…

ただし、小説としての出来は悪くはないと思う… 要するに「技術」はうかがえる(それが表に出ていてるのが何というか「その程度」とも言えるのだろうが…)。読み物としては十分に楽しめる。

ただ…これは嗜好の問題かもしれないが…ひらがなが多すぎて非常にしばしば読みづらい… 多分それもこの作家の個性であり、それをなくしては作品が成り立たないのかもしれないが… 評者には、快適に読むのを妨げるレベルだと思われて仕方ない…


掘り下げの浅さを技術で何とかカバーしてるという印象(47)


つめたいよるに(1989, 93)

短篇と言うより掌編小説集二つを合わせたもの。
幻想的というよりはもはや妄想だか何だか分らなくなっている雰囲気が漂っていて、そういう方向性が強烈に出ている『つめたいよるに』の方がずっといい。特に最初数編は慣れないうちは何が何だかさっぱり分らずそれが快感である(「訳分らん」で済ませることももちろん可能……)。『温かなお皿』の方は半分エッセイみたいな作品もあってそれは「クス」とはさせてもらえるものの、小説としては今一つ。童話出身だけあってか、子供の世界を作るのは上手いが、時々文章に大人が顔を出してしまっているのが珠瑕。それと裏腹に、ボケ老人ネタが意外とすごくいい(老人ネタは評者も結構好きなのだが、こんな意外な方が名人だとは思わなかった)。情緒を大切にするタイプの作風にしてはそれを乱す漢語や慣用句が時折あって、数は少ないが邪魔。
ちなみに、○複数「鬼ばばあ」「いつか、ずっと昔」「スイート・ラバーズ」「晴れた空の下で」;○「夜の子どもたち」「子供たちの晩餐」「さくらんぼパイ」「とくべつな早朝」;△「朱塗りの三段重」;×「ラプンツェルたち」「藤島さんの来る日」「冬の日防衛庁にて」;○かつ×「南ケ原団地A号棟」 という印がつけてある。

それにしてもこれだけ色々な視点が書き分けられる技術には嫉妬させられる(64)


なつのひかり (1995)

愛人と突然転がり込んできた兄や近所の謎の面々が引き起こすドタバタ幻想譚
はっきり言って失敗作。最初にこれを読まなくてよかったと思わされる。ストーリー全体は正直何が何だか分からない。それはそれでいいのかもしれないが、それにしてもだらしなさすぎる。これで新人賞に応募しても選考を通るまい。情景がガチャガチャ変わるような文体は最初うまいと思うが、メリハリがなくてすぐ疲れる。ヤドカリがリフのように機能してはいるが、意味は最後まで分からない。総じて、一体何が言いたいのかどこまで読んでも全然分からず、何とそのまま終わる。もう一つのリフとして「……の話をしよう」というものもあるが、こっちは最初からジャマ。それに、もう一々指摘しないが文体が雑で、それがファンタジックな雰囲気を中途半端なものにしてしまっている。ちょっとだけ言えば、妙にお子さまな雰囲気の中に場違いな漢語が出てくるのはまるで気取った子供の作文みたいで下らない。それに、いくらなんでも陳腐な表現を不用意に使いすぎている。表現としてのバランスがどう考えても悪すぎる。ファンしか読めないよこれじゃ。

要するに、中途半端な雰囲気とイメージをテクニックでごまかした類いの作品で、評者には暇つぶしの意味すらない。時間の無駄だった(39)


ホリー・ガーデン (1994)

「腐れ縁」の女子二人それぞれの煮え切らない恋愛模様

が、恐らくこの作家独特の文体と語り口でズラズラズラズラ綴られていく、のだが… 失敗作とまでは言い切れないものの、正直あまり読む意味のある作品とは思えなかった…

まず、これを言うとそもそもこの作家の作品を読むことの意義がなくなってしまうかもしれないが…、この作家の文体がどうにも受け付けない… そもそも、どう考えても平仮名が多すぎて読みづらい半面、それと裏腹に不釣り合いな漢語が多用されていてチグハグな印象がぬぐえない上に体言止めが多く(広告を読まされているようだ…)、まるで歪んだ天才少年(別に天才少女でもいいが…)のうわごとを聞かされているような不愉快さが終始付きまとう…

そして、「残念ながら」この文体と整合が取れているのかもしれないが、人物の描き方が平坦で、どの人物の内面にもズケズケ入って来る割にはペラペラのことしか書かないのでどの人物も上っ面を撫でているようにしか思えず、懐かしのトレンディードラマのノベル化のようにしか見えない。これだったら外面の描写に徹してそれに語らせた方が良かったかもしれない。

しかし、その描写も中途半端な細かさがウザい… 例えば登場人物の一人は「ベートーヴェン」をよく聞いていることになっているのだが、ベートーヴェンの何を聴いているのかはほぼ明らかにされない… あるいは「ベートーヴェンのシンフォニー」とだけ書かれ、何番なのか?まして誰の演奏なのかは全く語られない(「田園」絡みのエピソードがあるにはあるが…)… ちょっとでもクラシックに通じている人間ならこんなことはないはずである… というような、まるでカタログのような描写が多用される…(「スポーツカー」「ブランド品」とかだけ言うような軽薄な描写で小説を書いたとしたら、その陳腐さが想像できないだろうか?) 時折、思い出したように細かいことを書き出すのは何か「奇形」みたいで気持ち悪い

さらに、肝心のキャラの書き分けがあまり上手いと思えず、みんな同じような風で(ウザい迷惑行為だけが「個性」のようである…)、女性ファッション雑誌を読んでいるような白々しい人間模様が何か疲れる…

とどめに… やっぱりセックスばっかりするわけか…(あまり「そっち方面」の描写はないが…)

タイトルとの関連もよく見えない(もしかしてここがタイトルとの絡みか?という場面はあるにはあるが…はっきりしない…)

と、けなしてばかりいるが… 主人公二人が語る友愛論はちょっと面白い、とは思った…

なお、文庫版解説を先に読むと主人公二人が女性同性愛者であるかのように思ってしまうかもしれないが、特にそういう描写はない(それを匂わせるような要素も…特にないと思う…)ので期待しないことをお勧めする…


「しかし、実はそれが狙い」というのは評者には言い訳にしか聞こえない… ファンにはたまらないのかもしれないが…そうでない者にとっては「きれいなゲテモノ」でしかない…要するに「説得力」がない…(40)


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