海の向こうで戦争が始まる (1977)
今現在(2022年4月)まさに「海の向こうで戦争が始ま」ってしまいそれが続いている…(この作品とは全く関係なく、一刻も早くこのバカげた戦争は終わってほしいものである…)
というわけで随分久しぶりにこの作品も読み返してみたのだが…
はて…と思うに内容が全く思い出せない… それもそうだ… 特にこれと言ったストーリーも何もないのだから思い出せなくても何ら不思議ではない…ということを再確認してしまった…
という具合に、要するに「駄弁り系」「うわごと系」の「文学」である…
正直苦手な傾向の文学で、個人的には面白さが全然分からない…(好き好んで読みたいとは思わない…今後不幸にしてまた再び「海の向こうで戦争が始ま」らない限り再び読むことは多分ない…)
ただ…即座にこれを「駄作」と切り捨てられない「何か」があるのも認めざるを得ない…
一つには「語り」の視点がズレていっていて(良く言えば「多重的」とでも言えばいいのか…悪く言えばフラフラしている…)…その辺に奇妙な物語性があるようにも思われるのと、もう一つはやはりこの作家の独特な表現、なかんずく描写力に説得力があり「読ませる」ものであるのと…ある種の魅力が備わっていることも事実と言えるかもしれない…(ただそれはむしろ文学の研究者とかを喜ばせる類のものなのかもしれない)
「ブルー」と「コインロッカー」に挟まれた「徒花」と言えるかもしれない(けど…正直もうたくさん)(50)
限りなく透明に近いブルー (1976)
何をして生活しているのか分らない若者がドラッグとセックスに溺れて廃人になるまでが、特に起伏のあるストーリーなしにズラズラ続く。当時は鮮烈だったのかもしれないがドラッグやセックスの描写は今読むとさすがに古臭い。そんなことよりもやはり全体に漂う詩情のようなものは真似しようとしてできるものではなく、独特の雰囲気を持っている。個人的には、会話の処理が「」に入ったり、そうかと思うと地の文に紛れ込んだり、その辺の感覚が面白い(しかし、会話の処理というのは色んなものを読めば読むほど分らなくなってくるなぁ…)。感性の極部肥大と言えよう。しかし、こんな生活はしたくないもんです……
多分思うがままに書いたらこうなったというだけなのだろう……才能というのはある所にはあるものだな……しかしそれだけという感も拭えないので(55)
コインロッカー・ベイビーズ
タイトル通りコインロッカーに捨てられ兄弟として育てられた二人の孤児が紆余曲折を経て最後に世界を「壊し」自分も「壊れる」
のが「透明ブルー」の拡大再生産とも言うべき張りつめた勢いのある文体で、しかも延々と綴られる。「透明ブルー」とは物語の規模が桁違いになっており、盛り込まれたエピソードも多彩かつ踏み込んだものならば、構成も割によく練られており、読みごたえは段違いに重い。しかも、確か作者本人が「瞬間を連続させるつもりで書いた」と言っていた文体は刺激的でテンションが高く、存分に痺れさせてもらえる。芸術表現として文学というものが有効であることを再確認させてもらえる、大げさに言えばそんな拠り所になる確かな名作と言えると思う。
ただ…それだけに「これで納得できる読者がいるのか?」という結末は、評者は大いにガッカリした。別々の人生へと引き裂かれた二人の孤児の内面外面が徐々に収斂していく後半の進行にはワクワクさせてもらえただけに「何だよこれは!」と少々腹が立った。というか、結局最期は「透明ブルー」と同じような有様に「落ち着いた」(というのも妙な表現だが…)有様に、そしてどんなにテンションの高い表現を用いようが、衝撃的なストーリー展開や描写をしようが、今一つ盛り上がらない(というか「突き抜けられない」と言った方がいいかもしれない)もどかしさに、時々「あぁ村上龍はこれ以上にはならないんだろうな…」と思わされた。両村上の中では春樹よりもずっと好きだから、これからも折に触れ読んでいくとは思うが、これ以上の興奮を与えてくれるんだろうか…と少々不安になった。
昭和後期の派手な「人間失格」という感じでなかなか楽しめる傑作ではあるが、どこか残念さも兼ね備えているので…というわけの(73)