不可解に自らの生命を絶ってしまったのも記憶に新しいが、まとめて作品を読んでみると、作品の出来不出来が結構窺え、なるほど悩んでいたのかな……と思ってしまうのも事実である。特にデビュー後の、いかにも模索していますという時代の作品がひどい。開き直るタイプの作家が多い中で珍しく苦闘するタイプの作家だけに、疲れてしまったのかもしれない。ある程度の鈍感さがあればこのまま程々のレベルの作品を量産していけたのかもしれないが、ここで「残念である」と言えないのが残念だ……ともかく御冥福をお祈りする次第である。
愛してる (1991)
或るクラブにまつわる若者の生活を描いた連作短編集(らしきもの)
技術だけで書いているような退屈さがずっと続いて「どうした?」と思わされる。さり気ない形で人間や人生に関する洞察がさらっと語られることには元哲学徒として嫉妬を覚えるが、全体として無難なエピソードがズラズラ続いて「おいおい終りかよ」と何度も思う。作品集全体の中盤を超えたあたりでやっと「オチ」があって「やっと来たか」と安心できたのでホッとしたがすぐ前半の無難さに戻っていく。技術的な名人芸を感じさせる作品が後半に配置されているのでダレはしないが、それにしても……と思う。
一つすごく気になったが、カエルの血というのは色があるのだろうか?
技術的な名人芸と退屈さを同時に感じる。どうした鷺沢?と思ってしまった……(56)
ごく普通の日常に取材した掌編が二十編
体裁として私小説ではないというだけで、内容・雰囲気的には庄野潤三・佐伯一麦に通じるものがあって、実は何か無気味なものを孕んだ一見無難な日常が淡々と描かれていく。掌編だけあって凝集された表現が見られ、その中で技術が発揮されている反面で、きちんと調べた上で細かく書き込まれる内容もあって作者の才能を見せつけられるが、何編かは明らかに書き足りなかったり意味がよく分からなくなってしまっている(まぁ仕方ないことかもしれない)。解説で群ようこさんが書いているように「小説とはこう書くのだ」と(しかも極めてさりげなく)言われているようで、何と惜しい才能を謎めいた仕方で失ったものだと嘆かずにはいられない……
スマートな気持よさと純文学的な問題意識がうまく同居している。(64)
タイトルは「不可」「落第」の意で、その通り落伍者人生を送る面々の惨めな日常風景を描いた短編集
鷺沢らしくもないキワモノ的設定の連続に思わず「どうしたんだ!?」と思ってしまう。何気ない日常風景が続いて突然「オチ」るというのが鷺沢作品の醍醐味と思っていたが、これは最初から「オチ」てる。そのままずっと「オチ」だったり、さらに「オチ」たりと色々と工夫が去れているというのが分かる。もちろん技術的には高度なものが発揮されていて何か生きる意志が涌いてきそうな気がする。ただ、それだけに、「最後の一枚」だけは趣味に走った内容で全くいただけない。邪魔なだけ。
無気味でやってられない気分になるが、鷺沢作品では一番好きかもしれない……やっぱり俺は変態だ……(67)
デビュー作「川べりの道」から芥川賞候補の表題作まで四篇の短編。離婚・一家離散・訳ありの出自などが一貫したテーマになっている。
どうしても重苦しくなりがちな内容をきっちり書き込みながらも爽やかな印象が漂っているのはやはりセンスがいいというか、人徳なのであろう。あまり非難や糾弾という側面が表に出されていないのがその一因かもしれない。逆に言えば、どうしても踏み込みが足りず、外野的な所から撫でているだけという印象もどこかある。突っ込んだ問題意識を持ち、ある程度不快にならないと追求した気にならないという向きには無難すぎて物足りないだろう。やや書き足りない印象がどの作品にもあるのはその印象を強めている。表題作で主人公が何となくヒロインと関係してしまう陳腐な展開など典型的だろう。
とはいえ、デビュー時に既にこの技術を持っていたというのだから嫌になる(65)
精一杯不良大人を気取り青いモラトリアムを謳歌する十台のガキ模様
が、なるほど鷺沢という文体で描かれるのだが、酷い! 酷すぎる! 最初にこの作品を読んでいれば彼女のファンになど絶対ならなかったであろう。ストーリーは中途半端で練れていない上に両村上・田中康夫の縮小再生産的な小編が並び、うんざりする。色々と表現を模索している過程なのかもしれないが、全て裏目に出ており、まるでゴーストにでも書かせたかと思わざるを得ない悲惨な有様になっている。特に酷いのは、無理して流行を追いかけた表現が多用されていることで、こういう作品のおかげで「純文学は時代に取り残された連中の……」とか言われるんだろうな、とボヤきたくもなる。また、不用意に学術語を使って墓穴を掘っている箇所も多く、白ける。感覚描写や擬音・擬態語の使い方はやはり上手く、部分的にスリルが出ている所もあるだけに、非常に残念。
遅蒔きながらファンになったのが情けなくなった……(43)
大人になる過程でモヤモヤする大学生カップルの恋愛譚
「大人になりたくなーい」とギャーギャー喚くガキの独り語りなどもう聞きたくないのだが、そこはやはり鷺沢ということでこんな単純な図式では終わらず、現状を受け入れる決心をした彼とあくまでも抵抗し続けることを選ぶ彼女とをくっつけて別れさせるというストーリーでうまく表現している。問題意識への切り込み方は鋭く深いのだが、表現の仕方が相変わらず上品なので余計な反発を感じることなく読み進んで行ける。むき出しの感性を下品に叩き付ければ追求が深いと思い込んでいる連中は見習ってほしいものだ。
ただ、彼女らしからぬ欠点が多い。まず登場人物が多すぎる。それらが前半の短い間にゾロゾロ出てくるのでゴチャゴチャしている。それに、まるで田中康夫のようにカタカナ語や固有名詞満載の文体が選択されていて、時折意味が分からないこともあったりして(斉藤美奈子は田中康夫のそういう側面を「教養」と呼んでいたが、そうだろうか……)乱雑な印象を強めるだけになっている。後半に入れば何ということはないが、鷺沢女史にしては珍しく面倒臭い作品になってしまっている。
鷺沢らしさと「らしからぬ」側面が同居している。(61)
合衆国はワシントンDCで苦労しつつも生活してきた夫婦が別れるまで
映画化されているらしいが(未見;あまり見る気もしないが…)確かに映画化したくなるほどに舞台・設定ともに魅力的で、それが著者得意の美しい描写で情感たっぷりに描かれていく。表現はうまいのでスルスルと読んでいけて、心地よい満足感を得られるが、最後にこの二人が何故別れざるを得なくなるのかということがどうもあまり丹念に書かれているとは思えず、折角の舞台装置や仕掛けが結局映画的なラストシーンを盛り上げるための演出としか見えてこないのが惜しい。著者の才能と限界とを同時に感じてえもいわれない。
最後が流れてしまっているのが残念。もうちょっと踏みとどまれていたら……(60)
嫌われるのが嫌いで三又かけてしまった男のトホホな恋愛物語
今まで読んだ中ではこれが一番いいと個人的には思う。登場人物の心理やどうしようもなさ、卑劣さまで存分に書き込まれていて、えもいわれない嫌な気分になるがリアリティーがあり、抵抗なく入り込んでカタルシスを得ることができる。平和な日常生活、一枚皮を剥いだら実は……という鷺沢得意の雰囲気も強烈に出されている(この作品は最初からネタバレ的だが、それでも白けないくらいどん底に落ちる)。
惜しむらくは、特に冒頭部分で叙述の視点が定まっていなかったり、場違いな言葉遣いが出てきたりして「あれ」と思う。連載か何かで、最初はノれなかったのかもしれない。
細かい傷はあるが、これぞ鷺沢という作品だと思う(69)
とにかくツいてない女とにわかアウトローとのトホホな恋愛物語
軽い。「来たな……」という雰囲気が出てくるまでは正直読んでられない。状況は重いのかもしれないが表現が軽すぎて深刻さが伝わってこない。この重さと軽さの同居がいいのかもしれないが、評者の好きな鷺沢はこうではない。表現だけをとっても、本来の持ち味の中に妙にオヤジ臭い表現が混ざっていて、どうもチグハグだ。しかも描かれている内容はスケッチに毛が生えた程度のもので、例えばプレ『バイバイ』としてのみ意味を持つものではないかとしか思えない。技術と、かろうじて漂う鷺沢的雰囲気だけの作品。
どうも評者が彼女の作品のファンになれたのは運がよかったということもあるらしい(47)
出自に謎を持つ人物を中心に据えた中編が二編
表題作は在日、もう一編はベトナム戦争を背景としながらも、描き方はとてもスマートに仕上がっている。大方の作家はこのようなテーマを持ってくるとどうしてもけばけばしくどぎつい書き方をしてしまうものだが、そんな雰囲気がほとんどないというのは、作者の資質なのだろう。逆に言えば無害すぎて、こういった問題に思い入れが強い向きには物足りないものに写るかもしれない。内容的には佐伯一麦なのを、表現だけ北村薫に近付けたという雰囲気だが、もちろん個性は出ている。時折妙に細かい内容が書き込まれていたりして技術的にも高度なものがあるが、いかにも小説という雰囲気までするのはかえってあざとく感じるかもしれない。
キワモノ的な雰囲気に陥りかねない所に敢えて踏み込まない所に人情というか美学というかを感じる。(67)
愛人を抱えた照明屋のオヤジに振り回される家族にまつわる連作短編三篇
淡々と続く日常風景の上辺が剥がれるとそこには……という落とし穴のような感覚が鷺沢作品の醍醐味だと思っているのだが、この作品にもその辺はきっちり表されている。ただ、この作品の場合はその日常自体がかなり波瀾に満ちているので「穴」はそんなに深くない。「落ち」よりも日常のダラダラ具合の方に中心が置かれているようで、この著者の作品としては異色と言えるかもしれない。そのせいで全体的にはやや単調かもしれない。文庫版の解説を桐野夏生が書いているが、あらすじで水増ししているのが見え見えで手抜き。
うまいことはうまいが、不用意にキワモノに手を出した印象がある。(59)