ヴェニスの商人
御存知名場面で知られる、シェイクスピアを代表する喜劇作品の一つ
である… もはやそれ以上何も言うことがないくらいなのだが…
もちろんここで言う「喜劇」は「ハッピーエンドに終わる演目」の意味に近く、「笑劇」ではない。にもかかわらず、恐らく上演時には爆笑されるであろう数々の「ネタ」といい(その「ネタ」の背景の知識があればもっと「深く」楽しめるのであろう… そして「シェイクスピア学」が始まるのであろう…)、もちろん名台詞満載といい、演劇の鉄板ネタの一つであるのも納得である…
ケチをつけようにもどこからケチをつければいいのか… と思ってしまうほどである…
(恐らく「このような笑いは「高尚」にすぎる」というケチがまず最初に思い浮かぶものの… 単純に笑える「ネタ」(今回評者・私が読んだ福田恆存訳だと「親バカちゃんりん」「耶蘇アーメン ユダヤ娘の頬染めん」等々…)もあるんだからこれは手に負えない… お手上げである…
というわけで… もはや評価放棄寸前である…(78)
別に書いたコラムの中で「敗北宣言」をしたばかりなのに、こうやってさらに混乱を招くようなことを自らやってみたりするのであるが…
このコーナーは「本家」と同じく「「作家の」値打ち」であって「小説家の値打ち」ではないので、別に戯曲を取り上げていけないという決まりはないはずである… と言っておく… まぁまたコラム書いて検討しましょう…
(「本家」はどちらもこのタイトルながら取り上げていたのは小説に限られていた。翻って「ここ」は何でも取り上げるということを標榜しているので、戯曲も取り上げたいと思った次第である… 評者・私がこれから好んで進んで劇作家及び戯曲を取り上げるということも恐らくなかろうとは思うが、劇作家としても活動していた作家(例えば三島由紀夫や(まだ何も取り上げてはいないが)サルトル)の戯曲をここで取り上げるということもいずれはしてみたいとも思ってはいる…)
さて、そこでその初っ端として取り上げるのはシェイクスピアの「カエサル」である…
こんなもの、評者・私ごときが言うまでもなく名作に決まっているのである
実際読んでみてもうそれこそ「声に出して読みたい名言」満載の展開にクラクラする…(今回評者・私が読んだのは福田恆存訳新潮文庫版である)
その上で、あえて、あえて、言うならば… これは「ジュリアス・シーザー」じゃなくて「ブルータス」だろ…(恐らく歴史上ウンザリするくらい言われてきたことだとは思うが…)
シェイクスピアが下敷きにしたのはプルターク英雄伝らしいのだが、そこからこれだけの史劇を構築するのは見事としか言いようがないが、それだけに、それだけに、引っかかるのである… なぜ「ブルータス」が中心なのか?と… 主役のはずのシーザーはなんと中盤で刺殺され(件の名台詞もここで出てくる)後半では亡霊として再登場させられる始末…(そこまでフォローする気は毛頭ないが古今東西シェイクスピア学者が喧喧囂囂侃侃諤諤やっとるんでしょう(それはそれで学問的財産である…)) 残念ながら上演を見たことはないが、見たとしたらそこはやはり疑問として残ると思う…
名作であるのは疑いないが… 何ともモヤる…(80)
ついでに… というには重いことを書くが… 評者・私が世話になった教授はシェイクスピアにも一家言もっていて、なんでも「評論家になる方法」として「誰もが良いというものをけなす、そしてしばらくしてそれと逆のことを言う」ということがあるそうで、そして、その教授が例として挙げたのが、誰もが良いというシェイクスピアをけなしたT.S.エリオット、であった…(その教授はこれと逆の例ももう一つ挙げていたが… そっちは…まぁいいでしょう…) そういうことを思い出すくらい、文句の付けようのない名作である…
御存知四大悲劇の一つ 魔女の予言にほだされて不正な王権簒奪に手を染めたマクベス王の転落
が凝集された筆致で描かれる
沢田研二ではないが、他に何も言うことはない、くらいやはり良いに決まっている作品で、もちろん覚えて使いたくなる警句の類満載の名調子に、機会があれば上演を見たくなる
と褒めちぎるしかないのであるが… 気になるのはやはり「長すぎるハムレット、短すぎるマクベス」と言われるらしいその短さである…
これについては評者・私が今回読んだ訳の訳者・福田恆存による解題にもある程度情報があって、そしてこういうところから膨大な「シェイクスピア学」が始まるわけであろう…
もちろん、そんなことには関係なくただ楽しんでも全く差支えはない…
が… たまたまこれだけを読めばともかく(シェイクスピアで最初に読むべきものと言いうるかもしれない)、他の作品と併せ読むと「スパッ」と終ってしまう感が…やっぱりどうにも気にかかる… 物足りなさ…とまではいかないが…
言うまでもない傑作であるが… やはり「短さ」問題がどうにも引っかかる… 評者・私も、最初にこれを読むべきだったと後悔している…(84)
ほんのちょっとの「すれ違い」から後継者選びをしくじった王が没落する悲劇
「四大悲劇」最後の作にして最高傑作の誉れ高い作品である。
もはや評者・私ごときでは「何も言うことはない」以上に「何も言うことはない」という何ともどうしようもない状況にならざるを得ないのであるが…
巷でそう言われるのも納得の完成度に、このダークで陰惨な雰囲気といい、傑作と言う以外どうすればよいのか、という有様である…
あえてケチをつけるとすれば… 比較的登場人物が多く、立場の相関も複雑で、その上に場面転換等も多いので、一読しただけではストーリーをなかなか追いづらい(いきなり上演を見て着いて行けるものなのであろうか?…)… 例によって「元ネタ」を知らなければ「何のことやら」という内容が特に道化のセリフなどに多く、その辺にも「置いてけぼり」感がある… 等々… 言おうと思えば言える…という程度である…
ぜひ舞台を見たいものである… いや、これを演出してみたい…などと読むものに思わせれば作品としては大成功なのであろう…(89)