CM2S私家版「作家の値うち」
小林多喜二
(1903-33)

蟹工船 (1929)

タイトル通りオホーツク海の蟹工船で搾取される労働者の惨状
をまさに我が国のプロレタリア文学を代表する文体でゴリ、ゴリと描き切った大傑作。随分久しぶりに読んだが、文体はやはり最高だ。高校時代に読んであまりにカッコいい文体に痺れ、『ザ多喜二』なんぞ買って(企画したのが「あの女」だとはもちろん知らなかったが)ガリ、ガリと読みまくったのを思い出すが(しかしボロ、ボロの紙にボソ、ボソした活字の読みにくい本だった…)、今回読み返して「これはすごい」と改めて実感した。ヘタクソながら小説を書く者として擬声語・擬態語は「意地でも使うもんか!」と思って、こういうものに頼り切った作品や作家は軽蔑しているのだが、この作品は使い方が巧い。ここまでやられると納得する。「ガツガツ」と「ガツ、ガツ」を区別して使っているなど、どれだけ細かい神経を使って書いているのかと反省させられる。描写力も卓越していて、これぞリアリズムだと思わされる。死んだ仲間を水葬する場面や、仲間の舟を見捨てる場面などは情的に迫力がある。
惜しむらくは、主人公を集団としてしまったためにやや焦点ボケしている気がする。でもまぁそれは仕方がなかったか。左翼的な視点は今となっては邪魔だが、まぁ気にしなければよいだけだ。無視しても楽しめるだけのレベルに達している(プロレタリア文学を極力無視しようとした小学館『昭和文学全集』でも無視しきれなかった作品のひとつだし)。何という才能を理不尽に消してしまったものかと、当時の官憲を恨まずにはいられない。生き残ってこれをしのぐ傑作をもっと書いてほしかった。

我が国のプロレタリア文学の最高峰であろう(82)


一九二八・三・一五 (1928)

タイトル通りの事件に翻弄される党生活者たち
いまさら気付いたが、事件の起った年のうちに発表されている。何と時事ネタだ。現代でも不用意に時事ネタを取り上げて却って墓穴を掘っている自称社会派の作家は何人もいるが、この作品を読んで恥ずかしいとは思わないのだろうか。比較的初期の作品だけあってまだ乱雑でまとまりがないが、痛みや不快感が伝わってくるリアルな筆致はやはりさすがだと思わされる。意図せずに巻き込まれてしまった人々の迷惑な感情が盛り込まれているのが面白く、作品の視点を深くしている。拷問の克明な描写は、最初に読んだ時には衝撃を受けたものの、今になって読返してみると色々な意味で大したことはない。岩波文庫版に付録としてついている自筆原稿の来歴は面白い。失われたラストがあったというのは知らなかった。
どうでもいいことかもしれないがこの作品のタイトルは「せんきゅうひゃく……」なのだろうか、「いちきゅう……」なのだろうか……一応前者だとして並べてあるが……

まだまだ荒いが傑作(64)


党生活者 (1933)

軍需物資を作る工場でクビ切り反対の活動を起こそうとするタイトル通りの人々の苦悩の日々(未完?)
多喜二虐殺の後に発表された作品だが、充分完成される前にこんなことになってしまったのか、どうも推敲が足りないような気がしてならない。そのせいか、取材によるのか、「蟹」「三一五」等にくらべるとどうにも今一つ軽く(前半部分など特に)、例えば戦後学生運動盛んな折にこれに取材した諸作品のようにどことなくサークル感覚の活動ごっこ的な雰囲気さえ感じられて今一つ共感できなかった。強烈な事件や状況でなく、一般社会での日常的な活動を描こうとすればある程度は仕方ないのかもしれない。リアリズムの巨匠をもってしても日常を描くのは意外と難しいということなのだろうか……ただ、活動家の苦労はきちんと伝わってくる(どうしても「蟹」等と比べられてしまうので、インパクトという点では今一つだが)。女性活動家という観点が盛り込まれ、少しだけだが色恋沙汰みたいなことも盛り込まれているのは、多分多喜二としては異色だが、作品を深いものにしている(こういう作品の深め方が多喜二は上手いと思う)。意図的な下品な表現や、擬音語・擬態語の豊富さやユニークな使い方はやはり彼ならではで、この点は見習うべきだと思わされる。

今一つ迫力に欠ける作品だが本領は出ている(62)


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